第十一話 電気の伝奇・下
「荒神狩りが二千年前から行われていただと……!?」
唐突に現在とリンクし始める過去。明は思わず立ち上がり、木津池の方に身を乗り出した。
「なら、この事件はかつて起きた惨劇のやり直し……いや、続きなのか? 連中は気の遠くなるような時を経てなお反省しなかったのか?」
「まったくもってそういうことらしい。ロマンチックな表現をすれば"時を超えた願い"ってやつだね」
木津池はお茶目に肩をすくめてみせる。が、すぐに不謹慎だと気付いたらしく、ごまかすように続きを急いだ。
「か、神を自任してきた現神にとって、自分たちが半端者であるという事実は受け入れがたいものだった。加えて、後継種の荒神が台頭してきたことも彼らのコンプレックスを刺激した。
そうしてある時、彼らは思いついたんだ。『今からでも遅くない。未完成のこの身を真なる神へと作り直そう』……ってね」
「それが新たな神代か」
「当時はそこまで具体的な案が固まってたわけじゃないと思うけどね。彼らはただ純粋な向上心を糧に研究を続け、明け暮れ、没頭し、傾倒し……それはいつしか妄執となった」
そこから先は話を聞くまでもない。
遅々として進まぬ研究。追い詰められた者は、概して周囲が見えなくなるものだ。
永き寿命を持つ現神といえど、その精神は人間のままだ。深い焦りと苛立ちは、彼らに越えてはならない一線を越えさせてしまう。
「彼らが目指すのは現神を超える究極の生物だ。高天原の超科学をもってしても、シミュレーションや動物実験だけではいずれ限界が来ることは目に見えていた」
暗にほのめかすような言い草。
望美が嫌悪感を抑えるように目を伏せ、口元に手を当てる。
「だから荒神を……自分たちの仲間を実験材料にしたの? 信じられない」
「さっきも言ったけど、荒神の細胞は現神や八十神より安定しているんだ。さらなる完成度を求めて荒神のDNA構造を解析するのは理に適ったやり方でもある」
「だけど、それは本来の目的と矛盾してる。彼らが現神になったのは国民を平和的にまとめ上げるためでしょう?」
「なのに今度は、個人的な欲望のために民を犠牲にしてる。客観的に見るとおかしいよね」
「己はむしろ得心がいったがな。見下すことに慣れきった暗君が手段と目的を逆転させる例など、人の世にはありふれている」
武内はそれ見たことかと言わんばかりに鼻で笑い、手にしていたヤサカニを懐に戻した。
「どうあれ反乱は起きた。人々は悪魔に魂を売った支配者たちを封印し、高天原が築いてきた多くの技術を闇に葬った。それから二千年、時の重みが真実を覆い隠してしまった頃、奴らは再び蘇ったのだ」
荒神ニニギによる現神の解放。彼もしくは彼女は飛鳥地方のいずこかに封じられた現神を見つけ出し、何らかの方法で彼らの忠誠を得た。
ニニギの正体は今もって謎のままだが、その目的だけははっきりしている。
新たな神代──真なる神の創成。
明が思うに、ニニギは荒神でありながらそのおこぼれにあずかろうというのだろう。
「さて、ここからは現代の話。目覚めて早々様変わりした地上に放り出された現神だけど、そこで待っていたのは苦難だけじゃない。時の流れは彼らに思わぬ贈り物を与えてくれた」
木津池が気持ちを切り替えるように手拍子を打つ。
「二千年という長すぎる休止期間、いやさ発電期間は、大和三山に途方もない電力を蓄積させていた。ひょっとすると現神を生み出した時より強力な電磁波を扱えるかもしれない。何より、この時代には彼らの企みを知る邪魔者が存在しない」
「あらら、ここに来て最高の条件が揃っちゃったわけですか。まさに果報は寝て待てですね」
斗貴子が能天気に笑う。ただ、目は全く笑っていなかった。
「それからそれから? 荒神狩りを再開して、好き放題に研究を進めて、めでたく究極完全体だか何だかに成り上がるのが現神の悲願ってわけですか? 幼稚過ぎて笑い死にしそうなんですけど」
「無論、その後はこの国の玉座に返り咲くつもりなのだろうよ。奴らを動かしているのは今も昔も虚栄心だけだ」
武内が侮蔑を露わにしながら同意する。だが、木津池はその言葉を否定した。
「残念だけど、彼らが考えてるのはもっとおぞましくてスケールの大きいことだよ」
