第一話 明けの鴉声
「ここは……どこだ?」
目覚めて最初に見えたのは、くっきりとした天井の木目だった。
時経た家屋特有の木と埃の匂い。視界の右上には提灯風の笠をまとった電球が吊り下がっている。
どこか懐かしさを感じさせる景色は、明が昔訪れた祖父の家にそっくりだった。
「なんというか、朝ドラでよく見る系の内装だな。とても二十一世紀に現存する物件とは思えん……」
起き抜けの頭は思考速度も鈍麻している。明は口を開けたまま、思ったことをそのまま言葉にした。
誰に向けたわけでもない独白。それに答えが返ってきた時、明は初めて彼女の存在に気が付いた。
「心配しなくてもここは二十一世紀、時代錯誤な会長のご自宅ですよ」
そこにいたのはクロエだった。
ファンシーな寝間着を身に着けた彼女は、布団の傍らでこちらの顔を覗き込んでいる。見れば、後ろのふすまが半分だけ開いており、向こうの部屋にも同じように布団が敷かれていた。
途端、気を失う直前の出来事が明の頭をよぎった。
天空に満ちる雷光。焼け落ちるヤタガラス。あの後クロエがどうなったのか、明は知らないままだ。
「クロエ!? お前は──」
明は慌てて身を起こし、クロエの体を食いぎみに観察する。
小さな体と細い腕、日本人離れした白い肌。重力に従って流れ落ちるブロンドの長髪を毛先から根元まで追っていく。なんか知らんがクロエは顔を赤らめていた。
「……あ、あの。外傷は特にありませんから、その辺にしてもらえませんか?」
「万が一ということもあるだろうが。痕が残ったら一大事だぞ」
「だ、だから大丈夫ですって! 自分でもちゃんと確認しましたし……ってちょっと近い近い近いです先輩このスケベっ!」
「近付かないと見えないだろうが! まったく、どいつもこいつも人を性犯罪者のようにぐぼぁっ!」
したたかに顔を叩かれ撃沈する明。
数秒後。彼は鼻をさすりながら起き上がると、少し言いづらそうに口を開いた。
「今回はすまなかった。謝って済むようなことではないかもしれんが、俺には他の償い方が思いつかん」
「……先輩。それはどういう意味の謝罪でしょうか?」
「俺がもう少し慎重になっていれば、お前の命を危険に晒すようなことにはならなかった。だから、その怪我の責任は俺にあるということだ」
「なんだ、そんなことですか。傍若無人な俺様野郎のくせに変なところで律儀なんですね」
クロエは困ったように首を傾げると、わずかに笑みをこぼした。
頑なさの取れた自然な笑み。それは彼女が初めて見せる表情だった。
「先輩が気に病むことはありませんよ。死ぬほど痛くて三日ほど寝込んだことは確かですけど、それだけです」
それに、と続け、
「おかげで負債を背負わずに済みましたから」
「負債?」
「先輩が自分で言ったんじゃないですか。もう忘れたんですか?」
「いや、忘れてはいないが……」
無茶な戦いを諫めるクロエに対して明が言ったこと。
後悔しないための戦い。命よりも誇りと信念を重視する姿勢は、明の原動力でもある。
「あの言葉がそれほど心に響いたか? 自分で言うのもなんだが、損な生き方だという自覚はあるぞ」
「私もそう思います」
「それなら何がお前を動かしたんだ?」
明が聞いてもクロエは「さあ?」と言うだけだった。
「私は先輩が黒焦げになる姿を見なくて済みました。そして先輩は自分の生き様を貫くことができました。めでたしめでたし。それでいいじゃないですか」
「まあ、そう言ってくれるのはありがたいが……」
「と言いつつ、それほどありがたそうには見えませんね。もっと激しくなじってもらいたかったんですか?」
「そうではないが、あからさまに含みを持たされると個人的に据わりが悪い」
「めんどくさい人ですね。詮索のし過ぎは寿命を縮めますよ。相手が女性なら、なおのこと」
あけすけな言い草に明は口をつぐむ。
しかし、ややあってから訥々と言葉を紡いだ。
「昔、似たような女が身近にいてな。本音を語らず、そのくせ思わせぶりなサインだけは送ってくる面倒な奴だった。だからというわけでもないが、クロエを見ているとどうも気になってな」
「その人のこと、好きだったんですか?」
「勘違いするな。妹だぞ」
「妹に手を出したんですか? これはまた筋金入りですね」
「滅多なことを言うな。これ以上誤解されると俺の立ち位置がマジで危うくなる」
斗貴子などに聞かれたら一巻の終わりだ。ぎょっとした顔であたりに視線を巡らせ、誰もいないことにほっと胸を撫で下ろす。
クロエはそんな明をぼうっと見つめていたが、じきに視線を落として頬を緩めた。
「あくまで私の想像ですけど、妹さんはめんどくさい子なんかじゃありませんよ、きっと」
「なぜだ?」
「沈黙は信頼の証。本音を明かさないのは言う必要が無いだけです。……だって、わざわざ口にしなくても理解してくれる、味方になってくれる人がすぐ傍にいるんですから」
明ははっとしたような顔で硬直し、
「……それは十分めんどくさい部類に入らないか?」
「そんなだから先輩はモテないんですよ」
「おい」
明のツッコミを涼しい顔で受け流し、クロエは腰を上げた。
向かう先は縁側の障子窓。わずかに開けると、ひさしの上から一羽のヤタガラスが飛び込んできた。
クロエはカラスを一撫ですると、こちらに向き直る。その顔はもういつも通りのクロエだった。
「早く着替えて行きましょう。離れの方で動きがあったみたいです」
「もう少し丁寧に説明してくれ。俺は今起きたばかりだぞ」
話しながらもとりあえず着替え始める明。寝ているうちに着せられていた着物の帯と格闘していると、後ろからクロエの返事が飛んできた。
「先輩が気にしてた例の現神……スクナヒコナが目を覚ましたんですよ」
七章はこれまでの章と比べると短くなる予定です。戦闘らしい戦闘もほとんどありません。