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第十六話 信を繋ぐもの

 二度目の会談を終えた明は、結局さしたる進展も無いまま天香久山(あまのかぐやま)を後にしていた。

 天香久山の攻略を開始してから今日で三日目。考えなければならないことは山ほどある。

 たとえば現神(うつつがみ)のこと。

 彼らはタヂカラオを派遣することで天香久山を占拠しているが、その真意はどこにあるのだろうか。

 あの山には耳成山や畝傍山と同じ構造の遺跡が眠っているはずだが、そうなると敵が天香久山だけを重要視する意図が掴めない。


「思うに、タヂカラオは囮なんじゃないかな。戦略的価値の低い場所にド派手な戦力を配置することで、こちらの気を逸らしてるんだ」


 一昨日、木津池(きずち)はそんな風に分析していた。

 本腰を入れた防衛ではなく、時間稼ぎのための陽動。

 本当にその通りだとすれば、敵の計画は大詰めを迎えている可能性が高い。その場合、自分たちに残された時間は多くない。

 しかし、だからといって何事も拙速になればいいという話でもないのが頭の痛いところだ。

 タヂカラオとの交渉は難航しているものの、少なくとも表面上は良好な関係を築けている。今は駄目でも、もう少し時間をかければ色よい返事がもらえるかもしれないのだ。


(問題はそれがいつになるのか、だが)


 放課後の生徒会室では昨日に引き続いて会議が行われている。

 斗貴子曰く「いい感じに煮詰まってきてますよ」とのことで、早ければ今日中に詳細な作戦が決定するはずだ。タヂカラオとの再戦はすぐそこまで近付いている。

 このまま戦いを挑むべきか。それとも彼らに事情を打ち明け、もうしばらく様子を見るように頼み込むべきか。明は未だに答えを決めかねている。

 それと同時に武内の行動にも注意を払わなければならない。

 クロエは武内に対して深い疑念を抱いていたが、自分は彼女の言葉をどこまで信用するべきなのだろうか。

 一歩間違えれば生徒会と全面衝突することにもなりかねない問題だ。くれぐれも軽々しい発言は慎まなければならないが、いつまでも放置していい問題でもない。

 そういえば今日は黒鉄(くろがね)が欠席していた。

 猛の話では「補習疲れで知恵熱が出たんだって」だそうだが……まあこれに関してはどうでもいい。どうせ仮病だ。

 ……考えれば考えるほど、デリケートかつ締め切り間近の課題(タスク)が雨後の(タケノコ)のごとく生えてくる。

 「考えて行動しろ」と望美に言われた矢先にこれだ。どうやら面倒事というものは群れを成して一斉に襲ってくるものらしい。

 とにかく、自分には時間が無いのだ。

 なのに。


「なんだって俺はこんな場所で時間を浪費しているんだ……」


 病院の一室。楽しそうに談笑する(ひかる)と沙夜を眺めながら、明は無気力な吐息を垂れ流していた。


「……それでですね、せっかくだからそのコスモスの面倒も見てあげようかなって」


「ふふ、晄さんらしいわね。きっとその()たちも喜んでるわ」


「えへへ、それほどでも」


 ベッドの縁に腰を下ろし、弾けるような笑顔で学園の出来事を語る晄。

 それを聞く沙夜の顔色は優れなかったが、それでも伴う笑みには安らぎの色があった。


「だけど、あんな暗がりでちゃんと花が咲くのかしら。私のいた頃も、あの花壇で植物を育てるのは苦労してたんだけど……」


「それについては無問題(モーマンタイ)! 実はちょっとした裏技があってですね……」


 話題に上がるのは他愛のないことばかり。

 日々の生活の中で起こるささやかな変化。学園での暮らしぶり。仲のいい友達のこと。

 先週のテストの成績がどうのとか、明のセクハラが酷いと望美から相談されているとか。ちょうど今は食堂裏で見つけたコスモスの話をしている。

 よくもまあこんなどうでもいい話で何時間も盛り上がれるものだと明はただただ感心するばかりだった。

 無論、沙夜にとってはその程度の日常でさえも新鮮に感じるのだろうということくらい分かっているのだが……。


「というか、俺要らなくないか? 帰っていいか?」


「はー、夜渚くんったら薄情者だねえ。退屈なら夜渚くんも会話に混ざりなよ。沙夜先生も気まずそうにしてるじゃない」


「退屈とかそういう話ではなくてだな……」


 明はこめかみをかきむしった後、


「大体、どうして毎回俺を誘うんだお前は。暇人で話の上手い奴を求めているなら木津池でも誘えばいい。放っておくと一日中しゃべり続けるぞ」


「残念、木津池くんは本日お休みです。確か電波探求の旅に出るって言ってたかな?」


「あのアホめ。……とにかく俺は忙しいんだ。次からは他の奴と見舞いに行ってくれ」


「また嘘ばっかり。帰宅部で無趣味で彼女もいないし友達も少ないのに忙しいわけないでしょ」


「お前は俺を何だと思ってるんだ」


「ぼっち、かな」


忌憚(きたん)のない評価をありがとう。おかげ様で死にたくなってきたところだ」


 どうやら明をここに連れてきたのは孤独な級友を想うがゆえの行動だったらしい。聖母のような優しさに明は感涙を禁じえなかった。


「……まあでも、気に掛けてるのは本当だよ。最近の夜渚くん、いつもとちょっと違うから」


 少し声量を落とした晄がこちらの顔を覗き込む。


「不機嫌な顔してるのは元からだけど、今回はもっと深刻そうっていうか……この際だから聞いちゃうけど、何かあった?」


 くりくりとした瞳は若干の幼さを残しているが、そこには大人びた気遣いがあった。


(目ざといな。感情が分かりやすく顔に出る性質(たち)ではないんだが)