「ふーん。もっとっつーと、世界征服とかか?」
「神になるのは現神だけじゃない。白峰さんの情報が本当なら、次の神産みはかつてないほど大規模なものになる」
「数多の人々を神に変え……だったか」
一連の流れからして、真なる神もまた電磁波を使って生み出されることは想像に難くない。
その際、事情を知らぬ一般人も無理矢理儀式に参加させられるのだろう。善意のつもりか知らないが、はた迷惑なことだと明は閉口する。
(しかし……"おぞましい"とはどういうことだ? 相手の同意も得ずに神化させるのは確かに人権無視だが、それなら普通傲慢とか身勝手と表現するだろう)
日頃から大げさなことばかり言う木津池だが、さすがにこの状況で事実とかけ離れた言葉選びをするほど阿呆ではない。
「木津池、もっと具体的に言え。奴らの研究が完成した時、この町で何が起きる?」
木津池の表情から色が消える。
彼はこちらを真っ直ぐ見つめると、彼らしからぬ低い声で語り始めた。
「基本はこれまでの神産みと同じさ。遺跡の電気を利用した電磁放射でDNAを変異させる。問題は、その効果範囲が市内全域……下手すると日本全土にまで及ぶかもしれないってこと」
「……洒落にならんな、それは。この国がガチで"八百万の神の国"になってしまうのか」
「なるわけないだろぉ! ほぼ確実にそうならないからマズいんだよ!」
突如、火が点いたように声を爆発させる木津池。その顔に浮かぶのは恐怖だ。
「考えてもみなよ! 高天原の民に限定した従来の電磁放射でさえ、彼らは望み通りの結果を得られなかった! 混血によって多様化が進んだ今の人類相手に同じことをしたら、間違いなく大量の犠牲者が出る!
神になれるのはほんの一握りの適合者と、元から因子を保持している荒神だけ。残りの者は細胞が耐えきれずに溶けてしまうか、全身が癌と化して物言わぬ肉塊となる!」
「なにぃ!?」
絶句する一同。興奮した木津池はますます早口になり、
「それだけじゃない。強力な電磁波はプレートのひずみを刺激し、急激な地殻変動を引き起こす。複数のプレートがひしめき合う日本でそんなことが起きればそれこそ一大事だ。地球全体のバランスが乱れ、火山は噴火し地軸は狂い、ありとあらゆる天変地異が同時多発的に人類を襲う!」
一息で言葉の機銃掃射を終え、肺に空気を再装填。そうして木津池はとどめの引き金を引いた。
「この災厄を生き延びられるのは、電磁波の選別を乗り越えて進化できた者だけだ。……分かったかい? 下等種である人類を抹殺し、神々だけの楽園を作る……それが新たな神代の正体なんだよ」
明は目まいのするような不快感にさいなまれていた。
既存の文明、既存の生物、全てが死に絶えリセットされた世界。
現神はそこに新たな千年王国を打ち立てるつもりなのだ。選ばれし完全なる神々と共に。
(とても元人間の考えることとは思えん。……現神、お前たちは体だけでなく心まで怪物となってしまったのか?)
力は人を狂わせる……今なら武内の言っていたことが理解できるような気がした。
言い知れぬ寂寥感に襲われ、己が拳に視線を落とす。
愚か者と馬鹿にすることはできない。同じく力を持つ明にとって、現神の暴走は他人事ではないのだ。
いつかは自分も、この力の重みを忘れてしまうのだろうか? そう考えるだけで、背筋が寒くなった。
驕るな。嗤うな。他山の石とせよ。
心の奥に言い聞かせ、顔を上げる。今は目の前の試練に備えるとしよう。
気持ちと視線を戻すと、ちょうど黒鉄がぼんやりとした口調で意見をしていた。
「その、話がドチャクソぶっ飛びすぎていまいちピンとこねえんだがよ。大和三山の電磁波がヤベーってんなら、先に山を壊しちまえばいいんじゃねえか?」
黒鉄にしてはそれなりに冴えた理屈だ。山を丸ごと壊すのは無理だとしても、地下にある遺跡の機能を停止させてしまえば敵の計画は破綻する。
「黒鉄はこう言っているが……武内、実際にそういうことは可能なのか?」
「過去の遺物とて高天原製だ。近代兵器による破壊は不可能に近い。もっとも、できたとしてもやるべきではないが」
「なぜだ? まさか歴史的価値がどうとか言うんじゃないだろうな」
「痴れ者が」
武内は眉じりを下げて呆れ顔になると、
