第三話 ままならぬ思い
翌日。明は望美と斗貴子を伴って、田園沿いの車道を歩いていた。
季節は秋も中頃。稲穂は大方刈り取られ、残された稲藁がくすんだ黄金色に光っている。
視線を巡らせば、田んぼを挟んだ向こうには古い集落がある。その先に見えるのは緑深くなだらかな小山。
それこそが一行の目的地──天香久山だ。
天香久山は古事記を初め多くの神話や歴史書に登場する、いわば古代史上最も有名な山である。
耳成山と畝傍山で遺跡が見つかっている以上、最後の大和三山である天香久山に遺跡が隠されていることはもはや疑いようが無い。
現神の拠点を突き止めるため。あるいは彼らの目的を探るため。どちらにしても、事件を解決に導くためには遺跡を巡ることが一番の近道なのだ。
だが、現在明の思考を占めているのは全く別の事柄だった。
「人の側に立つ現神、か」
目を細めつつ、雲一つ無い空を仰ぐ。思い出すのは昨日のことだ。
新たな神代、ひいては荒神狩りを忌避する現神の存在。
にわかには信じられないが、倶久理が適当なことを言っているようには見えなかった。また、オオクニヌシがそのような作り話をする意味も無い。
ゆえに、その情報は真実なのだろう。たぶん。
少なくとも積極的に否定できるような材料は無い。「有り得ないだろ」という心の叫びさえ無視すれば。
「控えめに言って眉唾ですよねー」
やる気無さげなつぶやきは斗貴子のものだ。ヤジロベエよろしく両手を広げ、縁石の上でゆらゆらとバランスを取っている。
「やはり斗貴子もガセネタだと思っているのか?」
「そこまでは言ってませんけど、もし本当ならその人は今までどこで何してたんだって話ですよ。何人死んでると思ってるんですか」
「まあ、な」
現神が荒神狩りを始めてから何年も経つが、その間に殺された人の数は一人や二人ではない。
犠牲者は今もなお増え続けており、現神が考えを改める気配も無い。そんな状況で「話の分かる現神もいる」などと言われたところでたやすく納得できないのは当然と言えよう。
一方、望美は違う意見を持っているようだった。
「私は……どちらかといえば信じる、かな。よく調べもしないうちに無視していいような情報ではないと思う」
斗貴子の動きがぴたりと止まる。片足立ちから上半身を器用にひねり、望美に怜悧な視線を向けた。
「おやまあ、意外なところから対立意見が出てきましたね。その心は?」
「単純にリスク管理の問題。戦わなくてもいいかもしれない相手にこっちから喧嘩を吹っ掛けるのは、非効率的」
「対話の窓口は常に開いておくべきだと言いたいんですか? 立派な考えだとは思いますけど、そこに付け込む相手がいないとは限りませんよ」
「でも、璃月さんは一度もそんな敵に出くわしたことが無いんだよね? だったら今さら騙し討ちをしてくる可能性は低いと思う。やるならもっと早くに仕掛けてるはず」
「それは……そうかもしれませんけど」
たとえ演技でも荒神ごときに媚びへつらうのは現神の流儀ではない、ということなのだろう。
斗貴子も何か思い当たる節があったようで、渋々ながらも望美の考えを認めていた。
で、明自身はどういったスタンスなのかというと……実は自分でも良く分からない。
(普通なら朗報と考えるべきなのだろうがな……)
無益な戦いを避けられるのであれば無論そうすべきだし、上手くいけばこの戦いを平和裏に終息させることだってできるかもしれない。
しかし、理性と感情の行き先は往々にして合致しないもの。
今にして気付いたが、これまで"敵"として扱ってきた者たちに歩み寄るのは思っていた以上に強い抵抗を感じるのだ。
倶久理の時とは状況が違う。何しろ現神は妹の仇だ。
仮に和解が成立しても、「もう悪いことはしないからタケミカヅチを殺さないでくれ」などと涙ながらにうったえられたとしたら。
果たして、自分はどのように答えるのだろうか?
「……まあいいでしょう。こんなところで机上の空論を転がしても仕方ありません」
明の思考を打ち切ったのは斗貴子の声だった。
彼女は再び前を向き、次の縁石に向かって跳躍。着地と同時、ローファーのかかとが軽快な音を響かせた。
「要するにケースバイケース、出たこと勝負ですよ。友好的な現神がいるならいるで、いざその時になってから考えればいいんです。……ね、明さん?」
肩に手を置き、顔を傾け、斜め上からこちらに笑いかける。
気安い微笑の奥底には、ともすれば見逃してしまいそうなほど控えめな気遣いの欠片が見え隠れしていた。
斗貴子はごくたまにこういった顔を見せる。
こちらのことを全て見透かしているかのような、それでいてどこか遠慮めいたものを感じさせる不思議な表情。
それが自分にだけ向けられているものだと知ったのはつい最近のことだ。
彼女がこちらを気にしてくれていることは分かる。だが、明にはその理由が分からない。見当もつかない。
恩を売った覚えも無ければ惚れさせた覚えも無いのに、不意打ち気味に謎の優しさを発揮されても反応に困る……というのが明の本音だった。
「相変わらず読めない女だ。俺に言わせれば現神よりお前の方がずっと胡散臭い」
「斗貴子ちゃんはリバーシブル仕様なので裏も表もございません。変な勘ぐりばかりしてるとモテませんよ?」
「要らぬお世話だ。俺の好みはお前とは真逆の位置にある」
「なるほど。真逆。つまりは表裏一体斗貴子ちゃんへの遠回しな告白と受け取っても構いませんね。まあ耽美的!」
じゃれつく斗貴子を振り払い、細いあぜ道に進路を切る。緩やかな坂を登れば天香久山はすぐそこだ。
坂の上にはやや幅広の山道が口を開けていた。
中から聞こえてくるのは虫の声に鳥の声、それから木々の囁き合う音。人の息遣いは無い。
「ふざけるのはこれぐらいにして、真面目に探索を始めるぞ。近くに現神がいないとは限らんのだからな」
「ん、分かってる。今度こそ何か見つかるといいんだけど」
「じゃないと困りますよ。結局畝傍山にもめぼしい手がかりはありませんでしたし」
オオクニヌシとの戦いが終わった後、明たちは改めて畝傍山の遺跡を調査していた。
だが、発見できたのは八十神の棺と祭壇と壁画だけ。
どれもこれも耳成山にあったものばかりで、現神に関するものは全くと言っていいほど見当たらなかった。
もっとも、木津池だけは何かを掴んでいるらしく、実に満足そうに明たちの話を聞いていたが。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
神経を尖らせながら、明は山道に片足を踏み入れた。
続いて望美と斗貴子が両脇を固め、扇のような陣形を作る。
「何も出ないのが一番なんだけど」
「同感だが、生憎そうもいかんようだ」
その時、林の奥から小さな音がした。
風船が弾けるような快音と共に、周囲の景色がわずかに揺らぐ。
一行は黙って身構えるが、それ以上の変化は無い。
ただ……揺らぎが見えた瞬間、明の異能は何者かの波動を感じ取っていた。
オオクニヌシの時と同じだ。誰もいない場所から降って沸いたように現れる反応。
それは、フトタマの結界が解除された証左。
結界の中にいた者たちが現世に解き放たれる合図なのだ。
「数は三つ。……来るぞ」