第六話 余燼
トンネルの出口で小休止を挟んだ後、明たちは黄泉平坂に足を踏み入れた。
彼らが目指すは大空洞の奥にたたずむ保管施設。
出発してから数分と経たぬ内に、足元の感触が硬い石へと変わった。響く靴音と重なるようにして、わずかなせせらぎの音も聞こえてくる。
「近くに水場があるようだな」
電灯の光を横に向けると、少し低い位置に地下水特有の白濁した水面が見えた。
水は左手から右手にかけてゆっくりと流れており、それは豊かな大河となって黄泉平坂を二分している。一行が歩いているのは川べりに架かる石橋の上だった。
「これが噂に聞く三途の川か。まさか生きているうちに拝めるとは思っていなかったな……」
「夜渚くん、渡し賃持ってる? 足りないと着ている服を剥ぎ取られるって聞いたけど」
「出世払いにしてもらえ」
望美と益体もない話をしつつ、川の源へと視線を移す。
水は壁際から滝のように流れ落ちていた。
だとすればこれは地上の水が染み出てきたものだろうか、と明が考えていると、こちらの心を読んだかのように木津池が補足を入れた。
「縄文時代、この辺の土地は大和湖と呼ばれる湖の底に沈んでいたらしい。大和湖は長い時間をかけて徐々に干上がっていき、そうして出来上がったのが現在の奈良盆地だと考えられているんだけど」
「けど、何だ?」
「この地下水脈を見た後だと、真実はもっとダイナミズムにあふれたものだったのかも、って思うんだ。……違うかな、スクナヒコナちゃん?」
「慧眼です、と言っておきましょう」
茶目っ気を含んだ微笑。それから彼女は、大空洞を見渡すように視線を巡らせた。
「確認しておきますが、皆さんは国産みという言葉をご存知でしょうか?」
「神産みと並行して行われた儀式ですわね。なんでも、イザナミの産み落とした大小さまざまな陸地が今日の日本列島を形作ったとか」
「なるほど。今世にはそう伝わっているんですね」
スクナヒコナはふむふむと頷き、
「元々、イザナミとイザナギは環境調整装置として作られていたんです。それは生成した電磁波を外部に照射することで、周囲の地形や気象を思いのままに変えることができました」
「そして行われたのが国産み……つまり奈良盆地の干拓なんだ。地中深くに穿たれた電磁波は局所的な地震を引き起こし、大和湖の水を排出するための空間を作り出した。それがここってわけ」
「国産みにはヒルコも関わっていたと聞きます。のちに廃棄施設となったこの場所に彼が収監されたのは、皮肉な偶然という他ありませんね」
向こう岸には体育館ほどの大きさをした建物がぽつんと立っていた。
外壁は黒っぽい花崗岩に覆われており、重そうな岩戸の隙間から照明らしき光が漏れている。いかなる仕組みか知らないが、とりあえず動力は生きているようだ。
「少し待っていてください」
スクナヒコナが進み出て、岩戸にぴたりと手を添える。
と、触れた場所から小さな光がほとばしった。
光の正体は静電気だ。それは滑らかな表面を駆け巡り、複雑な回路図を浮かび上がらせる。
直後、岩戸は軋んだ音を立てて明たちを迎え入れた。
「ここからが正念場だ。夜渚明、中に現神の反応はあるか?」
入り口に立つ武内が拳を固く握る。
明は目を閉じ、数秒間の集中を経てから、
「あるような無いような、微妙なところだ。奥まで行ってみないことには何とも言えん」
「ならば進むぞ。奴らより先にイザナミを確保して、速やかに破壊するなり沈めるなりしてしまうのだ」
「分かったから一人で先に行くな」
「貴様らがモタモタしているのが悪いのだ」
「あ、待ってください! まだ保安装置が機能しているかもしれませんから……」
武内の後をスクナヒコナが追いかけ、望美がマイペースに続く。
明も彼女に倣おうとして、ふと倶久理の方を振り返った。
「……どうした倶久理。何か気がかりなことでもあるのか?」
倶久理は体を軽く抱き、なぜか納得のいかないような表情を浮かべていた。
光源代わりに連れてきた霊を見つめ、むむむと熟考。それから視線をこちらへ泳がせ、
「気がかりというほどでもないのですが……イザナミは今、どのような状態にあるのかと思って」
「さあな。以前はヤバい量の電磁波をまき散らしていたらしいが、さすがに二千年も経てば収まっているかもしれないし、まだまだお盛んという可能性もある」
ちなみに明が望むのは後者の展開だ。
イザナミが暴走を続ける限り現神も迂闊に手を出すことはできない。そうなれば新たな神代も見果てぬ夢と化し、最悪の展開は労せずして防がれる。
「ですが、イザナミは巨大な磁石のようなもの。どちらにせよ強力な磁場をまとっていることに変わりはないはずですわ」
なのに、と言いながら霊に視線を戻す倶久理。
「ここまで来てもタエさんは元気一杯、万全のコンディションですの。電気そのものである霊体が影響を受けないはずがありませんのに」
「ちょっと待てタエさんって誰だ」
