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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
最終章 そして日はまた昇る
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第三話 それぞれの決意・上

 人気のない公園の片隅で、黒鉄は座禅を組んでいた。

 ベンチの上で軽く手を組み、しめやかに目を閉じたまま、吹き付ける風の音に耳を傾ける。無心、無心と自分に言い聞かせながら。

 しかしどれだけ続けても、彼の心に沸き立つ波は鎮まらない。むしろ自分から意識してしまったことでより大きくなったような気がする。

 一分経ち、二分経ち、それでも収まらぬ鼓動に苛立ちを感じ、諦めたように目を開ける。

 そこには半笑いでこちらを見る猛の姿があった。


「悟りは開けたかい?」


「んなもん、見りゃ分かるだろうがよ」


 黒鉄は不快そうにぼやくと、固く組んでいた両足を投げだした。


「形だけでもそれっぽくすればいい感じに落ち着くかと思ったが……駄目だなこりゃ。てんで駄目駄目、クソの役にも立ちゃしねえ。坊主どもも何が楽しくてこんなことするんだか」


「そういった疑問も含めて心を空っぽにするのが目的なんじゃない? 仏の教えは色即是空(しきそくぜくう)……一切の物事は虚ろであるという考えに基づいてるからね」


「確かに虚無感半端ねーわこれ。ソシャゲの素材集めでもしてた方がマシだったかもな」


「そうだね、リョウにはそっちの方が似合ってると思う」


「褒められてるようには聞こえねえな」


「そうでもないさ」


 猛は笑みを見せると、その手に持っていた缶コーヒーを投げてよこした。

 夜風に冷えた指先が缶の熱によって温められていく。口を付けると、酸味のある味わいが舌の上で踊った。


「らしくないね、座禅なんて」


 言いつつ、猛が隣に腰を下ろす。黒鉄はぼんやりと上を見ながら、


「俺だって馬鹿じゃねえ。事件がこれだけ大事になっちまうとまあ……色々と考えちまうんだよな」


「みんなの前で大見得切ってた男の発言とは思えないな」


「そうでもしねえと腰が引けちまいそうだったんだよ。情けねえことにな」


 認めたくはないが、自分はきっと小心者なのだろう。

 多くを恐れ、多くに惑い、それを悟られたくないがために自分をことさら大きく見せようとする。我ながら幼稚な性分だ。


「くそっ、ワケ分かんねーなマジで。俺は確かに強くなったはずなんだ。なのに最近は弱いとこばっかり目につきやがる」


「それはリョウが成長した証だよ」


「ちっ、大人ぶりやがって。……つーか、そういう猛はどうなんだよ? こんなところで油売ってていいのか?」


 あと数時間もすれば、自分たちは明日をも知れぬ戦いへと身を投じることになる。

 元より家族に遠慮などしたことのない自分とは違って、猛は複雑な家庭事情を抱えている。

 これまでは父親と腹を割って話す機会などそう無かっただろうし、別れた母親にも伝えておきたいことはあるはずだ。時間などいくらあっても足りないくらいだろう。

 と、思っていたのだが、猛の答えはあっさりとしたものだった。


「うーん、特に問題は無いかな。それより今は戦いの準備を優先するべきだと思う」


あのゴリラ野郎(たけうち)じゃねえが、もうすぐ世界が滅びるかもしれねえってんだぜ? なんつうか、こう……無いのかよ?」


「無いね。っていうか、勝つのは僕らに決まってるだろ? 何言ってんの?」


「かーっ、大物だよテメエ」


 しれっと言い放つ猛に対し、黒鉄は諸手(もろて)を挙げて降参するしか無かった。

 猛は心の底から自分たちの勝利を信じている。希望的観測でも楽観主義でもなく、冷静に彼我の戦力を計算したうえで"勝てる"と踏んでいるのだ。

 だからこそ彼の言葉には説得力があり、人を動かす力がある。

 ついさっきまでは、黒鉄もそう思っていた。

 しかし。


「そうでもないさ」


 再びそうつぶやく猛の顔を見ていると、不意にもう一つの考えが沸き上がってきた。


「……お前、さあ」


「何だい?」


「俺があの時カッコつけたから、そうやって後押ししてくれてるのか? 本当はお前だって不安なのに、勝てるかどうか分からねえって思ってるのに」


「さあね。……でも」


「でも?」


「誰より最初に踏み出せる人間は、誰より勇敢に決まってる。僕は、そういうリョウを尊敬してるんだ」


 続く猛の声は、クールな彼にしては珍しく闘志に満ちたものだった。


「やってやるさ。世界を救うことなんて、家族と向き合うことに比べたら屁でもない」


「馬鹿、お前が本気出せば両方とも大したこたねえっての」


「そう願いたいね」


「俺が保証してやるよ。何せ……お前は俺の親友なんだからな」


 言ってから、クサいことを言い過ぎたなと鼻を拭う。

 こういうことを恥ずかしげもなく口にしてしまうのはあの転校生の影響かもしれない。あの男はいつもいつも気取ったような言い回しばかりする。

 だが、たまにはいいだろう。

 そうたまには。年に一度くらいは、認めてやるのもやぶさかではない。

 自分がここにこうしているのは、あのクソいけすかない転校生と出会ったおかげなのだと。



斗貴子(ときこ)、あなたまた夜遊びに出るつもりなの?」


「あらら、バレちゃいましたか。足音は立てないようにしていたんですけど」


 ちょうど靴を履きかけたところで呼び止められ、斗貴子は片足立ちで後ろを向いた。

 洗面所から顔を出しているのは母親だ。歯ブラシ片手のバスタオル姿でも威厳を保てているのは器量の良さゆえか。はたまた酒が入っていないからか。


「私だってあまりガミガミ言いたくはないけど、さすがに限度ってものがあるわよ。あなたももう十七なんだし、そろそろ一人前の女性としての分別を身に着けるべきじゃない?」


