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第十九話 戦に溺れ

「……く」


 骨の芯まで伝わるような衝撃が、同時に二つ。

 退いた一歩で後ろに傾く体を支え、タヂカラオは歯を噛み締めた。

 飛び蹴りを見舞った二人はその場でふわりと宙返り。足先で宙空に弧を描いた後、タヂカラオの正面に着地する。

 そのかかとが地面に触れるのと、タヂカラオが反撃に移ったのはほぼ同じ時だった。


「──らぁっ!」


 筋を(いか)らせ両手を突き出し、そのまま左右に薙ぎ払う。引き裂かれた空気が笛の音を奏でるほどに、強く。

 が、その時にはもう敵の姿は無い。

 ツクヨミの少女は急加速して右方に。彼女に蹴られたオモイカネの少女は左方に退避している。


「あらあら、ご自慢の馬鹿力も当てる能が無ければただの飾りでしかありませんね。私、見せ筋って嫌いなんですよ」


 蛇のように舌を出す少女。その小憎らしい顔がブレたかと思うと、また消える。

 直後、タヂカラオの腕はわずかな触感を得ていた。

 薙ぎ払いを終えて伸びきった彼の片腕、その上を少女が高速で駆け上がってくる。浅く構えた拳は起伏のある二の腕を越えて、その先にある頭部に照準を合わせていた。


「にゃろうめ、くすぐったいってえの!」


 迫る少女を振り払おうとして、異変に気付く。

 体が重い。思考が遅い。

 まるで深海の底に押し込められたかのような圧力と倦怠感、そして鈍化した意識がいつの間にか自分を縛り付けているのだ。


「ツクヨミの……減速かよう……!」


 触れたものの時間を操るツクヨミの異能は、互いが密着する格闘戦において真価を発揮する。さしものタヂカラオも、減速状態で荒神を相手取るのはいささか骨が折れる。

 だが、それはあくまで骨が折れるだけだ。自分を黄泉へと追いやるには二寸も三寸も足りない。

 タヂカラオは己の異能を解放し、四肢にさらなる力を込める。

 発現する効果は肉体強化。筋力を高めるだけのつまらない能力だ。それ以外は何もできないし、他人に対して使うこともできない。

 これほど用途の限定された異能は後にも先にもないだろう。

 これほど自分にぴったりな異能は後にも先にもないだろう。

 細かいことを考える必要はない。自分は力の限りに拳を振るい、目の前の敵を薙ぎ倒していけばいい。

 そして、今がまさにその時だった。


「うおらああああああああああああっ!!」


 時間の流れを遅められているのなら、その分だけ速く動けばいい。

 力に物を言わせた徹底的なゴリ押し。それがタヂカラオの出した回答だった。

 目に見えぬ戒めを引きちぎるかのように、激しく両手を振り回す。その威力たるやすさまじく、指先に触れただけで周囲の木々が紙細工のようにちぎれていった。


「なっ、なんてマッチョイズム……! こんなの反則じゃないですかっ!」


「甘ったれんじゃねえ! 戦場に法などあるものかよう!」


 波打つ足場に留まり切れず、ツクヨミの体が放り出される。

 横倒しに飛んでいく彼女に追撃をかけようとするタヂカラオ。

 ところが、どういうことだかまだ体が重い。ツクヨミは既に離れているというのに、謎の圧迫感が消えていないのだ。


「そこかよう!」


 答えに至ったタヂカラオはツクヨミとは逆方向に足払いを放つ。小枝だらけの茂みが砕け散り、立ち上る土煙の端からオモイカネの少女が飛び出てきた。


「さっきのはお前らの合わせ技っちゅうわけか。道理で重過ぎると思ったんじゃ」


