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第二十話 溺れ溺れて

次話は今夜あたりに投稿します。

「逃避じゃと……?」


 タヂカラオは少なからぬ動揺を胸に少女を見た。

 謎の高速移動に加えて意味の分からぬ曖昧な指摘。意識は数多の疑問に囚われ、隔靴掻痒(かっかそうよう)たる思いを生み出している。

 混乱の源である少女は舞い散る木の葉をその身に浴びながら、さらに目つきを鋭くした。

 あたかも自分を糾弾しているかのような視線にタヂカラオは気圧され、


「しゃらくせえ! そんなもんで俺っちが惑わされっかよう!」


 爪を突き立て、地面を横に引っ掻いた。

 土の破片がしぶきを上げて、抉られた大地から吹き飛ばされていく。

 (わだち)のような爪痕が向かう先にはオモイカネの少女が──


「──いねえっ!?」


 速い。ツクヨミにすら匹敵する驚異的なスピードだ。

 横か? 後ろか? 

 視界から消えた少女を探すより先に、タヂカラオは次の手を打っていた。

 軸足をしっかと地に付け、己が体をコマのように横回転。同時に両手を振り乱せば360度全てをカバーする破壊の渦が出来上がる。

 豪、となびく風が木々の間を吹き抜けて、ますます多くの葉を落としていく。

 その間隙にステップで距離を取る少女の姿を捉え、タヂカラオは片足を踏み込んだ。


「見えたっ! これで仕舞いじゃあ!」


 回転の勢いそのままに、少女の首を刈るような手刀を叩き込む。ステップ直後で足の伸びきった少女に避ける術はない。

 ないはずなのに、避けられる。

 急加速を見せつつ飛び退く少女。それを再び追撃するため、タヂカラオはその場で足を打ち下ろした。

 先に見せた地鳴らしを、より速くよりコンパクトな動きで。威力は劣るが、この距離であれば十分な効果が望めるはずだ。


「ひとぉーつ!」


 跳ねる地面。ざわめく林。

 しかし、少女は揺るがない。

 あらゆるものが輪郭をブレさせる中、彼女という存在だけは超然とした(たたず)まいでそこに立っていた。体中に木の葉や枝くずを付着させながらも、その雰囲気は凛として。

 そこでようやくタヂカラオは気付く。目の前で起こっている現象の秘密に。


「その葉っぱ……念動力で動かしてんのか!」


 オモイカネの念動力は射程内に存在する物体の動きを支配する。

 ならば、支配した物体に自分自身の体を(・・・・・・・)押してもらえば(・・・・・・・)、どうなるのか?

 たとえ小さな木の葉でも同時に何十個と動かせるのなら、それは数十機の小型ブースターを装備していることと同義である。また、わずかに浮かせた木の葉の上に足を乗せれば地鳴らしの影響を受けることもない。

