第十四話 白の牢獄
本日は五話分投稿。章ボス登場まで進みます。
何者かによる放送から十分後。明と望美は山を下り、古井戸のところまで戻ってきた。
ここから学園の敷地まで、わずか二十メートル弱。時刻は午後五時二十分。熱心な運動部なら余裕で活動している時間帯だ。
にも関わらず、あたりは静まり返っていた。
正門の様子は、霧のせいでうっすらとしか見えない。前回は霧の壁が下山を阻んでいたが、今は自由に通れるようだ。
「……その代わり、今度は耳成山と学園以外の場所に行けなくなっている。都合のいい霧もあったものだ」
周辺区域は乳白色の厚いヴェールによって隔離されていた。
霧は物理的な力を有しているらしく、助走をつけて体当たりしても、すぐに押し戻されてしまう。
「また例によって閉じ込められたと考えるのが妥当だろうな……」
木々の間から、学園のあるべき方角に目を凝らす。
世界は霧に沈んでいた。
フェンス越しに見えるグラウンドに人影は無い。その向こうには四階建ての校舎が建っているはずだが、はっきりと視認することはできなかった。
「夜渚くん、脱出のことは後で考えよう。それより早く学園に」
足を止めた明を、望美が急かす。
彼女はいてもたってもいられない様子だった。強固な自制心で踏みとどまってはいるが、きっかけさえあれば今すぐにでも飛び出して行きそうだ。
(無理もないか。あのような放送を聞かされては、誰であろうと冷静でいられるはずがない)
声の主は望美を指名していた。これまでの経緯を考えると、まず間違いなく怪人たちの一味だ。
数度の闇討ちがことごとく失敗に終わったので、業を煮やして大がかりな作戦に打って出た……ということだろう。
(しかも人質とは。厄介なことをしてくれる)
望美は他人の命をないがしろにできるような人間ではない。
無関係の人間を盾にされた場合、こちらが取れる選択肢は降伏だけだ。
理想は相手に気付かれる前に人質を解放することだが、それができれば苦労はしない。
もっとも、彼女が焦る理由は人質だけでは無いのかもしれないが。
「荒神、か」
敵は、望美のことをそう呼んでいた。
疑問を言葉に変えて吐き出すと、望美の体が震えた。
「荒神って、どういう意味なの……?」
「あの怪人も同じ言葉を口にしていた。つまりはそれが、君の狙われる理由だろうな」
「そう……」
消え入るような声。望美は自ら肩を抱き、身をすくめていた。
唇が色を失っているのは、寒さのせいだけではない。
「不安か?」
間を置いて、震えにも似たうなずき。
「私の知らないところで、知らない誰かが勝手に私を規定して、判断して、殺そうとしてる。凄く怖いし、気持ち悪い。……だけど、それ以上に"どうして"って思う」
答えを求めるように、こちらを見上げてくる。
明は安っぽい慰めの言葉を飲み込み、事実だけを述べた。
「さあな。だが、それを知る最も簡単な方法がある」
左手はポケットに、右手は前へ。
水平に肘を張って、望美の視線を導いた。示す先は高臣学園。
「知っている者から聞けばいい。幸い、俺たちはそういう連中からご招待を受けている」
霧の海には大鯨が潜む。しくじれば海の藻屑だが、首尾よく釣り上げれば一攫千金だ。
「これだけの大仕掛けだ、出てくるのは下っ端だけではないだろう。捕らえて締め上げるぞ」
「でも、大人しく口を割ってくれるかな……。白い人たちみたいに、徹底抗戦するかも」
「なら拷問だ。やったぞ、ついに全面解禁だ!」
「……ぷっ」
大げさに万歳すると、望美は顔を伏せて笑った。
次に顔を上げた時、憂いは消え去っていた。
気負い無く、静かに張り詰めて。まやかしを見抜く探究者の顔だ。
「ありがとう。ここに夜渚くんがいてくれて良かった」
「こちらも同意見だ。お互い、いいコンビになれそうだな」
足並みを揃え、二人は正門へと前進する。
しかし歩みを進める前に、背後からの声に振り返った。
「おいこら待ちやがれっ、このっ……待てっつってんだろうがっ!」
息せき切って走ってきたのは黒鉄だった。
まだ本調子ではないのか、その足取りはややおぼつかない。危ういところで無事山道を下りきり、明の手前で急停止する。
むせるような空咳。一拍置いて空気を吸い込み、続く台詞で吐き尽くした。
「お前ら、何が起こってんのかぐらい説明してから行きやがれ! さっきの放送はなんなんだよ!? それにこの変な霧は!? 死ぬとかなんとか言ってたけどドッキリじゃねえよな!?」
「落ち着け、黒鉄」
「これが落ち着いてられるかよこのクソ転校生がっ!」
思いの限りを爆発させた後、黒鉄は再び息を吸った。
数刻前の傲岸不遜ぶりは見る影もなく、顔には不安が張り付いている。根は小心者なのかもしれない。
「気持ちは分かるが、もう少し静かにしろ。奴らにバレると面倒なことになる」
明は正門に注意を向けつつ、黒鉄を手で制した。
「"奴ら"だと……? てめえら、何を隠してやがる?」
分からぬなりに状況の深刻さを理解したらしく、黒鉄が声のトーンを落とす。
……が、遅すぎた。
「見つけたぞ」とでも言うかのように、鳴り響く大音量のチャイム。
騒々しい四音は不協和音を奏でながらこだましていく。
「また放送……次は何を言うつもりなのかな」
「歓迎の挨拶でないことだけは確かだ」
チャイムの終わりと同時に息を止め、来るべき声明に耳を傾ける。この時ばかりは黒鉄も空気を読んだ。
待つ。
待つ。
待つ。
「……?」
待てども待てども、声は聞こえてこない。
違和感を覚えながら、もうしばらく待つ。
すると、スピーカーから漏れてくる音があった。
声ではない。音だ。
鼓、だろうか。桶の底を打ち鳴らしているかのような、気の抜けた音だった。
音は一定のリズムを刻んでいる。寄せては返すさざ波を思い起こさせる、とても心地よい響き。
なのに、明の頭は刺すような痛みにさいなまれていた。
程度の差はあれ、他の二人も同様の感覚を抱いているようだ。
「どういうことだ……?」
音の正体を確かめるため、意識を集中する。
新たな音が近付いてきたのは、そんな時だった。
「夜渚くん……」
「ああ。……誰か来る」
三人分の靴音。校舎の方から並木道を通って、正門まで一直線に。
かなりの速度だが、呼吸はさほど乱れていない。息を抑えているというより、最低限の酸素補給しかしていないような……どこか不自然な息遣いだった。
正門を出た靴音は、一糸乱れぬ勢いでこちらに向かってくる。
霧の中から現れたのは、二人の男子生徒と、一人の女子生徒。
男二人は野球着姿に金属バットの球児スタイル。女の方は学校指定の赤いジャージを着用しており、両手で槍投げ用の槍を抱えている。
「おい……まさか」
明がそうつぶやいた瞬間、彼らは一斉に武器を振りかざした。