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第三話 忌むべきものが眠る場所

 午前九時。まだ本調子ではないクロエと付き添いの門倉を残し、明たちは武内邸を出立した。

 スクナヒコナに先導されて行き着いたのは、橿原市の西部。

 畝傍山(うねびやま)の裾野を迂回し、南西にしばらく進むと田園地帯に囲まれた林が見えてくる。こんもりと盛り上がった地形はそこが小高い山であることを示していた。


「……驚いたな。まさかこんなところに山があったとは」


 緩やかな傾斜を仰ぎつつ、明は深く息をついた。

 転校生とはいえ生まれ育ちは橿原市。小学生時代は自転車一つで市内各地を縦横無尽に駆け回ったものだが、当時はここを貯水池か沼地だと思っていた。

 こうしてふもとの近くまで来る機会がなければ、その勘違いは今も続いていただろう。


「山の名前は……忌部山(いんべやま)、だって。ちょっと不吉な名前?」


 道すがらネットで調べていたらしく、望美がスマートフォンに目を落としながら言う。それに返すのは武内だ。


「このあたりは忌部氏と呼ばれる豪族が治めていた土地だ。おそらくこの山自体が忌部氏にとって重要な意味を持っていたのであろうな」


「重要な意味って……たとえば?」


「それはあやつが知っておろう。罠でなければの話だがな」


 刺々しく言って、前を行くスクナヒコナをあごで示した。

 スクナヒコナは登山道の入口で立ち止まり、こちらの到着を静かに待っていた。その背後には小さな鳥居と長い石段が見える。

 石段の上は木々に隠れて見えないが、鳥居があるということは山頂付近に何かが(まつ)られているのだろう。武内の推測もあながち間違いではなさそうだ。


「急ぎましょう。目的地はもうすぐです」


 そう言うや否や、身を(ひるがえ)して石段を登り始めるスクナヒコナ。その足取りは小柄ながらに素早いものだ。

 ただ、少なからず無理はしているようだ。歩く姿はぎこちなく、肩で息をしているのが丸分かりだ。

 明は三段飛ばしでスクナヒコナに追いつくと、背中越しに声を掛けた。


「もう少しペースを落とせ、スクナヒコナ。飛ばし過ぎると肝心な時に力が出せんぞ」


「お気遣いありがとうございます。ですが、のんびりしていると彼らに先を越されてしまうかもしれません」


「だからといって──っと!」


「ひゃ……っ!」


 石段の角に引っかかるつま先。スクナヒコナがバランスを崩し、あわやというところで明の手にすくい上げられた。

 腕の中にすっぽりと収まった体はとても軽く、細い。

 思っていた以上の頼りなさに明が驚いていると、スクナヒコナが申し訳なさそうに体をすくめた。


「貧しい体ですよね。せめてもう少し頑丈な肉体を(たまわ)っていれば、こうしてご迷惑をおかけすることも無かったのですけど」


「気にするな。欧米型大艦巨砲主義も今は昔、二十一世紀を生きる男たちは貧乳にも一定の価値を認めている」


「あの、胸の話ではなくて……」


「無理に背伸びしなくてもいいということだ。仮にも神と呼ばれていたのだろう? ならば焦らずどっしりと構えていろ」


 壊れ物を扱うようにスクナヒコナを降ろすと、その肩を軽く叩く。それからこっそり顔を寄せて、


「それに、鍵とやらについての説明も必要だ。なにせ俺たちはかれこれ数十分もの間、詳しいことを何も聞かされないまま歩かされているんだからな」


「あっ……」


 しまったとばかりに口に手を当てるスクナヒコナ。後ろを向くと、相当やきもきした様子の武内をなだめる望美と倶久理(くくり)が見えた。


「す、すみませんっ。私ったらつい……」


「謝るのはいいから早く本題に入った方がいいと思う。会長さんが噴火寸前」


「怒ってなどいない。(オレ)はこやつが信ずるに足る者かどうかを見極めているのだ」


「拳で?」


「時と場合によってはそうなるであろうな」


 武内の双眸(そうぼう)から穿(うが)つような眼光が発せられる。

 スクナヒコナは身震いした後、やや早口で話し始めた。その足は再び石段を登っているが、歩調はこちらに合わせたものに変わっていた。


天之御柱(アメノミハシラ)を動かすためには鍵が必要だというところまではお話ししましたよね。この忌部山には、鍵の在り処へと繋がる道が隠されているんです」


「つまりは宝物庫の入り口か」


「古の財宝、謎めいた碑文、行く手に待ち受ける凶悪な罠! なんだかワクワクしてきましたわ!」


「残念だがハリウッド的なお楽しみはないと思うぞ。いや、あっても全然楽しくはないが……」


 目を輝かせる倶久理に複雑な視線を送りながら、明は転がる大岩や落とし穴のイメージを必死でかき消していた。


「……一応聞いておくが、そういうの(・・・・・)は無いよな?」


 恐る恐る尋ねてみると、スクナヒコナは妙な間を置いてから苦笑を返した。


「倶久理さんのご期待には応えられそうにありませんね。もっとも安全というわけでもないんですけど」


 悩むように言った後、小さな唇が独り言を漏らした。

 もしかするとそれより危険かも、と。


「厳密に言うと、この先にあるのは宝物庫ではありません。廃棄物の保管施設です」


