◆隣の静くんは横暴
◆→まちさん視点
朝からの授業をそつなくこなし、昼休みには親友の梨花に座席の結果報告をして意味深に鼻で笑われ、午後からの授業で英語と数学によってメンタルを著しく消耗されたその日の放課後。
さすがに陽はまだまだ高く、この音楽室も蒸し暑い。一度換気するために窓を開けても暑さに変わりはない。
窓辺に立つとささやかな風が入ってきて汗が滲む肌には心地よい。───はずなのだが、この身に突き刺さる視線のせいでのんびりと心地よさに浸っていられない。
それは、この音楽室で相対するその人によって、私は窮地に陥れられたネズミの気持ちになっているからである。
「………」
「………」
「……あの」
「何?」
「今日の声出しはいつもより長いから、その…部活へどうぞ?」
「ヤダ」
「ヤダって…」
バスケ部のエースと名高い彼、佐久間 静くんから発せられたとは思えない『ヤダ』に頭を抱えてしまう。
「この前も言ったけど、オレは清水さんの声が好きだから歌じゃなくてもいい」
「それなら、さっき英語で喋ったけど」
それはもちろん、英語の授業内のことだが。相変わらず、彼は卒なくこなしていた。
「あれじゃ足りない」
そんなことってあるの?
喉元まで出かかった言葉を寸でのところで押し留める。佐久間 静くんはこの三ヶ月で変わったと思う。というか、ここまで関わりを持つことになることが既に予想外なのだが。
先月か先々月辺りからなんか、こう…オシ(?)が強くなったと言えばいいのか。
どうやら私、清水 まちの声がお気に召したようで、今まで私にバレないようにこっそり隣の部屋の練習室で部活をサボ…休憩していたという。ある日をきっかけに彼がそこにいることが発覚し、バレたことに対して彼は悪びれる様子なんてなく、むしろ開き直ったかのようにその日以降の夕方からは堂々とこの音楽室に居座っている。
どうして運動部の彼が文化部の部屋にいるのか私にはよくわからない。ついでに、声出しからガッツリと練習を見られていることもよくわからない。そのまま練習を続けられる私の神経もだいぶ逞しくなったな、と我ながら感心する。だが、今日は既に神経がいつも以上に擦り切れていることを忘れてはならない。
朝の席替えから今までの時間で癒しの時間は昼休みのみだ。
その癒しの時間でさえも、生徒会員でもある梨花が早々に用事で席を外してしまった。
昼の部活動でも合唱部部長の神矢先輩に「そのままじゃダメだよ」とやんわりと指摘を受けてしまった。
これで私の心が折れないわけがない。ちょっとでも距離を置きたい、というかもう私帰りたいという気持ちもほんの少し混ぜて勇気を振り絞って思い切って言葉を続ける。
「見られてたら集中出来ないから、その…」
出ていってほしい。
最後の言葉を発した途端、私は果たしてどうなるのか。
先月に、静くんをバスケ部部長の橘先輩と協力してこの部屋から退室させたことがある。
それから先は私も体調を崩してしまって詳しいことは知らないが、どうやらクラスでの雰囲気が凍り付く勢いで静くんが落ち込んでいたらしい。『静と付き合ってんの?』と言い出した山本くんからその当時のことを詳しく教えられた。『だから』と続けられた言葉に、本当に重症の場合は仕方ないけどそれ以外はちゃんと学校に来て、と念を押されたのは記憶に新しい。
なんで「だから」なんだろう。私が関係してるみたいな言い方。なんて思いながら、よく分からないまま曖昧に頷いておいた。
それ以降、静くんの表情はなるべく見るようにしている。
今現在の、この無表情。私が話し終わるのをちゃんと待っていてくれているが、果たしてその先の提案には乗ってくれるか。そこは読めなかった。
「声だしが終わった頃に連絡するからそれまで部活、頑張ってほしいなぁ、…なんて」
苦肉の策、と言わんばかりの濁りに濁りした言葉をようやっと声に出す。
切れ長の瞳が細められ、相変わらずの直視である。心を探られているような気持ちになるのは、彼がかなりの美人さんだからだろうか。意図せず睨んでいるようにも見えるが、彼なりに何か考えてるんだろうな、と最近わかってきた。ように思う。
「………」
「………」
即答しない辺り、かなり渋っていることが伝わってくる。
永遠にも思えるほどの短い時間の末、ようやく彼が口を開く。
「わかった。行く」
奇跡だ。奇跡が起きた。
今まで絶対この場にいると決めたら頑なに離れなかったし、八つ当たりのような威圧も向けられたしで、正直諦めかけていたのだが、言ってみるものだ。
神様ありがとう。でもその奇跡、この前の席替えで発揮してほしかったです、とほんの少し欲が出たからだろうか。着替えのバッグだけを持って、彼はこちらに振り向いた。
「でも、携帯は持って行かない。清水さんが呼びに来て」
「え?」
「じゃあ、行ってくる」
颯爽と去っていく彼に待っての言葉もかけられなかった。
バスケ部のホープと呼ばれている彼の駿足と、一時の思考の混乱とで完全にタイミングを誤った私はよろよろと机に手をつく。
「……嘘でしょう?」
視線の先には彼の鞄。貴重品管理がなってませんよ、と文句を言われても仕方ないこの状況。間違いなく彼の鞄から何かが紛失したら私のクラスでの居場所がなくなる。
いや、問題はそこじゃない。
「私が、呼びに…?」
なんて恐ろしい要求をさらっ、と言い残して行ったんだろう。
勘違いしないでほしいのだが、彼、佐久間 静くんと私は付き合っていない。
そう、ただのクラスメイト。最近は、知り合い以上友達(?)ぐらいには思えるが貴重品をいれた鞄を託せるほど親しくなった覚えはない。そして、私が今一番直視したくない現実はクラスを通り越して学校全体で誰もが名前を知っている有名人を平凡な私が迎えに行かねばならないということだ。
付き合ってもいないのに、どの面下げて迎えに行けというのか。
あの人は本当に他人から自分がどういうふうにみられているのかわかっていない。
毎朝、ファンクラブという組織から差し入れというプレゼントを贈られている身なのに、それがわからないとは鈍感を通り越して異常である。
よく今まで恨みを買わなかったなイケメンすげぇ、と他の男子が言っているのを小耳に挟んだことがあるが全く持ってその通りだと思う。その時は世渡り上手としか思っていなかった私も事態を甘く見ていたのだと今この瞬間反省する羽目になっている。
あの頃の私が今の現状を見たら叫ぶだろうな…。
「とりあえず、今は気を引き締めて…よし」
本来の目的は達成できたことを忘れてはいけない。せっかく一人で練習できるのだ。このチャンスを潰すことだけはあってはならない。
「……丁寧に声出し、していこう」
それがせめてもの時間稼ぎであり、本日唯一の練習メニューだ。ちょっとは曲を歌おうと思ったけど止めだ。
もうこの心は限界を訴えている。




