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田舎娘は甘いものが好き

 入室を肯定する短い返事を聞いたグリがそっとドアを開けると、ディアスは紅茶を淹れている最中だった。

 「そこに座ってて」

 あっ、と口を開きかけたグリをテーブルに着席させると、据え置きの食器棚から新たなティーカップを取り出して紅茶を注いだ。テーブルにソーサーを運んでくれる長い指を間近にして、グリはどぎまぎした。

 ディアスはティーポットをテーブルに置くと、部屋の隅に置かれたトランクを開いて少し考えた様子で手を伸ばし、いくつかお菓子を取り出してテーブルに並べた。

 小さめのテーブルが、二人分の茶器とティーポット、おいしそうなお菓子で賑やかにひしめくのをグリは魔法でも見るように見つめていたが、テーブルが整うまでにグリが我に返ってあわあわと椅子から立とうとするたび、座って待っているようにぴしりと釘を刺すのもディアスは忘れなかった。


 「甘いものは苦手?」

 ティーカップを傾けながら、つややかな黒髪の主が尋ねた。

 グリはあわててふるふると首を振った。

 「大好きです」

 勇気を出して、赤いジャムがキラキラしているクッキーをひとつ手に取った。

 大好き、と言い切った物言いとは裏腹に、おそるおそるといった様子で焼き菓子をかじるグリをディアスは面白そうに眺めている。


 「姉があれもこれも持っていけって。食べてくれると助かるよ」

 紅茶をこくりと飲むと、鼻に抜ける柔らかな香りが心地よい。

 「おいしいです」

 ディアスをまっすぐ見て、グリは感嘆の声を漏らした。

 「こっちの緑のジャムは、珍しい南国の果物を使っているらしい」

 促されるままにまたひとつクッキーを手に取った。もぐもぐと咀嚼しながら、グリはディアスを見つめた。バターがたっぷり使われた塩気のあるクッキーに甘いジャムがの風味がぴったりでとてもおいしいです、と目で訴える。

 そんなグリを見て、ディアスは破願した。

 「はははっ」

 口角を上げるだけの貴族らしい笑みではなく、おかしくてたまらないといった様子だ。

 「君はおいしそうに食べるねぇ」

 グリが恥ずかしくて真っ赤になった。でもまだクッキーが飲み込めていないので、口は小さくもぐもぐしている。


 「僕は勝手にしゃべっているから、そのまま食べてていいよ」

ディアスは笑顔のままティーカップを置くと、ポットから新しく注ぎながら付け加えた。香り立つ紅茶の湯気は午前中のまばゆい光をはらんで、神々しくさえ見えた。瞳を伏せてそれを見つめるディアスの長いまつげにグリはみとれた。

 「お菓子は自分で食べるよりも、女の子が食べるのを見ている方が好きなんだ。姉たちはティータイムごっこが好きで小さい頃からつき合わされてね。あ、もちろん僕はウェイターの役」


 ディアスはそのあともぽつぽつと自分の話を語り、その合間にグリにお菓子を薦めた。

 グリはすっかり場の空気に飲まれてしまったが、パウンドケーキをひとつ食べた後に思い切って昨日の非礼を詫びた。叱られたらどうしようかとドキドキしていたが、ディアスは笑って聞いてくれた。


 ひとしきりお菓子を食べて紅茶を飲み、いくらか緊張が解けたグリは、テーブルの上に絹のリボンがあるのを見つけた。お菓子の袋に飾りとして使われていたのだろうが、今まで夢中で気がつかなかったらしい。

 薄い灰色がかった緑色は、グリの瞳の色とよく似ていた。グリの視線の先にリボンがあることにディアスも気づいたらしく、それを手に取って指に巻きつけるとぽつりとつぶやいた。

 「綺麗なヴェルディグリだ」

 ディアスの口から、めったに呼ばれることのない本名を聞いたグリは心臓が止まりそうになって、はじかれたようにディアスを見た。

 ディアスもグリの反応に驚いた様子で、目を見開いているグリを見返した。そしてあぁ、と納得したように笑顔になった。


 「グリって変わった名前だと思ってたんだ。そうか。ヴェルディグリ、君の瞳の色だね」

 あまりに突然のことに、思考が真っ白に焼きついたようだった。

 「はい、私は、ヴェルディグリ、です」

 見目麗しい貴族の青年が愛称ではない自分のほんとうの名前を呼んでくれたのに、こんな気の効かない返事があるだろうか。グリは頭の中で自分の教養の無さを呪って地団駄を踏んだ。


 「じゃあこのリボンはグリにプレゼントするよ」

 のた打ち回っているグリの内心を知ってか知らずか、ディアスがにこやかにリボンを差し出した。

 「へっ!?いえ、絹のリボンなんて高価なもの頂けないです。それに珍しいお菓子もたくさんご馳走になってしまって……私、お支払いはどのようにすれば……」

 急に現実に引き戻されて泣き出しそうになっているグリを見てディアスは驚いた表情を浮かべたが、ふむ、と考えるとリボンを手に席を立った。あわてて立とうとするグリを静止し、背後に回る。

 「ひゃっ!」

 「じっとしてて」

 束ねた髪に触れられる気配に驚いて思わず頭を動かしそうになったが、そう優しく言われると猫に見つめられたネズミのようにグリは動けなくなる。うなじの産毛が緊張でそわそわするのを感じながら、おとなしく座っているしかなかった。


 「来てごらん」

 簡単な洗面台にしつらえられた鏡の前に呼ばれて席を立つと、そこにはいつもと違う自分が映っていた。束ねられた髪にヴェルディグリのリボンが結ばれて、ふわりと首筋に垂れている。

 「ほら、グリにはこのリボンがとても似合うけど、僕には逆立ちしても似合わない。だからもらってくれるとうれしい。僕はお菓子があまり好きじゃなくて、グリが食べるのを見ている方が好き。だからこれで言いっこなし」

 鏡に映るディアスが笑った。改心の出来、とでも言いたそうだ。

 「ありがとうございます」

 うれしくて心がくすぐったくてディアスをまっすぐ見ることができなかったから、鏡の中の自分を見てみた。


――私、こんな顔してたっけ。

 一瞬こう思うくらいに、見慣れた自分の顔が違って見えた。

 ヴェルディグリのリボンと同じ色をした瞳がうるんでいる。ほんのり上気した頬と血色の良い赤い唇は、お菓子と紅茶の力だけではないだろう。

――そうか、これは恋をしている女の子の顔なんだ。

 私はこの人に恋をした。グリはただ、隣で微笑む青年を見上げていた。





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