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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第八章 落ちよ雷、今こそ時は来たれりて
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第十六話 リフレイン

 (さかのぼ)ること数分前。斗貴子(ときこ)は霧に閉ざされた山の中を走っていた。

 加速の力を体に(まと)い、枝張る茂みを強引に突破。まとわりつく木片を乱暴に払いつつ、苦渋に満ちた吐息を絞り出した。


「してやられましたね。追い詰めていたつもりが、逆に誘い込まれていたなんて」


 斗貴子は屈辱を滲ませながらここ数週間の出来事を思い出す。

 三輪山(みわやま)を巡る戦いを終えてからというもの、斗貴子は持ち得る限りの時間と労力をタケミカヅチの討伐に費やしていた。

 橿原市(かしはらし)全域に網を張り、荒神狩りに現れたタケミカヅチに通り魔的な奇襲をかけること数十回。夜を日に継いだ執拗な襲撃は確実に敵を消耗させていた。

 次こそは()れる。あと少しで奴の喉元に手が届く。

 病院での攻防を経てその期待は確信へと変わっていた。

 加えて、明に気取られる前に戦いを終わらせたいという焦りが彼女を駆り立てていた。

 そして今日。斗貴子は不穏な動きを見せるタケミカヅチに一も二もなく飛びついて……この結界に絡め取られた。

 全ては敵の手のひらの上。目の前に現れたタケミカヅチは、何事もなかったかのように本来の力を取り戻していた。


「──っ!」


 崖を飛び越え、山頂付近の登山道に着地した瞬間。斗貴子はその身を投げ出すように回避行動を取った。

 視界を覆うのは莫大な光の奔流。それは木々を貫き、山肌をくり抜くように削っていく。

 光が通過した後に残るのは、スパークの名残。そして黒く焼け焦げた地面だ。


「対象の捕捉に成功。戦闘を再開する」


「……来ましたね、タケミカヅチ」


 文字通り霧を裂いて飛んできた怪人に対し、斗貴子はありったけの敵意をぶつける。肌を打つプレッシャーを跳ね除けるように。


「フトタマの結界は脱出不可能。ゆえに逃走は無意味。無駄なあがきは時間の浪費であると忠告しておく」


「そうでもありませんよ。あちこち逃げ回ったおかげでようやく謎が解けましたから。……あなたは、耳成山の電力を吸収したんですね」


 振動発電所である大和三山(やまとさんざん)には二千年分の大電力が蓄えられている。電気を操るタケミカヅチにとって、それはごちそう以外の何物でもないだろう。

 だからこそタケミカヅチはここを決戦の地としたのだ。連戦の疲れを癒し、無尽蔵に力を引き出すことのできる耳成山を。


「柄にもなく小賢しい作戦を立ててくれるじゃないですか。誰の入れ知恵ですか?」


「程なく死亡する存在に開示する意味はない」


「あれあれ、殺しちゃってもいいんですかー? 私は三貴士(さんきし)。あなたの主が喉から手が出るほど求めている荒神ですよ?」


「その命令は変更された。今の自分にとって、お前は狩りの対象以外の価値を持たない」


 タケミカヅチは帯電する左手を掲げたまま微動だにしない。その態度は冷酷を通り越していっそ事務的ですらある。

 まるで花でも詰むかのように。小さな羽虫を叩き潰すかのように。

 人の尊厳をあざ笑うような無関心さを見せつけられて、斗貴子は危うく我を忘れそうになった。


「変わりませんね、本当に」


 押し殺したようなつぶやきの中には、怒りと同量の歓喜が複雑に渦巻いていた。

 なんたる福音(ふくいん)か。タケミカヅチがスクナヒコナのような良心を持ち合わせていなかったことは、彼女にとって何にも勝る朗報だった。

 憎むべき相手が、心から殺したいと思えるような邪悪さを有していたのだ。こんなにありがたいことはない。

 遠慮も、呵責(かしゃく)も、躊躇(ちゅうちょ)も不要。

 心のキャンバスを殺意で黒く塗り潰し、背筋の凍るような笑みを投げかける。

 気の弱い者なら卒倒してもおかしくないほどの、濃密な殺意。

 だが、それでもタケミカヅチの心に波風を立てることはできなかった。こちらに向けられる視線にはほんの少しの揺らぎも感じられない。


「理解不能。この状況からお前が勝利できる可能性は皆無だ。ゆえに、速やかに死を受け入れることが最も効率的と判断するが……なぜそうしない?」


「諦めるという選択肢が存在しないからですよ」


「理解不能。生物はストレスを回避するために行動する。死が絶対である前提において、苦痛を長引かせたくないのであれば自殺あるいは降伏以外の選択肢は無い」


「それは獣の論理でしょう? あいにく私は人間様。浅ましい欲望だけで生きる誰かさんとは違います」


「理解不能。お前の論理は生物学的見地から見ても破たんしている」


「分からないでしょうね。だからあなたは負けるんです。自分が何に負けたのかも分からないまま」


「……これ以上は有益な情報が得られないと判断する」


 憮然(ぶぜん)とした一言。

 直後、タケミカヅチの左手から爆発的な閃光がほとばしった。

 放たれた電撃は大蛇のようにのたうちながら、進路上にあるものを根こそぎ食い散らかしていく。

 だが、斗貴子はその行動を予測していた。飛び込むような側転で雷をかわすと、起き上がりざまに落ち葉と小枝を拾い上げた。


「射角修正」


 続いて二発目。跳躍する斗貴子の真下で猛烈な風が吹き荒れた。

 樹上に逃れた彼女は密かに落ち葉を握り込み、加速の力を発動させる。

 拳を開けば、そこに残っているのは微量の粉末だけだ。


(試し撃ちの成果は上々……。これに頼るのは久々ですが、まだ腕は鈍っていないようですね)


 かつては落ち葉だったものを払いながら斗貴子は頷く。

 その技は斗貴子が編み出した最後の切り札。効果範囲を極限まで凝縮することで、直接触れた部位だけに数千倍の異能を叩き込むのだ。

 それは、言い換えれば滅びの力。

 一瞬にして数十万年の時を加算されてしまえば、不滅に近い現神(うつつがみ)の細胞とて腐敗を免れない。異能を込めた腕を振れば、それだけで相手の体をバターのように引き裂くことも可能だ。