「白峰本家にいらしたお手伝いさんですわ。タエさんには生前からとてもよくしていただいて……」
「分かった。もういい。ストップ」
長引きそうな昔語りを中断させると、思考を本題へと戻す。
「確かに妙といえば妙だな。畝傍山の時ほどではないにしても、磁界の中にいれば何らかの不調は表れてもおかしくない」
しかし、事実としてタエさんとやらはピンピンしている。そこから導き出される結論は二つだ。
「イザナミ自体に厳重なシールドが施されている、もしくは」
「わたくしたちが遅すぎたか、ですわね」
明は苦虫を噛み潰したような顔で首を振った。
「とにかく行くぞ。愚痴も泣き言も、全てはこの目で確かめてからだ」
「同感ですわ。箱の中の猫について延々と論じるより、直接箱を開けた方が手っ取り早いですもの」
エントランスで仲間たちと合流した二人は、いよいよ探索を開始する。
施設はいくつものフロアに区切られており、それらは全て地下にあった。
ひび割れた岩壁と剥き出しの鉄骨を仰ぎながら、迷路のように入り組んだ通路を進む。階層を降りる毎にひび割れの数が増えているように思えた。
「老朽化が著しいな。他の遺跡はもっと頑丈だったと記憶しているが」
「地下水のせいかも。ほら、今までの遺跡はみんな山の中にあったから」
望美が示す先には半ば水没した通路と瓦礫の山が見えた。
一行は通行可能なルートを求めて行きつ戻りつを繰り返し、とある場所に差し掛かったところでスクナヒコナが立ち止まった。
「ここが最重要区画……だと思います」
「自信なさそうに言うな。入っていいのか迷うだろうが」
「し、仕方ないじゃないですか。私だって初めて来たんですから」
幅十メートルほどの通路が突き当たりまで続いている、倉庫のようなフロアだった。
天井は見上げるほどに高く、通路の左側には金属製の巨大な隔壁が三つ並んでいる。傍には制御盤らしき石の台座が据え付けられていた。
スクナヒコナが台座に触れると、またも静電気が走った。
一分ほどの間を置いて、制御盤が起動する。
盤上に表示される文字は途切れ途切れだが、完全に壊れているわけではなさそうだ。
「良かった。この端末はかろうじて無事なようです」
「ぬか喜びをするな。中身も無事とは限らぬであろう」
「そうですね。こればかりは開けてみないと……」
彼女の爪先が琴を弾くように動き、それに応じてベルのような動作音が鳴る。
明はその様子を手持無沙汰に眺めていたが、すぐに飽きると隔壁に興味を移した。
「この中のどれかにイザナミが入っているのか。まあ、俺たちが間に合っていればの話だが」
「夜渚くん、不吉なこと言わないで」
「ここまで来たらゲン担ぎも無いだろう。なんなら開ける前にカンニングでもしてみるか?」
物は試しと入り口側の隔壁に手を当て、中の様子を探知してみた。すると、
「……む」
「夜渚くん、どうだった?」
「うむ……」
明はわずかな戦慄と共に手を放し、そのまま数歩後ずさる。
感じたのはとても力強い波動。それは明らかに生物の……しかも、現神に類する波長だ。
「なあ、スクナヒコナ。この向こう側にヤバそうなのがいるみたいなんだが……」
「ええ、知っています。夜渚さんにはもうお分かりかと思いますが、そこには現神が閉じ込められているんです」
「現神が? どうしてまたそんなことになっているんだ?」
「私と同じですよ。むしろ私が恵まれていたというべきでしょうか」
スクナヒコナは制御盤に目を落としたままだが、その瞳には深い同情が映り込んでいた。
「彼は不完全な現神であり、しかもその力を制御できなかったんです。だから、こうするしかなかった。もし彼を封じなければ、高天原は今頃火の海になっていたことでしょう」
「……事情はよく分かりませんが、こんな場所にひとりぼっちで置いてけぼりだなんてあまりにもかわいそうですわ。スクナヒコナ様、何とかなりませんの?」
自らの異能ゆえに人生を狂わされた神。そのあらましに自分の境遇を重ねたのか、倶久理が懇願するようにスクナヒコナを見つめた。
スクナヒコナは口を固く閉じていたが、最後にはやむなくといった感じで声を出した。
「私とて同じ思いですが、彼を解放すれば私たちの身にも危険が降りかかります。どうかこらえてください」
自分自身に言い聞かせるようなつぶやきの後、
「……よし。これで大丈夫なはずです。中央の扉が開きますから、皆さんは下がっていてください」
スクナヒコナが制御盤を軽く叩いた。
断続的な振動がフロアを揺らし、数百トンはありそうな隔壁が動き始める。
そこまでは良かった。
問題は、開いたのが中央だけではなかったということだ。
「……え?」
「なっ……」
「……わ」
「あらまあ」
一同が唖然とする中、なぜか三つの隔壁が一斉に開いていく。
直後、焼け付くような熱気と真っ赤な光が通路に解き放たれた。
それを見たスクナヒコナが絶望的な表情で叫ぶ。
「そんなっ、ヒノカグヅチが……!」
脈動するマグマの塊が、燃え盛る瞳をこちらに向けていた。