第十二話 奥底にあるもの
天之御柱下層、資材保管区。
大小様々な機械的部品や用途すら不明なキュービックオブジェが山積する空間に、弾けるような水しぶきが生まれていた。
「お前も分かんない奴だなあ。そんな可愛い砂遊びじゃ僕は殺せないって言ってるだろ?」
薙ぎ払うように放たれた水鉄砲が、飛来する砂の刃をことごとく破壊していく。猛は大きくため息をつくと、呆れるような仕草で壁にもたれかかった。
その手にあるのはキャップの開いたペットボトル。内部の水は時化た海原のように轟轟と荒れ狂っているが、残量は残りわずかだ。
それはつまるところ、彼の攻撃手段が尽きかけているという事実を示していた。
「滑稽かな滑稽かな。ネズミの強がり、まこと哀れである」
通路の最奥、空調室の前に立つのは砂の偶像。現神ハニヤスビコだ。
砂の鎧は前回よりさらに巨大になっており、周囲には砂によって作られた三日月型の刃が無数に浮かんでいる。
「気性の荒いネズミほど、縊り殺される時には童女のような声で鳴くと言う。さて、貴様はどうであろう? 神代の余興に試してみるのも面白い」
「おやおや、高天原には窮鼠猫を噛むって言葉も無いのかい?」
「爪も牙も神には届かぬ」
「だったらお前は神じゃないってことになるね。ネズミに怯えて逃げ出す神様なんて見たこともない!」
言った瞬間、猛は全力で床を蹴っていた。
直後、先ほどまで立っていた場所に二つの砂刃が叩き付けられた。
鼓膜を刺すような高音と同時、壁に×字の斬撃痕が刻まれる。猛はそれを顧みることなく、近くにあったコンテナの陰に飛び込んだ。
「黙れ小僧! たかが一度出し抜いた程度で我を越えたつもりか!」
「さすがにそこまで愚かじゃないさ。だけど、底は知れた」
「それこそ愚劣! 貧者の尺で大海の深さは測れぬのである!」
頭上にきらめく塵の塊。それは瞬時に寄り集まって、長く鋭い槍の形を取る。
降り注ぐ槍を巧みなステップで避けながら、猛は資材の間を走り抜けていく。
一連の攻撃を振り切った後、猛は努めて涼しげな顔で右手を壁に置いた。
汗にまみれたカッターシャツが背中にぴとりと張り付いて、なんとも不快な気分にさせてくれる。体力は限界寸前だが、それを相手に悟られるわけにはいかなかった。
(とはいえ、作戦の第一段階は成功だ。思った通りハニヤスビコは僕だけを狙うようになった)
前回戦った時にハニヤスビコの性格は理解した。この高慢な現神が何を考えどういった感情を根底に抱いているのかも、八割がた把握している。
だからこそ、猛はその行動を読むことができた。
猛が目の前に現れた場合、ハニヤスビコは確実に猛を殺すことしか考えられなくなる。なぜなら猛は、ハニヤスビコが最も隠したかったものを暴こうとしたのだから。
(明たちの安全は確保できたし、敵もいい感じに冷静さを失ってる。あとは隙をついてこいつを倒せばいいだけなんだけど……)
密かに息を整えながら、猛は勝利への道筋を組み立てていく。
猛とて無策でここまで来たわけではない。当然、プランはいくつか用意してあった。
しかし、この状況で効果がありそうなものは一つだけ。そのうえ、策を成り立たせるために必要不可欠なものがまだ見つかっていない。
ただ、猛自身はそれほど深刻に考えてはいなかった。
彼に言わせれば「まだ見つからない」と「いずれ見つかる」はほとんど同じなのだ。
自分なら残されたわずかな時間で勝利のカギを手にすることができる。子供の頃から培ってきた努力と知識、そして生まれ持ったセンスは絶対に自分を裏切らない。
それは恵まれた才能を持つ猛ならではの、強者の意地のようなものだった。
