第十三話 三つの脅威
燻るように黒煙を上げる車体。
炭化したフレームの表面には青白いスパークが這い回り、たき火の爆ぜるような残響を奏でている。
「……雷」
明はぽつりと言葉を漏らす。
だが、彼の意識は既に車から離れていた。ぎらつく瞳は舞い散る砂塵の向こう側、三輪山の方へと向けられている。
「夜渚くん……?」
望美が不審そうに覗き込んでくるが、明は反応を返さない。
そして次の瞬間。彼は突き動かされるように駆け出していた。
それはほとんど無意識の行動だった。面白いように呼吸を乱し、たびたび足をもつれさせ、脇目も降らずに走る。
十メートル先すら見えぬ砂嵐の真っ只中。それでもナキサワメの力は必要な情報をはっきりと伝えてくれる。
倒すべき敵の居場所を。
忘れもしない、その波動を。
奴の再来を。
──今度こそ、この手で。
そう思った時。
『このっ……止まりなさーい!』
不意に来た怒鳴り声が過熱気味の思考に割り込んできた。
声の源を辿ると、左手に持つスマートフォンに行き着いた。どうやら通話状態のまま握りしめていたようだ。
「クロエか。今俺は非常に忙しいんだが何か用か?」
『用か? じゃないでしょうがこのアホタレ先輩! 何一人で突っ走ってるんですか!?』
「敵を迎え撃とうとしているところだ。それに何か問題が?」
『ありまくりです! 正確な状況を把握する前にウロウロされるとナビゲートの手間が指数関数的に増加するんですよ!』
電話の向こうで机を叩く音が聞こえ、木津池が恐怖に息を飲む音も聞こえた。
だが、明が足を止めることはない。今に限って言うならば、理性と感情の両方が前に進めと告げているのだから。
「状況の把握ならもう終わっている。周囲にいる現神は三体。一体は砂を操る奴で、もう一体は雷を操る。三体目の能力は分からんが、最優先で対処しなければならないのは──」
直後、明は道路端の草むらに転がった。
起きる間もなく、二度目の落雷。衝撃が道路をかち割り、アスファルトに深い爪痕を残す。
「──奴を置いて他に無い!」
見上げた空には砂の天蓋。それを越えた先には厚みのある曇天が広がっている。
「雷雲のエネルギーを利用した遠距離攻撃だ。自然発生する雷に指向性を与えただけだから、術者の負担は無いに等しい。もたもたしているといくらでも落ちてくるぞ」
『そうは言っても、残りの二体はどうするんですか? 砂の現神だって放置していい存在じゃないでしょう!』
「生徒会に任せるしかないだろう。というか、そうせざるを得ない。……見ろ」
近くを飛ぶヤタガラスの一羽に目を合わせ、背後をあごで示す。
砂嵐はいくらか収まってきたようだが、それは敵が攻撃の手を休めたからではない。嵐の中心が後方へと移動したからだ。
振り向き、視線を上げた先に見えたのは、激しく渦巻く砂の結界だった。
中には現神らしき強力な反応が一つ。生徒会の反応もその近くにある。
「空の見えない状態では落雷の兆しを察知することすらままならん。だからこそ、自由に動ける俺たちがアレを止める必要がある」
『でも、夜渚先輩は砂嵐の中でも避けてましたよね?』
「雷雲から放たれる電波の量に変化があったからな。他の奴には真似できんやり方だ」
『……素直に感心しました。ひょっとしてラジオも聞けたりするんですか?』
「できるわけがないだろう。……たぶんな」
明は足を速め、その後をヤタガラスが追従する。
砂嵐の影響範囲を逃れると、閉ざされていた視界が徐々に明瞭になってきた。
あたりには広い交差点があり、東側の道をまたぐようにして鋼の鳥居がそびえている。
全高三十二メール、幅は二十メートルを超える日本最大級の大鳥居。大神神社の玄関口だ。
鳥居のさらに奥、三輪山のふもとには二つ目の反応がある。遠すぎて姿は見えないが、今のところ近付いてくる気配はない。
だが、そちらに関してはどうでもいい。明が追い求めてきた三つ目の反応は、鳥居の上に立っているのだから。
「第二次目標・夜渚明を確認。行動方針を変更する」