 だが、この技はそう気軽に多用していいものではない。異能の出力を全開にするため、使用した直後はガス欠状態になってしまうのだ。

 仕損じれば後の無い、まさに諸刃の剣。いちかばちかの賭け。

 それでも、斗貴子の心に怯えの感情は無かった。

 自分はこの瞬間のために生きてきたのだ。今さら出し惜しみなどするものか。

 もう二度と戦えなくなってもいい。刺し違えてもいい。

 望むは勝利。タケミカヅチの滅びる様を見られれば、もう思い残すことはない。


「見ていてくださいね、明さん。そして──」


 言葉の続きは雷の吠声(ほえごえ)に飲み込まれた。タケミカヅチが雷撃を放ったのだ。


「遅いですよ!」


 幹を蹴りつけ一気に下降。着地と同時に低く跳び、追撃の雷を背後へと流した。

 前方には刀を構えたタケミカヅチ。風をかき鳴らすほどの踏み込みから繰り出される斬撃は、加速状態の斗貴子でさえも対応できない速度に達していた。

 しかしここまでは想定内。来ることが分かっていればどうとでもなる。

 斗貴子は進路を変えぬまま、手にした小枝を軽く放っていた。

 いや、置いたと言うべきか。

 小枝は彼女が手を放すと同時、空中にぴたりと固定される。

 そして衝突。

 金槌を打つような剣戟音(けんげきおん)が鳴り渡り、タケミカヅチの刀が弾かれた。


「時間を止めた枝を、盾代わりに──」


 わずかによろめくタケミカヅチ。がら空きの懐に突撃する斗貴子。

 深く踏み出し、浅く踏み切り、タケミカヅチの胸先にまで跳び上がる。

 異能を宿した右手に意識を集中させ、全身全霊をもって薙ぎ払った。


「消えろ──!」


 指先に込められた異能は時間の加速。

 それはタケミカヅチの白装束を溶かすように両断し、肌を覆う包帯をチリと化し、その下にある肉体をボロボロになるまで崩壊させる──


 はずだった。

 しかし。


「──そんなっ!?」


 硬質な感触に阻まれ、斗貴子の腕が跳ね返された。

 その体は反動で吹き飛ばされ、無様に地面を転がる。

 全身をしたたかに打ちながらも、彼女の視線はタケミカヅチにくぎ付けになっていた。


「あ……」


 有り得ないという思いと、どこか()に落ちたような思いが彼女の中でせめぎ合っていた。

 こちらを見下ろすタケミカヅチにダメージは無い。しかし、先ほどの攻撃によって衣服と包帯が(ほど)け落ち、その正体が露わになっている。


 全身をくまなく包む鋼のフレーム。

 赤く輝く視覚素子。

 右手は肘から先が存在せず、本来腕のあるべき場所には刀の柄が接続されている。

 斗貴子が攻撃した部分には黒ずんだ錆が浮かんでいるが、それだけだ。生身の肉など、どこにも見当たらない。


「機……械……」


 途切れ途切れにその言葉を吐いた時、タケミカヅチが反応を見せた。


「機械ではない。自分は現神、尊き使命を与えられし超生物だ……!」


 何事にも動じなかったタケミカヅチがここで初めて見せた感情。

 それは、燃えるような怒りだった。

 怒りの発露は攻撃となって斗貴子を襲う。

 これまでになく大振りな剣筋で、これまでになく力を込めた一撃。疲労した今の斗貴子に、それを避ける手段は残されていない。

