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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第六章 三者の重なる場所に
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第十六話 蟲食い

 その少女のいでたちは、明が見てきたどの現神(うつつがみ)とも違うものだった。

 痩せた体に膝まで伸びる藍色の髪。白い貫頭衣の裾から覗くのは、細く筋張った素足。

 鋭い牙も爪も無く、角が尾羽が生えているわけでもない。体格に至ってはクロエや蓮の方がまだ大きいくらいだ。


『あれが……その、現神なんですか? 私の目にはどこにでもいそうなコスプレ少女にしか見えませんけど』


「少なくとも、頭の中に呼びかけてきたのはあの声で間違いない」


 敵の意外な正体にクロエも混乱しているようだ。周囲を自在に飛び回っていたヤタガラスも一旦高度を落とし、明の後ろに下がっている。

 クロエの言う通り、スクナヒコナは見てくれだけなら人間とほとんど変わらない。その身に宿る波動が異質なものでさえなければ、明も彼女が現神だとは思わなかっただろう。


「ゆえに落とし子、か」


『一人で納得してないでちゃんと説明してください。思わせぶりな台詞ばかり言ってると中身空っぽな人間だと思われますよ』


「そう難しい話でもない。あの少女は現神として不完全な存在……神産みにおける八十神(やそがみ)なんだ」


 神産みとは人の手で神を作り出す大偉業だ。高天原(たかまがはら)の科学力がどれだけ高度なものだったとしても、一度や二度の失敗は起きていたはずだ。そして、その一例がスクナヒコナなのだろう。


「その通り。この小娘は神に至れなかった失敗作、薄汚い廃棄物だ。ほら、見てよこれ!」


 スクナヒコナは両手を広げ、踊るように身を回す。振り向きざまに口の端を吊り上げ、


「神々しさの欠片も感じられない、みすぼらしい体だろう? その脆弱さは奴隷にも劣り、神の証たる異能は実にお粗末極まりないもの。

 多くの神は彼女を現神の面汚しとして侮蔑し、大いに見下した。……自分たちもまた不完全であることを棚に上げてね」


 儚げな顔を醜悪に歪ませ、スクナヒコナは笑う。


「面白いでしょ? 現神(ゴミ)現神(ゴミ)を見て笑うんだ。『自分はあいつとは違う。高貴で素晴らしい存在だ』って自分を慰めながら。どっちも出来損ないに変わりはないのにさ!」


 声を上げて笑う。(わら)う。

 高天原の歴史に泥を塗りたくるように。この世の全てにつばを吐きかけるように。

 寒気のするような笑い声は、風に巻かれて不協和音を奏でる。

 が、その音は唐突に止んだ。


「……カスが、何様のつもりだっ!!!!!!!!」


 波が引くように笑みが消え、一転してつんざくような怒声があがる。

 限界まで見開かれた瞳には、憎悪の炎が赤々と灯っていた。


「資格無く覚悟無く、運よく半端な力を得た程度で神気取りだと? 思い上がるな三流貴族どもがっ! この星を統べるに相応しい者は! 真に神と称えられるべきは! このぼく以外にいないのだっ!」


 叫びは空気を震わせ、鼓膜を震わせ、心の芯に叩きつけるような重圧を伴う。

 知らず、明は圧倒されていた。

 スクナヒコナの狂態……そして、中に潜む何者かの闇に。

 生々しい負の感情を間欠泉のごとく吹き上げる様は、ある意味では銃を突きつけられるより恐ろしいのだ。


「ああ……思い出したらまた鳥肌が立ってきた。何だってぼくがこんな奴の体を……恥ずべき不良品の体……汚らわしい下賤の血……ああああああああ不愉快だおぞましい虫唾が走る不敬不敬不敬不敬ぃぃぃぃ!」