平坦で、無感情で、温かみの欠片もない声。いや、それは声というより音といった方が正しいのかもしれない。
そこにいたのは異様な雰囲気を漂わせる大男だった。
白の麻布で全身を覆い、袖口からは白銀の刀が鋭い切っ先を覗かせている。
覆面の上からでは素顔など知る由もないが、こちらを見下ろす男の視線には無機質な殺意が感じられた。
「ようやく会えたな、タケミカヅチ!!」
天を睨め上げ、夢にまで見た仇敵の名を呼ぶ。
獰猛に緩む口元。脳内麻薬がシナプスを刺激し、明の意識を沸騰させる。
ついに、という思いが彼をいっそう高揚させ、しかしその一方で冷静さを呼びかける自分がいた。直後の事態に反応することができたのは、ひとえにその恩恵と言えるだろう。
『先輩っ!』
クロエの声と重なるようにヤタガラスがいななく。ガラスのような瞳は明の頭上を見つめており、それが示す意味は明白だった。
「はっ──!」
足を蹴り出し前転回避。ほとばしる閃光と熱を背後に感じながら、明は無人の車道に身を躍らせた。
可能な限り体を屈め、次々と落ちてくる雷から逃げ回る。その狙いは正確無比であり、足を止めればたちまち体を焼き尽くされるだろう。
紙一重の先にある死。戦慄と同時、明はその正確さに妙な違和感を覚えていた。
上空遥か数千メートルが始点であるにも関わらず、落雷は一メートルのズレもなく明を追尾している。いくらタケミカヅチの異能が強力でも、さすがにこの精度は異常だ。
それに、よく考えてみれば最初の落雷もおかしい。
砂嵐によって視界が遮られていたのは向こうも同じのはずだ。だというのにタケミカヅチは、砂嵐の中にいる毘比野の車を一発で撃ち抜いてみせた。
明らかに何らかのからくりが働いている。この状況の裏には、相手の位置を割り出し雷を誘導するような何かが隠れているのだ。
「クロエ、近くに何か見えないか!?」
『見えません、というか後にしてください! こっちだって避けるのに手一杯なんです!』
一人と一羽は右に左に走りつつ大鳥居への距離を縮めていく。
周囲は今や爆心地のような様相を呈しており、道路のいたるところに穴ぼこが出来上がっていた。
タケミカヅチは微動だにせず、地上の騒ぎを目で追うだけだ。
落雷の制御に専念しているのか、単に明を侮っているだけなのか。見れば見るほどこの男の内面が分からなくなっていく。
「まあいい。それもこれも暴いてやれば済む話だ」
ひとまず車道の脇に逸れ、転がり込むようにして電柱の陰に身を隠す。
そして雷。避雷針の役目を果たした電柱は一瞬にして爆散するが、その犠牲は明に十分な時間を与えてくれた。
(クロエに見えないということは、必ずしも目に見える何かではないのかもしれん。なら、俺の異能で探した方がいい)
精神を集中し、次の落雷が来るまでのわずかな時間を探知精度の向上に充てる。
漂う電波に命の波動、風の生み出す波紋。その一つ一つを細かくより分け、分析していく。
その間、コンマ八秒ほど。だが、それで十分だった。
明の異能は、彼の周りを飛び回る姿なき敵の存在を掴むことができたのだ。
「これは……微生物か?」
疑問を口にし、虚空に焦点を結ぶ。
目を凝らしても何もない。が、そこには確かに、かすかな波動を放つ生物が大量に漂っている。それがノミのように小さかったがために、肉眼で見ることは叶わなかっただけ。
「なるほど。こいつらが蚊柱のように寄り集まって雷の通り道となっていたわけか」
いわば移動する避雷針。そんなものが頭の上を漂っていれば、どこまで逃げても落雷から逃れることはできないだろう。
これについてはおおよそ予想通り。おそらくこれが三体目の異能であることも明には分かっている。
だが、次に起きた事だけは完全に予想外だった。
『なーんだ、もう"蟲"に気付いちゃったの。相変わらず野良犬みたいに鼻が利くんだねー』
頭の奥に響いてくる少女の声。
鈴鳴りのような高音は、明を二度も助けたはずの"謎の声"だった。