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第十二話 人の子

 稲船隆二がこの世に生を享けたのは三十八年前のことだ。

 彼は地元の名士である父と華族の血を引く母のもとに生まれ、稲船家の後継ぎとして厳しい教育を施されてきた。

 「厳しい」と言ってしまえば一言だが、実際は厳しいで済まされるようなレベルではなかった。

 その少年時代を一言で言い表すなら、灰色だ。当時を思い返す度、稲船の心には岩のように温かみのない記憶ばかりが浮かび上がってくる。

 あの頃は、自身の"性能"を向上させることだけが稲船の全てだった。

 そうさせたのは両親だ。彼らは常に完璧であることを求め、それが果たされなかった時は壮絶な制裁を加えた。

 特に酷かったのは父親だ。野心家の父は上か下かで人を判断する性格だったため、息子に対してもおよそ人間らしい感情を向けることはなかった。

 彼にとって子供とは愛すべきものではなく、自身の権威を知らしめるための道具でしかなかったのだ。

 管理する者とされる者。実の親子とも思えぬ歪な関係は、彼が荒神に覚醒したことで唐突に変化する。

 だが、その変化は決して稲船の望んだ形ではなかった。

 生命力を操る異能。それは生ある者に滅びを与え、死すべき者を生き永らえさせる。さながら神の子と呼ばれたイエスキリストのように。

 絶大な力を見せつけられた両親は大いに驚き、恐れ、心酔し、そして管理者は下僕へと反転した。

 道具として扱われることはもう無かったが、息子として扱われたいという希望は永遠に失われた。

 平身低頭して媚びへつらう両親を見下ろしながら、稲船は虚無感に近いものを感じていた。

 ただぼんやりと、「自分は二度と人間らしい感情を動かすことはないのだろうな」と考えていた。

 人生とは茶番であり、狂った楽師が戯れに書き上げた喜劇に過ぎない。他者とはあまねく苦痛をもたらす存在であり、彼らが自分と心を通わせることは絶対にあり得ない。

 人間には、期待できない。

 そう思っていた。この学園に来て、彼女に出会うまでは。





「果てよ稲船隆二! 貴様の非道もここまでだ!」


「できもしない事を口走るものではないな」


 決死の気迫を柳のごとく受け流し、稲船は敵の攻撃を回避していく。

 武内の攻め方は先ほどの力で押し切るスタイルから一転、こちらの虚を突くものに変わっていた。

 傍目には手当たり次第に突きを放っているように見えるが、それらは全て稲船の注意が疎かな場所を狙っている。まともに食らえば稲船とて立つことはできないだろう。


(だが、それも今だけだ。もう少しで貴様は指一本動かせなくなる)


 焦る必要は無い。攻める必要すら無い。

 武内の拳が肌をかすめる時。あるいは、浅く入った一撃をこの手でいなす時。

 二人の体が接触する度に、稲船の力は武内を衰弱させていく。ただ防戦に徹するだけで確実な勝利を得ることができるのだ。

 武内も当然そのことは憂慮しているのだろう。その動きはますます苛烈さを増しており、厳めしい表情の裏には一刻も早く決着を付けたいという焦りが垣間見えた。

 しかし、それは消えかけの炎が見せる最後の輝きでしかない。そして平常心を失った人間ほど脆いということを稲船はよく知っている。


「こんなものか。数多の現神(うつつがみ)を滅ぼしてきたと聞いて少しだけ期待していたが、どうやら私の買いかぶりだったようだ」


「ほざけ。勝負はこれからよ」


「無駄だ。世の中には気合いや根性では覆せないことがある」


「で、あろうな。だが、今はまだその時ではない!」


 鎌のように振り抜かれる手刀。鼻先で風が舞い起こり、稲船の肌を撫でた。

 危ないところだった。が、初撃に比べると明らかに動きが鈍っている。この分だとあと数分も保てばいい方だろう。


(……ということは、そろそろ彼らが仕掛けてくる頃合いだな)


 稲船の視線は疲弊した武内を通り越し、その向こうにいるクロエへと向けられていた。

 クロエはその場から一歩も動かず、その目は稲船に定められたままだ。

 この状況、そして先のやりとりから考えても、彼女がのんきに観戦を決め込んでいるとは思えない。おそらくは使い魔の制御に集中しているのだろう。


(で、制御に集中して……それで何をする? カラスごときで私をどうにかできると考えているのか? まさかな)


 今の自分は異能によって現神級の身体能力を獲得している。仮にカラスが群れを成して襲ってきたとしても、自分の体に傷を付けることは不可能だ。

 ゆえに、彼女の狙いは攻撃ではない。稲船はそう判断した。


(使い魔の役目はおそらく陽動……いや、輸送か? ……そういえば、夜渚明はどこに行った?)


