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第十話 岩のように永く

 明はクロエを守るように進み出ると、後退していく稲船を視線だけで追う。

 既に三十メートル以上の隔たりがあるものの、その距離は決して明たちの安全を担保するものではない。稲船にとってはこの屋上全域が間合いの内なのだ。


「先輩、理事長さんはガチの武闘派ですからくれぐれも気を付けてくださいね。あの鍛え方は週末ジム通いなんてレベルじゃありませんよ」


「だろうな」


「だろうなって……知ってたんですか?」


「いや。だが、奴の能力を聞いた時から予想はしていた」


 細身のシルエットに惑わされてはならない。明の異能は稲船の肉体から湧き上がる強烈な波動をひしひしと感じていた。


「生命力を操る異能、か。どうやら八十神(やそがみ)だけでなく、自分自身の体をも強化できるようだな」


「おかげで生まれてこの方一度も医者の世話になったことが無い。それがこの力のもたらした数少ない恩恵と言えるだろうな」


 皮肉めいた言い回しで返す稲船。明はふん、と口を(とが)らせ、


「贅沢な奴だ。パッとしない能力でやりくりしている俺の身にもなってみろ」


「無論君のことは評価しているとも。むしろ評価しないわけにはいかん。君が来てからというもの、我々の計画は狂いっぱなしなのだからね」


 おどけたように口を開け、お手上げといった風に両手を広げる稲船。

 道化じみた仕草だが、暗い瞳は(まばた)きもせず明を射止めていた。


「何の特殊性もない下級荒神でありながら、君は数多くの現神(うつつがみ)を滅ぼしてきた。三輪山(みわやま)の戦いでは死のさだめにあったスクナヒコナを救い出し、そしてついにはタケミカヅチをも討ち倒した。敵ながら賞賛に値する功績だ」


「あの程度、俺にとってはどうということもない」


「謙遜しないところもまた君らしい」


 稲船は涼しげな表情で頷くと、


「……だが、優秀すぎるのも考え物だ。神代を望む者として、これ以上君に余計なことをしてもらうわけにはいかない」


「親玉直々に出陣してきた理由がそれか? それとも……他にも何か理由があるのか?」


「それを君が知る必要は無い。それに、知ったところで我々がやることは変わらないだろう?」


 手ぶりをまじえて足を動かし、半身をわずかに前に。気が付けば、稲船はごく自然な動きで戦闘態勢に入っていた。

 後ろにいたクロエが息を飲む。

 いつ戦いが始まってもおかしくないような雰囲気の中、明は、


「……………………」


 拳を緩め、口をへの字に曲げたままポケットに手を入れた。


「その前に聞いておく。お前、本気で新たな神代を発動するつもりなのか?」


「伊達や酔狂でこのような真似をするとでも? 私はそこまで浅薄な人間ではない」


「神代の訪れが何を意味するのか分かっているのか? 何億の、いや何十億の人間が犠牲になるんだぞ」


「その問いかけには八年前に答えを出している」


「なら再テストだ。壊れた世界と死体の山を前にして、その原因が自分にあると知った時、沙夜先生は一体何を感じると思う?」


「彼女には何も教えない。これから起きることは全て私個人の悪意によるものだ」


「それで彼女が幸せになれると思っているのか?」


「それは恵まれた者の考えだ! 死ねば幸福になる機会すら失われてしまう!」


 激しく声を荒げる稲船。明は気圧されこそしなかったが、返す言葉を持たぬままに沈黙するしかなかった。

 稲船のやり方はとてつもなくはた迷惑で身勝手このうえないものだが、それでも……気持ちは理解できる。大事なものを失いたくないのは、誰しも同じなのだ。

 その時、校舎の中から武内ら三人が駆けつけてきた。

 武内は稲船を見るなり憤怒の形相を深め、隣にいた木津池を怯えさせる。

 それとは対照的に、スクナヒコナは悲哀の入り混じった表情を見せていた。

 事件の元凶とはいえ、元は自分たちを救ってくれた恩人だ。彼女も少なからず思うところはあるのだろう。


「ニニギ、もうやめましょう。新たな神代は悪魔の計画です。その先にあるのは輝かしい未来ではなく、歪んだ命が支配する地獄だけです」


「スクナヒコナか。あるいは貴様の異能が完全なものであったなら、私も神代など望まなかっただろうさ」


「それなら分かっているでしょう。高天原(たかまがはら)の技術は万能ではない。神の力ではないんです!」


 一歩踏み出し、細い声を精一杯張り上げるスクナヒコナ。


「たとえ神代が成ったとしても、沙夜さんが沙夜さんのままでいられる保証はどこにもありません。心も体もねじ曲げられた、異形の神になってしまうかもしれないんですよ!」


「それでも! 生きていてほしいに決まっているだろう!」


 ぴしゃりと打ち付けるような怒声。

 スクナヒコナが言葉を失い、呆然としたような目で稲船を見る。

 稲船は苦い顔で口元を隠し、しばし呼吸を整えてから、


「運命とは実に悪趣味なものだ。よりにもよってこの私にニニギの名を継がせたのだからな」


 冷静さを取り戻した稲船はだしぬけに明へと視線を投げる。


「夜渚明、君はコノハナサクヤヒメの伝説を知っているか?」


「知らん。名前くらいは知っているが」


「コノハナサクヤヒメは天孫ニニギの妻となった美しい娘だ。彼女はイワナガヒメという醜女(しこめ)と共にニニギの元へ参じたが、ニニギはコノハナサクヤヒメだけを(めと)ってイワナガヒメを追い出してしまう」


 自分のターンが来たと思ったのか、木津池がしめたとばかりに割って入る。


「しかし、それは大きな過ちだった。花のように可憐なコノハナサクヤヒメは花のように儚く散りゆくさだめ。対して醜いイワナガヒメは岩のように悠久の時を生きる。ニニギがイワナガヒメを拒絶したことで、この世界には寿命という概念が生まれてしまう……というお話だね」


「酷い話だな、色々と」


「ああ。そして愚かな話でもある」


 稲船は怒気を孕んだ声で、


「ニニギは外面に捕らわれて本質を見誤った。私ならそんなことはしない。私ならイワナガヒメを選ぶ。たとえ醜くなろうとも。彼女が私を憎んでも! 一日でも、一分一秒でも長く、愛する者に生きてもらえる方を選ぶ!」


 直後に声のトーンを落とし、


「そしてスクナヒコナよ、もう一つ言っておく。──私はニニギと呼ばれるのが大嫌いだ」


 銃声にも似た高音が響く。

 床を蹴った稲船が、一気にこちらの陣地まで飛び込んできたのだ。


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