第十九話 雨
明は刀から手を放すと、物憂げな顔で足元を見下ろした。
そこに転がっていたのは、機能を停止したタケミカヅチの胴体。そして、切断面からぼそぼそと火花を散らす頭部だ。
視覚素子の光はとうに失われているが、頭部自体はまだ活動を続けているようだ。ぎこちなく動く唇はうわ言のようなつぶやきを延々と繰り返していた。
「自分は……現神……人を超越せし者……進化の先を征く者……神代をもたらし、真なる神を導く者……」
空虚な言葉が何度も何度も、生まれては消えていく。
それは誰に向けたものでもなく、強いて言えば自分自身に言い聞かせるためのもの。己の存在意義を再確認するための儀式。
つまりは……劣等感の裏返しだ。
「首を切り落としてもまだ生きているなんて……もう無茶苦茶ですね。まあ、人形らしいと言えなくもありませんが」
驚き半分呆れ半分といった感じで首を振る斗貴子。
明はしばしの沈黙を経て、彼女の言葉に否定を返した。
「人形ではない。全身を義体化してはいるが、こいつはれっきとした生物だ」
「とてもそうは見えませんけどねえ……」
首の穴から覗くコードの束を見て、疑問を呈するようにこちらを向く。
明はもう一度、同じ言葉を返した。
「こいつは生物だ。たとえ本来の肉体が脳髄しか残っていなかったとしても、な」
戦闘能力を備えた生命維持装置。もしくは生体ユニットを搭載した自律兵器。
直接確認はしなかったが、十中八九そうだろうと明は考えている。
以前、スクナヒコナが言っていた。タケミカヅチはヒノカグヅチと同じ時期に作られた現神だと。
最後の神産みにおいて磁鉄結晶イザナミは暴走し、実験は惨憺たる結果に終わったと聞く。制御不能な電磁波によって生まれたそれは、やはり直視に堪えない姿形をしていたのだろう。
「実験の影響で肉体を失ったか、あるいはこいつもヒノカグヅチのように欠陥を抱えていたか。どちらにしてもあまり気分のいい話ではないな」
高天原の民にとって現神は特別な意味を持つ存在だ。
彼らは国を治める支配者であると同時に、絶対的な権威を維持するための偶像でもある。
そういう意味では、神としての肉体を衆目に見せられないタケミカヅチは異質と言えるだろう。ともすればスクナヒコナ以上に。
「機械の体とて、心までは機械になりきれない。正体を知った者たちに見下され、コンプレックスに身を焦がし、そうして悩み抜いた末に"ああなった"のだとしたら……」
生物としての優越性にこだわる姿勢。一見ロジカルな言動の奥に隠された過剰な自尊心。思えば奴は誰よりも"神"という概念に囚われていた。
あの冷酷さ、他者への無関心さはその最たるもの。
現神としての役割を粛々と遂行することがタケミカヅチのアイデンティティーであり、自らを肯定するための唯一のよりどころだったのだろう。
次第に小さくなっていくタケミカヅチの声を聞きながら、明はそんなことを思っていた。
「自分、は……現神……自分、は……ジブン、ハ……………………ワ、タ、シ、ハ……」
そしてとうとう、声が消えた。同時にタケミカヅチの波動も。
「……救えないな」
仇を討っても、勝利の高揚は無い。
とんだ茶番だ。自分はずっと理解不能なモンスターを相手にしていたつもりだったのに、ここに来てそれが着ぐるみだということに気付いてしまった。
中にいたのは自分と同じ、ただの人間だ。
弱くて愚かで度し難く、自分の生き方すら自由に決められない──ただの人間だったのだ。
「……明さん、タケミカヅチに同情しているんですか?」
「気に入らないか?」
「というより、心配です。もしかしたらとどめを刺したことを後悔しているんじゃないかって」
明は「まさか」と口にしようとしたが、その前に斗貴子が顔を寄せてきた。
「駄目です。明さんは後悔しないでください」
彼女は気遣わしげに眉を寄せ、
「私たちは過去を解き放つために戦ってきたんですよ? なのに最後の最後でしこりを残してしまったら、今までのことが全部無駄になってしまうじゃないですか」
「斗貴子……」
「だから笑いましょう。笑い飛ばして、ざまーみろって言ってやりましょう。それが終わったら、こんな奴のことはさっぱり忘れて前に進むんです。それが私たちにできる一番の報復ってやつですよ」
言い聞かせるように言ってから、斗貴子はぱんと手を叩いた。
「……さて! そろそろ暗くなってきましたし、今日はこれにて解散ということで」
「どうしてお前が仕切っているのかよく分からんが……まあ異論はない」
戦いは終わった。疲労は頂点に達しているし、今回ばかりは心の整理をつける時間も必要だ。
明は早速ふもとへ向けて足を進め……そこでふと気付く。
斗貴子はその場から動いていなかった。
「どうした斗貴子? お前は帰らないのか?」
「後から行きますよ。ほら、粗大ごみを片付けておかないといけませんから」
斗貴子はそう言うと、タケミカヅチの体を足先で小突いた。
「こればっかりは他の現神みたいに溶けてくれませんからね。他の人に見つかると色々アレなので、そこらの茂みに埋めておくことにします」
「俺も手伝おう。穴を掘るなら男手が必要……」
と、明が助力を申し出ようとした時。被せるように望美が声を出した。
「ん、それじゃあ璃月さんに任せるね。夜渚くん、行こう」
「ちょ、待て待て望美。俺は残ると言っただろうが」
望美はそれに取り合わず、小さな声で明に告げる。
「却下。夜渚くんは早く帰る」
「なぜだ?」
「もうすぐ雨が降るから」
「……何のことだ? あれは晄を帰すための方便──」
そこまで言ってから、明は望美の意図に気付いた。そして、斗貴子が残ると言った本当の理由にも。
だが、それを確認するわけにはいかない。それでは意味がない。
明は言葉を収めると、何事もなかったかのように、
「では任せたぞ」
「またね、璃月さん」
望美と共に山を下り始めた。
後ろを振り返ることなく。そして急ぎ足で。
「……明さんは気遣いが下手くそ過ぎます。そんなだから鳴衣に『一生彼女ができないかも』って心配されるんですよ」
去り際に聞こえた声は、少しだけ震えていた。
それから数分後、明たちが山のふもとに着いた頃。
「雨、か」
「うん、雨だね」
鮮やかな夕暮れを見つめながら、二人は雨音に耳を澄ませていた。
音は山の上から聞こえてくる。
耳成山に、七年越しの雨が降っているのだ。
「夜渚くん、目」
「目がどうした?」
「濡れてるよ。雨に」
「……そのようだ」
目じりから流れ落ちる雨粒を拭い、明は思う。
自分の戦いは、ようやく終わったのだと。
八章終了。
あと二章で完結です。止まるんじゃねえぞ……