「……おめでたいものであるな。この期に及んでまだ勝機がある思い込んでいようとは」
猛の態度が癪に障ったのか、ハニヤスビコが苛立たしげに唸った。
「我が砂は永劫にして不滅。燃えど凍れどその力を失わせることあたわず。なれど、貴様の水は砂に吸われて消えゆくことしかできぬ」
ハニヤスビコは土くれの巨腕を真横に張ると、
「そして、見よ! 貴様の幼稚な水遊びは我の体に傷一つ付けておらぬ! これこそ強者と弱者、神なる者と人の差である!」
強烈な空振と同時、通路の左右に黄土色の柱が現れた。ハニヤスビコの両脇に巨大な砂の竜巻が発生したのだ。
吹き付ける砂が空虚なハニワの顔面を凶悪なものに変えていく。まるで見る者全てを震え上がらせるように。
だが、今ここにいるただ一人の観客は恐れも怯えもしなかった。それどころか、彼は至極つまらなさそうだった。
「強者、ねえ……。そう言う割には随分と臆病な戦い方をしてるようだけど」
「はてな、何が言いたい」
「別に。攻撃に使う砂の量がやけに少ないなあって、そう思っただけだよ。それと、前より体が大きくなってるように見えるけど……どうしてだい? 食べ過ぎかな? それとも、また"見られる"のが嫌だから、そうして守りを固めてるのかな?」
とぼけたように言った直後、砂の刃が猛を包囲した。
が、こう来るのは予測済みだ。猛は軽業師のように跳ね回り、変幻自在の凶刃を避けていく。
囲みを抜け出し一気に加速。反対側の壁まで辿り着くと、後ろ手で壁に触れた。
──見つけた。ここだ。
そこでようやく猛は笑みを作った。
「自覚してないのなら教えてあげるよ。お前は心のどこかで僕を恐れてる。強者は僕で、弱者はお前だ」
「二度も奇跡は続かぬぞ。此処のどこにも水は無く、御柱に雨は降らぬ。降るのは貴様の血飛沫だけである」
「水ならあるさ。これだけあればお前を倒すには十分だ」
ペットボトルを堂々と掲げ、底に残った微量の水を見せつける。
「これはこれは……今世の冗句はいささか理解に苦しむものであるな。よもや、これしきの水で我を滅ぼせるとでも?」
「要は使い方だよ」
失笑を漏らすハニヤスビコ。だが、それでも猛は動じない。
ペットボトルを腰に添え、口の部分を握り込む。それは居合の姿勢に似ていた。
「たとえコップ一杯の水でも、限界まで水圧を高めれば非常に高い威力を発揮することができる。それこそ岩や鉄板を一瞬で貫いてしまうような、とんでもない力をね」
「……まさか」
ハニヤスビコの声から余裕が消え、砂の刃が慌てて撤収していく。これから来る一撃に備え、砂の鎧を強固にしようというのだろう。
だが、無駄だ。猛は既に王手を掛けている。
イメージするのは一振りの剣。その刀身は紙片より薄く、切っ先は針よりも鋭い。
弓のように引き絞った意識が解き放たれた時、それは降臨した。
「万象を切り裂け、草薙の剣」
斬。
抜刀の瞬間、鈴を鳴らすような快音が駆け抜けていった。
……しかし、それだけだった。
ペットボトルの中にはもうひとしずくの水滴すら残っていない。そして、砂の鎧にはほんの気持ち程度の染みが付着しているだけだ。
「……は」
無情な沈黙を破ったのはハニヤスビコだ。でっぷりと肥大した鎧の奥底からは抑えきれない安堵と喜悦が伝わってくる。
「はははははははは! 何なのだ今のは!? それが貴様の奥の手か!? 草薙どころか老いぼれの小便にも劣るではないか!!」
響き渡る哄笑。ハニヤスビコは何度も足を踏み鳴らし、狂ったように笑い続ける。
対する猛は何も言い返さなかった。そうする意味も無かった。
笑いたければ好きなだけ笑えばいい。何をしようが結果は変わらないし、気付いたところでもう遅い。自分が草薙の剣を放った時点で勝負はついたのだから。