 念動力の特性を応用した間接的な身体強化、および浮遊能力。

 この発想にはさしものタヂカラオも舌を巻いた。始祖たる現神オモイカネですら思いつかなかったやり方で、この娘は自分と渡り合っているのだ。


「いい加減気付いてるんでしょう。自分の本心に」


 こちらを見上げる少女は淡々と、しかし強い口調で、


「自分たちが間違ってることなんてとっくに分かってるのに、あなたはずっと目を背けてる。戦いを楽しんでる風に見せてるのは、そうしないと罪悪感に耐えきれないから?」


 ざくりと。

 少女の言葉が心の臓を刺し貫く。


「……っ」


 反射的に「違う」と言ったつもりだったのに、言葉が出ない。

 違う。自分は何も誤魔化していない。

 違う。この役目は現神の未来のため、ニニギ様のために欠かすことのできないものだ。

 違う。戦いに善いも悪いもない。主命に従うことこそが戦士の本懐であり、そこに個人の意志を差し挟む余地はない。

 様々な反論が頭の中を駆け巡るが、その中の何一つとして言葉に表すことはできなかった。


「あなたが何もしようとしないのは、自分の思いに自信が持てないから。あなたが他人の言いなりなのは、自分の意思で決断するのが怖いから。

 そうなってしまったのはきっと、今まで考えることをしてこなかったせい。それ自体は構わない。誰にでもよくあることだから。……でも」


 続く叫びは怒りを込めて、


「責任逃れしかできない人に殺されてあげるほど、私はお人好しじゃない!」


 気が付くと、タヂカラオは拳を高く振り上げていた。

 大振りなれど超速の打撃。自分でも理解できない激情に突き動かされ、少女を永遠に黙らせようとする。

 だが、タヂカラオに触れることができたのは少女の髪先だけ。

 素早く軸をずらした彼女が拳の横をすり抜けた瞬間、タヂカラオの手首から血しぶきが上がった。


「……ぐうっ!?」


 久しく感じたことのない種類の痛みがタヂカラオを襲う。

 ひりつくような感覚と傷跡に残る熱さは、間違いなく斬撃によるものだ。とても鋭利な形をした何かが、自分の腕を深々と切り裂いたのだ。


「俺っちに血を流させただと……? 刃物もねえのに、いったいどういうこった!?」


 未知の脅威を前にして怒りよりも警戒心が勝った。

 木々を押し退け、大きく後ろに下がるタヂカラオ。それを追う少女は指の間に平たい木の葉を挟んでいた。


「即席カッター。こんなに薄っぺらい葉っぱでも、念動力で形状を固定すればそれなりの硬さにはなる」


「馬鹿言うんじゃねえっ! そんなちゃちなもんで傷付くようなやわな鍛え方はしてねえはずだ!」


「大したことはしてない。筋肉の継ぎ目を狙っただけ」


 事も無げに言い放つと、少女は軽やかに地面を蹴った。無数の木の葉(てした)を周囲に従えながら。


「ちいっ! 流れに乗らせっかよう!」


 迫る少女に対し、タヂカラオは樹木を引き抜き投げつけることで応戦する。大質量のそれは彼女の進路を塞ぐように飛来し、


「無駄」


 少女はその上を飛び越えた。

 否、乗り越えたのだ。自身が空中に固定した木の葉の階段を駆け上がることで。

 言葉通りに空路を走り、タヂカラオの間合いに攻め込んでいく少女。その目は獲物に焦点を結んだまま、熱を持った輝きを見せている。

 迎撃の拳が空を切り、二の腕の側面から血が吹き上がる。すれ違いざまに首筋が切られ、振り向きざまに脇腹を。返す刀で腹斜筋の隙間が。

 攻守は完全に逆転していた。

 筋肉の鎧はやすやすと突破され、それでいてこちらの攻撃は当たらない。

 臆さず進む彼女とは対照的に、攻めあぐねたタヂカラオはじりじりと林の奥へ追いやられていく。


(やべえ……やべえやべえっ! どうしたってんだよタヂカラオ! お前、このままじゃ呑まれっちまうぞっ!)


 もはや認めざるを得ない。

 自分はこの少女に圧倒されつつある。それは物理的な部分だけでなく、精神的な部分においてもだ。

 自身の悩みが。妥協が。弱さが。この少女には全て看破されている。

 その真っ直ぐな眼差しが、怖い。

 怠惰さを非難されているような気がして、とても怖い。

 その背後に彼女の面影を感じてしまうのだから、なおのこと冷静ではいられない。

 動きは固く、闘志は萎み、知らず知らずのうちに足が後退を選択する。

 そのかかとが空を踏み抜いた時、タヂカラオは自分の置かれている状況を理解した。


「……追い詰められたかよう」


 そこは林の終端、天香久山の北の果て。半歩後ろには泥色の広大な古池が口を開けており、池の中央あたりに結界の端を示す霧の壁が立ち塞がっている。

 これ以上退けば池の中に落ち、結界のせいで向こう岸に辿り着くことすら叶わない。

 よしんば足の着く深さだったとしても、敵軍にはスサノオがいる。池のただ中で水を操る荒神と戦うなど、自分から殺してくれと言っているようなものだ。


「勝負あり、だね。……できれば降伏してくれると、嬉しい」


 威嚇するように木の葉を掲げた少女が、短く告げる。その言葉はこれまでで最も切実な響きをしていた。

 呆れたものだ。この娘はここに来てまだそんな甘っちょろいことを考えている。交渉が破談に終わった時点でこうなる運命は決まっていたというのに。


(……いや、それこそ俺っちの勝手な決めつけだったのかもしれねえな)


