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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第八章 落ちよ雷、今こそ時は来たれりて
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第三話 その者、神にあらず

 病棟間を繋ぐ白い通路を進みながら、明とスクナヒコナは毘比野(ひびの)の話に耳を傾けていた。

 毘比野の調査によると、稲船隆二と長倉沙夜の馴れ初めはさかのぼること八年前。高臣(たかとみ)学園でのことだったという。

 当時の沙夜は社会に出て間もない新任教師。稲船も隠居した父から学園の舵取りを任されたばかりだった。

 互いに世間を知らず、他人を知らず、物事のあしらい方を知らず、さりとて頑固さだけは人一倍。似た者同士の二人が衝突したのはある意味で必然の成り行きだった。


「その頃の高臣学園は今じゃ考えられんくらいに息苦しい校風でな。がんじがらめに学生を管理しようとする稲船に長倉が毎日のように噛みついて、そりゃあもう壮絶な光景だったらしい。周囲の者は長倉がいつ解雇されるのかと気が気じゃなかったそうだ」


「それが今では恋人同士か。何がどうしてそうなった」


「色恋なんてそんなもんだ。愛憎一如、まこと男女の心は複雑怪奇な万華鏡……ってな」


「理解できんな。好きは好きで嫌いは嫌いだろう。そう簡単にツンデレ的反転現象が起きてたまるか」


「ははは、お前さんも大人になれば分かるさ。感情ってのはな、本人が思ってる以上に気まぐれなやつなんだ」


 毘比野は一瞬口の端を上げてから、すぐに表情を戻した。


「交際を始めてからというもの、二人の関係は常に良好だった。堅物だった稲船も憑き物が落ちたかのように丸くなり、あらゆる物事が良い方向に進んでいった。……途中まではな」


 そこで言葉を切ると、言い辛そうに息をついた。


「その後は……ほら、直接交流のあるお前さんの方がよく知ってるだろ?」


「不治の病、か。本人は体が衰弱していくと言っていたが」


「らしいな。そんで、ここからは俺の推測になるんだが……」


「推測?」


「稲船の目的が長倉に関係しているとしたら……彼女の病気ってのは、いったい何なんだろうな? 単なる未知の病か? それとも……」


「……おい、まさか」


 答えを口にしようとする明を、毘比野が手で制す。そして通路の左側を見た。

 彼らがいるのは病棟の一番西側、個人用の病室が並ぶ区画だ。視線を左手の扉に向けると「長倉沙夜様」と書かれたアクリルプレートが掛けられていた。


「そういうわけで、いっちょ確かめてくれや。お前さんの蟲ってやつは体の奥まで入り込むことができるんだろう? それを使えばレントゲンなんかよりずっと正確な診断ができるんじゃないかって、俺はにらんでるんだがな」


