◆隣の静くんの噂話
◆→まちさん視点
風邪から復帰してやっと登校出来たその日。私は完全に浦島太郎状態だった。
周りの環境が様変わりしているように感じられて、思考があまり追い付いていない。席替えはまだしていない。そういう意味では環境は変わっていないのに、周りの人たちが異常だった。
「おはようございまーす」
「あっ! 清水さんだ!!」
「えっ、清水さん?! 大丈夫なの?!」
マスク着用で挨拶しながら自分の席に行くと、わりと早く来ていた女子男子がわらわらと集いだした。女子は仲の良いメンバーがこのクラスでは多いのでわかるが、何故男子も来ているのかちょっとよくわかんなかった。
座れない勢いで前に集まって来られたので、かなり戸惑った。
「大丈夫…というか、完治にはあともうちょっとってとこかな。鼻声でごめんね」
「ううん、来てくれただけでもいいよぅ…!」
「そうそう、オレ達めっちゃ怖かったんだからな!」
私は今の状況がわかなさすぎてめっちゃ怖いです。
マスクの鼻の付け根のところを抑えながら若干引き気味で周りの話を訊いていく。保健委員の山中さんが、勇気を振り絞って私を席に導いてくれてようやく座れた。山中さん、良い子だなぁ…。
「コレ、清水さんが休んでた時の授業のノート! で、これが今回の宿題の範囲」
「うわぁ、ありがとう」
「で、これから話すのが清水さんが休んでた時の静くんの様子」
それは別にいいかな。
そんなことは言えない雰囲気だったので語りだそうとする女子に視線を投じる。
静くんとは、私の今現在の隣の席の男子の名前だ。佐久間静くん。成績優秀で、見目も麗しいとこの学校で超絶有名なお人である。
今は確か朝練の時間だ。バスケ部に所属している彼は週始めであろうがしっかり練習に励んでいるのだろう。あともうちょっと時間が経ったらこの教室に戻ってくるはずだ。
彼本人に聞かれるのは確かにあまりよろしくない。時折、こうして朝に時間があるとき、周りから定期的に『昨日の静くん』と言った内容を語られることがあるのでもう慣れたものだが。悲しいかな、ただ隣の席というだけで静くんへの萌える気持ちをわかってくれる人物としてこうして接されている事実がある。最初の頃に「そうだねー」と何気なく相槌を打ったことが仇にでている。そのあとすぐに「いやでもこうだよね」とやんわり自分の気持ちも伝えているのだが、その効果はあまり見られない。
今日もそんな感じかな。
もう話したくて話したくて仕方ない様子の友人が暴発しないように静かに先を促す。
「朝からね、すっごい冷気が漂ってたの!」
出だしから全然わかんなかった。
誰か朝の教室にドライアイスを仕掛けたのだろうか、と一瞬本気で考えてしまった。
「その出所がなんと静くんだったの」
「朝からスッゲェ空気出しててさすがに俺たちもその日は宿題見せてとは言えなかった」
「山本は背に腹は代えられない言ってアタックしてたけどな」
山本くんは相変わらずで、そこに私は安心感を覚える。よかった、私の知ってる空気がそこにあって。
「佐久間って日頃から不愛想じゃん? でも、なんかその日はスッゲェ近寄りがたくって」
「なんか怒ってる…? みたいな感じした」
「山本が隣の教室から助っ人呼んできて話してからはようやく収まってきてたよな」
「そうそう、林藤くんだっけ? 穏やかそうな顔して結構容赦ないこと言ってたよね。山本半泣きだったじゃん」
リンドウくん、なんの助っ人だったんだろう。
今の会話の中で拾えたのは静くんが何かしら不機嫌だったことと山本くんが強かに生きるしかなかったことだけだ。
「…で、その三人の会話聞いたヤツによると、どうやら佐久間のヤツ苛立ってるってことが発覚したんだよ」
まぁ、彼も人間だしな…。不愛想で表情があんまり変わらないから彼の心情を図るのは正直至難の技ではある。だが、あの澄んだ黒い瞳は何よりも物を言う。
休む前のあのあやしい色がよぎった瞳が脳裏をかすめた。
―――ん?