 ツクヨミによる減速と、オモイカネによる力場の檻。二つの異能でタヂカラオを絡め取り、その身体能力を制限していたようだ。

 種が分かればどうということはない。動きが鈍ることを織り込み済みで戦えばいいのだ。その程度のハンデ、彼我の力量差を考えればささいなものでしかない。

 タヂカラオはオモイカネの少女を見据えると、


「……………………」


 ともすれば感傷に傾きそうな心を抑え、


「悪ぃが加減はしねえぞ。やり方も知らねえしなぁ!」


 固めた拳を乱暴に叩きつけた。

 力場のもたらす抑制力では百パーセントの力を出したタヂカラオを止めることはできない。せいぜい死期が一瞬先送りになるだけだ。

 渾身の一撃が地盤を歪め、くぐもった地響きが林を揺らす。

 しかし、拳に伝わるのは硬い地面と落ち葉の感触だけだった。潰れた肉の柔らかさも、吹き出る血潮の熱さも感じられない。


(避けたじゃと? いや違う、これは……)


 いつの間にか消えていた、という印象だった。

 敵が逃げる瞬間を見落とすなど戦士失格と言わざるを得ないが、それとは少し様相が違う。


「こいつぁ……俺っちの時間を止めやがったな!」


 数瞬前に吹き飛ばされたツクヨミが、あのわずかな時間で戦線復帰して死角から忍び寄っていたとしたら。

 疑問の正体に行き着いたタヂカラオは、続いて来るであろう奇襲に備えて直感的な対策を講じていた。


「があっ!!!!!」


 その対策とは、咆哮。

 筋肉の鎧で守られたタヂカラオに生半可な攻撃は通用しない。彼女たちの実力でこれを破ろうとした場合、まず思いつく手段は筋肉の付いていない部分を狙うことだろう。

 たとえば眼球。鼻腔。口の中。そうした部分は総じて頭部に集中している。

 先ほどもツクヨミは頭を目指していた。ならば次もまた同じことを試みるはず。

 しかして、タヂカラオの推測は当たりだった。


「きゃ──!」


 頭めがけて跳躍していたツクヨミは、嵐のような風圧をまともに受けて墜落してしまう。

 念動力で撃ち出したと思しき尖った枝も飛んできたが、それもまた眼球に刺さることなく霧の向こうに押し戻されていった。

 有利と見るや一気呵成(いっきかせい)に攻め立てるのが戦の習わし。タヂカラオはここぞとばかりに踏み込んで、落ちていくツクヨミを蚊でも潰すように叩こうとする。

 打ち合わされた両手が太鼓のような音を鳴らす。──と、その直前、ツクヨミの体がするりと指の隙間を抜けていった。

 物理法則を無視した体は見えざる何者かに抱えられるようにして姿勢を回転させ、彼女を無事に着地させる。その傍らにはオモイカネの少女がいた。


「おうおう、まな板の上に乗った魚をかっさらうたぁ、しつけのなってねえ餓鬼もいたもんじゃ」


 言ってから、タヂカラオはもう一度歯を噛み締める。

 弓なりに細めた瞳が意味するものは苦渋ではない。喜悦だ。

 彼は嬉しいのだ。これほどの強敵に出会えたことが。

 タヂカラオにとって荒神狩りとは無力な人間を殺すだけの単調な作業であり、そこに戦士としての高揚や喜びは存在しなかった。

 心も体も弱弱しく、自分の異能すら満足に使いこなせない有象無象たち。

 攻撃とも呼べない攻撃を半狂乱で繰り返す者たちを前にして、彼は何度落胆したことだろう。

 だが、彼らは違う。

 異能を手足のごとく使いこなし、豊かな知恵と強き覚悟をもって神々に挑まんとする勇士たち。

 粗神(あらがみ)とそしられる型落ちから生まれた、真の荒神(あらがみ)

