第十話 灰色の関係
タヂカラオとの面会を終えた明たちは、ひとまず問題を据え置いて学園に登校した。
とはいえ授業は上の空。現神の動向や武内の行方など、あれやこれやと考えを巡らせているうちに時間は過ぎ、気が付けばもう昼休みだ。
「お疲れ様、明。今日はいつにも増して勤勉な態度だったね」
四時限目のノートもそのままにぐったりと机に伏せっていると、頭上から猛のからかうような声が降ってきた。
明は頭をごろんと横に倒して猛を見上げ、
「やる気はあるさ。ただ、最近は何かと考えるべきことが多くてな」
「今朝は珍しく遅刻してたみたいだけど、ひょっとしてそれ絡み? そういえば金谷城さんも一緒だったよね」
「それも含めて、だな。世界は俺が考えていた以上に複雑な構造をしているらしい」
「大げさな言い方だなあ。明に哲学的な思索は似合わないよ」
「哲学とは生を模索すること。日々を全力で生き抜いている者は皆哲学者だ」
猛はとっくに背を向けて、夢世界の冒険に漕ぎ出した黒鉄を呼び戻す作業に移っていた。
放置された明はやれやれと首を振り、
「まあいい。先に行くとするか」
あくびをしながら席を立つと、明は物思いに耽る望美を伴って教室を出た。
本日は生徒会室にてタヂカラオ討伐に向けた合同会議が開かれる予定となっている。生徒会と本格的に協調し、万全の備えをもって天香久山を奪還しようというわけだ。
それ自体に異論はない。あのタヂカラオに無策で挑むのは自殺行為だし、最低でも互いにできることを確認しておく必要はあるだろう。
しかし、明が気にしているのはもっと根本的な事だった。
「……俺たちは、タヂカラオとどう向き合うべきなんだろうな」
八十神のように問答無用で襲ってくる敵とは違う。また、他の現神のようにこちらを見下してもいない。
問えば真面目に応じるし、彼個人としては荒神に同情的でもある。
だが、その本質はやはり──敵なのだ。
現在は別の命を受けているからたまたま敵対していないだけで、今後もそうであるとは限らない。むしろ現神にとっては荒神殺しこそが本来の任務といった方がいい。
この平穏は、そういった微妙なバランスの上にかろうじて成り立っているだけなのだ。
「私は、もう少し話し合いを続けるべきだと思う。せっかく見つけた和解の糸口なんだし」
望美は今朝と変わらずそう言い続けていた。あれだけはっきりと断られたにも関わらず、彼女の決意はまったく揺らいでいないようだ。
「そうは言うがな、ぶっちゃけこれ以上の進展は期待できないと思うぞ。奴はニニギに忠実で、そのニニギは絶対に考えを改めないという話だ。つまりはどうしようもない」
「でも、実際に会って話してみたら妥協点が見つかるかも」
「会って話す機会があればな。今のところ、ニニギは徹底して俺たちを避けている」
遺跡から現神を解放し、彼らを率いて何らかの野望を果たさんとする荒神・ニニギ。その正体は未だ謎のベールに包まれている。
容姿性別年齢、ともに一切不明。新たな神代の到来を画策しているというが、彼あるいは彼女が何のために新たな神代を望むのか知る者はいない。
分からないといえば荒神殺しもそうだ。
荒神殺しは新たな神代のために不可欠な工程なのだろうが、それが具体的にどのような意味を持つのかまでは判明していない。
これらの件は現神の間でも重要機密として扱われているらしく、質問してもタヂカラオは頑として口を開かなかった。おそらくこちらがニニギの名前を出さなければ、その存在すら明かすことはなかっただろう。
「交渉を進めようにも相手の望みが分からんことには何もできん。何度行っても無駄骨になるだけだぞ」
「夜渚くんは営業のいろはが分かってない。こういうことは一度断られてからが勝負」
なおも奮起する望美を見ながら、明は複雑な表情を浮かべていた。
望美がここまで話し合いにこだわる理由。それは彼女の過去に起因している。
(これまで自分がやってきたことに対して、少なからず思うところがあるのだろうな)
明に会うまでの数か月間、望美は何度となく八十神の襲撃を受け、それをことごとく討ち果たしてきた。
殺すか殺されるかの戦場にナイーブな感情を差し挟む余地はない。望美の行動は間違いなく正当防衛だし、本人も八十神を殺したことを悔いてなどいないだろう。
だが、それでもしこりは残る。ふと思い返した時に、他にもっといい手段があったのではないかと考えることはあったはずだ。
(察しのいい望美のことだ。昨日の話を聞いてから、より一層無益な殺生をしたくないという思いが強くなったのかもしれんな)
荒神は人為的に作り出された種族であり、そのルーツは大和三山の遺跡にある……木津池はそう話していた。
ならば。
三山の遺跡に封印されていた八十神は、荒神にとってどういった意味を持つのだろうか?
(俺たちの同類、あるいは失敗作だろうな。どう考えても)
それが分かったところで八十神を倒さないわけにはいかないが、心情的に引っかかりを覚えることも確かだ。戦わずに済むならそれに越したことはない。
だから明は、望美に付き合うことにした。
口では無駄だと言いつつも、その意気込みを笑ったりはしない。結果はともかく、彼女の優しさは限りなく正しい方向を向いているのだから。
「そこまで言うならやってみればいいさ。だが、念のために討伐作戦の準備も並行して進めていく。それでいいな?」
「ん、分かってる。もしもの時は私もためらわない」
「ならいい」
そう宣言した以上、彼女は絶対にためらわない。女性は切り替えが早いとかそういったレベルではなく、まさに機械のごとく迅速で情を廃した決断を下すのだ。
思えば一般人である木津池を最初に巻き込もうとしたのも望美だった。
普段は明のストッパーのような役目を果たしているが、本当に引っ張られているのは自分の方なのかもしれないな……と思いつつ、明は目前に立つ生徒会室の扉を開けた。
「……今気付いたが、入る時はおはようございますと言うべきなのか?」
「それは別の業界じゃないかな……」
「──"元気ではきはき挨拶運動"は会長自身が徹底できないのでお蔵入りになりました。ですから適当でいいですよ」
中に入った瞬間、奥からそっけない声が聞こえてきた。昨日も見かけた金髪の女生徒クロエだ。
部屋にいるのは彼女一人のようだ。定位置であるテーブルの端にちょこんと座ったまま、丸っこい弁当箱を広げている。
「あ、神崎さん」
「早いな。蓮とかいう一年坊はまだ来てないのか?」
「先生の手伝いを押し付けられたみたいなので、ここに来るのはもう少し後になりそうです。命拾いしましたね、先輩」
「命拾い……? どういうことだ?」
クロエはこちらに目を向けず、備え付けの電気ポットに手を伸ばした。
ティーバッグの入ったカップに黙々とお湯を入れ、ちょうど八分目まで来たところで止める。
そこでようやく顔を向け、冷めた目つきでこう言った。
「忠告が間に合ったという意味ですよ。"現神と仲良くおしゃべりしてた"なんてことが生徒会にバレると、絶対に粛清されちゃいますから」