第九話 将士の矜持
唐突に殺気を鎮めたタヂカラオを前にして、明は首を傾げていた。
「何が何だかさっぱり分からんぞ。説明してくれ、望美」
「昨日戦った時、タヂカラオは『高天原の将』って名乗ってたでしょう? この人は自分が軍人であることに誇りを持ってる」
「だから?」
「軍人は命令遵守が鉄則。たとえ意に沿わない作戦を命じられても従わなきゃならないし、逆に言えば自分の意思で勝手に動いても駄目。暴力装置は常に管理されてないといけないから」
そこまで聞いて、ようやく明もこの状況を理解することができた。
「つまり何か? こいつは言われたことしかやろうとしない筋金入りのマニュアル人間だから、俺たちが天香久山に立ち入らない限り何もしてこない、と?」
「おおむねそういう事」
さらりと答える望美。明は盛大にため息をつくと、タヂカラオの方に視線を移した。
タヂカラオは既に戦闘態勢を解き、その場でのんきにあぐらをかいている。おまけに尻まで掻いている。ひとまず修羅場を回避できたとはいえ、これはこれで不愉快だった。
「お前は……俺たちが憎くはないのか? 仲間の仇を討とうとは思わないのか?」
そんなことを尋ねてみたのは、相手の態度に多少なりとも苛立っていたからだろう。
対するタヂカラオは息を押し殺すように苦笑し、
「若えなぁ坊主。戦は好きだ嫌いだでやるもんじゃねえ。損得でやるもんじゃ」
「そもそも論で答えを誤魔化すな。俺はお前個人の感情を聞いている」
少しだけ語気を荒げて相手をにらむ。
互いに殺し殺されの戦いを繰り広げているというのに、タヂカラオの振る舞いは不気味なまでにあっけらかんとしていた。
ただ達観しているだけなのか、あるいはそれ以外の理由があるのか。どちらにしても明は妙な反発心を覚えていた。
それはおそらく、仇を討とうと躍起になっている自分が何だか子供じみているように感じてしまったからなのだろう。
「ふうむ、そうじゃなあ……」
手のひらであごを擦りつつ、タヂカラオは思案していた。そして数秒ほど経った後、
「まあ、俺っちもこの戦に思うところがないでもないからのう。敵兵ならいざ知らず、何も知らねえ荒神どもを殺して回るっちゅうのはな……」
口をへの字に曲げながら、重々しく鼻息を漏らす。
それを聞いた望美は安堵したような顔で緊張を解くが、すぐに顔を引き締め、
「それなら提案がある」
「ほう、提案じゃと?」
タヂカラオが興味深そうに首を伸ばす。望美はわずかにうなずくと、
「あなたの上官……荒神ニニギに会わせてほしいの。お互いにきちんと話し合えば、これ以上無駄な血を流さなくてもよくなるはず」
どうやら望美はタヂカラオを通して交渉を始めるつもりのようだ。
忠実な軍人であるタヂカラオはあくまで駒としての立場を貫いている。翻意させることは不可能だが、それは同時にこちらの提案を握り潰すような真似もしないということでもある。
現神の首領であるニニギは荒神……言ってしまえば人間だ。価値観はこちら側に近いだろうし、上手くいけば殺しあうことなくこの戦いに終止符を打つことができるかもしれない。
もちろん希望的観測に過ぎないが、やってみる価値はある。できればの話、だが。
「……そいつぁできんな。というか、無理じゃ」
タヂカラオの返答はにべもないものだった。彼は胸の前で腕を組むと、ゆっくりと首を振る。
「無理? どうして?」
「ニニギ様をお止めすることは誰にもできんからじゃ。あのお方は何があっても諦めることはない。たとえ誰から恨まれようともな」
確信に満ちた言葉。それはすなわち、過去にもそういった事例があったということを示していた。
明は昨日の斗貴子との会話を思い出す。
彼女はあの時、「平和的な現神がいるのならいったいどこで何をしているのか」という疑問を口にしていた。
もしもそんな現神が本当にいたとすれば、そいつは間違いなくニニギに抗議していただろう。ニニギの野心を諫め、荒神殺しを止めるように説得していただろう。
しかし現在も荒神殺しは継続中であり、平和的な現神とやらは影も形もない。要するにそういうことなのだ。
望美もそのことに気付いたらしく、考え込むように口をつぐんでいた。
気まずい沈黙があたりを包む。
そんな中、タヂカラオが底抜けに明るい声を出した。
「まあ……あれじゃ。俺っちはしばらくこの山におるでな。山ん中に入らんっちゅうなら、世間話ぐらいは付き合ってやらんでもない」
おどけるような言葉は、どこか気遣わしげな響きを含んでいた。