第八話 現/人/神
「お疲れ様、明。君ならやってくれると信じてたよ」
「それはどうも。無二の親友にそう言ってもらえると感動もひとしおだなハッハッハ」
輝くような笑顔に対し、これでもかというぐらいの嫌味で応じる。
生徒会室に戻ってきた明を出迎えたのは、のんびりゆったりティータイムを楽しむ猛と斗貴子だった。
「俺たちが必死こいて戦っている間に随分といい思いをしていたようだな。人の喧嘩を肴に食う茶菓子は美味いか?」
「んー、私バター菓子って脂っこくて苦手なんですよね。次からはあっさり系のお菓子も置いてほしいなーなんて」
「そういうことは武内に言え。腹に溜まったバター菓子が口から出てくるように協力してくれるぞ」
いやーんと言いつつ大げさにその身をよじる斗貴子。もういちいち反応するのも面倒くさくなってきた明は彼女の脇を通り抜け、どっかりと椅子に腰を降ろした。
戦いは終わった。しかし、これからどのような展開になるのかは自分にも分からない。
果たして武内は真実を語るのか。あれだけ頑なな態度を示していたのだし、万が一にも約束を反故にすることがないとは言いきれない。
だがまあ……今になってそんなことで気を揉んでも仕方ない。
やるべきことはやった。後はなるようになれだ。
椅子の背もたれに体を預け、長い吐息を立ちのぼらせる。
そうして疲れを癒すこと数分。残りの者たちも後始末や応急手当を終え、徐々に生徒会室へと集まってくる。
まずはクロエと門倉が。もうすっかり気が抜けているのか、他愛もない世間話をしながら部屋に入ってきた。
続いて望美と倶久理。こちらは何やら真面目な顔で密談を続けているが、「十三階段」とか「呪い」といった単語が聞こえてくるあたりロクでもない話題であることは間違いない。
それから少しの間を空けて、黒鉄が腹をさすりながらやってきた。ただでさえガラの悪い彼が痛みに顔をしかめる様は、縁日で売られている鬼の面を彷彿とさせた。
そして最後は武内と、三歩後ろにたんこぶをこさえた蓮だ。
「皆、揃っているな。では始めるぞ」
全員が着席したことを確認すると、武内はホワイトボードの前に歩み出た。
真横に強く腕を張り、その勢いでマントをぴしゃりと打ち鳴らす。その場にいる者たちの視線を一心に集めながら、よく通る低音を響かせる。
「まずは役員たちに謝罪しておく。己の考えが至らぬばかりに無用な混乱と疑心を招いてしまったようだな」
沈痛さを深く湛え、喪に服すように頭を下げる。
堅苦しい口調はいつものままだが、声色には滲み出るような悔恨があった。
「あ、暁人様!? いきなりどうしたんです!?」
「……会長、ひょっとして悪いものでも食べたんですか? 駄目ですよ拾い食いは。三秒ルールに科学的根拠はありません」
「嘘でしょ……どんな時でも"ごめんなさい"だけは絶対に言わなかった暁ちゃんが……」
生徒会の面々がにわかにざわめきたつ。
皆既日食を初めて目にした原住民のように恐れおののく彼らを前にして、武内は若干不服そうに喉を鳴らした。
「そう驚くことでもなかろう。この己が視野狭窄に陥っていたことはまごうことなき事実。
たとえ当主であろうと過ちは素直に認め、後の糧とする。それが武内の流儀だ。あと暁ちゃんはやめろ……!」
ぎろりと目を剥き、頬を吊り上げる武内。
後に門倉から聞いたところ、あれは照れの表情なのだという。人知の及ばぬ武内の生態に明は驚愕するばかりだった。
(……ともあれ、一件落着か)
どうやらあの戦いは明が考えていた以上に良い結果を生んでいたようだ。あるいは、自分が倒れた後に彼の心を動かす何かがあったのかもしれない。
クロエなどはまだ複雑そうな表情をしているが、武内の謝罪はおおむね好意的に受け入れられている。トップの態度が軟化したことで、生徒会のぎくしゃくした関係も改善されていくだろう。
何より、この謝罪は明たちにとっても大きな意味を持つ。
「そしてもう一つ、こちらは荒神どもに向けた言葉だ」
武内の声が一段と真剣味を増す。
「今から己が語ることは、代々武内家の人間にのみ知ることを許されたものだ。それを聞いた時点で、貴様らには大いなる責任が課されることになる」
「責任……」
静かに息を飲む望美。
武内は明たちを見回すと、
「真実は人に選択と決断を求める。知ってしまった者たちは、命を懸けて事態の収拾に取り組まねばならぬ。この先何が起ころうと、行く手にどれほどの地獄が待ち受けていたとしてもな。……もはや逃げ出すことはできぬぞ」
それは脅しではなく、心からの忠告だった。
今ならまだ引き返せる。恐怖の記憶に蓋をして、つまらなくもかけがえのない日常に戻ることができる。
しかし、明は知っている。
今ここで"逃げ"を選ぶ者はきっと、命よりも大切なものを失ってしまうのだ。
「それでも構わない。何も知らずに成り行き任せなんて、私は絶対に嫌。自分の運命は自分で決めるもの」
いの一番に望美が答える。抑えた声だが、その奥底には強い意志が宿っている。
「わたくしも同じですわ。自らにもたらされた力と正面から向き合うこと、それがわたくしの力を受け入れてくれた両親へのはなむけです」
倶久理が気丈に声を張る。彼女もオオクニヌシとの戦いを経て自分なりの決意を固めていた。
「ぶっちゃけ責任なんざ知ったこっちゃねえけどよ、こちとら"ぼくちん怖いから尻尾巻いて逃げまーす"なんて言うような雑魚助くんじゃねえんだよなぁ」
黒鉄の発言はいつも通りだが、その内面は初めて出会った頃とは全くの別人だ。彼は今や、己の振るう力の重みを誰よりも理解している。
そして、明は。
「やれやれ。もう何度も言ってきたことだから手短に言うぞ?」
うんざりするように頭をかくと、自らの胸に刻んだ言葉を反芻する。
「逃げてたまるかクソッタレ、だ。俺に他人を置いて逃げるという選択肢は未来永劫金輪際六道輪廻の果てまで存在しない。覚えておけ武内」
妹の仇を討ち、失われた誇りを取り戻すこと。自分は鳴衣の兄なのだと、胸を張ってもう一度言えるように。
そのために明は戻ってきた。彼の闘志の源は、常に変わらず意地なのだ。
「……………………」
ふと、明は誰かの視線を感じた。
悪意あるものではないが、それでも好意的なものとは少し毛色が違う。
心配、だろうか?