「ぐうの音も出ない正論をありがとうございます。返す言葉もございませんわお母様ー」


「その言葉がその場しのぎのものじゃなければいいんだけど……」


 額に手を当て、困ったようにため息をつく母。このやりとりはもはや定番となっており、斗貴子がそれに従わないことも分かっているはずだ。

 しかし、母はそれ以上の干渉をしてこない。

 子供の自主性を尊重しているところもあるのだろうが、本音を言えば、やはり……怖いのだろう。

 母は家族を再び傷つけてしまうことを恐れている。自分の教育方針に自信が持てないから、子供の事情に深く踏み込むことができないのだ。

 そういった母の弱さに付け込んでいる自分に少しだけ嫌悪しつつ、斗貴子は精一杯の笑顔を見せた。


「心配しなくてもいけない遊びには手を出していませんよ。あなたの娘は取れたて新鮮、清い体を保っております」


「だからこそ変な虫が寄ってくるのよ。男っていうのは思考と下半身を切り離せない種族なんだから、絶対に気を抜いてはいけないの」


「それこそ心配無用です。何かあったら猛が守ってくれますから」


 猛のことを口に出した途端、母の顔色が変わった。それも暗い方向に。


「そ、そう。猛と一緒だったの……」


「ええ。それならお母さんも安心でしょう?」


「そう……そう、ね。ごめんなさい、余計な口を出してしまって」


 先ほどまでの気丈さは露と消え失せ、ビクビクと怯えるようにこちらをうかがう母。斗貴子はやれやれといった表情で首を振った。


(責任を感じているんでしょうね。馬鹿なお母さん。もう誰もあなたを責めてなんていないのに)


 確かに母は過ちを犯したが、それは母を憎む理由にはならない。

 あの事件は皆が皆を想い、しかし噛み合わなかっただけだ。

 反省こそすれ、後悔など。まして罪の十字架を背負う必要など絶対に無い。

 それはきっと母以外の全員が思っていることだ。少なくとも斗貴子はそう信じている。


「ねえお母さん、もう過去にこだわるのはやめにしませんか?」


 斗貴子は一旦靴を脱ぎ、固く握られた母の手にそっと触れた。


「お母さんはもう十分過ぎるほど苦しんだじゃないですか。いい加減、自分を許してあげてもいい頃合いじゃないですか?」


「……駄目よ。忘れることなんてできない。私にそんな資格は無いの」


「忘れろとは言っていませんよ。私はお母さんに前を向いてほしいんです」


「なおさら無理よ」


「できますよ、お母さんなら。過去を忘れず、それでいてより良い未来を目指すことが」


 それは慰めではなく、心からの本音だった。

 何もかも取り返しがつかないと思っていた自分にさえ、救いは訪れたのだ。母にできない道理はない。

 それでも無理だというのなら、今度は自分が手助けをする番だ。あのお節介焼きの彼が自分にしてくれたように。

 あやすように母の手を撫でた後、斗貴子は玄関の扉を開けた。


「それではちょっくら行ってきます。希望に満ちた明日を手にするために、ね」



 真夜中の霊園で竹ぼうきが踊っていた。

 霊の力を帯びたそれは吹きすさぶ寒風を物ともせず、軽やかな動きで落ち葉をかき集めていく。

 それが終わると宙に浮いたちりとりがすかさず落ち葉を回収し、掃除を終えたそれらは粛々と所定の位置に帰る。一連の作業が終わった後、霊園に残っているのは一人の少女だけだった。


「これで完璧、と。うふふ、お掃除をすると心まで健やかになりますわね」


 腰に手を当て、満足げに微笑む倶久理(くくり)。彼女は霊園全体をゆっくりと見渡した後、すぐ傍に立つ墓石の群に目を向ける。

 大人の背丈ほどもある大きな墓石と、それを囲むように並び立つ小さな墓石。白峰一族の墓だ。

 倶久理はまず祖霊を(まつ)った大きな墓石の前にひざまずき、祈りの言葉を暗唱する。

 口から漏れる言葉は異教のものだが、要は心掛けだ。死者の安息を望む気持ちはどの宗教であれ変わらない。

 一通りの儀式が終わると、彼女の足は列石の端──両親の墓標へと向かった。


「……何を口にすればいいのでしょうね。わたくしの言葉は、貴方がたに届いているのでしょうか?」


 結局、自分は両親と再会することはできなかった。

 彼らがどこで何をしているのか、そもそもまだ現世に留まっているのかも自分には分からない。

 ただ、ここにはいないと思う。だから、ここで何を言っても意味は無い。

 しかし、それでも彼女は言いたかった。届いていると信じたかった。


「お父様、お母様。わたくしはもう大丈夫です」


 今でも一人は嫌だ。一人きりは耐えられない。

 だが、傍にいてくれる仲間は見つかった。傍にいたいと思える人には巡り合えた。それは彼女にとって何より強い心の支えとなるものだ。


「ですから、どうか見守っていてください。わたくしが立派に役目を果たすところを。そして喜んでください。貴方がたの自慢の娘は、こんなにも素敵なお友達に恵まれているのだと」


 ロングスカートをはためかせ、倶久理は墓石に背を向ける。

 確かな足取りで歩く彼女の後を、いくつもの青い光が追いかけていった。




 それからしばらくして、とても大きな光がひっそりと地面から現れた。

 が、それに気付いた者はまだ誰もいなかった。


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