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隣の席は君  作者: 姫野 釉月
29/42

◆隣の男子との帰路

◆→まちさん視点





 体育館を出て、初めに居たベンチに差し掛かった時に、はたと気付く。



「あ、鞄…」



 完全に存在を忘れていた。どうしよう、今から取りに戻るのか。いやもうどうせ家に帰っても宿題をする気が出てこないと思うからこのまま帰っちゃおうか、と思考が囁きかけるが、明日大変なことになるのは目に見えている。


 今日の星占いはきっと最下位だったんだろうな、と災難だったのは皆も同じ、と意味のわからない慰めを心で呟き、仕方なく踵を返す。


「はい」


 ───と、そこには静くん。私の鞄を差し出してくれている。相も変わらず無愛想なイケメンだな、と咄嗟に思った私はかなり心がやさぐれていたのだろう。


「あ、ありがとう。───?」


 思考がやっと遅れて追いついた。何故、彼がここに───?


「おつかれ」


「あ、はい。おつかれさまです、そちらこそ」


「うん」


 疑問を挟む余地もなく、彼が挨拶を繰り出してくるからこちらもそれに応ずるしかない。


 チラ、と彼が自分の鞄を持てているか確認する。あのマイクを手渡されたことがすごく衝撃的で、彼の鞄を失くしてしまったかとついさっき思い出して心配したが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 もしかしたらあの時、自分の鞄を取る為にわざわざマイクを手渡しに来てくれたのかもしれない、と思い直す。

 なるほど、侮れない。さすが学年一位。いやそれは関係ないか。


「じゃあ、帰ろうか」


 え。


「ま、待って。帰るって、一緒に…?」


「うん」


「部活は?」


「終わった」


「絶対ウソ」


 だって、体育館から『シズ、どこ行ったぁぁぁッ!』という野太い声が響いているのが聞こえた。十中八九、バスケ部主将の橘さんの声だ。


 私が断言すると、静くんは少しばかり目を見張って───。


「清水さん、耳、良いんだね」


 とても感心したように呟いた。

 違う。そこじゃない。私のことはいいんだ。主将さんのことを気にしてほしい。彼の叫びが聞こえているのなら尚更。


「でも、今日はもういいと思う。オレも、皆も集中力切れたし」


 普通は休憩したらもうひと頑張り出来るものではないだろうか。勉強面ではその力は発揮されないが、部活面ではその限りだと思う。そのまま集中力が切れるなんて早々あることじゃない。だから、主将さんは怒っていると思うのだが。


「主将さんがやるって決めたら、参加するものじゃない? 夏の選抜メンバーって聞いた事あるけど」


「時間を費やしたら強くなれるわけじゃない。体力はつくかもしれないけど。あの人もそこはわかってると思う、本能的に」


 最後の一言が皮肉に聞こえたのは私の幻聴だろうか。


「それに、オレの集中が切れたの、清水さんのせいだから」


「え」


 まさかの責任転嫁?!

 仰天しているのに、更に彼は驚きの行動を取った。


 すれ違い様に、私の手を握ってそのまま門へ歩き出してしまったのだ。


 既視感。いつぞやの状況が脳裏に甦る。あの時は放心状態に近かったが今は違う。精神的疲労は凄まじいが、頭はまだ生きている。

 こんな、彼のような有名人と手をつないだ状況を見られたら私は明日からどんな顔をして学校生活を送ったらいいのだろうか。今から戦慄する私を余所に、彼はぽつりと呟いた。


「あんな場所で歌わせるんじゃなかった」


 マイクを渡した人が何をおっしゃるか…!!

 一瞬、憤怒にも似た激情が心の奥底からこみ上げてきたが、ここで怒鳴って変に注目を浴びたらそれこそ私の明日はない。

 彼のファンクラブの睨みが、今回良い仕事をしてくれた。お陰で私は少し冷静になれた。


「なんで、あそこでマイク渡してきたの。断るタイミングだったのに」


「そう? 清水さん、押しに弱いから多分、あのままでも歌わせられたと思うけど」


 実は若干私もそんな気がしてた、とは口が裂けても言えない。だって長谷部さんの勢い、凄いんだもの。

 切羽詰まってたから余計に溢れる何かがこちらに伝わってきていた。私に断る勇気があの時点で果たしてあっただろうか。最終的には神矢部長の鶴の一声で退路は絶たれたようなものだが。


