第六話 降り注ぐ狂気
黒の砲弾は屋上の隅に落下した。
破裂した弾頭が蓄えていたのは炎の飛沫。それは四方に拡散し、瞬く間に周囲を焼け野原へと変えていく。
「焼夷弾!? いったい誰が……」
巻き起こる熱風に顔をしかめつつ、砲弾が飛んできた方角──南東に目を向ける明。
しかし、そこにはいつもと変わらぬ街並みが広がっている。騒ぎが起きているようには見えないし、街中で不穏な煙が上がっているわけでもない。
砲弾はそれよりもっと遠く、市街地の遥か向こうからやってきたのだ。
「これは……カナヤマビコの曲射砲です!」
スクナヒコナが青ざめた顔で空を仰ぐ。
上空にはさらに二つの黒点が追加されていた。それらは竹林のように並び立つビル群を飛び越え、山なりの軌道で落ちてくる。
立て続けに着弾し、炎の柱が生まれる。運よく直撃は免れているものの、落下地点は先ほどより近付いていた。
「これが現神の攻撃だと!? 思いっきり近代兵器じゃないか!」
「だから生きた要塞なんですよ! カナヤマビコは武器を司る現神。武器にまつわる何もかも……鉄と油と火薬を無限に生み出すことができるんです!」
「しかし、カナヤマビコは自由に動けないと言っていただろう! なんだって白昼堂々大暴れしてるんだ!?」
「私だって知りませんよ! でも、こんな滅茶苦茶なやり方はカナヤマビコ以外にあり得ないです!」
言い争いをしている間にも砲撃は激しさを増し、屋上は今や業火荒ぶる焦熱地獄と化しつつあった。
異能の射程範囲外、それも視覚外からの長距離火力支援。そんなものに対処できる手段を明たちは持ち合わせていない。
いや、支援という言葉は相応しくないのかもしれない。手当たり次第にばら撒かれる砲撃から感じられるのは純粋な破壊衝動だけだ。
あるいはタケミカヅチと連携を取るつもりすらないのではないか……と、明が思ったその時、彼の背中を一際熱い風が撫でた。
振り向けば炎の壁。偶然か計算か、背面をぐるりと囲むように火の手が上がっていた。
「……いかん!」
慌ててその場を離れようとするがもう遅い。白い何かが視界をよぎったかと思うと、袋小路の出口にタケミカヅチが立ち塞がっていた。
「突発的な変化に対応できないのは不完全さの証。不完全な生物に、存在価値は無い」
冷酷な断言。そして一太刀。
かろうじて見えた刀の軌道はこちらの胴を捉えており、コンマ一秒と経たずに明の体を寸断するだろう。
だが、その瞬間は訪れなかった。いずこから現れた斗貴子が、明の手を引いて背後の炎に飛び込んだのだ。
「させるものですか──!」
発現するのはツクヨミの超加速。二人は熱さを感じる間もなく炎の壁を通り抜け、直後に減速の力が彼らを急停止させる。
直後、斗貴子が唐突に明の肩を掴んだ。
「無事ですか明さん!? 怪我はありませんか!?」
「お、おお……?」
「ふざけないでちゃんと答えてください! 何かあったら取り返しがつかないんですよ!」
「ふざけてるんじゃなくてお前の圧に押されているだけなんだが……」
不安と焦燥が入り混じったような顔で、彼女は念入りに明の体を確かめていく。幸い刀は明のブレザー一枚を切り裂いただけだった。
「大丈夫みたいですね。良かった……」
斗貴子は溜まった息をゆっくりと吐き出した後、
「ですが、あまり気を抜いてもいられませんね」
すぐに表情を引き締め、炎の壁を見る。
その瞬間、炎が根元から切断された。
とてつもない速さで振り抜かれた斬撃が真空状態を作り出し、燃焼に必要な酸素を奪い去ったのだ。
「……タケミカヅチ」
くすぶる残り火を踏み越え、タケミカヅチが歩いてくる。
再び刀を構え直し、一歩一歩を着実に。そこには一切の油断も慢心も無い。
(奴にとっては炎すら障害にならないか。大した化け物だ)
明は渋面を押し隠しながら現状を分析する。
タケミカヅチの強さは今さら語るまでもないが、それより危険なのがカナヤマビコなる援軍の存在だ。
広々とした屋上はそのほとんどが炎に飲まれ、明たちが身動きできる範囲はごくわずか。これではタケミカヅチとまともに戦うことすら難しい。
本来なら場所を変えて仕切り直したいところだが……
(……ここから離れると確実に被害が拡大する。下手をすると病院全体が火の海になるかもしれん)
それだけは絶対に避けねばならない。命惜しさに他人を犠牲にするような戦い方など明はまっぴらだった。
(だが、実際どうする? どうやってあの砲撃を止める?)
比較的破壊力の低い焼夷弾とはいえ、このまま何十発と撃たれれば屋上が崩壊するのは時間の問題だ。そうでなくとも、たった一発狙いが逸れるだけでも目を覆うほどの死傷者が出るだろう。
それを阻止するためには誰かがカナヤマビコのもとに向かうしかない。
問題は、誰がその役目を担うのかということだ。
誰が行っても、仮に電話で助けを呼んだとしても、到底間に合うとは思えない。
そもそも、こんな状況でタケミカヅチ相手に何分持つのかも分からないというのに──
と、明が考えていた時。意外な人物が、意外な提案をした。
それはスクナヒコナだった。彼女は横目でこちらを見ると、唇の動きで謝罪を伝える。
そして幼さの残る顔に怜悧な雰囲気を湛え、鋭く言葉を放った。
「カナヤマビコを止めなさい、タケミカヅチ。……でなければ、ニニギは私たちの側に付くことになるでしょう」
「──!」
その言葉はまさに効果てきめんだった。
タケミカヅチに初めて逡巡らしき迷いが表れ、刀の切っ先がふらふらと揺れ動く。
しかしそれも束の間。焼夷弾が雨あられと降り注ぐ中、タケミカヅチはものの数秒で決断した。
「……このまま戦闘を継続することは効率的ではないと判断する」
どこまでも抑揚のない台詞を最後に、タケミカヅチが南東の空へと飛び去っていく。
砲撃が止まったのはそれから一分ほど後のことだった。
じきに炎も収まり、ボロボロになった屋上に平穏が訪れる。
聞こえるのは風の音と階下の喧騒だけ。もう少しすれば消防車やら警察やらが駆け付けてくるのだろうが、今はまだ静かなものだ。
あまりにもあっけない幕切れに明は黙り込み、斗貴子でさえも毒気を抜かれたような様子で立ち尽くしていた。
「あのー……結局今のはどういうことだったんですか? ニニギがどうとか言っていたみたいですけど……」
全てが終わった後、おそるおそるといった感じで斗貴子が手を上げた。
明はどう答えるべきかしばらく悩んだ後、ありのままを話すことにした。
「この病院にはニニギの恋人がいる。彼女に何かあれば、連中は間違いなくニニギの恨みを買っていただろうな」
「ああ、つまり……」
「俺たちは救われたということだ。彼女の存在と……カナヤマビコ自身の狂暴さにな」
最強の現神と最悪の現神。あの二柱をまとめて相手にするのは危険すぎる。
今の戦いを生き残ることができたのは、ひとえに幸運の賜物でしかないのだ。