第五話 生徒会ふたたび
タヂカラオから逃げ延びた一行は、ひとまず落ち着ける場所を求めて高臣学園に帰還していた。
猛に先導されながら北館の階段を上り、四階の廊下を西へ。突き当たりには茶色の大きな扉が待ち受けている。
「生徒会室か。まあそんなことだろうと思ってはいたが」
シナツヒコの一件以来、猛は生徒会の一員として正式に迎えられ、他の役員たちと共に様々な業務に勤しんでいるという。
それは当然、表向きの活動だけに留まらない。生徒会長武内の掲げる理念の下、現神や荒神の動向を監視するのも猛に課せられた任務の一つだった。
「それじゃあ、水野くんが天香久山にいたのは生徒会活動の一部……会長さんの指示ってこと?」
「肝心のお武さんが雲隠れしてるっていうのに仕事熱心ですねえ。お姉ちゃんは鼻が高いです」
「……ちょっと待て、斗貴子。今、武内暁人が行方不明だと言ったか?」
「え、知らないんですか? あの人、数日くらい前から家に帰ってないみたいですよ」
「いや、初めて聞いた。遺跡探しをしているのに一向にケチを付けてこないからおかしいとは思っていたが……」
斗貴子が軽く漏らした事実は明にとって寝耳に水だった。
武内は名実ともに生徒会の柱だ。そう簡単に姿を消していいものではないし、武内自身もそんなことは分かっているだろう。
それでもなお家を空けなければならない理由があったのか。あるいは帰れない事情があるのか。
「行方不明って言い方はちょっと大げさかな。事実は事実だけど、そこまで心配するほどの事じゃないよ」
猛は困ったように笑いながら扉を開けた。木材と埃の混じった独特な香りが明の鼻をくすぐる。
「詳しい話は中でしようか。一応、神崎さんにも顔見せしておいた方がいいだろうし」
他の者に続いて明も部屋の中に入る。
整理整頓の行き届いた洋間の端、格調高い調度品に囲まれるようにして女子生徒が座っていた。
華奢な体躯に、まだあどけなさの残る顔立ち。シンプルなカチューシャに彩られた金の長髪。瞳の色は青く、日本人離れした雰囲気を漂わせている。
セーラー服の二の腕には生徒会の腕章。以前ここに訪れた時にも見たが、やはり彼女も生徒会の一員だったようだ。
「ああ、もう帰ってきちゃったんですね。今日は一日のんびりできると思ってたのに」
少女はテーブルの上に置かれた漫画本から顔を上げると、眠そうな目を蓮に向けた。
「それで、首尾はどうです? 会長に褒めてもらえるような成果をあげることはできましたか? 輝かしい戦果でもいいですけど」
抑揚のない口調で責め立てられ、蓮がぐぬぬと口を歪ませる。
「ぐっ……分かってて言ってるだろ、神崎」
「確認のためです。報連相は大事って門倉先輩も言ってましたよね?」
「ど、どうせ遠くから視てたんだろ! だったら説明は必要ないっ!」
「さいですか。まあ実際その通りなんですけど」
しれっと言い切った後、少女は座ったまま頭を下げた。
「とりあえず挨拶しておきますね。一年一組、書記の神崎クロエです。そっちにいるジャンガリアンハムスターみたいな男の子は会計の日下部蓮くん」
「誰がハムスターだっ!」
「そうやってすぐ威嚇するところが凄くそれっぽいです」
そっけない自己紹介を終えるとクロエは読書に戻った。あとはそっちで適当に進めてくれということらしい。
良くも悪くも個性的な後輩だが、取り立てて気を悪くするほどのものでもない。こちとらそれ以上の木津池と毎日のように顔を突き合わせているのだ。
全員が席についたことを確認すると、明はさっそく先ほどの質問を猛にぶつけた。
「まず武内のことだが、奴は一人で何をしているんだ?」
「正確には会長と副会長だね。内容は僕たちも聞かされてないんだけど、あの二人は何か重要なことを調べてるらしい。隠密行動を徹底するからしばらく連絡してこないようにってきつく言われてる」
「いつになく慎重だな。あの男は立ちはだかる障害を正面から叩き潰すようなタイプだと思っていたが」
「それだけ敵の喉元に迫ってるってことなのかも」
望美の言葉に一同が頷く。
三山の攻略は大詰めを迎えており、現神も既に四体が撃破されている。そう考えると、戦いの終わりはそれほど先のことではないのかもしれない。
「しかし……そうなると猛の身が心配だな。武内が不在の間、寝泊りはどうしているんだ?」