 武内に気を取られていたせいで気付かなかったが、クロエの傍にいたはずの明がいつの間にか姿をくらませている。

 無謀な攻撃を繰り返す武内。動かぬクロエ。そして消えた明。

 無関係に思える三つの要素は、全て同一の結論を指し示していた。


(そういうことか。面白い策を考え付いたものだな、神崎クロエ)


 この戦い、武内暁人は囮に過ぎない。本命は夜渚明だ。

 武内がこちらを引き付けている間にヤタガラスが密かに明を運び、隙を突いて死角から振動波を叩き込むつもりなのだ。

 ヤタガラスは非力だが全くの無力ではない。先ほどはクロエの背中を引っ掛けて移動の補助をしていたのだし、数十羽が力を合わせれば人一人分くらいは動かせるかも──

 と、稲船がそこまで思い至った時だ。

 突如、空がまばゆい光に満ちあふれた。


「──!」


 赤、緑、黄、橙……様々な色彩が入り乱れた光のシャワー。それは花咲くように広がりながらぱらぱらと地上に降り注ぐ。

 ……花火。

 高臣学園祭のラストを飾る盛大な花火が、今まさに打ち上がったのだ。

 無明の夜空を染め上げる鮮やかな光。その光景は、灰色の人生を一瞬にして色付かせた彼女のことを思い出させた。

 長倉沙夜。

 生まれて初めて自分と対等に接してくれた女性。

 彼女は自分に人の温かさを教え、その温かさが己の内にもあることを教えてくれた。自分が神の子ではなく、人の子であることを思い出させてくれた。

 学園祭を開催しようと思ったのも彼女の影響だ。

 生徒とは管理するものではなく教え導くもの。そう悟ったからこそ、彼らに高臣学園(ここ)でかけがえのない思い出を作ってほしいと考えたのだ。


 しかし、今、自分が、しようとしていることは。


(……因果なものだ。生徒のためにと用意したはずのものが、生徒の日常を壊すために役立ってしまうとはな)


 花火の光は夜のさ中に"昼間"を作り出す。

 稲船の頭上に、影が落ちていた。

 それは何羽ものカラスの影と、彼らの足に掴まる人間の影だ。


(上空から直接飛び降りるつもりだったのか。確かに意表は突けただろうな)


 だが、分かってしまえば何の脅威でもない。むしろこちらから仕掛けるチャンスだ。

 稲船はしつこく攻撃を続ける武内を引き離すと、跳躍のために腰を落とし──


「クロエちゃんの嘘つきぃ! 下がってろって言ったじゃないかあぁぁぁぁぁ!!」


「な、っ!? っ、っ!?」


 稲船は思わず自分の目を疑った。

 なんと、空の上にいたのは明ではなかった。

 高臣学園始まって以来の問題児、木津池秀夫だった。

 "掴まっている"と思ったのも間違いだった。正確には"捕まっている"だ。

 服の袖や手首にはヤタガラスの足ががっちりと食い込んでおり、そこに彼自身の自由意志は無さそうだった。

 いや、この際木津池の事情はどうでもいい。重要なのはクロエの意図だ。

 どう見ても戦力になりそうもない木津池を、クロエはあえて起用した。

 そして彼女は生徒会役員。言うなれば、この学園祭を取り仕切る立場にある者だ。

 つまり彼女は、花火が上がる時刻を誰よりも詳しく知っていた。その光が影を生み出すであろうことも。


「……こちらも囮かっ!」


「正解。でももう時間切れです」


 その時、背後で初めて足音がした。それが誰かなど、考えるまでもない。


(ナキサワメの異能……! 音波に干渉して足音を消していたのか!)


 ようやくからくりに気付いた時には、既に全身に衝撃が走っていた。


「が、っ……!」


 揺れる。

 体だけでなく、意識までもが根底から揺さぶられる。

 張り裂けそうな痛みと二日酔いを累乗したような吐き気に襲われ、稲船は地面に膝をつ──かない。


「……まだ、だ」


 ここで倒れてどうする。そんなことになれば彼女はどうなる。


「私は、まだ、終われない。私は、沙夜を、助けてみせる」


 死ぬのは構わない。幸福な人生などとうに諦めた。恨みも憎しみも甘んじて受け入れよう。地獄に落ちることだって覚悟している。

 だが、彼女を諦めることだけはしたくない。

 彼女だけは、何としても幸せにならなければならないのだ。


「こいつ、まだ戦うつもりなのか……!?」


「むしろ望むところではないか。下手に降伏などされてはトドメを刺し辛かろう」


「しかし……!」


「ならばそこで見ていろ、夜渚明。代わりに(オレ)が引導を渡してやる」


 踏ん切りのつかない明を一瞥(いちべつ)すると、武内は稲船の前に立つ。

 稲船はふらつきながらも面を上げ、


「負けてたまるものか!! ここで私が勝たなければ、彼女に明日は無いんだ!!」


 足を踏ん張り体を張ると、天に向かって叫びを上げた。

 涙交じりのそれは、聞く者によっては嗚咽(おえつ)に聞こえたかもしれない。

 だが、他人がどう捉えようと自分には関係の無いことだ。

 自分の考えが彼らに理解されることは無い。同時に、彼らの言い分を自分が受け入れることも無い。どちらか一方が消えるしかないのだ。

 そう思っていた。彼女の言葉を聞くまでは。


「とんちんかんな覚悟を決めないでください。そんなことをしなくても沙夜さんを助ける方法はあります」


 そう言ったのは、クロエだった。

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