どこか心をざわつかせるような感覚は、明の両親が時たま自分に向けていたものだ。
しかし、それが誰のものなのか知る前に武内が口を開き、明もすぐにこのことを忘れてしまった。
「よかろう。では改めて、己の知る限りの情報を話すとしよう。傾聴せよ荒神ども」
しんと静まり返る生徒会室。
武内は視線を遠くに飛ばしながら、悠久の時を遡っていく。
「遥か二千年の昔、弥生や縄文と呼ばれる時代のことだ。未だ国らしき国も存在しなかった日本列島に、とある民族が移住してきた。彼らは圧倒的な武力を背景に、瞬く間に版図を広げていった」
「そのくだりは日本史の授業で聞いたことがある。大和王朝を興した渡来人だったか」
「おおむねそれで合っているが、教科書に記されていない部分もある。……かの民族は、我々現代人の想像を絶するような科学技術を有していたのだ」
「それが超古代文明、高天原か」
タヂカラオが口にしていた"高天原"とは、記紀神話の中で天界や神の国を意味する言葉だ。現神が治める国家としてこれほど相応しい名前はない。
「高天原の民は次々と敵対勢力を滅ぼし、移住からわずか十数年で畿内全域を手中に収めるまでになっていた。だが、その治世は必ずしも順風満帆とはいかなかった」
「あ? なんでだよ? そいつらめっちゃ強くて頭も良かったんだろ? それなら内政フェイズとか楽勝じゃねえか」
怒涛の快進撃から一転、不穏な語り口に黒鉄が首を傾げる。それに答えたのは猛だった。
「リョウ、現実の国家運営とシミュレーションゲームは別物だよ」
「いやそりゃ分かってるけどよ……もちっと具体的に言ってくれよ猛」
「そうだなあ……。たぶん、高天原は急激に領土を広げ過ぎたんじゃないかな。モンゴル帝国と同じだよ」
猛はあごに手を当て、うつむきがちにゆっくりと言葉を連ねていく。
「どんなに強い兵器を持っていても、しょせん彼らは新参者だ。物資の生産や補給を安定させるまでには長い時間がかかるし、国民の大半は文化の違う異民族。不満を抑え込むのはそう簡単なことじゃなかっただろうね。……ですよね、武内会長?」
「まるで見てきたように物を言うではないか。だから貴様は油断ならぬのだ」
「ありがとうございます。来期の生徒会は安心してお任せください」
クールに頭を下げる猛。可愛げのない態度に面白くなさそうな武内だったが、苦笑する門倉に気付くと表情を消した。
「ともあれ、高天原にとって内政の安定は急務だった。その解決策として打ち出されたのが、神を利用することだ」
「神を利用する、だと?」
「宗教だ。超常的な概念を国家の柱に据え、畏敬と崇拝によって民の心を一つに束ねる。神のお墨付きを得ることで王権に説得力を与えるのはおよそ全ての国家に共通するものだが、高天原はさらに一歩進んだ手法を採用していた」
「なるほど、それで現神が支配者となっていたのか。実際に目に見える形で神がいるなら説得力も当社比二倍といったところか」
明は得心がいったという風に頷こうとして──
「違う」
武内ははっきりと否定した。
「夜渚明よ。何度も遺跡を調べてきたお前なら、一度は"もしや"と思ったことがあるのではないか?
貴様も知っての通り、荒神は人間が変じたもの。そして貴様は八十神が人の成れ果てではないかと疑っていたのだろう。
ならば、こうも考えたことがあるのではないか? ──現神とは、」
その言葉の先が、とても長く感じる。
自分の鼓動が深く、大きく跳ねる。
明は次に来る言葉を一字一句聞き逃さぬよう、武内に全神経を集中させる。
だが、声が来たのは背後からだった。
「現神とは、高天原の民が進化したものなんだ。……そう、科学が生み出す雷の力によって!」
猛烈な勢いで開け放たれる扉。レバーハンドルの頭が壁にぶつかり、鈍い音を立てる。
そこにいたのは、縁なし眼鏡を申し訳程度に引っ掛けたひょろ長の男だった。目元には深いクマがあり、口元はにへらと気味の悪い笑みが張り付いている。
この面は何度も見たことがある。こいつを見る度、明は常軌を逸した謎理論に神経を侵され、正気と理性を削られてきた。
もういやだ、やめてくれと懇願しても彼は決して口を閉じないだろう。自らの信じる狂った仮説が人々の常識を破壊するまで、彼はいつまでも叫び続ける。
そしてまた始まるのだ。あの時間が。
「待たせたねみんな。それじゃあ今夜も! 真理の彼岸に紐なしバンジーといこうじゃないか!」
木津池秀夫。
高臣学園史上最悪の問題児が降臨した。
この先二話ほど木津池無双が続きます。
「なんだってー!?」と叫ぶ準備はいいか!