「その貧相な脳みそを働かせてみるがいい。遺跡を破壊すれば、そこに蓄えられていた電気はどうなる?」
「そりゃあ……放電して消えていくんじゃないか?」
「然り。二千年分の大電力は周辺一帯の土地を焼き尽くしながら四方に散りゆくであろう」
「大惨事。やらかしちゃったね、夜渚くん」
「案を出したのは黒鉄だ。俺は悪くない」
憮然としつつ望美から顔を背ける。が、すぐに振り向き、
「それなら遺跡の制御権を奪ってしまうのはどうだ? 電気があっても肝心の遺跡が動かせなければ手も足も出まい」
「今までの遺跡に制御装置なんて見当たらなかったけど……」
「他の場所から一括して遠隔操作していたんだろう。おそらく市内のどこかにコントロールセンター的な遺跡が隠されているはずだ」
「どこかって、どこ?」
「……どこかは、どこかだ」
そして明はまた顔を背ける。失望の視線を向けられるのが辛かったのだ。
しかし、ここで思わぬ方向から助け船が入る。
それは門倉だった。
「ねえ会長。私たちが調べてたのって、もしかしてこれのこと?」
「察しがいいな。いかにもまさしく、此度の調査はそのためにあった」
「おい、二人だけで完結するな。これとかそのとか言われても分からんぞ」
「ああ、ごめんごめん。私たちが言ってるのは……っと、はいこれ」
言いつつ、門倉は制鞄から折り畳まれた紙切れを取り出した。
光沢のある紙に印刷されていたのは、奈良県北部の地図だった。
「私たち、ここ何日か休んでたでしょ? 学校サボって何してたのかっていうとね、荒神の住んでる地域を調べてたのよ」
「さる情報筋から聞いたことがあるな。市外にある住宅を重点的に巡っていたと」
「……はー、相変わらず変なツテを持ってるのね、夜渚くんって」
門倉は感心半分警戒半分といった様子だった。
情報元がクロエであることに気付いてはいないようだが、この分だと気付いても怒りはしないだろうなと明は勝手に思っていた。
「まあいいわ。それで話の続きだけど」
テーブルの上に地図が広げられる。
地図上には多数の○印と×印が書き込まれており、おそらくこれが荒神たちの職場なり自宅なのだろう。
「印が二種類あるが……これはどういう違いだ?」
答えはほとんど分かっているが、確認のために聞いてみる。門倉は想定していた答えをそのまま返した。
「○は生きてる状態で会えた人。×は……会うことができなかった人」
行方不明者。狩られた荒神。つまりは犠牲者の証。
数えるまでもなく圧倒的に×の方が多い。中には○の上から斜線が引かれているものもある。
生徒会が見つけていない荒神も含めると、犠牲者はかなりの数になるだろう。
それはともかく、明の興味を引いたのは荒神の分布だ。
やや東寄りにズレてはいるものの、大抵の荒神は橿原市内……それも大和三山周辺で生活していることが分かる。
「そういえば……前にも言っていたな。橿原市で荒神化する者が急増している、と」
「ええ。あの時は大和三山が怪しいぐらいにしか思わなかったけど、今ならはっきりと分かる。現神は大和三山から電磁波を発することで、人々の中に眠る荒神因子を目覚めさせていたのよ」
この二千年、荒神たちは人と交わることで子孫を残してきた。
おかげで荒神因子は広く万民に行き渡ったが、多くの者はその才能を眠らせたまま生涯を終える。
しかし、それではあまりにも都合が悪い。
現神としては是が非でも彼らに力を披露してもらいたいのだ。そうすることで初めて獲物の居場所が判明するのだから。
明が納得したところで、今度は武内がテーブルに寄って来た。太い指が降り立つのは大和三山のほぼ中心だ。
「貴様らが活動を始める少し前のことだ。荒神増加のメカニズムに気付いていた己は、橿原市を中心に活動することが多かった。荒神にしろ現神にしろ、最も遭遇率が高いのはこの近辺だからな」
だが、と続け、
「己の行動は現神に読まれていた。そして奴らは姑息にも狩場を変えた」
「どこにだ?」
「東だ」
指先がずずいと動き、地図の右側に進んでいく。それは大和三山を遠く離れ、橿原市を離れ、隣の桜井市まで来て止まる。
橿原市に比べれば少ない方だが、桜井市内にも印は付いていた。
ただし、こちらは全て×印だ。