 彼らに事情を説明し、共に打開策を考えることだってできただろう。あるいはもっと熱心にニニギを説得していれば何かが変わっていたのかもしれない。

 その選択肢を狭めていたのは、他ならぬ自分自身。自分の頭を働かせず、他者の決断に寄生し続けてきたツケが今になって回ってきたのだ。

 だが、もうそんなことに意味はない。タヂカラオは苦笑し、


「それはできねえ」


 腹に力を入れ、


「今さら自分の意志で動けだと? んなもんできるはずがねえ。する意味がねえ。価値がねえ。未来がねえ! そんなことをしたって、俺っちが何をしたって……」


 この二千年、濁り溜まった息を爆発させ、


「もう……オモイカネはどこにもいねえんだよおおおお!!」


 少女に向けてはちきれんばかりに膨張した拳を放つ。

 自分に出せる最大最速の一撃だ。

 その悲しげな表情も、あとわずかで潰れて見えなくなる。それが終われば残りの荒神を処分して、終わりだ。


「このっ……させるかぁ!」


 運よく八十神の包囲を抜けてきたのだろうか。霧の向こうでククノチの少年が叫び、緑色の何かが飛んできた。

 ……アサガオのつる。

 細くしなやかなそれはタヂカラオの腕に巻き付き、非力ながらも拳の動きを止めようとする。

 だが、そんなものではほんの一瞬すら時間を稼ぐことはできない。つるは目いっぱい伸びきった後、無残にも引きちぎれ──


「──後ろががら空きだぞ、タヂカラオ!!」


「……っ!?」


 その直前、タヂカラオの耳は"有り得ない声"を聞いた。

 自分の背後、それも息がかかるほど近く。そこからナキサワメの少年の声がしたのだ。

 なぜ? どうやってここまで接近した? まさか池の中に潜んで? 八十神どもは何をしていた?

 いや、この際理由などどうでもいい。とにかくこちらを先に排除しなければ、自分は振動波によってたちどころに死んでしまう。

 タヂカラオは強引に腰をひねり、少女に向かっていた拳を180度転換。背後の空間に振り向きざまの拳撃を打ち込んだ。

 そこには、誰もいなかった。


「……あ?」


 沈黙を湛える古池と自分が踏みしめた草むらを見下ろし、あぜんとするタヂカラオ。

 そんな彼の耳に、再度少年の声が届く。


「骨伝導通信というものを知っているか? 空気振動を介さず、骨に振動を与えることで直接聴覚器官に音を伝える技術だ」


 今度の声はずっと遠く、ちょうどアサガオのつるが伸びてきた方から聞こえてきた。

 聞き覚えのない単語だが、なんとなく理解はできる。

 要するに、あのアサガオはこちらの動きを阻害するためではなく──


「糸電話みたいに、俺っちに声を送ったのか! しかも後ろから聞こえるような加工までして……!」


 ──陽動。

 そして、この致命的な隙を彼女が見逃すはずがなかった。

 タヂカラオがかろうじて上半身を前に戻した時、直上に飛翔する少女が見えた。

 その手にあるのは赤と緑の集合体。脆く儚い青葉と紅葉を紐のようにひと繋ぎにしただけのもの。

 しかし、念動力の範囲内においては折れず曲がらず良く切れる蛇腹剣となる。

 空に昇って高さを稼いだ少女は、既にそれを振りかぶっていた。

 裂帛(れっぱく)の気合いも勝利の恍惚もなく、彼女は静かに、


「あなたは──好きだったんだね。オモイカネ(そのひと)のこと」


 一閃。

 風船の割れるような音が、胸元で響く。

 見れば、自分の胸が中央からぱっくりと裂けていた。

 流れ出る血は鼓動と共に、体の外へと吐き捨てられていく。


「……はは」


 ふわふわした意識の中、タヂカラオは笑っていた。

 なぜだかとても気持ちが軽い。長年の重荷から解放されたような、不思議な気分だった。

 自分は負けた。無様に負けた。高天原の栄えある将でありながら、主のもとに勝利を持ち帰ることができなかった。

 だが……今思えば、一人の男としてはそれで良かったのかもしれない。

 生まれてこの方恥ばかり。血の巡りの悪い阿呆として数えきれない間違いを犯してきたが、それでも最後だけは間違えなかった。

 彼女が愛した者の末裔を、彼女の意志を継ぐ者たちを殺さずに済んだのだから。

 タヂカラオはそう結論付け、一人頷いた。力の抜けた体は思うに動かず、徐々に古池の方へと傾いていく。

 その全身が濁った水に飲み込まれる寸前、


「あったりめえじゃねえか。あんなにいい女、他のどこにもいるものかよう……!」


 最後にそれだけを言い残して、タヂカラオの意識は水底に沈んでいった。


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