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第八話 彼の動機と彼の動機

 ヒノカグヅチと呼ばれた現神(うつつがみ)は、業火をまとう灼熱の岩塊だった。

 そのシルエットは人の上半身に酷似しており、無数の亀裂からは絶えずマグマが流れ出している。

 血のように赤いそれは床を焦がし、空気を焦がし、ヒノカグヅチの体をも焦がす。ゴムが焼けるような異臭に明は顔をしかめた。


「何のつもりだスクナヒコナ! 貴様、なぜヒノカグヅチを解放した!?」


 開け放たれた隔壁を横目でにらみ、武内が叫ぶ。スクナヒコナも対抗するように叫びを返した。


「ち、違います! 私はイザナミの様子を確認しようとしただけで……」


「ならばどうして全ての隔壁が開いているのだ!」


「それ自体が現神の作戦ということだ。あれを見ろ武内」


 明は中央隔壁の向こうを視線で示す。

 そこには頑丈な壁で覆われた格納庫が口を開けており、その中には……何もない。

 床の一部に着目すれば、まるで大きな何かを引きずり出したような跡が見えた。"何か"とはすなわち、明たちが探し求めていたものだ。


「奴らは既に目当てのブツを持ち去っている。ご丁寧に置き土産(ブービートラップ)まで残してな」


「なんという無駄骨よ……! だから現神など信じるべきではなかったのだ!」


「そういう話は後にしろ。それより今は……」


 視線を戻すと、ヒノカグヅチの全身が格納庫から出てきていた。周囲にはいくつものマグマ溜まりが出来上がっており、明たちのやってきた道が沸き立つ湯気の向こうにかすんでいた。

 ヒノカグヅチは眩しそうに目をしばたかせると、ぎこちない挙動であたりを見渡し……明に照準を定める。

 そして動き出す。這いずるようにゆっくりと、しかし着実に。


「……どうやってこの場を乗り切るか。それが問題だ」


 退路を塞がれ、背後は行き止まり。そのうえ高温のマグマが結界のようにヒノカグヅチを覆っている。

 一般的なマグマの温度は1000℃超。対して、人体を形成するたんぱく質は80℃前後で変質すると言われている。

 触れるどころか近付くだけでも致命的。全身丸ごと固ゆで玉子になること請け合いだ。


「……っ! 来ないで!」


 望美が半歩退きつつ瓦礫の破片で牽制する。

 念動力で加速された破片はクナイ手裏剣さながらに射出され……しかし、それはついぞ着弾することはなかった。

 消滅したのだ。

 まるでマジックショーのように忽然(こつぜん)と。泡が弾けるような音と、黒い煙を残して。


「蒸発しただと……!?」


 明は早くも考えを改めることになった。

 もはやゆで玉子なんてレベルではない。石材が気化するほどの超高温下では生物の肉体など蝋燭のようなものだ。

 望美は口を半開きにして後ずさり、それを為した元凶は何事もなかったかのように床の上を滑ってくる。


「おい、なんだその余裕面は。まさか防御したつもりじゃなかったとか言わないだろうな」


 こちらの声が聞こえていないのか、それとも受け答えする気がないのか。ヒノカグヅチは一定の速度を保ったまま反応を示さない。

 両者の距離はまだ数十メートルほど開いているが、それでも体感温度は鰻登りに上昇している。冷え冷えとしていた地下通路は瞬く間にサウナと化し、冷や汗がその名称とは裏腹に熱を蓄えていく。

