第八話 存在意義
あらゆる生命は明確な使命を持って生まれてくる。
生息範囲の拡大。種としての繁栄。ごく原始的な単細胞生物でさえ、より多くの複製を作り出すという目的の下に活動している。
全ては遺伝子という設計図に組み込まれた仕様書のままに。それは奇しくも、機械が入力された命令に忠実な様にも似ている。
では、自分たち現神はどうなのだろう。
一種一体の孤独な存在。次代に生を繋ぐこともなく、この身を構成する遺伝子は人によって作られたものだ。
ならば、彼らが自分に求めていた使命とは。
タケミカヅチはこの命題についてずっと考えていた。
この体がこうなってから数千年。それこそ一秒も休むことなく、処理領域の一部をそれ専用に組み替えて、常に分析と論理的思考を走らせていた。
他の者が聞けば"哲学"と称するであろう形而上学的自問。その答えを彼が見つけたのは、八年前のことだった。
「……カナヤマビコよ。自分は先の行動に対する詳細な説明を要求している」
月の光さえ届かぬ無明の夜。暗幕のような厚雲の下にタケミカヅチはいた。
そこは田園地帯のただ中に位置する、風そよぐ草原。付近には街灯も無いため、タケミカヅチの体は闇の中にすっぽりと覆い隠されていた。
「説明だと? これはいかにも、おかしなことを言うやつだ!」
酒焼けしたようなしわがれ声。それはタケミカヅチの正面にたたずむ大きな影……カナヤマビコから生まれたものだ。
「殺し破壊し支配する、それこそ神たる在り様だろう? 俺は現神の責務とやらを果たしたまでよ」
声は荒々しく、喉を引きつらせるような笑いを伴う。
タケミカヅチは言葉に出さず、そして表情にも表さなかったが──これは不快という感覚なのだろうなと思考していた。
「お前の砲撃支援が荒神に効果的であったことは認めている。しかし、お前の軽率な行動によってニニギとの協調体制に影響が出る恐れもあった。加えて、日中に騒ぎを起こせば一般社会に我々の存在が露見することも危ぶまれる」
「く、ははははは! 露見とは、言えたもんだなタケミカヅチ!」
「その笑いは適切な情動ではない。鎮静剤の処方を推奨する」
「これが笑わずにいられるかよ! あのタケミカヅチが豚どもの目に怯えてるんだからな!」
「敵対勢力を過小評価するのは賢明な思考ではない。現生人類の軍事力には一目に値するものがある」
タケミカヅチの言葉も聞かず、カナヤマビコは哄笑を垂れ流す。
まるで気狂いのように。壊れたオモチャのように。
その笑いが不意に止まると、今度は密やかな猫なで声に変わった。
「お前、三輪山じゃずいぶんご活躍だったらしいな。殺して壊してさぞいい思いをした癖に、俺には自重しろってか? そいつぁ筋が通らないな」
「自分はヒルコの命令を遂行しただけだ。それに目撃者は全員排除し、現神に繋がる証拠は一切残されていない。情報の枯渇に飽いた人間たちは程なく全てを忘れるだろう」
それはタケミカヅチが八年間に渡る活動の末に学習した貴重な教訓だ。
彼らはどれほど大きな事件が起きようと、新しい刺激が無ければすぐに冷めてしまう。
いや、それどころか積極的に目を背けている節すらある。
とりあえずの日常に固執し、未知への備えを「面倒だから」と疎かにする行動原理はおよそ論理的ではない。自らの意思で緩慢な死を選択している。
未熟で、怠惰で、愚かで、下等。
ヒトという種は、生物としては欠陥品の部類に属する──タケミカヅチはヒルコからそう聞かされていた。
『この世は弱肉強食。不完全な生物は淘汰されなければならない。そして、その屍肉はより優れた者の糧となるべきなんだ』
ヒルコは長らく待機状態にあったタケミカヅチを解放すると共に、明確な目的を入力してくれた。
神産みの発案者は真なる神を求め、しかし届かなかった。ゆえに現神の目的とは、欠けるところのない完璧な存在を誕生させること。
それこそが自分の生きる意味。生み出された理由。
ならば、それに従うのは生物として当然と言えよう。
タケミカヅチはそう判断し、自らの最優先事項をそこに定めた。
それ以外のもの……たとえば人命とか倫理とか感情とか、そういったものは全て価値のない概念だ。仲間の命すらどうでもいい。
主であるヒルコが新たな神代を迎えられれば問題はない。そのために邪魔な存在を排除することは、とても自然で生物的な行いなのだ。
目的を再確認したタケミカヅチは、自身の価値基準に従って目の前の事態に対処した。
「カナヤマビコに要請。今後は結界外での不用意な戦闘行為を禁止する。それが遵守されなかった場合──」
きらめく刃が闇を断つ。
一瞬の間を置いてから、カナヤマビコのシルエットが、少し、欠けた。
「──処分する。理解したか?」
「……………………」
カナヤマビコは息を詰め……そして、くぐもった笑いを見せた。
「くくっ、さあて、どうだかな」
挑発するように影が揺れる。しかし、タケミカヅチはそれ以上何も言わなかった。
カナヤマビコがどう動こうがもはや興味は無い。また問題を起こしたら、その時に殺せばいい。
下等な人間、下等な荒神、そして下等な同族。全ての価値は等しく零だとタケミカヅチは設定している。
そこには喜びも充実感も無い。そもそも、そんなものを彼は必要としていない。
タケミカヅチを動かすのは、彼に定められた存在意義だけなのだ。