第九話 最後の関門
猛と別れた明たちは砂漠と化した通路を強引に突破していた。
奇妙なことに、ハニヤスビコの妨害が激しかったのは最初だけだった。
背後からはガス状の砂が幽鬼のごとく追いすがってくるが、その量は時間が経つにつれ減少している。床に降り積もっていた砂も、しばらく進むうちにほとんど見えなくなった。
「砂が消えたな。ハニヤスビコの奴、猛との戦いに注力しているのか……?」
「どころか瞬殺されちまったのかもしれねえぜ? 予習復習大好きな猛のことだ、一度戦った相手の攻略法なんざとっくに研究し尽くしてるだろうよ」
「だといいが」
二手に分かれた時点で敵の攻撃が分散することは分かっていた。しかし、ここまで顕著に攻勢を緩めるのもそれはそれで妙な気がする。
ハニヤスビコの急激な方針転換に、明は引っかかるものを感じていた。
(それとも……猛はここまで読んだうえであんなことを言い出したのか? 最小限のコストで現神の行動を封じるために)
それこそ「まさか」だが、猛ならありえなくもない。猛に限って言えば、自信の大きさと実力は正比例の関係にある。
どうあれ後戻りはできないのだ。明は気持ちを切り替えて、前方だけに意識を向ける。
長い長い曲線路の果てには、エレベーターシャフトの森が広がっていた。
「……着きました。ここが御柱の頂に掛かる梯子のたもと……ええと、今世風の言い方をするとエレベータールームです」
「お前も稲船も英語の勉強をするべきだな。こんなバカでかい場所を"ルーム"とは言わん」
エントランスホールに負けず劣らず巨大な空間の中、円柱状のシャフトが等間隔に整列していた。
シャフトの中心には銅鐸にも似た円盤型のエレベーターが設置されており、シャフトの先端は天井すら見えない虚空へと吸い込まれている。見ているだけで目まいがしそうな光景だ。
「似たようなエレベーターが山ほどあるが……俺たちはどれに乗ればいいんだ?」
「このあたりの昇降機は中層や上層行きのものです。頂上行きの昇降機はもっと奥にあります」
「またマラソンか。泣き言を言うわけじゃないが、空港にあるような動く床ぐらいは設置してほしいものだな。超古代文明の名が泣くぞ」
明は地平線すら見えそうな景色に顔を歪めると、スクナヒコナにがんを飛ばした。
スクナヒコナは左右のシャフトに視線を走らせながら、
「仮に動く床があったとしても、私たちはその上をさらに走らなければなりません。何より、ここに長居することは全滅を意味します」
「これまでよりも危険ということですの? とてもそうは見えませんが……」
「これから危険になるんです。それも加速度的に」
きょろきょろと視線をさ迷わせる倶久理に対し、スクナヒコナはシャフトの一つを指し示した。
「この区画は御柱の各階層を繋ぐ中継地点……いうなれば全身に血液を送り出す心臓です。ここからならどこへでも行ける。そしてどこからでもここに来ることができる。つまり──」
言い終わらないうちにエレベーターが降りてくる。半透明の扉の向こうには、八十神たちがぎっしりと詰まっていた。
「御柱じゅうの敵が集まってくるんですっ! 早く走って!」
「か、かしこまりましたわっ!」
倶久理の悲鳴を皮切りに全員が走り出す。
それから数分もしないうちに、そこらじゅうのエレベーターから大量の八十神が吐き出されてきた。一塊の軍勢となった彼らが押し寄せる様はさながらバッファローの大移動か、はたまた全てを飲み込む大津波か。
「追いつかれたらゲームオーバーですよ! 後ろは気にせず走ることだけ考えてください!」
しんがりを務める斗貴子が飛び交う矢を弾きながら叫ぶ。彼女にカバーできない分は稲船が叩き落とし、それ以外は全て望美の念動力が相手をした。
迫りくる死の足音から逃れるため、明たちはひたすら走り続ける。
いつ終わるとも知れぬ命がけの鬼ごっこは、スクナヒコナの嬉しそうな声によって終わりを告げた。
「あっ、あれです! あの昇降機です!」
示す先には二回りほど大型のエレベーターがあった。
扉には太陽の印章が描かれており、シャフトの周りには見たこともない古代文字が螺旋状に書き連ねてある。他のエレベーターとは明らかに扱いが違う。
壁面から突き出た操作端末をひとしきり弄った後、スクナヒコナは荒い息を弾ませた。
「良かった、この端末はまだ完全に封鎖されてない。もうしばらくの間はこちらの操作を受け付けてくれるみたいです」
「間一髪か……」
「だね。私、もう一生分動いた気がする」
明と望美はエレベーターの扉に寄り掛かると、共に苦笑いの表情で顔を見合わせる。異能の多用と戦闘しつつの全力疾走で明の疲労は最高潮に達していた。
だが、それもひとまず終わりだ。あと数秒もすれば扉は開き、自分たちはこの修羅場からおさらばできる。
その先にはヒルコが待ち受けているだろうが、少なくとも頂上に着くまでは休んでいられるはずだ。
稲船との戦いからここまで常に気を張り続けてきたせいもあるのだろう。そう考えた明は、ここで初めて緊張を緩めた。己に課していた最低限度のラインを越えてしまうほどに。
気を抜いたのだ。
ゆえに明は、直後に来た異変に対応することができなかった。
「……あ?」
最初に気付いたのは黒鉄だ。次にスクナヒコナが気付き、おそらく最後に気付いたのは明と望美だろう。
それは黒い影だった。
包帯ずくめの八十神たちが作り出す真っ白な絨毯。それを背後から踏みしめながら──否、踏み潰しながら、黒く大きな物体が近付いてくる。
その黒色は鉄の色。そのシルエットは様々な刀や砲が突き出したウニのような形状だ。
「やべえっ──!」
切羽詰まった黒鉄の声。黒い影が赤く光り、砲撃音が激しく轟く。
明に見えたのはそこまでだった。