第十三話 たった一つどころではない冴えたやり方
その場にいた全員が、魔法にでもかけられたように動きを止めていた。
明も、武内も、敵であるはずの稲船でさえ例外ではない。誰もが言葉を失って、半信半疑といった様子でクロエの顔を見つめている。
「クロエ、今言ったことは本当なのか? 沙夜先生の病気は……治るのか?」
長い沈黙の末、最初に明が口を開いた。
以前からこの問題について頭を悩ませてきた明だが、そんな彼ですらクロエの発言は寝耳に水だった。
沙夜の病気は荒神因子の悪性変異によるものであり、それを治療するためには新たな神代を利用するしかない。だからこそ稲船はヒルコと手を組み、荒神狩りという非道に手を染めることを決意した。
公共の利益と個人の幸福。数的論理と感情の二律背反。
つまるところ、この問題の争点は「沙夜の命と人類全体の未来、どちらに重きを置くのか」という一点に集約されているのだ。
しかし……クロエの話が事実だとすれば、その大前提は根本から崩れ去ることになる。
「もしやとは思うが、死合いを止めるために適当なことを口にしているわけではなかろうな? 要らぬ仏心は己が寿命をも縮めるぞ神崎クロエ」
最高のタイミングで横やりを入れられたせいか、武内は相当おかんむりのようだった。抑えるような低音の端々にはぴりぴりとした激情が見え隠れしている。
「失礼な。私がそんなことするわけないじゃないですか。夜渚先輩じゃないんですから」
「おい、お前の方こそ失礼なことを言うんじゃない。俺の方はあくまで最終手段として考えていただけだ」
この戦いに難色を示していた明としては願ったり叶ったりな展開だが、だからといってクロエの言葉を即座に信用することはできなかった。
当然だ。そう簡単に解決策が出てくるのなら、そもそも稲船がこのような大事を企てる必要も無かったのだから。
「信じられないって顔ですね。まあ私自身ついさっき思いついたばかりなので、皆さんの気持ちも半分くらいは理解できるんですけど」
武内と稲船、正義と悪の狭間に立つ調停者。
彼女は演者のごとく鷹揚に、そして道化のごとく慇懃無礼に頷くと、
「でも、聞いておいて損は無いと思いますよ? 少なくとも、私は理事長さんに新たな選択肢を示すことができます」
自信ありげに稲船を見るクロエ。
稲船もまた発言の真意を掴みかねているのだろう。猜疑的な眼差しの奥にはわずかな動揺とひとかけらの期待が込められていた。
そして、彼は最終的にその期待に賭けてみることにしたようだ。
「……よろしい、続けたまえ。ただし、話を聞く価値がないと判断すれば……」
「ええ、分かってます。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。何ならポテトもお付けしますよ」
「結構だ」
念押しするようににらみを利かせる稲船。クロエはそれに怯むことなく、自身の考えをすらすらと語り始める。
「主役になるのはスクナヒコナです。簡単に言うと、彼女の蟲を使って沙夜さんの体内から荒神因子を摘出するんですよ」
「ちょ、ちょっと待てクロエ。その方法は……」
明が慌てて止めようとするがもう遅い。稲船は落胆に顔を歪めていた。
「何を言うかと思えば、そんなことか。残念だが君の考えたプランは既に否定されている。蟲の力はとても弱く、どうあがいても荒神因子の増殖速度を──」
「上回ることはできない、ですよね? スクナヒコナから聞いてますよ」
「何を分かりきったことを」とでも言いたげな表情をそっくりそのまま返すクロエ。
彼女は片手を水平に伸ばすと、細長い指先を稲船に向けた。
「ですから、次は理事長さんに力を貸してもらいます」
「稲船の……? まさか、稲船にスクナヒコナの異能を強化してもらうつもりなのか?」
明が問うと、クロエの代わりに一羽のヤタガラスが返事をした。
そいつはおそらくイエスなのだろう一声をあげると、高度を落としてクロエの腕に舞い降りる。
「さっきの攻撃を見て気付いたんです。ヤサカニの活動を鈍らせることができるんだから、逆に活性化させることもできるはずだって。蟲を利用するっていう方向性は間違ってないんですから、あとは蟲の作業効率さえ改善できれば成功する見込みは十分にあります」
なるほどと膝を打つ明。
治療を行うにあたって最大の障害になっているのは蟲の非力さだ。クロエはその欠点を異能同士の相乗効果によって補強しようとしているのだ。
これまでの明にはついぞ思い付くことのなかった斬新な発想。しかし、それでも稲船の反応は色よいものとは言えなかった。
「君が真摯にこちらと向き合おうとしていることは理解した。だがな神崎くん、その程度のことを私が考えなかったとでも思っているのか? スクナヒコナの性能と自分の限界に誰より失望しているのは私なんだぞ」
「そうですか。じゃあ次は璃月先輩の力を借りましょう」
「……何だと?」
言った拍子にもう一羽のカラスが降りてきた。
全く動じない様子でプレゼンテーションを続けるクロエに、稲船の顔色が変わる。
明もまた、だんだんと話の雲行きが変わりつつあることに気付き始めていた。
「璃月先輩の異能は時間を操ります。沙夜さんの体に流れる時間がゆっくりになれば、細胞分裂の速度も遅くなる。これならだいぶ時間に余裕ができると思いますけど」
「馬鹿馬鹿しい。焼け石に水だ」
「だったら手術の前に仮死状態にしてしまいましょう。夜渚先輩の力を借りて、沙夜さんの波動をギリギリまで小さくするんです」
さらに一羽がクロエの腕に飛び乗った。
「軽い気持ちで言うな! そんなことをして万一死んでしまったらどうする!?」
「それが駄目なら白峰先輩ですね。あの人の異能を強化すれば、魂を一時的に休眠させることくらいはできるんじゃないでしょうか?」
また一羽。
合計四羽のヤタガラスがクロエの腕を止まり木にしている。
空の上にはまだ何十羽ものヤタガラスが残っている。自分の出番を今か今かと待ち受ける彼らを見上げていると、明にもクロエの考えが少しずつ読めてきた。
案の定武内は気付いていなかった。そして稲船も。
無理もない。この二人はある意味似た者同士であり、双方ともに同じ欠点を抱えている。
誰より孤高で、誰より有能で、そして誰より意志が固い。だからこそ彼らは、クロエのように考えることができないのだ。
「もうたくさんだ! これ以上実現性の乏しい屁理屈を並び立てるな! 私は、何もかもに裏切られたから今の道を選んだんだ! 選ぶしかなかったんだ!」
「本当にそうですか? 本当の本当に、他に道が無かったと言い切れますか?」
「無かったさ! そこまで言うなら試してみるか!? どうせ失敗するに決まっているだろうがな!」
「だったら! もっと多くの人の力を借りればいいじゃないですか!」
稲船の気迫ごと吹き飛ばしてしまうような大声。
クロエは大きく体を翻し、屋上の淵を背に。その瞬間、一斉にヤタガラスが飛び立った。
天翔ける黒翼の背後に見えるのは、グラウンドに集うたくさんの人々。
視線を遠方に向ければ、煌々と輝く橿原市の夜景が広がっている。ダイヤモンドを散りばめたような光は、人々の営みそのものだ。
「頼ればいいじゃないですか。『助けて』って言えばいいじゃないですか。私たちには、こんなにたくさんの荒神がついてるんですよ!」