 言うが早いか、毘比野は扉の傍から一歩退いた。


「じゃあ後は頼んだぜ。そろそろ署に戻らねえとサボってるのがバレちまう」


「立ち会わないのか?」


「病人に負担をかけるような真似はしたくない。刑事ってのはいつでも煙たがられる存在なんだ」


 そう言うと毘比野は今来た道を引き返していった。

 扉の前に残されたのは明とスクナヒコナだけ。明は少し考えた後、


「ああ言っていたが、実際に蟲をそういう風に使うことは可能なのか?」


「できる……というか、そちらが本来の用途ですね。元々私は医療系の現神(うつつがみ)になるはずだったので」


「よし。ならば善は急げだ。スクにゃん先生のご回診といこうじゃないか」


「ス、スクにゃんですか?」


「なんだ、他の愛称にしてほしいのか? だがヒコにゃんだけは駄目だぞ。抗議が来るからな」


「はあ……」


 釈然としない様子のスクナヒコナを従え、明は病室の扉を開ける。

 入った瞬間、ほのかに甘い匂いが鼻をついた。

 匂いの源を辿ると、窓際に色とりどりの花を活けた花瓶が置かれていた。おそらく見舞いに来た(ひかる)が用意したものだろう。

 しかし、鮮やかな色彩を放つものといえばそれくらいだ。

 部屋の中は壁紙からカーテンに至るまでくすんだ白色で統一されており、ベッドに腰かけた彼女の顔もまた、それらと同じ色を有していた。


「あなたは……夜渚くん?」


「しばらくぶりだな沙夜先生。顔を見せに来てやったぞ」


 沙夜は驚いたような顔でこちらを見ていたが、後ろに控えたスクナヒコナに気付くとくすくすと笑い、


「ふうん、(ひかる)さんと一緒じゃないのは珍しいと思ってたけど、そういうこと」


「いや、まったくもってそういうことではないが……」


 妙な勘違いをされたことに辟易(へきえき)しつつ、明は沙夜の様子をうかがう。

 顔色はいつもと変わらない。言い換えれば全く快復の兆候が見られないということでもある。

 それはそれで心配だが、それよりも気になったのは先ほどの反応だ。

 こちらを見た沙夜の表情には、少しだけ落胆のようなものが混じっていた。

 まるで、別の誰かが来ることを期待していたような……


「沙夜先生。一つ立ち入ったことを聞いてもいいか?」


 何気なく言ったつもりだったが、ことのほか固い声が出ていたようだ。

 潮が引くように沙夜の微笑が消え、何かを悟ったかのように視線を落とす。


「それは、隆二さん……稲船理事長についてのことかしら?」


「……なぜそうだと思った?」


「虫の知らせ、かしらね。そろそろ誰かが聞きに来るんじゃないかと思ってたから」


 その態度で分かってしまった。

 彼女はもう、恋人の異変に感付いている。


「少し前に彼から連絡があったの。しばらく会えなくなる、って。でも様子がおかしかったのはずっと前から。原因はきっと、私のせい」


「心当たりがあるのか?」


「分からない。あの人は何も話してくれないから。だけど他に考えられない」


 色あせた顔が苦悩の色に歪む。下唇を強く噛み締める様は自身の無力さを呪っているようでもあった。


「ねえ夜渚くん、隆二さんは何に関わっているの?」


「……それは」


「私に言えないようなこと? 知れば私が傷つくようなことに彼は巻き込まれているの?」


 たじろぐ明に対し、沙夜はいつになく強い口調で問い詰めてくる。この時だけは普段の弱弱しさなど消え去っていた。

 あるいはこれこそが彼女本来のバイタリティなのかもしれない……などと思いながら明が返答の仕方に悩んでいると、スクナヒコナが口を開いた。


「それをご説明するためには沙夜さんにも協力してもらう必要があります。どうか少しの間、あなたの体を診せてもらえませんか」


「私の……体?」


「はい。すぐに終わりますからじっとしていてください。できるだけ呼吸はゆっくりと。あ、服は脱がなくても大丈夫ですから」


「え、ええ」


 矢継ぎ早に言葉を畳みかけて沙夜の勢いを殺すと、スクナヒコナは二人の間に滑り込んだ。

 沙夜と正面から向かい合い、(うやうや)しげに手をかざす。

 その瞬間、明の異能は指先から放出される微小な反応を感じ取っていた。

 蟲と呼ばれる極小の生命体。またの名をナノマシン。それらは沙夜の肌に触れると、表皮の間をすり抜けるように浸透していく。

 それから待つこと二分半。見ているだけの明がそろそろ焦れ始めた時、スクナヒコナが小さくつぶやいた。


「……そういうことですか」


「何か分かったのか?」


「毘比野さんのおっしゃる通りでした。これはただの病気ではありません」


 すくうような手つきで蟲を回収すると、彼女は真剣な眼差しで振り返り、


「衰弱の原因は、荒神因子の過剰増殖。……沙夜さんは、荒神になり損ねた人間(・・・・・・・・・・)なんです」



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