 もしくは、それと気付かぬほどに自分が思い悩んでいたのか。

 見れば、沙夜もベッドから体を起こしてこちらを見つめている。元教師ということもあって、生徒の悩みを見過ごすことはできないのだろう。


「悩みがあるなら気軽に相談してくれていいのよ。的確な助言ができるかどうかは分からないけど、打ち明けるだけでも楽になることってあるものだから」


「そうそう。ただでさえ夜渚くんは溜め込むタイプっぽいし」


 さあ話せとばかりに注目されて、明はやりづらそうに天を仰いだ。

 こういう生暖かい空気は苦手だ。嫌いではないが、体がこそばゆくてたまらないのだ。

 どちらにせよ、彼女たちは明が何か言うまで解放してくれないだろう。そういう空気が出来上がっている。

 観念した明はゆっくりと口を動かしながら、明かしてもいい情報だけを選んでいく。


「いくら考えても分からないことがあってな。少し、及び腰になっている」


「分からないって……何が?」


「相手をどれだけ信じられるのか、という話だ」


 言ってから、実に青臭い悩みだと思った。

 だがそれは明の本心でもある。

 タヂカラオ、そして武内への対応に迷いがあるのは、彼らをどこまで信用すればいいのか分からないからだ。

 分からないなりに進もうにも、今はとりわけデリケートな状況だ。一手のミスが取り返しのつかない破局を招いてしまう。

 そのうえタイムリミットはこちらの都合などお構いなしに近づいてくるのだから、なおさら手に負えない。


「……そう。自分が傷つくこと、そして友達を傷つけてしまうことを恐れてるのね、夜渚くんは」


 話を聞き終えた沙夜は、明の胸中をそう言い表した。


「先生のそれはややズレた考察だが……本質的には似たようなものか。おいそれと身動きが取れない状態にあることは確かだ」


「また黒鉄くんと喧嘩したの? 黒鉄くん、今日は休んでたみたいだけど」


「いや、奴は関係ない。俺個人の問題だ」


「ふーん……」


 晄は布団の端に顔を埋めると、真面目な顔で黙り込んだ。

 なにしろ具体性を欠いた話だ。明自身も彼女たちに明確な回答など求めていない。

 だから適当なところで話を変えるつもりだったのだが──


「夜渚くん。そういう時はね、"当たって砕けろ"よ」


 そう答えたのは沙夜だった。

 ほの白い顔に確かな自信を湛えながら、彼女はこちらに笑いかける。


「相手の気持ちが分からないのはとても怖いことかもしれない。でもね、だからといって立ち止まっていたら、真実は永遠に分からないままなのよ」


「つまり……失敗を恐れるな、と?」


「むしろ動かないことが一番の失敗なのかもしれない。人によってはね」


「それは経験則か?」


 明が尋ねると、沙夜は頬を柔らかく緩めた。

 それから窓に目を向け、夕日に映える街並みに遠い視線を泳がせる。


「私、教師になりたての頃は他人と衝突してばかりだったの。理想と情熱だけが空回りして、分からず屋の上司に食って掛かることなんて珍しくなかった。正直、子供だったと思う」


 照れがちに語った後、「だけど」と続けて、


「本音でぶつかり合ったからこそ、私は私の想いを理解してもらうことができた。そして、あの人の心にも触れることができた。

 だから後悔はしてないわ。もう一度過去に戻ったとしても、私はまたあの人と大喧嘩するでしょうから」


 何気ない言葉の中にも重みを感じさせる言い方は、長い人生を生きてきた大人特有のものだ。

 その晴れやかな顔を見た明は、


「何やら途中からノロケじみてきたんだが……相手は男か?」


「クリティカルに下世話だよ夜渚くん……」


「先生に(なら)って飾らず本音を言ったまでだが」


「ああもう、そういうのは時と場合によりけりでしょ!」


 晄に軽蔑の眼差しを向けられながら、明はふんと気取った息をついた。


「……そろそろ失礼させてもらう。やるべきことが山積みになっているのでな」


「え、もう帰っちゃうの?」


「だから忙しいと言っただろうに。マジで信じてなかったのかお前は」


 戸口に立て掛けていた制鞄(せいかばん)を指先に引っ掛け、一息に釣り上げる。そのまま肩に担ぐとシームレスに病室の外へ。

 廊下に出る寸前、明は首だけをベッドに向けて、


「助言には感謝しておく」


「気にしないで。教え子の力になれたのなら何よりよ」


 後ろ手で一度だけ手を振ってから、明は早足で病院を出た。

 頭にあるのはこれからのことだ。まずは生徒会に行って、それから全員にタヂカラオの件を明かして──

 と、そこまで思った時に着信音が聞こえてきた。


「電話……誰からだ?」


 スマートフォンの画面には見知らぬ電話番号が表示されていた。

 元々ネットサーフィンくらいにしか使わない端末だ。登録されているのは家族と親しい友人だけで、両親以外から連絡が来ることは滅多にない。

 明はしばらく考えてから、意を決して電話に出ることにした。


「……誰だ」


『夜渚先輩ですね。私です、神崎クロエ』


「クロエだと……?」


 予想外の相手にわずかな驚きを覚えつつ、明は通話を続ける。


「随分といきなりだな。なぜこの番号を知っている?」


『水野先輩から聞きました。いえ、そんなことより今は……』


 クロエは声を忍ばせており、言葉の端々には焦りが見える。

 異変を感じた明が口を閉じると、彼女は口早に用件を告げた。


『状況が動きました。天香久山に八十神(やそがみ)たちが集結しています』


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