 彼らとの戦いに、タヂカラオは未だかつてない充実感を得ていた。

 我ながら始末に負えない男だ。自分は骨の髄まで戦狂いの大うつけなのだと改めて思う。

 できることならこのまま思うさま暴れて(あそんで)いたいものだ……が、自分は人に仕える身だ。楽しみを追及することより勝利を優先しなければならない。

 タヂカラオはギリギリのせめぎ合いが終わってしまうことに一抹の寂しさを感じつつ、勝敗を決する言葉を口にした。


「ところで嬢ちゃんたちよ。なーんか忘れてねえか?」


「まあ大変、そういえば洗濯物が干しっぱなしでした。急いで取り入れておかないと」


 つまらぬ戯言でこちらを刺激しようとするツクヨミには取り合わず、タヂカラオは露悪的な笑みを見せた。


「まだ気付かねえんなら考えてみろ。──俺っちが襲われてるってえのに、八十神(やそがみ)どもがなんで加勢に来ねえのかをな」


「──っ!!」


 ツクヨミの表情が固まり、ちらりと後ろの方に視線を飛ばした。

 登山口の様子は霧に沈んでいるせいでよく見えないが、耳をすませば聞こえるはずだ。

 刃が空を切る音、多数の足音、そして八十神たちの(とき)の声が。


「……まさか、自分を囮に!?」


「かかかっ、だから弱点を突くことが肝要と言うたんじゃ!」


 この二人が突撃してきた時点で、タヂカラオは彼女たちが囮である可能性を考えていた。

 彼女たちは確かに強いが、たった二人でタヂカラオを圧倒できるほどの強さではない。

 とっておきの策にしては詰めが甘い……つまり、本命は別にある。おそらく時間を稼いでいるうちに残りの仲間が二つ目の策を発動する手はずになっていたのだろう。

 だから、タヂカラオはそれを利用することにした。

 大声や派手な音を出して彼女たちの気を逸らし、その隙に後方の連中に全ての八十神をけしかけたのだ。

 今、この山に集結している八十神はゆうに百体を越える。

 三対百。概算しても一人あたり三十体以上。どれほどの手練れだろうと、これだけの数を相手にして無事で済むはずがない。


「猛……!」


 オモイカネの少女はほとんど表情を変えていないが、ツクヨミの方は明らかに浮き足立っている。

 仲間の危機を知った彼女たちに与えられた選択肢は二つ。どちらか一方が仲間を助けに行くか、両方が助けに行くか。

 前者を選べば一対一でタヂカラオを足止めしなければならなくなる。二人がかりでようやく互角だった相手を、だ。

 後者を選べばタヂカラオを抑える者は誰もいない。その時は前と同じように荒神全員を巻き込むような攻撃を繰り出せばいい。大量の八十神に襲われている彼らは今度こそ対処することができないだろう。

 どちらを選ぼうが待っているのは敗北のみ。

 究極の選択を突き付けられた二人は、しかし一瞬で答えを出した。

 交差する足跡。身を(ひるがえ)したツクヨミが霧の中に消えていき、一方オモイカネの少女はこちらに向かってくる。


「結局お前が残ったのかよう。女だてらにクソ度胸なのは伝統ってやつなのかねえ」


 しみじみと語るタヂカラオを見つめながら、少女は無言。

 彼女が残ったのは少し意外だったが、しょせんは誤差の範囲だ。死ぬ順番が前か後かの違いでしかない。

 それならせめて、


「あがいて見せろや、荒神の。それが力への責務、あいつ(・・・)に対する礼儀っちゅうもんじゃ!」


 こぶを盛り上げ、うなる拳は全てを砕く。

 筋肉とは力であり、速さであり、重さであり硬さであり破壊力でありすなわち戦に及ぶ強さの全てを内包するものである。

 爆発的なエネルギーを携えた攻撃はツクヨミのような強化能力も持ち合わせていない人間に到底避けられるものではない。


 ……が、その認識はすぐに覆されることになる。


「なぬうっ!?」


 タヂカラオはその目で見たものを信じることができなかった。

 避けられた。

 全身全霊を込めた最速最大の一撃が、純粋なスピードによって凌駕された。

 規格外の(わざ)を見せた少女はやや視線を強めながら、ここで初めて口を開いた。


「そろそろ逃避はやめた方がいいと思う。見ていて辛いから」


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