第十四話 分断
「お前、は……!?」
鼓膜を介さず届けられる不可思議な声。あるいは現実感のある幻聴。
明がそれを聞くのはこれで三度目となる。
一度目は猛が乗っ取られた時。二度目は倶久理から逃げ回っていた時。いずれの時も、声は的確な助言によって明を導いてくれた。
しかし、今回は何やら雰囲気がおかしい。
声色は紛れもなく同一人物のものだが、口調の端々には吐き気のするような悪意が滲み出ている。
たとえるなら清流に投棄された廃油。本来は美しくあるべき存在が異物によって台無しにされているような──そういった冒涜感をひしひしと感じるのだ。
そして、その嫌悪感こそあの時の猛に感じていた違和感に他ならない。
ゆえに明は、瞬時に豹変の理由を理解することができた。
「お前が三体目か、寄生虫野郎」
"王の器"なるものを求め、猛の体を付け狙う正体不明の寄生体。思い当たるのは奴以外にない。
明は声を低めて剣呑な息を吐く。返ってきたのは不愉快に間延びした声だった。
『ウジ虫風情がこのぼくを寄生虫呼ばわりとはね。ここまで愚かだと呆れを通り越して哀れみすら感じるよ』
「何から何まで他人任せの卑怯者に相応しい二つ名だろう。まさか現神にまで手を出すとは思わなかったぞ」
"蟲"とやらを扱う力に念話能力。どちらも前回戦った時には無かったものだ。
つまりこいつは、猛にしたのと同じように仲間の体を乗っ取ったのだ。
それもこれも全ては自分のために。おそらくは王の器を手にするために。
「俺が嫌いなものは三つ。偉そうな奴と自分勝手な奴と他人を踏みにじる奴だ。泣いて喜べ、オールコンプリートしたのはお前が初めてだ」
『下民の尺度で測らないでほしいな。王道の礎となるのは臣下の誉れでしょー?』
「外道が王を語るか!」
『下郎が王を謗るな!』
頭上で風が動いた。
明は跳ねるようにその場を離れ、直後に大きな影が降ってきた。
「タケミカヅチかっ!」
明が地面に伏せるのと、タケミカヅチが刀を振るうのはほぼ同時。
音無き一閃。速過ぎる斬撃は風鳴りすら生み出さない。
音が生まれるのはその後だ。刀の軌跡が刹那の真空を作り、流れ込む空気がぶつかり合って爆散する。
そして暴風が起きた。
「うおおおおっ!?」
吹き付ける風に自由を奪われ、タンブルウィードのように転げ回る。
勢いが収まった頃には大鳥居の向こう側まで押しやられていた。
『先輩、大丈夫ですか!?』
「盛大にぶっ飛ばされたが直撃はしていない。……とはいえ、若干想定外の威力だった」
飛んできたヤタガラスを肩の上に乗せ、地面の上から起き上がる。
「ぶっちゃけて言うと刀の動きが全く見えなかった。雷だけでもヤバいのにスピードも斗貴子並とかマジでなんなんだこいつは……」
『だから一人で突っ走るなって言ったんですよ。大人しく防戦に徹して味方の到着を待ってください』
「そうしたいところだが……もう手遅れだな。奴を見ろ」
タケミカヅチはこちらに目もくれず、明後日の方向に刀を振りかぶっていた。そこにあるのは大鳥居の柱だ。
先ほどよりは遅く、さりとて高速の横薙ぎ。
直径三メートルを誇る合金製の柱が、軽い金属音を残して両断される。
やや斜め気味に切れた柱は切断面をゆっくりと滑り降り、その大きな上体をこちらに傾けていく。
『鳥居が──!』
うねるような地響きと共に、倒れてきた鳥居が道路を塞ぐ。
元来た道もタケミカヅチも今や瓦礫の向こう側。自分は完全に戦場から弾き出されてしまった。
だが、明にはそれを嘆く暇すら与えられない。空に轟く重低音と光の明滅は、すなわち雷の産声だ。
『先輩、走ってください!』
天上からの雷撃は先ほどより頻度を増し、明の後を執拗に追ってくる。
明は逡巡するように振り返り、しかしすぐさま踵を返して走り出した。その足は三輪山の方に進む。
『ちょ、ちょっと! 確かに走れとは言いましたけど、三輪山に向かってどうするんですか! 先輩はタケミカヅチを倒しに来たんじゃないんですか!?』
叱責するようなクロエの声。明は軋むほどに歯噛みした後、かろうじて声を出した。
「死ぬほど口惜しいが、これ以外に道がない。おそらく近場の迂回路は全て潰されている」
『……どういうことですか?』
「アホが見え見えのエサに釣られて誘き出されたということだ。光栄なことに、あの寄生虫野郎自ら俺の相手をしてくれるらしい」
タケミカヅチは明のことを第二目標と言っていた。それは要するに、おそらく第一目標である猛に次ぐ重要度ということだ。
理由は分からないが、ロクでもない理由だということだけは分かる。頭の中で反響する薄ら笑いは不愉快極まりなく、同時にクリスマスプレゼントを待ち侘びる子供のように無邪気なものだ。
上等だ、とつぶやきながら、明は決意を固める。
落雷を放つタケミカヅチと、雷を誘導する"蟲"の使い手。どちらか一方を倒せば落雷攻撃の脅威は無くなり、当初の目的は達成できる。
何より水を差されたことで、今は復讐心より疑問と興味が勝っていた。
憑りつかれた第三の現神。たびたび明に呼びかけてきた声の主。
そして、現神すら乗っ取ることのできる異質な寄生体。
未だ知らぬ真実の断片が、その先にある。
生まれた好奇心は活力となり、明の足をさらに加速させていった。