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第三話 思い入れ

 高臣(たかとみ)の学園祭は毎年冬の初め頃に開催される。

 創立三十年を越える高臣学園だが、祭りとしての学園祭はそれほど古い歴史を持つものではない。

 というのも、当初は"学芸文化発表会"という格式ばった名称であり、内容も一部の文化系クラブや吹奏楽部が壇上で粛々と成果を披露するだけ……といった味気のない催しでしかなかったのだ。

 それが世間一般のイメージにあるような"祭典"の意味を持つようになったのは、ほんの数年前。稲船が理事長に就任してからのことだ。

 風の噂によると、学園祭の変更を進言したのは一人の新任教師だったという。

 もっとも、その教師が誰だったのか覚えている者はほとんどいなかったが。


「……息抜きをしろと言われてもな。そういうのは他者から無理矢理押し付けられるものではないだろうに」


 午後七時。正門前に放り出された明は、途方に暮れた様子で学園祭のアーチを眺めていた。

 明とて遊びたい盛りの高校生だ。この手のイベントは決して嫌いではなくむしろ好きな方だが、それはあくまで余裕がある時に限った話。

 夏休みの宿題はマッハで終わらせるタイプの彼にとって、この状況は不本意でしかない。全てを忘れて無邪気に楽しむことなど、できるはずもないのだ。


「夜渚さんのお気持ちも分かりますが、毘比野(ひびの)さんの言うことにも一理あると思います」


 明の独り言に答えたのはスクナヒコナだ。彼女は真剣な顔を作ると、


「おそらく神代に向けた研究はかなりのところまで進んでいると考えるべきでしょう。この先何が起こるのか分からない以上、私たちは悔いのないように時を過ごさなければなりません」


「だったらなおさら何かが起きる前に手を打つべきだろう。急ぎこそすれ、休む理由にはならん」


「ふふ、相変わらずですね。あなたの性急さはタケミカヅチへの怒りが原動力だと思っていたのですが、どうやら無関係だったようです」


 声を抑えた笑いは、かつて祖母が明のやんちゃをたしなめた時に見せたものとそっくりだった。

 どことなく上から目線な態度に反発し、すねたように目線を逸らす明。その態度がまたスクナヒコナを楽しませる。


「俺ばかりやり玉に挙げているがな、御柱探しを遅くまで続ける気だったのはお前だって同じだろうが」


「私にとっては現神(かれら)を一刻も早く止めることが"悔いの無い行い"なんですよ」


「……それは詭弁(きべん)じゃないか?」


 スクナヒコナは穏やかに微笑んだ。どうやら笑って誤魔化すつもりらしい。


「とにかく、今宵(こよい)は浮き世の()さを忘れて楽しみましょう。今さら毘比野(ひびの)さんの心遣いを無下にするのも忍びないですし……ね?」


 唇を弓なりに曲げ、どこか期待するような面持ちでこちらを促す。

 まだ幼さの残る顔つきだが、その奥底にはしっとりと湿った感情が見て取れた。


「……女は怖いな」


「? どうしました?」


「オオクニヌシがお前を庇い立てしていた理由がよく分かった、と言ったんだ」


 計算なのか天然なのか、どちらにしてもこの女は要注意だなと明は思い、少し距離を取って歩き始めた。

 花紙に飾り立てられたアーチをくぐり、橙色の電飾に彩られた並木道を進む。

 どこかのクラスの展示物だろうか、道の左側には畳何畳分もありそうなモザイク画が立てかけられていた。その隣にはどこかの誰かを象った石膏像が鎮座している。

 グラウンドのある右側に目を向ければ、いくつもの出店と山のような人だかりが見える。さらに向こうの武道館からは、大勢の手拍子と誰かの熱い歌声が聞こえていた。

 人の熱。大気の熱。そして、この場に漂うどこか浮ついた空気。

 来場者の数は午前中よりも遥かに増加しており、ともすれば今が夜だということさえ忘れてしまいそうだ。

 明はゆっくり息を吐きながら、祭りというものが持つエネルギーの奔流に圧倒されていた。


「混沌としているな。夜が本番とは聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった」


「ええ、本当に。見ているだけで胸が熱くなってきます」


 緩やかに目を細め、見るもの全てを慈しむように。

 その眼差しに込められていたのは、まごうことなき愛情だった。


「そういえば……前もそんなことをしていたな。人間が好きなのか?」


「好きというか何というか……身も蓋もない言い方をしてしまえば、一種の自己満足なんだと思います」


 スクナヒコナは近くの並木に背を寄せると、わずかに空を見上げた。


「私が失敗作だったという話は、もうヒルコから聞きましたよね?」


「奴らしい悪意と偏見に満ちた説明だったがな」


「ですが全くの嘘とも言い切れません。事実、私は何のとりえもない現神でしたから」


 現神としての役目を果たせなかった者たち。人であることを失い、さりとて神にもなれなかった半端者。彼らに対する風当たりは、決して良いものではなかったのだろう。

 タケミカヅチは使命に徹することで己の心を守った。ヒノカグヅチは最期まで人の温もりを求めていた。

 それなら、スクナヒコナはどうなのだろう? 彼女は何をもって心の穴を埋めようとしていた?

 疑問と共に視線を向けると、彼女は少し恥ずかしそうに語り始めた。


「同胞から役立たずの烙印を押された私は、神であることを諦めました。神で駄目なら人として、奉仕と献身によって皆に認めてもらおうとしたんです」


「具体的に何をしたんだ?」


「取るに足らない点数稼ぎですよ。人々に高天原(たかまがはら)の技術を伝え、ほんの少しでも彼らの暮らしを向上させようとしたんです」


「なるほど、ゆえに国造りの神、か。伝承によれば医学薬学農業に酒造まで、だいぶ手広くやっていたようだな」


 明は不意に視線を強め、


「だが、それを点数稼ぎと称するのは自虐的過ぎるな。善行をしたのであれば胸を張れ。でなければ、施しを受けた者すらも侮辱することになるぞ」


「オオクニヌシにも同じことを言われました。ですが、あの時の私は自身のさもしさを嫌悪するばかりで、彼の言葉を顧みることはありませんでした」


 そう言ってから苦笑すると、


「ですが、こうして人々の営みを眺めていると……私のやってきたことも、そんなに捨てたものではないのかなって。当時の私の頑張りが、巡り巡って今の繁栄を支えていると思うと、何だか無性に嬉しくなってくるんです。酷い自惚れだって、分かってはいるんですけど」


 はにかむように笑うスクナヒコナ。その笑みは積み重ねた歳月の重みと少女然とした無邪気さの両方を兼ね備えていた。

 純朴さと妖艶さ。子供っぽさと大人っぽさ。どちらが彼女の主体なのか、明には判断がつかなかった。

 だから、とりあえず今回は、自分にとって都合のいい方を選ぶことにした。


「一応訂正しておくが、そういうのを自惚れとは言わん」


「それでは、何と言えばいいのでしょうか?」


「よくやった、というんだ」


 軽く手を置き、手櫛(てぐし)をするように頭を撫でてやる。遠い昔、妹にしてやったように。

 無言で頬を染めるスクナヒコナを前に、しかし明の心に浮かんでいたのは別の事柄だった。

 この学園祭は稲船が沙夜の提案を受けて始めたものだという。

 彼らの立場からすれば、スクナヒコナにとっての人間たちと同じように……いやそれ以上に思い入れの深い行事であるはずだ。

 だとすれば。

 もしかすると、あの男は、今。

 ふと、そんなことを考えていた。


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