第十五話 導き手の憂鬱
今週末は少々忙しくなりそうなので、次回更新は金曜日に前倒しします。
大鳥居を後にした明は、針葉樹の古木に彩られた商店街を進んでいた。
砂利敷きの参道は一般道と並走しつつ東に伸びており、その終着点は大神神社の入り口に通じている。
雷雲は未だ上空に居座っているが、既に明は標的から外れている。雷の落ちる先はもっぱら後方、大鳥居の手前付近に限定されていた。
ここまで来れば追い立てる必要もない、ということなのだろう。
全ては明を孤立させるため。最初の襲撃からここに至るまで、状況は敵の思惑通りに進行している。
(少なくとも今は、だ。最後まで踊らされるつもりはない)
毒食らわば皿まで。行く手に罠があるのなら、叩き潰して踏み越えるだけだ。
「クロエ、生徒会の連中はまだ持ちこたえているか?」
心持ち速度を緩め、小脇に抱えたヤタガラスに語り掛ける。
短い鳴き声が聞こえた後、胸ポケットに入れたスマートフォンから本人の声が返ってきた。
『とりあえず連絡だけはつきましたが……かなり苦戦してるみたいです。こちらの攻撃が通じないらしくて』
「望美たちは?」
『鳥居の前でタケミカヅチに足止めされてます。けど……』
「けど?」
クロエは焦りを込めた口調で、
『はっきり言って戦いにすらなってません。完全なワンサイドゲームです』
「やはり落雷に手を焼いているのか?」
『それもありますが、単純に地力の差です。あの覆面男、本当にただの現神なんですか?』
「分からん。波動の質は他の現神とそう変わらないはずだが……」
これまで多くの現神と戦ってきたが、それらと比較してもタケミカヅチは別格だ。
強力な異能と尋常ならざるスピードを併せ持ち、その一太刀は鉄の柱を両断する。おまけに飛翔能力まで有しているのだから笑えない。
『……やっぱり駄目です。今からでも遅くありませんから、引き返して金谷城先輩と合流しませんか?』
「それができないということは鳥の目を持つお前の方がよく分かっているだろう」
先ほどクロエに確認してもらったことだが、鳥居付近の主だった路地は瓦礫によって封鎖されていた。
車や家具を雑に積み上げただけの簡素なバリケードだが、雷によって着火されたそれは人一人の通行を妨害するには十分すぎるほどの勢いで燃え盛っていた。
バリケードの材料は近くの家から調達してきたのだろう。だからこそ、鳥居の倒壊という大惨事が起きてなお近隣住民の姿が見えないのだ。
「もはや遠回りをしている時間はない。今から取り得る最善の行動は、この先にいる寄生虫野郎を瞬殺してタケミカヅチを弱体化させることだ」
『それこそ非現実的です。夜渚先輩お一人で現神を倒せるとでも? 仮にできたとしても、それまで他の方が生きていられる保証はないんですよ』
「保証はない。だが信頼はある」
『詭弁です。屁理屈です。現実逃避です。いいですか先輩? 運命っていうのは先輩のおめでたい願望をいちいち忖度してくれるほど甘いものじゃないんです』
「運命などどうでもいい。俺は知っているだけだ。あいつらの強さをな」
それは願望というより半ば確信に満ちたものだった。
望美たちは強い。
彼女たちには力があり、力を扱う知恵があり、その二つを根底から支える強い意志を持っている。
それは言い換えれば、人が依って立つために必要不可欠なもの。心の中にある、折れない何か。
明がかつて失い、取り戻そうと誓ったもの。
今夜集った荒神たちは、皆それを持っているのだ。
『……はぁ、分かりましたよ』
すねたようなため息と同時、腕の中から抜け出したヤタガラスが空に舞い上がっていく。
『でしたらそういう方向でサポートしますけど、どうなっても知りませんからね。博打を打ってることに変わりはないんですから』
「心配性な奴だな。慎重なのは良いことだが、安牌だけでは勝負に勝てん。時には大胆な戦略も必要になる」
『それくらい分かってますよ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて……』
言葉が途切れる。
ややあってから聞こえてきた声は、やけに弱弱しいものだった。
『私にとって、他人は不確定要素なんです。何を考えてるか分からないし、どこまで信用できるのかも分からない。だからいつも最悪の事態を想定しておくべきなんです。そうしないと、』
「しっぺがえしを食らう、か?」
クロエは答えず、そのまま質問で切り返す。
『夜渚先輩にはありませんでしたか、そういうこと? それとも先輩みたいな人はいつもぼっちだから人と関わる機会もありませんでしたか?』
「あるぞ。たった今」
『やたらと皮肉で返すのはまっとうなコミュニケーションに慣れてない証拠です』
「お互いにな」
皮肉を皮肉に重ねてから、明は頬を緩めた。
おかしなものだ。世界の存亡を賭けた戦いの真っ最中だというのに、ここにいる自分は後輩の少女と青臭い話で盛り上がっている。
何だか突然自分が等身大の学生に戻ったような気がして、すぐに考えを改める。
戻ったのではない。最初からそうだったのだ。
むしろ荒神としての有り様こそが非日常であり、明自身は異能に目覚める前と変わらず子供のままなのだ。
なら、世界がどうとかいった大仰な話よりも、こういった話の方が身の丈に合っているのかもしれない。
「……だが、話の続きはもう少しお預けだな」
参道を抜けたところで明の足が止まる。
道の終端にはバスケットコート二つ分ほどのロータリーがあり、その奥には境内へと続く林道が見える。
そして、林道の入り口にそいつは立っていた。
「今一度問おう。お前は誰だ」
鋭い視線を向ける明。今度は念話ではなく肉声が返ってきた。
「型落ち風情に名乗る名はないね。でもまあ、"これ"の名前なら教えてあげてもいいよ」
少女は己の頬に指を立て、くくっと喉を震わせた。
「忌むべき落とし子にして最弱の現神──スクナヒコナさ」