第十三話 思い兼ね
物事を効率よく進めるにあたって最も大切な事は、論理的思考能力である。
現状を冷静に俯瞰し、思考の裾野に取り得る限りの選択肢を並べ、その中から最善の一手を打つ。
計算、選別、最適化。いずれも思い込みやこだわりに囚われていてはできないことばかりだ。
だから望美は、今度も自分の出した結論に従うことにした。
もっとも彼女の相棒は、その結論にいたく不満を持っているようだが。
「望美、もう一度考え直すべきだ。やはりお前に囮役は荷が重すぎる」
会議から一夜明けた朝。望美と明は天香久山へと至る道のりを歩んでいた。
険しい坂も三度目となればもう慣れたものだ。望美は呼吸を乱すことなく明に言葉を返す。
「むしろ私が適任者。私の念動力でタヂカラオの動きを鈍らせれば、こっちが戦場のイニシアチブを取りやすくなる」
「無茶苦茶だ。その貧相な体であの筋肉ダルマの攻撃を受けてみろ、一瞬でお陀仏だぞ」
「それは他の人でも大して変わらないと思う。あと胸は平均的だから今の表現は不適切」
「形は中々だが、個人的にはもう少しボリューム感が欲しいぞ」
「貴重なご意見ありがとうございます。今後の製品開発の参考にさせていただきます」
棒読みでこれ以上の反論を打ち切ると、望美は少し顔を傾けて明の方を見た。
「心配してくれるのは嬉しいけど、これが一番勝率の高い作戦だと思う。少なくとも私以外にできる仕事じゃない」
念動力の力場にタヂカラオを捉えることで、触れることなく攻撃と行動阻害を同時に行う。そのような芸当ができるのは望美だけだ。
ゆえに望美は自分が矢面に立つのが当然と思っていたし、そうすることに何のためらいもなかった。
戦いとは、負けたら終わりなのだ。
出し惜しみをしては勝てるものも勝てないし、使えるものは何でも使うべきだ。ベットするのが自分の命だとしても、その考えは変わらない。
明もそれを理解しているからか、渋々ながらも望美の意向に従っていた。とりあえず今のところは。
「とにかくあまり無茶なことはしないでくれ。見ている方は気が気じゃないんだ」
「夜渚くんがそれを言う資格は無いと思う」
明は一見理屈っぽい性格に見えるが、それはしょせんうわべだけだ。
彼はいつも決定的なところで感情に任せた判断を下す。シナツヒコとの戦いでは激昂するあまりヤサカニを破壊してしまったし、倶久理の時はまともな落としどころすら考えずに戦いを始めていた。
しかし、望美はそれこそが明の美点だと考えている。
つまるところ、人の心を動かすのは理ではなく情なのだ。一分の隙も無い論文より幼い子供の涙が社会を動かすことなど珍しくもない。
そういった視点から見ると、自分は交渉人としての資質に欠けているのかもしれない。そんなことを思いながら、望美は山の入り口に足を掛けた。
「そこまで言うなら、今度こそ話し合いが上手くいくように祈ってて。そうすれば戦う必要はなくなるんだから」
「俺だってそうなればいいと思ってるさ。……と、来たぞ」
青い光がきらめき、タヂカラオの大きな体が現れる。
こちらを見下ろすタヂカラオの表情は実に楽しそうだった。
「お前らも物好きじゃのう。俺っちみてえなオッサンにばっかりかまけてっと、あっちゅう間にジジババになっちまうぞ?」
「ご忠告痛み入る。お前がガチムチ親父ではなく銀髪碧眼ロリ美少女ならこうして老け込むこともなかったんだろうがな」
「ぐはははは! 坊主め、言いよるわ!」
太鼓のような豪声が森を揺らし、望美と明がよろめきながら耳を塞ぐ。
タヂカラオはひとしきり笑った後、眼光をわずかに強めて望美を見た。
「して、今日は何用じゃ? ニニギ様にお会いすることはできんと言うたはずじゃが」
威圧的というほどでもないが、さりとて暖かい眼差しでもない。こちらの奥底を見透かさんとする裁定者の目だ。
門前払いされなかったことに安堵を覚えつつ、望美はタヂカラオに向かい合った。
「用件は昨日と同じ。私はお互いが殺し合うことのない決着を望んでる。そして、そのためにはあなたたちの望みをもっとよく知る必要がある」
「つまり、交渉したいからまずは俺っちたちの大事な秘密を教えてくださいってか」
「そう」
素直に頷く望美。
タヂカラオは「この正直もんめ」とからかいながら、しかしその顔は笑っていない。
「酷な事言うがよ、今さらそんなことをしてもこっちには得るものがねえんだ。わざわざ狩りの手を止めてまでまだるっこしい駆け引きをする意味があるのかっちゅうと、な」
恫喝にも似た言葉に望美は軽くほほ笑んで、
「あなたたちは現神をこれ以上失わないで済む。これはメリットにならない?」
「……脅すっちゅうのかよ、現神を」
「武力はイコール発言力。私たちはただ狩られるだけのウサギじゃないってことぐらい、もう分かってるでしょう?」
「……は、は、ははははっ!」
タヂカラオが咳き込むように笑う。一歩間違えれば決別必至の交渉カードだったが、意外にも好印象だったようだ。
「ったく、天下無双のタヂカラオ様がこんな小さな娘っ子に脅される日が来るとはなぁ……」
「不快だった?」
「いやさ、痛快じゃ。気丈な女は見ていて気持ちがいいからのう」
そう言って歯を見せるタヂカラオは、やかましく笑いながらもどこか遠い目をしている。
その瞳はここではないどこかを、ここにいない誰かを見つめているようで、望美はなんとも形容しがたいむず痒さを感じていたのだった。