「……ああ、実に面白い見世物であった。褒めて遣わすぞ、人間」
「それはどうも。じゃあ、そろそろ終わらせてもいいかな?」
「くくっ、打つ手なしと見て絶望したか? だがすぐには終わらせてやらんぞ。貴様には我を辱めた報いをたっぷりと──」
ハニヤスビコはそれ以上何も言わなかった。
どうやら彼も、自分が置かれている状況を理解したようだ。
「……馬鹿な、なぜ」
おののくように見つめる先には、潤沢な水を蓄えた水龍が鎌首をもたげていた。
それも一匹や二匹ではない。頭部だけでもハニヤスビコより大きな龍が、八匹も揃っている。
「一体……何が起こっているのだ?」
呆然と疑問の言葉を繰り返すハニヤスビコ。猛は一本指を立てると、その先端をすぐ傍にある壁に押し当てた。
壁面には草薙の剣による亀裂が入っており、亀裂の奥からはとめどなく水が流れ出している。水龍の体を形作っているのはそれだ。
「簡単なことさ。草薙の剣を使ったのはお前を攻撃するためじゃない。壁の向こうにある水を手に入れるためだったんだ」
「壁の向こう、だと……?」
「自前で動力を賄っているような建物には絶対に欠かせないもの。……冷却水の配管だよ」
空調の構造が同じだとすれば、それ以外の設備も現代文明にあるものと似通っている可能性は高い。特に冷却手段ともなれば水冷に勝るものはそれほど多くない。あとは逃げ回る振りをしながら水のありかを探知すればいいだけだ。
全ては猛の計算通り。何一つとしてイレギュラーは発生せず、敵の力も予想の範疇を出ることはなかった。
「というわけで、改めて終わりにしようか」
「……っ!」
主の笑みに応えるかのように、八つ首の龍が体をしならせる。
透き通った双眸には獰猛な意思が充てんされており、それは眼前の獲物を捉えて離さない。
ハニヤスビコもまた、水龍から視線を外すことができなかった。
まるで蛇ににらまれたカエル。逃げることも歯向かうこともできず、いずれ来たる運命の時に怯えるだけ。
だが、その瞬間を無駄に長引かせるほど猛は悪趣味ではない。ギロチンの刃は速やかに落ちるからこそ意味があるのだ。
決意は一瞬。行動は迅速。猛は強く腕を振り、裁きの合図を下した。
「食らい尽くせ、ヤマタノオロチ──!」
大量の泥と、水と、ねじれ壊れた資材の山。その中心に辿り着いた猛は、泥の底に倒れていた者を静かに見下ろしていた。
「見……るな……」
その男はカサカサの唇を震わせながら、必死になって顔を覆う。だが、ミイラのように萎びた手では隠しきることなどできるはずもない。
「我を……見るな……! 笑うな……! 憐れむな……!」
それでも男は無駄な努力をやめようとしない。床に残った泥を全身に塗りたくり、骨と皮だけの体を隠そうとする。それは性質の悪い喜劇のような光景だった。
「だから言ったんだ。弱者はお前の方だって」
おそらく猛の言葉は男の耳に届いていない。それどころか、猛がいることすら分かっていないのかもしれない。
男の瞳に光は無く、腰から下は水龍に食いちぎられている。だからこれは、死にゆく男が今わの際に見ている幻覚のようなものなのだろう。
哀れだと、掛け値なしにそう思った。
だが、猛は決して笑ったりはしなかった。
「見るな……頼むから……そんな目で見ないでくれ……! 見捨てないでください……! お願いです……どうかお願いします……母上……!」
「……ああ、分かった。もう見ないよ」
猛は学ランを脱ぐと、もうほとんど動かなくなっていた男の上にかぶせる。
そして、その場を後にした。
後ろからはすすり泣くような声がしばらく聞こえていたが、そのうち何も聞こえなくなった。