 明はスクナヒコナに助言を乞おうとして、その顔を見て、それから開きかけた口を閉じた。アワアワと目を回す彼女に秘策があるとは思えなかったからだ。

 というか、どうしようもないから封印されていたのだ、ヒノカグヅチ(こいつ)は。

 そして封印は解かれてしまった。こうなれば自分たちにできるのは尻尾を巻いて逃げることだけだ。

 もしこいつが地上に出てきたら……その時はその時になってから考えるとしよう。とにもかくにも今逃げきれなければ先はない。


「夜渚くん、こっちこっち! 抜け道を見つけたよ!」


 突き当たりにある三つ目の隔壁、その向こうで木津池が手を振っていた。傍らには亀裂を掘り広げたような横穴がわずかに開いており、そこから別の通路が顔を覗かせている。


「もしかしたら、って思って探してみたら案の定だったよ。この先は未知のルートだけど、少なくともここで焼け死ぬよりマシだろう?」


「でかした木津池。しかしよく見つけたな」


「ふふふ、単純な推理だよワトスンくん。……じゃなくて! 早くしないと俺たちみんなバーベキューだよ!」


 木津池に急かされ、明たちは細い横穴を潜り抜けた。

 いくつもの分岐を横に見ながら、パイプのように絡み合った通路の果てを目指す。

 暑さはだいぶマシになってきたが、ヒノカグヅチはまだ諦めていないようだ。明の異能は別区画から接近してくる強烈な波動を感じ取っていた。


「くそ、なんだってあんなに闘る気満々なんだあいつは! まずは出してもらった礼を言うべきだろうが!」


「閉じ込められた怒りを忘れていないのでしょう。そもそも理性なんてとっくに吹っ飛んでいるのかも」


「最悪だな。もう何度目の台詞か分からんが」


 人生は常に最悪を更新し続ける。座右の銘を新たに刻んだ明は、


「……ん?」


 倶久理(くくり)の姿が見えないことに気付く。

 走りを止めて振り返ると、倶久理は少し後ろで立ち止まっていた。

 疲れたり、足をくじいているようには見えない。焦るでもなく怖がるでもなく、彼女は何かを気にするように、しきりに視線を背後に飛ばしている。


「倶久理?」


「あ……はい」


 明が声をかけると、倶久理は上の空で返事をした。


「どうにも様子が変だが……何か見つけたのか?」


「ああ、いえ、どうかお気になさらないでくださいませ。わたくしの勘違いかもしれませんから」


「そう言われるとなおさら気になるのが男のサガだ。とにかく言ってみてくれ」


「ですが……」


「安心しろ、木津池のおかげで与太話には耐性がついている。多少のトンデモ説では動じないぞ俺は」


 大げさに胸を張る明。

 倶久理はそれで決心がついたらしく、小さく息を整えると、


「実は──」


 直後。壁の一部が赤く変色した。

 それは熱された無機物が溶解する前兆。

 一息遅れて壁が消し飛び、爆炎と溶鉄が嵐のように吹き荒れる。

 生まれた瓦礫は天井を破壊し、落石と土砂が通路を分断した。明と倶久理のいた場所だけを切り取るように。


「み、皆様っ!? ご無事ですか!?」


 土砂の向こうに必死で声を送る倶久理。明はそれを押し止めるように、


「大丈夫だ。望美たちの波動はちゃんと捕捉している」


 そして彼女の手を引くと、忍び足で後ろに下がっていく。


「……大丈夫じゃないのは、俺たちの方だ」


 土砂の近くには、先の爆発が作った大穴がある。

 とてつもない爆炎の進入口からやってくるのは……ヒノカグヅチだ。

 体積は最初に見た時より増加しており、光の強さも二倍以上。

 明らかに温度が上がっている。それも急激な速度で。


「暴走……しているのか?」


 ヒノカグヅチがこちらの方を向く。その目はまたも明を見据えていた。

 明はちらりと背後を見ると、


「とっとと逃げるぞ!」


「りょ、了解しましたわっ!」


 二人は迫り来る熱に背を向け、全力疾走を開始した。

 右、左、左、正面……変化に乏しい分岐路を駆け抜け、上層への階段を探し回る。

 初見の道だが、音の反響を分析すれば大まかな構造を把握することはできる。あちこち崩れた行き止まりだらけの道を、明は一度も間違えずにクリアしていく。

 とはいえ、選んだ道が出口に続いているという保証は無い。あくまで近くに行き止まりが無いことしか分からないのだ。

 だが、そこに彼女(・・)が加われば確実性は飛躍的に上昇する。


「タエさん、お願いしますわ! わたくしたちを導いて!」


 霊は意気揚々に飛び跳ねると、硬い天井の向こうに消えていく。

 プラズマ体は物理法則に縛られない。つまり彼女は誰より正確にこの施設の間取りを把握することができるのだ。

 霊はほどなく帰還し、明に代わって先頭に立つ。そこから五つ目の角を曲がったところで、エントランスへと至る長い階段が見えてきた。


「あと一息だ! 頼むからこけるなよ!」


「お気遣いなく! わたくし意外と本番強いタイプですの!」


 三階層ほど上った時、ヒノカグヅチが真下のフロアに入ってきた。

 階段が焼けた鉄板のように煙を上げ、靴底から徐々に熱が伝わってくる。床に触れる時間を一瞬でも短くするため、明は限界まで足をバタつかせた。

 最後の関門はエントランスと踊り場を隔てる厚い扉だ。

 扉は固く閉ざされており、押しても引いてもびくともしない。だから明は息を吸い、"開けゴマ"より確実な魔法の言葉を唱えた。


「開けろ武内!」


 恐竜の吠声にも似た激音が響き、拳の形にくぼんだ扉が階下へと落ちていく。

 ひん曲がったドアフレームの向こうには憮然とした顔の武内が立っていた。