 だが、その時既に斗貴子の意識はタケミカヅチから離れていた。タケミカヅチの背後に彼の姿が見えたからだ。


(明……さん?)


 なぜここにいるのかという疑問が浮かぶより先に、斗貴子は叫んでいた。

 ここにいる理由などさしたる問題ではない。何にも増して重要なのは、自分が死んだ後、タケミカヅチは明を殺すだろうという事実だ。

 それだけはさせない。

 そんなことになれば、絶対に自分を許せなくなる。(あがな)いきれない後悔を胸に死んでいくことは、彼女にとって何よりも恐ろしいことなのだ。

 だから、今度は彼女が叫ぶ番だった。


「逃げて──!」




***





「逃げて──!」


 その言葉を耳にした瞬間、明の中で何かが切れた。


(逃げて、だと……?)


 煮えたぎるような感情が心の底からあふれてくる。

 その感情は明がずっと抱え続けてきたものであり、明という人間が持つ最もポピュラーな感情でもある。

 ふざけるなと思った。

 何様のつもりだと、そう思った。

 自分はもうひ弱な餓鬼ではない。御年十七歳になる日本男児であり、妹を守るべく育ってきた年長者だ。

 そんな自分が、逃げる?

 死を目前にした仲間を前にして、逃げる?

 酷いジョークだ。馬鹿げている。あまりにも愚かしい発想に危うく憤死しそうだ。

 明は、逃げてはいけないのだ。

 逃げるべきではなかったのだ。

 明が明であることを願うなら、進まなければならなかったのだ。

 今の明はそれを知っている。

 だから、今度は間違えない。

 前へ。

 前へ。前へ。前へ!

 目的地まで二十メートル。刀はとうに振り下ろされている。どうあっても斗貴子の死は避けられない。

 だが、それがどうした?

 望みがないから何だ? 無駄だから何だ?

 そんなことのために自分は走っていない。

 明が走るのは、この胸に燃え盛る決意のため。折れぬ矜持(きょうじ)と誇りのため。

 そのためならば何でもしよう。運命を覆し、不可能を可能にし、道なき道を切り拓いてみせよう。

 今こそできる。できないなどと言うつもりはない。

 七年前と同じ場所、同じ敵、同じ状況。それでも、七年前とは違うのだ。


「──いってらっしゃい、夜渚くん」


 そう。

 今の明は一人ではない。

 とても頼もしい相棒が、自分の背中を押してくれるのだ。

 その瞬間、明の体が凄まじい速度で射出された。

 念動力による超加速。空気の壁が全身を打ち付け、急激なGが内臓を軋ませる。

 しかし、明はそんなもので折れはしない。

 苦痛を気合いで抑え付け、己の人生全てをこの瞬間に乗せて、右手を前へと伸ばしていき──


「届けえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」






 人生で最も長い一瞬が、終わる。

 その先に待っていた未来を見て、


「……ふっ。ふふふふふふっ」


 明は笑った。


「そら見たことか。この俺が本気を出せば──こんなものだ!!」


 タケミカヅチの斬撃を逃れ、無傷の斗貴子を片手で抱き留めながら、明は吠える。

 それは勝利の雄叫びだった。



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