「なんでも、部活の部長に横恋慕されたんだって?」
「違う違う。あの発言はようやく恋を自覚したかしてないかの曖昧な感じだったでしょ?」
「うん、彼女と部長さんに対してもやもやするって言ってたもん」
―――もしかして、あの日のことを言っているのだろうか。
バスケ部の部長さんに静くんを提供したあの日以降、彼と会っていない。
母の風邪をそのままもらいうけてしまい、土日に差し掛かってしまって、そういえば今日が久しぶりの学校である。
今更になってドッと冷や汗が出てくる。いや、落ち着け、私。
まだそうと決まったわけじゃない。
「で、気になる人―――…“点P”っていう人なんだけど、その人、静くんのこと避けてるんだって」
「え、なんで?! あんなイケメンに迫られたら嬉しくない?!」
「そこまではわかんないけど、だから部長に対してももやもやするんじゃない?」
「うわー、何その青春と見せかけたサスペンス」
この話はどこが終着地点になるのだろうか。
今の言葉で「あ、私じゃないかも」という期待が膨らむ。
彼のことを避ける術など持っていないし、“点P”というからには数学が得意な人かネット関係の人に違いない。私も歌は好きだからその世界は知っている。後で調べてみようかな、という余裕さえも生まれた直後だった。
「“点P”さんってその日休んでたでしょ? だから、このクラスでの予想は清水さんってことになったんだけど、なんか知らない?」
今、凄くマスクしてよかったな、と思った。
何このブーメラン返ってきたような心のダメージ。全くあずかり知らぬところで凄い話になっている。
頭は痛くないのだが、非常に悩ましい事態になっている。
自然と眉間に皺が寄り、険しい顔になってしまった私に、周囲は慌てたように距離をとった。
「清水さん、休んでたもんな。知らないよな」
「ごめんごめん。疑ってないから。ただ、そうだったらいいなぁって思って…」
「だって清水さんじゃなかったら他の女子ってなってそれはなんか癪に障る…」
「シッ、それ以上言うんじゃない」
「あ、今のなし!」
なんだろう、今の。
疑問に思う間もなく、例の人が登場した。
「静くん、お疲れ様! コレ、マフィン作ったの、食べて食べて!」
「要らない」
今日も今日とてモテていらっしゃる。恒例の朝の差し入れタイム。休みを挟んだからか、見慣れた光景になんとなく懐かしい気持ちにさせられる。
自然と私の周りの人も解散していき、ようやく静かな空気に浸れる。
さっそく貸してもらったノートを写そうと鞄をあさり、せめて一時間目の教科は急いで写して返そうと意気込みを新たにしていると、ふと視界に同じノートが割って入ってきた。
その先を辿って見ると、無表情の静くん。汗をかいていても麗しい、と女子が噂するのもわかる。
そのご尊顔を思わずまじまじと見つめると、彼は「おはよう、これノート」と言った。
ノートの表紙には次の教科の《現国》と大きく書かれていて、その下に《佐久間 静》と書いてある。文字を見るのは日直の日誌以来だな、バランスが取れていて綺麗な字だな、と見当違いなことを思ったところで慌てて首を横に振る。
「なんで?」
「友だちに借りたから、大丈夫」
「でも、現国、書くこと多いから返すの間に合わないでしょ」
「…確かに」
それを言われると弱い。今から超特急で書いても間に合わない予感はする。
消費ページ数を確認してからまた後で貸してもらうことにするか、と仕方なく諦めようとしたところで再度彼から声が掛かる。
「だから、ノート。すぐ隣だし、オレ、フリーペーパーあるから」
気遣い上手が前面に出ている彼が、非常に眩しい。
休む前のことなんてすっかり忘れてありがたく借り受けることにし、友だちには慌てて返しに行った。
返しに行った矢先に、友人から妙に期待のこもった眼差しを向けられたが、マスク越しの愛想笑いでどうにかしてきた。
その日からなんとなく周りの眼差しが温かく、優しい雰囲気に変わったような気がした。
休んだ日、結局何があったんだろう…。




