第十話 面倒な奴ら
「……遅え」
午後五時。ため池の手前にあるバス停の傍らに、貧乏ゆすりをする黒鉄の姿があった。
学園での面倒極まるお勤め事から解放され、さあ思い切り遊ぶぞと自宅にダッシュ帰宅したのが三十分前。その直後にメールで召集を受け、げんなりした気分のままここまでやってきた。
あたりを見渡しても彼を呼び出した明の姿は無い。というか、誰もいない。どうやら黒鉄が一番乗りのようだ。
こんなことならもう少し家でゆっくりしていても良かったな、と思いつつ、黒鉄は本日の目的地に目を向けた。
バス停の背後、ぽつぽつと生えた木々の向こうには小さな広場があり、その奥には丈の短い草原が広がっている。
大和王朝が七世紀後半に興した都の跡、藤原宮跡だ。
「つわものどもが夢の跡……つっても、なーんもねえんだけどな」
黒鉄の目に見えるのは運動場のように真っ平らな大地ともっさり茂ったぺんぺん草だけだ。栄華の名残も屋敷の痕跡もここからではうかがえない。
よくは知らないが、発掘作業はとうの昔に終わっているのだろう。だったらさっさと新しい建物でも建てればいいのにと思わなくもないが、こういった場所を形だけでも残しておくのが歴史を守るということ、らしい。
「分かんねえな。そんなに過去ってやつが大事かねえ」
黒鉄は過ぎたことにそれほど頓着しない人間だ。
彼が思いを馳せるのは常に現在と明日のことばかり。千年ないしは二千年前の出来事など、それこそ興味の埒外だ。
だが、そういうことをいちいち気にする連中は彼の周りにも少なくない。
現神の起源がどうとか二千年前の因果がどうとか、まったくもってアホらしい。昔のことを今さらほじくり返したところで何の意味があるというのか。
特にあの武内とかいう奴、あれは駄目だ。
何を肩肘張っているのか知らないが、あの男は物事にこだわり過ぎるあまり感情的になってしまう場面が非常に多い。
「ガタイのくせにみみっちい奴だぜ。男ならもっとどーんと構えるべきだろうがよ」
そう、全てはごく単純なこと。
現神は自分たちに喧嘩を売っている。だから倒す。
要はそれだ。それだけでいいのだ。
あれやこれやと細かなことに気を回しても、それはかえって自身の在り方を狭めるだけ。黒鉄はそう考えている。
「……と、やっとお出ましかよ。てめえ、こういう時はいっつも遅れてくるよな」
いくつかの足音に振り返ると、明と望美が連れ立ってこちらに歩いてくるところだった。
「むしろお前が五分前集合していたことに驚愕しているぞ俺は。まさか偽物じゃないだろうな」
「言ってくれるじゃねえか。ちょうどいい機会だ、いい加減どっちが上かはっきりさせておぐばぁっ!」
凄んだ瞬間、望美の投げた空き缶が黒鉄に命中した。
「てめ、金谷城っ! こういう時は百歩譲って喧嘩両成敗だろうが!」
「夜渚くんはもう何やっても更生不可能だから、ここは話の通じる方が矛を収めるべきだと思う。つまり私は黒鉄くんの寛容さに期待してる」
「ほー、分かってるじゃねえかてめえ。まあそういうことなら仕方ねえ……いややっぱおかしくねえか……?」
何やら丸め込まれているような気がしないでもなかったが、大真面目な顔で頷く望美につられ、黒鉄は混乱しつつも怒りを飲み込んだ。
「それはそうとして……ここにいるのは黒鉄だけか? 他の者はまだ来ていないのか?」
しきりに周囲を見回しながら明が問う。どこか焦るような態度に黒鉄は少し疑問を覚えた。
「生徒会とスク……なんとかはもうちょい遅くなるって猛が連絡してきたぜ。幽霊女は知らね。まだ学校じゃねえの?」
どうやら、今回の標的であるカナヤマビコはこのあたりのどこかに結界を張って隠れているらしい。
ゆえに、必要なのは目視による調査ではなく、結界の場所を探知しその中に侵入するための手段。
スクなんとかはそのための術具やらなにやらの調達に手間取っているとのことだが、話半分で聞いていたので黒鉄にこれ以上の説明は不可能だった。
「斗貴子は? 先に現地入りしていると言っていたんだが」
「いや、見てねえけど」
あの女とはあまり親しくないが、だからといって挨拶すら交わさないほど険悪でもない。近くにいるなら、どちらかが声をかけていたはずだ。
「……まさかな」
「まさか、何だよ?」
「いや、こちらの話だ。気にするな」
「いいから言えって。わけわかんねー発言はオカルト野郎だけで十分だっての」
黒鉄が続きを促すが、明はうなるだけで中々話そうとしない。
そんな時、望美が口を開いた。
「もしかして……夜渚くん、ハメられたかもって思ってる?」
「あん? どういうことだよそりゃあ」