「遅いぞ貴様ら! 他の者はとうに脱出しているぞ!」


 それだけを言い捨てると、武内は施設の入口へと走っていく。明たちもその背中を追う。

 全員が出てきたことを確認すると、スクナヒコナが勢いよく扉を閉じた。


「ありったけの動力をつぎ込んで施錠しておきました。これでしばらくは大丈夫だと思いますが、もうここには近寄らない方がいいでしょうね……」


「構わんさ。イザナミが奪われた以上、ここに来る意味も無いしな」


 流れる汗を払うと、うんざりしたようにこぼす明。

 その後ろで、施設が爆発した。


「うおおっ!?」


 それは火を伴わない爆発だった。建屋の内部が一気に加熱され、膨張した空気が外壁を押しのけたのだ。

 更地となった施設跡から、輝きに満ちた何かが盛り上がってくる。

 たとえるなら真夏の太陽。ほとんどの者はそれを直視することができず、どこからか遮光板を取り出した木津池だけが目を輝かせていた。


「見てごらん、あの光を! 天文学的温度に達したヒノカグヅチが物質の三態を飛び越えてプラズマ化しつつあるんだ!」


「そうかそれは良かったな! じゃあ後は頼んだぞ!」


「ちょっと待って置いてかないでよぉ!」


 すがり付く木津池を引っ張りながら石橋の上を走る。

 光は際限なく強さを増していき、黄泉平坂を荘厳な黄金色に染める。

 明は規格外の異能に恐れおののきながら、同時に勝利を確信していた。

 橋の中央付近で振り返り、かざした指の隙間からヒノカグヅチを見る。正確には、ヒノカグヅチの下を。

 石橋が、蒸発していた。


「当然の結果だな。過ぎたるは及ばざるがごとし、だ」


 刻一刻と、まるでアクションゲームによくある"崩れる橋"のように形を失っていく足場。

 ヒノカグヅチは蒸発の速度に負けぬよう必死で前に進んでいるが、のそのそと這いずるような動きでは到底間に合うはずもない。

 必然、虚空が彼を絡め取る。その下に待ち構えているのは無限大の水を湛えた地下水脈だ。


「────────!!!!!」


 おそらくは悲鳴なのだろう。声、とも言えない音が大空洞にこだまする。

 ヒノカグヅチは橋のへりに指先だけでしがみついていた。

 しかしそれも無駄なあがきだ。彼自身の生み出す熱が、彼に残された最後のよすがを奪い去ってしまうだろう。

 そうして明が安堵に息を緩めようとした、その時だった。

 彼の横を誰かが通り抜けていった。黒と白のツートンカラー、修道女のような長衣は……倶久理だった。


「倶久理!? お前、何を──」


 止める間もなく倶久理はヒノカグヅチへと駆け寄っていく。

 焼け付くような熱にも怯まず、ただ一心にその手を前へ。

 まるでヒノカグヅチに手を差し伸べるような行動だ。しかし、そんなことをすれば──


「ちいっ……あのアホめ!」


 明もまた、一も二もなく飛び出していた。

 ちぎれんばかりに手を伸ばし、倶久理の背中を捕まえようとする。

 「どうして」とか「間に合うか?」とか考えるのは後でいい。とにかく彼は、この先に訪れるであろう悲劇を見たくなかったのだ。

 思うはただ一つ。届けと念じ、届けと鼓舞し、まぶしい光に負けじと前を見て。


 そして、ヒノカグヅチと目が合った。

 驚くべきことに、彼の目には敵意も悪意も憎しみも映っていなかった。


「待って──!」


 倶久理の声がして、そこから先は一瞬だった。

 ヒノカグヅチがあっさりと手を放し、水底へと落ちていったのだ。

 直後、膨大な水蒸気が水柱のように噴き上がった。

 水面はしばらくジャグジーのように激しく対流していたが、それも一分ほどで収まり、後には静けさだけが残った。

 明は、ここに至るまでヒノカグヅチの本心を全く理解していなかった。

 いや、分かったつもりでいるだけで、本当は今もまだ理解できていないのかもしれない。

 だから明は、それを知っている者に確認することにした。


「倶久理。お前はあの時、何を気にしていたんだ?」


 倶久理は橋の上でへたり込んでいたが、気の抜けたような顔をこちらに向けると、こう言った。


「あの子の声が聞こえたような気がしましたの。もちろん、ただの空耳かもしれません。それでも、もしそうじゃなかったらって思ったら、わたくしは」


「奴は何と言っていた?」


「一人きりは嫌だ、って」


「……そうか」


 明はどうにかそれだけ言うと、今度は木津池に声をかけた。


「なあ木津池。お前はどうしてあの格納庫に抜け道があると思ったんだ?」


「でないと辻褄が合わないからさ。あそこにいた者はもう何年も前に地上に出てきているからね」


「それは、誰だ?」


 木津池は「何を今さら」とでも言いたげに肩をすくめた。


「黄泉平坂の最深部に封じられ、それもイザナミやヒノカグヅチと同じくらい高天原(たかまがはら)が隠しておきたいもの。ヒルコに決まってるじゃないか」


「……………………そうか」


 もう一度同じ言葉を繰り返すと、明は視線を上に向けた。

 真っ黒な岩盤がのしかかるように自分たちを見下ろしている。見慣れた空など、どこにも無い。

 そして思い出す。ここは黄泉平坂。地獄の底なのだ。

 思い出したからといってどうということもない。明は明の信念の下、これまでと変わらず進み続けるだろう。

 ……だが。


「二千年。長過ぎるよな」


 不意に考えてしまう。

 彼らの過ごした二千年は、自分の過ごした七年間といかほどの違いがあるのだろう?



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