「今まで通り会長の屋敷で暮らしてるよ。絶対に大丈夫とは言えないけど、八十神程度なら問題無いし……それに、今は蓮くんも屋敷にいるからね」
「この一年坊が?」
明が訝しげな目を向けると、蓮は鼻高々に胸を張った。
「この僕は暁人様直々に水野先輩の護衛役を仰せつかったんだ。つまりそれだけ信頼されているってこと」
「自分もついていくって駄々こねたから適当に仕事を与えられただけだと思いますけどね」
「うるさいぞ神崎っ!」
蓮は鼻息一つで気分をクールダウンさせた後、
「日下部家は室町時代より武内家にお仕えしてきた由緒ある家柄なんだ。主のために私情を殺すのはむしろ誇らしいぐらいだ」
胸に手を当て、宣誓するように語る。それをじっと見ていた望美が一言、
「だったら護衛対象を連れて危ないところに行ったら駄目なんじゃないかな……」
「う」
蓮は固まり、猛は苦笑し、斗貴子はにちゃあと笑い、クロエは無反応。窓の外から合いの手を入れるようにカラスの鳴き声が聞こえてきた。
「彼なりに生徒会の役に立とうと必死だったんだよ。その辺はちゃんと汲んでやってほしいな」
羞恥に顔を紅潮させる蓮を見て、すかさず猛がフォローに入る。見せる微笑は菩薩のように優しいものだ。
「せ、先輩……!」
蓮の表情は感動に打ち震えていた。
彼自身がチョロいのか猛の人心掌握術が優れているのか、どちらにしても今後の話がスムーズに進みそうでありがたい限りだった。
「それはいいんですけど、結局このハムスターちゃんはどうして天香久山に行きたかったんですか?」
「だからハムスター言うなっ!」
そして収まりかけた場の空気を混ぜっ返すのがこの女だ。空気を読む能力は一つ残らず双子の弟に譲渡してしまったらしい。
再び騒がしくなった生徒会室が落ち着いたのは、クロエが二冊目の漫画に手を伸ばした頃だった。
「……こほん。僕と水野先輩は、天香久山にある遺跡の様子を見に行くつもりだったんだ」
蓮の話によると、大和三山の遺跡は全て生徒会が把握しており、つい最近までは定期的に巡回を行っていたのだという。
ただ、ここ数か月間は現神の活動がとみに活発化していたため、生徒会もなかなか巡回の時間を作ることができなかった。
「現神に遺跡を占拠されていないか心配だった、というわけか。そしてその憂慮は現実のものとなった」
磁気異常によって隠された遺跡の内部は、人知れずよからぬことを企む者たちにとって絶好の隠れ家となる。
実際畝傍山にはオオクニヌシが入り込んでいたし、耳成山は黒鉄のサボり場と化していた。生徒会が天香久山を気に掛けていたとしても不思議ではない。
気になるのは「タヂカラオはなぜ天香久山に陣取っているのか」という点だが……。
「蓮といったな。聞くが、天香久山の遺跡には何がある? あの場所には現神が求めるようなものが安置されているのか?」
蓮は神妙な顔で考え込み、ややあってから首を振った。
それは否定ではなく拒絶の意味を込めた動作だった。
「僕は武内家に連なる者だ。どこの馬の骨とも分からない奴に遺跡の秘密を漏らすわけにはいかない」
「主従揃って融通の利かん奴だな……。そんなつまらんことにこだわっている場合か?」
「何と言っても駄目なものは駄目だ。だいたい、お前らが好き勝手調べ回ってるのだって特例で許されてるだけなんだからな」
口を尖らせてのたまう蓮に、今度は望美が説得を試みる。
「それなら特例おかわりで。一人殺すも二人殺すも同じって言うでしょう?」
「こっ、怖いたとえを出すんじゃないっ!」
真顔の望美に静かな狂気を感じたのか、蓮は椅子ごと後ろに飛び退いた。
「っていうか、もう遺跡とかどうでもいいだろ! 現実としてタヂカラオはそこにいるんだ! 細かいことを気にする前にあいつを倒すのが先決じゃないか!」
「それはそうだが……」
確かにここで実の無い議論をする意味は無い。遺跡が気になるのなら、タヂカラオを倒してからゆっくり調査すればいいのだ。
しかしそれはそれで二度手間というか何というか、どうにも効率的ではないような──
と、明が考えていた時、不意に入り口の扉が音を立てた。
「むふふ、それなら俺が言い当ててみせよう。天香久山に眠る遺跡の正体をね」
わずかに開いた隙間から見えるのは、ひょろ長男のにやけた笑みだった。