「想像だけど……璃月さんは、一人でタケミカヅチを仕留めようとしてるのかもしれない」
明が驚きと共に顔を上げる。それが質問の答えだった。
「黒鉄くんだって覚えてるはず。タケミカヅチと戦ってた時の璃月さん、どう見ても普通じゃなかった」
「まあ、頭に血が上ってたことは確かだわな」
望美はそう、と頷き、
「だから、私たちがカナヤマビコを抑えてる間にどこかで決着をつけようとしてるんじゃないかって、そう思ったの。その方が効率的だし、余計な邪魔も入らないでしょう?」
「おいおい、余計な邪魔ってのは俺たちのことも含めて言ってんのか?」
「彼女にとってはそうかも」
「なんつー自己中女だよ。効率的ってんならあのミイラ野郎を全員でボコるのが一番手っ取り早いだろうが」
「きっとそうしたくないんだと思う。理由は分からないけど」
「馬鹿なんだよ、馬鹿。馬鹿ってのは決まって無駄なこだわりを優先しやがるんだ」
「黒鉄くんは短絡的。璃月さんの過去に何があったのかも知らないのに」
「それが無駄なこだわりだっつーんだよ」
斗貴子がただならぬ感情を抱えていることぐらい黒鉄にも分かっている。
性格こそ似ても似つかないが、あれは猛の姉だ。ふとした時に見せる表情は、家族のことを話す猛と非常によく似ている。
猛にとっての家族に該当する何か、記憶の底に刻まれた後悔があの女を縛っているのだろう。
ただ……猛と決定的に違うのは、勝ち目より自分の気持ちを優先しているところだ。
どうしても殺したい相手にタイマンを挑むなど愚の骨頂。これがもし猛なら、利用できるものは全て利用して万全の状態でタケミカヅチに挑むだろう。
(まあ、そういうこだわりを持ってる馬鹿は男にもいるんだがな……)
黒鉄は呆れるような眼差しを明に向ける。
こいつもまた斗貴子の同類だ。事あるごとに意地だ信念だとのたまって、非合理極まりない選択をし続けてきた。
そしてその馬鹿は今、自分勝手な理由で姿を消したもう一人の馬鹿を心配している。
(もうちっと要領のいい生き方はできないのかね、どいつもこいつも)
面倒な奴らだと、掛け値なしにそう思う。
だが、思い返してみれば自分にもそういう時期はあった。
逃げることをやめて、アメノウズメに立ち向かった時。
あの時の自分は後先のことなど全く考えていなかった。ただ、ああしなければ自分に未来はないと感じていたのだ。
「……しょうがねえなあ」
黒鉄は口を歪ませ、大げさに語尾を伸ばす。
「行けよ転校生。猛の奴には適当に言っといてやるからよ」
「黒鉄……?」
ためらうような態度を見せる明をしっしっと手で払いながら、
「カナなんとかをブチ殺す作業にてめえのしょっぼい力なんざ必要ねえって言ってんだよ。いいから、あの白髪女が馬鹿なことしでかさねえように見張っといてやれ」
「……いいのか?」
「駄目っつって欲しいのか? あ?」
威嚇するようにあごを突き出す黒鉄。明はしばらくあっけに取られていたが、
「了解した。カナヤマビコの捜索はそちらに任せる」
「おう、任せろ任せろ。まあ実際に働くのは俺以外の連中だけどな」
黒鉄はかかかと笑い、小走りに来た道を戻っていく明と望美を見送って、
「……ってちょっと待てやおいぃ! 金谷城も行くのかよ!?」
「黒鉄くん、ごめん。夜渚くんは一人だとブレーキ利かないから」
後ろ歩きで合掌しているが、表情は全く悪びれていなかった。
黒鉄は深いため息をつくと、交差点の向こうに去っていく二人に背を向ける。
「ったく、今日は馬鹿どもの都合に振り回されっぱなしだぜ。慣れないことはするもんじゃねえな」
他人への細やかな気遣いなど、元より自分には向いていないのだ。
人生はもっとシンプルでいい。
一か零か、○か×か。敵か味方か。ウダウダ悩みながらの喧嘩など、黒鉄はごめんだった。
「多感なオトシゴロってやつなのかねえ……」
柄にもなく老成した台詞を吐きながら、傍にあった自動販売機に小銭を入れる。気疲れした心はとびきり甘い味を望んでいた。
ところが、いつまで経ってもランプは点灯しない。
念のためにボタンを押すが無反応。不審に思って釣銭レバーを引くが、機械はうんともすんとも言わない。
「……はぁ?」
首を傾げ、疑問を深め、そしてまさかと思って振り返る。
「……はぁ」
そこにある景色を見て、黒鉄は肩を落とした。
「やっぱ慣れないことはするもんじゃねえなあ……」
だが、これはこれで自分が望んでいた展開ではある。
人生はシンプルに。
少なくとも、この先にいる相手への対応は一つしかない。
真っ白い霧をかくように歩みながら、黒鉄は自らを引きずり込んだ結界の中心地──藤原宮跡へと向かっていった。