「そんなものを大和三山のすぐ近くに作ったのか? このあたりは高天原(たかまがはら)にとっても政治の中枢だったろうに」


 少し、()に落ちないと思った。

 廃棄物とは基本的に遠ざけるべきものだ。ただの生ごみでさえ処理方法を間違えれば汚染の原因となり、ものによっては深刻な環境破壊を引き起こす。

 高天原の人々は当然それを知っていただろうし、もっと違う場所に投棄する選択肢もあったはずだ。


「……ここが最適な場所だった、とか? 何が最適なのかは知らないけど」


 特に根拠の無い当てずっぽうなのか、うかがうように望美が言った。


「そうですね……当たらずとも遠からずでしょうか」


 石段の中腹あたりでスクナヒコナが立ち止まる。その足は獣道を辿り、密に生い茂る竹林の奥へ。


「施設は地下深く、皆さんが橿原市と呼んでいる地域の真下に広がっています。地図の上で見れば"近く"なのでしょうが、直線距離にすれば相当なものです」


「"地下遠く"というわけか。スケールが違うな……」


 超古代の技術で作られた大深度地下施設。地上に住む自分たちが気付かなかったところを見るに、十メートルや二十メートルといった次元ではないのだろう。

 そこまでの深さがあれば汚染の心配は要らず、高天原の技術を狙う敵対氏族が廃棄物をくすねることもない。厚い地層があらゆる面倒事に蓋をしてくれる。


「ですが、一番の理由はここ。忌部氏の領地に入り口を作りたかったからなのです」


 竹林の一角まで来て、スクナヒコナがこちらに向き直る。獣道はまだ続いているが、彼女はそれ以上進もうとはしなかった。


「ここが……目的地ですの? 思っていたよりも、その……殺風景ですのね」


 消沈したように倶久理がつぶやく。

 一見、何の変哲もない小さな空き地だ。目印になるようなものは無く、抜け道が隠されている気配もない。

 異能で周囲を探ってみるが、感じ取れたのは林を駆け抜ける風の音だけだった。


「忌部の血筋は高天原に古くから仕えていました。ゆえに貴族たちの覚えもめでたく、秘密を守る番人として彼ら以上の適任者はいなかったんです」


 皆が(いぶか)しむように空き地を見回す中、スクナヒコナは(うやうや)しく目を閉じた。

 取り出したるは鈴を()わえた(さかき)の枝。掲げる両手はゆっくりと、舞い踊るように。

 涼しげな音を(たた)えて、鈴が鳴る。

 その瞬間、明の異能は異変を感じ取っていた。

 それは電気の波……電磁波だ。

 スクナヒコナの動きに合わせ、畝傍山の方から膨大な量の電磁波が照射されているのだ。


「長年の功績を評価され、忌部の長は貴族に次いで現神となる栄誉を(たまわ)ることができました。彼はのちに"アメノフトタマ"を名乗り、忌部の氏神として崇拝されることになります」


「フトタマだと……!?」


 驚きに目を見張る明をよそに、スクナヒコナは舞いを連ねていく。

 時には速く、時には遅く。

 テンポが変わる度に鈴の音が鳴り響き、白衣の(すそ)がふわりと羽ばたいた。

 そうして最後、榊の枝が横に払われた時。


「……!」


 何かが弾けるような音と共に、明の視界が二重にブレた。

 景色だけでなく、世界そのものが揺らいでいるような違和感。その不可思議な感覚は以前にも体験したことのあるものだ。

 あれは確か、天香久山(あまのかぐやま)に初めて行った時。

 目の前でフトタマ(・・・・)の結界が解除された時も同じ現象が起こっていたはずだ。


「アメノフトタマは次元を分かち神域を作り出す現神。彼は自らの異能を科学的に分析し、ついには一つの技術として成立させました。それがフトタマの結界です」


 いつの間にか世界は一変していた。

 立体駐車場の時と同じだ。結界が解除されたことで"あちら側"の環境が"こちら側"に上書きされたのだ。

 見渡す限りの竹林は姿を消し、それらが存在した場所には穴が空いていた。無論ただの穴ではなく、大型重機を軽々と飲み込んでしまうほど巨大なものだ。

 穴の中は暗く、土煙に包まれた下り坂が延々と続いている。底は、まったく見えない。


「なるほど、結界を作り出した後に現実世界の入り口を埋め立てたのか。フトタマの結界を経由しなければ入ることは叶わず、廃棄物が外に漏れ出す危険もない。見事なセキュリティだ」


 明が感心したように膝を打つ。

 儀式を終えたスクナヒコナは何とも言えない表情を見せていたが、すぐに気を取り直して穴の縁に立った。


「続きは歩きながら話しましょう。とにかく今は急がないと。彼らが鍵を──」


「そう、君たちは急がなきゃいけない。"黄泉平坂(よもつひらさか)"に投棄された超電磁ユニット"イザナミ"を奪われる前にね」


 背後から聞こえてくる軽薄な声。

 こいつが来ることはなんとなく分かっていたし、足音にも感付いていた。

 それでもあえて無視していたのは、こいつが最高に鬱陶しい人物だからだ。

 構えば確実に付けあがる。何を言っても聞かないし、突き放してもてんで(こた)えない。

 獲物を見つけたピラニアのように、どこまでもいつまでも食いついてくる。

 だから明は諦めて、そいつの方に振り向いた。


「またお前か、木津池(きずち)


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