 こんなことを考えている時点で、彼に八つ当たりをしている気もしなくはないが、ちょっとムッ、としたのも事実だ。


「練習したことない歌をいきなり歌わされるのは、誰だってイヤだよ。長谷部さんも歌ってくれたのは、嬉しかったけど」


「楽しそうだったね」


「歌は、好きだから。───でも今の状態では、歌いたくなかった」


 いつの間にか門は通り過ぎて、通学路である住宅街に差し掛かっていた。夕焼けが辺りをオレンジに染めていく。


 手を引かれながら彼の後ろ姿を見ていたが、少しずつ足元に視線が下がっていっていた。

 そうだとも。まともに歌ったことのない歌をいきなり歌わされて、変に注目を浴びる羽目になるし、彼には集中力が切れたと言われ、挙げ句『歌わせなきゃよかった』……?

 恥をかいたのは私の方なのに、なんでそんな言われ方をされなきゃいけないんだ。

 普段、寡黙で無愛想なのに、こういう余計なことははっきり物申すところが癪に障る。


 爪でも立ててやろうか、とやさぐれていると、唐突に彼は足を止めてこちらに振り向いた。


「でも、清水さんはよかった」


「うん?」


「清水さんは分かってない。言っとくけど、オレは充分満足してるから。好きな声があの場所いっぱいに広がってたし、清水さんはいい表情だったし…」


「はぁ…」


 無表情ながらも、なんだか熱烈なことを言われている気がして、なんと応えたらいいのかわからず、適当に相槌をうってしまった。彼は続ける。


「ずっと聞いていたいぐらいだったし、ずっと見ていたいぐらい、清水さんは眩しかった」


「え、う…?」


「あんな表情、練習の時には見せてくれないのに、なんであんな場所で…しかもイイ声で…」


「あ、すいません、ストップ!ストップ!!」


 夕焼けの加減か、頬がうっすら色付いてしかめっ面になる静くんを目の当たりにして、なんだかいけないものを見ている気持ちにさせられた。慌てて口を封じるべく大声を出して、思わず鞄を落として繋がれていない手を挙げてしまった。幸か不幸か、その成果は果たしてあった。彼は言葉を一旦止めてくれたのだ。


「……何」


「か、帰りましょうっ…!!」


 何か物言いたそうな切ない表情の彼が直視出来ず、今度は私が手を引っ張ろうとしたが、足元の鞄のことを思い出し、一度しゃがむことになった。そのまま歩き出していたら危うく躓くところだった。

 鞄を手に持ち、さぁ仕切り直しだと顔を上げようとした時に、大きな手が私の鞄をさりげなく取っていった。

 当然、仰天した私はその手の主を見た。


「静くん…?」


「持つ」


「え、あ、いいよ。そっちの方が荷物多いし」


「質量的にそっちの方が重いから」


 確かに、鞄が二つある彼に対し、私の鞄は一つに凝縮されてるぐらい結構重いことを互いに知ってしまっているわけだが。

 持ってもらってラッキー、と思えるほど私は柔軟な考えはしていない。むしろ、なんだか人質を取られたような気分になる。


「それに」


「それに?」


「コレがあった方が、もっとゆっくり歩けるでしょ」


 私の鞄人質説が色を濃くした瞬間である。

 私は早く帰りたいのだが、彼は違うのだろうか。

 そういえばこの人、私の声が好きなんだっけ。


 今日はもうとことん神経をすり減らす日なのだと諦めの境地に至り、適当に返事をしてしまったことが私の盛大な失敗である。


 気付かぬままとんでもない約束をしてしまったのは後の祭りであった。





「梨花、ごめん。今日、一緒に食べれない」


「どうしたの」


「でも、私が一緒に食べたいのは梨花だからね…!」


「なんかわかんないけど、うっとうしくなりそうだから心置き無く行きな」


「うん…! あ、これ、デザートにどうぞ」


「うん、ありがとう」


「行ってきます…!」



「───すっごい悲壮な顔して行ったけど、紙袋抱えてどこ行くんだろ」



 安定の親友の塩対応に心の中で涙を流しながら彼との約束を果たすべく廊下を駆け抜けた。


 そこで新たな約束を結ばされることになろうとは、その時の私は知る由もなかったのだった。



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