「桜井市に目を向けた時には遅かった。己は自らの不甲斐なさを恥じ、しかし同時に"おかしい"と思った」
「……あ、言われてみれば」
傍で見ていた望美の瞳が理解の色を得る。
「こんなに三山から離れてるのに、桜井市だけ荒神が多すぎる。北にある天理市とか西の大和高田市だって同じくらい大きな都市なのに、そっちにはほとんど荒神がいない」
「つまり、桜井市にも電磁波の発生源があるのか……!」
意外な場所に隠された四つ目の振動発電所。もしそんなものがあるとすれば、そこに制御装置がある可能性は低くない。
異能の覚醒に関わる重要施設の探索とくれば、武内が秘密主義を徹底するのも頷ける。こんなものの存在をどこかの組織が嗅ぎ付ければ、悪用されることは明白なのだから。
問題は、それが桜井市のどこにあるのかという点だが……。
「ふん、どうやら俺たちの出番が回ってきたようだな」
声の主は少し調子の戻った毘比野だった。
彼はコートの中から似たような地図を取り出すと、テーブルの上に並べる。
門倉のとは違い、こちらに書かれているのは小数点交じりの数値ばかりだ。どことなくラジオの周波数のようにも見える。
「桜井市の失踪者数については俺も怪しいと思っていた。橿原市ほどじゃあないが、それでも目を引く数字だったからな」
「段々読めてきたぞ。それを木津池に教えてやったらついでとばかりにタクシー扱いされたんだな?」
「はっ! それならどれだけ気が楽だったか!」
毘比野はヒステリックに嘆きつつ、
「この野郎、俺の車に妙ちきりんなアンテナなんぞ取っ付けやがって! おかげでやたら目立つわバッテリーは上がるわ痕は残るわで踏んだり蹴ったりだ!」
木津池を怒鳴りつけた。が、当の本人は平気の平左でうそぶくだけだ。
「ま、ま、ま、ま。ちゃんと成果はあったんだし今さら文句はなしってことで、ここは一つ……ね?」
「車の話はどうでもいいが……結局木津池は何を調べていたんだ?」
「またまたぁ。言わなくても分かってるんじゃないのお? マイソウルメイト?」
「頼むからお前と一緒にするのはやめてくれ」
とは言ったものの、明は木津池の言葉を完全に否定できなかった。
木津池は自作のアンテナを使って、スマートフォンの電源を切りながら調査を進めていた。
地図上の各地点には周波数らしきものが書き込まれており、おまけに今の話題は"荒神化を誘発する電磁波"だ。
「見つけたのか?」
「正確には"やっぱりそうだった"かな? 俺はね、もう何年も前からあの場所に目をつけてたんだ」
油性マーカーを手にすると、門倉の地図に線を引いていく。
耳成山から南西の畝傍山へ。それから天香久山へと。
「……話は変わるけどさ。夜渚くんは初めて会った時に俺が話したこと、ちゃんと覚えてる?」
「おぼろげにはな。日本にもピラミッドがあるとか、そういった類の妄言を吐いていたような記憶がある」
「イエス。偉大なるピラミッド研究家・酒井勝軍が提唱する"ピラミッド日本起源説"だね」
当時は半信半疑だったが、彼の嘘くさい説は事件の解明を大いに押し進めてくれた。
明はあの言葉を頼りに調査を進め、大和三山全てが古代遺跡そのものであるという真実に辿り着いたのだ。
「念のためにおさらいしておくと、三つの山は畝傍山を頂点とする二等辺三角形を形作っている。だからこそ俺は耳成山の特異性に気付くことができたんだ」
マーカーはそれぞれの山頂を一筆で繋ぎ、綺麗に整った三角形を完成させる。
しかし、木津池の手はそこで止まらなかった。
「実はね、この地方にはもう一つの二等辺三角形が隠されているんだよ」
耳成山に戻ってきた線が別の方向に向かっていく。
畝傍山の真逆──桜井市が位置する北東へと。
「酒井勝軍はその生涯で多くの日本ピラミッドを発見してきた。そんな彼が名指しで『間違いなくピラミッドだ』と断定した山が桜井市に存在するんだ」
今度は天香久山から北東に。
迷いなく突き進む直線は耳成山から伸びる線に近付いていき、とある山の上で交差する。
そして完成するのは、大和三山と対になる"影の二等辺三角形"。
「国内最大級の宗教施設"大神神社"を擁する霊峰──三輪山だ」
画像は国土地理院の使用許可ガイドラインに添ったものですが、万一問題がありましたらご報告ください。