 恨み事をつぶやく声はねじれ歪んで甲高い雄叫びに変わる。それはまるで聞き分けのない子供が癇癪を起こしているようだった。

 両手で顔を覆い隠し、爪先でぐしゃぐしゃとかきむしる。破けた頬からだらだらと血が流れ出ても、スクナヒコナは自傷を止めようとしない。


『うっ……』


 クロエがうめくような声を出す。

 顔にこそ出さなかったが、明も彼女と同じ感想を抱いていた。


「そのくらいにしておけ。借り物の体だろうが……!」


 自然と沸いた義憤を力に変え、明の足は前へと飛んでいた。

 さっきから不愉快不愉快と叫んでいるが、不快度指数で言えばこちらの方が遥かに上だ。狂人の愚痴ほど聞いていてむかっ腹の立つものはない。

 何よりこいつは危険な存在だ。

 強さではなく、その心根が。ひょっとするとタケミカヅチやニニギよりもずっと。

 今ここで滅ぼさなければ、間違いなく後の災いとなる。そういう確信があった。

 数秒でロータリーの半ばほどを通過し、一段とギアを上げる明。

 スクナヒコナの姿を十数メートル先に見据え……しかし、その視界が不意にぐらついた。


「っ!? あっ……!?」


 動転する体と心。意識がとめどなく回転し、巨大な渦の中で溺れているような感覚に囚われる。

 いつの間にか明の体は地面に横たわっていた。

 転倒したのだと気付き、起き上がろうとして、今度は激痛が襲ってきた。


「ぐああああああああっ!」 


『先輩っ!?』


 クロエの悲鳴が頭の中でこだまする。途切れがちに聞こえるのは、自分の意識が短い気絶と覚醒を繰り返しているからだ。

 体の内側をヤスリで削られるような痛み。それが全身の至る所を駆け巡っている。

 明に分かるのはそれだけだ。何が起きているのかも分からず、思考すら判然としないまま、苦痛だけが際限なく上乗せされていく。


「……くくっ」


 充血した視界にスクナヒコナの姿が映る。血まみれになった指の間から喜悦に染まった双眸(そうぼう)が垣間見えていた。

 これは異能だ。自分はスクナヒコナに攻撃されている。衰弱した脳細胞はかろうじてその結論を弾き出した。


『夜渚くん、早く起きるんだ! ぼやぼやしてると取り返しのつかないことになるよ!』


「その声は……木津池(きずち)、か?」


 クロエに代わって聞こえてきたのは切羽詰まった木津池の声だった。

 明は頭を押さえつつ、よろめく体を恐る恐る起こしていく。痛みは絶賛悪化中だが、木津池のただならぬ雰囲気が明を急き立てていた。


「木津池……俺は、何をされているんだ?」


『正確なところは俺にも分からない。だけど、おおまかな予測は立てられる。……"蟲"だよ』


「蟲だと? あの微生物が……?」


『伝承によると、スクナヒコナは医学薬学を司る神様だ。だから、彼女の操る異能もそれに関係したものである可能性は高い。つまり蟲は言葉通りの蟲じゃなくて──』


「……医療用の生体ナノマシンか!」


 ナノマシンとは読んで字のごとく、極小(ナノ)単位に小型化された自律機械の総称である。

 現段階ではどの国も実用化には至っていない机上の技術だが、人の手では不可能な超精密作業を可能にするナノテクノロジーは次世代科学の花形と言ってもいい。

 特にタンパク質を合成して作られる医療用ナノマシンは全世界で研究が進められており、ゆくゆくは手術を行わずして難病を治療する夢の技術として期待されている。


『自らの分身にも等しいナノマシンを生成する能力……それがスクナヒコナの異能だよ。夜渚くんの頭の中で聞こえていた声は、体内に侵入したナノマシンの仕業だったんだ』


「だいせいかーい。少しは頭の回る奴もいるみたいだね」


 耳障りな拍手に顔を上げると、スクナヒコナがわざとらしい微笑を浮かべていた。

 鳥居の柱に背中を預け、痛みに汗ばむ明の顔を舐め回すように見る。その目は自身の優位をまるで疑っていない。


「役立たずのスクナヒコナに残された唯一つのとりえ、それがこの蟲なのさ。基本的にはコソコソ嗅ぎ回ったり声を飛ばすことぐらいしかできないんだけど、この距離ならもうちょっとだけ強い力を出せる」


 軽やかに片手を振り上げ、指を鳴らす。

 その瞬間、息が止まるほどの激痛が弾けた。


「が、はっ!? ……っっ!!」


 がっくりと腰を折り、空咳のような吐息と胃液を地面に垂れ流す。スクナヒコナはうっとりとした表情で口元に手をやっていた。


「あははっ! 神経細胞を軽くかき鳴らしただけなのにずいぶんと辛そうだね。でも、こんなのはまだ序の口だよ」


 ふらりと前に歩み出て、掲げた指で頭を小突く。


「今、きみの(ここ)に全ての蟲を集結させてる。そいつらが血管を食い破って脳に入り込んだら……どうなると思う?」


「……さてな。どのみちそれを知る前にお前は死ぬ」


「できるかな? 間に合うかな? その強がりがいつまで続くのか、とっても興味が沸いてきたよ」


 その眼差しがゆっくりと細められ、氷のような冷たさを帯びた。


「せいぜい無様に喘ぐがいい。正気も枯れ果て、死の間際まで。それが王の行く手を阻んだ報いと知れ」


 ぞっとするような囁きが呪詛のごとく染み入ってくる。

 そこでようやく明は自分が標的にされた理由を思い知った。

 これはきっと復讐なのだ。いや、復讐と表現するのもおこがましい逆恨みか。

 この寄生体はあの日から今日まで、明に対する恨みつらみをひたすら濃縮させながら生を繋いできた。そして今、溜め込み続けてヘドロのよう腐った怒りをぶちまけているのだ。

 狂気的なエゴイズム。異常極まる思考回路。

 理解不能なものを前にすると人は恐怖を感じるというが、明の心を怯えさせているのはまさしくそれだった。

 この恐怖は元を断たなければ消えることはない。迫りくる死の足音から逃れるためにも、立ち向かうしかないのだ。

 意気を奮わせ、地面を強く踏みしめる。その先には無防備な体を晒すスクナヒコナがいた。


「馬鹿め、油断が過ぎるぞ!」


 周囲に伏兵の反応は無く、加えてスクナヒコナは油断しきっている。痛みをこらえて全力で走れば、二秒と経たずに敵を捉えることができるだろう。

 明は一気に距離を詰め、右手に練り上げた振動波を──


『駄目です先輩! 離れて!』


「──っ!?」


 その寸前、明の肩を柔らかい何かが叩く。

 それはヤタガラスの翼だった。


「クロエ? いったい何を……」


『敵の術中にはまらないで! しっかり見てください!』


 鋭い一声が明の頭を冷やし、その足が反射的に後ろへステップする。


「ちっ……」


 スクナヒコナが小さく舌打ちする。

 クロエに従いよく見れば、その腕先には薄いもやのようなものが染み出ていた。

 もやというか、泥だ。妙に黒ずんだ不定形の泥は、まるで生きているかのように微細な蠕動(ぜんどう)を繰り返している。


『さっきの台詞は全部引っ掛け(ブラフ)。敵の目的は夜渚先輩を殺すことなんかじゃありません。本当の目的は……先輩の肉体を奪うことです!』


次回更新は日曜の深夜遅くになると思います。

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