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隣の席は君  作者: 姫野 釉月
18/42

☆隣の清水さんの歌声

☆→静くん視点。(まちさんに正体を現した直後のお話)




 初夏に入ったぐらいだからか、日が沈むのは遅い。音楽室は放課後というのに明るかった。

 だから、彼女が地面に座っていても表情はよく見えた。


「―――…立たないの?」


「え、あ…もうちょっとしたら立てる、かも…?」


 自分が所属している部活の部長である(たちばな)先輩がやってきてしまったからだろうか。

 かなりの至近距離で、しかも隣の部屋に隠れていてもよく聞こえるほどの音量で話していたから、その衝撃が今更になって出てきたのだろうか。彼女の腕が少し震えているのが視界に入る。

 彼女が思っているより、多分、怖かったのと驚いたという感情が身体に現れているのだが、彼女は必死に隠そうとしている。

 初夏に入ったからと言って床はさすがに冷える。まぁ、もっとも自分がココに隠れていなければこんな事態にはならなかったはずなので少なからずその様子に心が痛む。


「ちょっと、ごめんね」


「え? わっ?!」


 彼女の脇に腕を通し、抱え上げて机の上に座らせた。髪からふわりと香った花の香りに、胸の奥が締め付けられる感覚を味わった。

 思わず、といったていで彼女がバランスをとるために自分に抱き着く格好になったまま、座らせたのに少し固まってしまった。

 慌てて離れたら彼女が落ちてしまう。


「もういいよ」


 なるべく自分の気持ちも落ち着かせるようにゆっくりと言うと、その言葉にようやっと身体の力を抜いた彼女からこちらも身を離すことができた。


「顔、赤い」


 見下ろした彼女の表情に驚いてそう言うと、彼女は恨めしそうにこちらを見据えた。


「びっくりしました」


「うん。でも、あのままだったら冷えるでしょ、脚」


 自分の言葉に虚を突かれた、とでも言うように瞬きをした後、彼女は口元に手を置いてそっぽを向いた。


「でも、抱えるのはダメです」


「―――…うん」


 さすがにやりすぎたかな、とは思っていたので素直に頷く。


「清水さん、柔らかいね」


「ど、どこのことを言ってるんですか?!」


「全部」


「抽象的…!! し、静くんはバスケやってるから細いんであって、私は動いてないんですよ! 当たり前じゃないですか!」


「…怒ってる?」


「怒っています!」


「清水さん、怒ったら敬語になるの?」


「え…、うん…?」


 なんとなく疑問に思ったことを聞いただけなのだが、真面目に考えてくれたようで真っ赤だった顔が少し収まっていった。


「…『友だち』には、普通です」


「じゃあ、オレは『知り合い』?」


「……そう、ですね。クラスメイト、的な」


 クラスメイトではあるのだが。

 そうか、彼女なりにそんな線引きがあるのか、と少し落ち込む。

 やはり、さっき宣言しておいてよかった、と心の底から思う。


「じゃあ、今日からオレのことも意識しておいてね」


「な、なんで?!」


「なんでも」


 念押しは忘れない。だって、そうしなければ絶対に今日のことはなかったことにされる。それだけは避けたい事態だ。


「ところで、今日の練習はもう終わり?」


「え、ううん。もうちょっとやりたい」


「そう」


「………」


「………」


 たっぷり三秒はそのままで、お互いに首を傾げた。


「歌わないの?」


「静くんは、部活は?」


「今日はサボる。明日、交渉する」


「交渉って何?!」


「歌わないの?」


「静くんがどっか行ってからです!」


「ヤダ」


「えっ?!」


「ここで聴きたいから。どこにも行かない」


 疑問が追い付いていないのか、口をパクパクさせている彼女に今日は随分と表情豊かだな、となんとなく思った。


「清水さんの声、聴きたい」


 率直な意見はそこだ。過去最高に話しているが、それでも足りない。だって自分は彼女が歌っているのが何よりも好きなのだから。


「文化祭で歌う、かもしれないからそれまで待って」


「かも?」


「もう一回、選抜があるから」


「へぇ、じゃあ今歌ってるの、貴重(レア)かもしれないんだ」


「レア…?!」


「じゃあ、もっと聴きたい」


「静くん、横暴…!!」


「じゃあ、今日口ずさんでたのって違う曲だったりする?」


「口ずさんだ…?」


「現国の前に鼻歌歌ってた」


「え」


 慌てたように口元を覆う彼女に、無意識だったのか、とこちらが驚く。


「どんな曲、歌ってた?」


「あんまり覚えてないけど…」


 そう前置きをして、記憶に残っている部分を口ずさむと彼女が息を飲んだのが聞こえた。

 ワンフレーズどころか、三音程度しか言っていないが彼女はすぐに思い至ったようだ。どこか遠くを見つめるようにこちらを見ていた。


「清水さん?」


「…あ、…ごめん。凄いね、一回しか聴いてないのに…」


「清水さんが歌ってたから」


 その言葉には僅かに首を傾げる仕草が見られたので自分の熱意は伝わらなかったようだ。熱意も何も、ただの執着だが。


「そっか。その歌か…。それは文化祭では歌わないやつだね」


「そう…」


「Aメロとサビ、歌おうか?」


「うん」


 一も二もなくすぐに頷いた。歌が聴けるなら喜んで。


「じゃあ、申し訳ないけど。そこのメトロノーム一回止めてくれる?」


 どうやらまだ立てないらしい。

 メトロノームを止めて、振り向いたら彼女は大きく息を吸って吐いて、呼吸を整えていた。


 ───そして、歌が始まった。


 隣の部屋で聴いていた歌とは全く違う、優しい声音の歌だった。

 キーが高いのに、すんなり出ている。歩みを進めて、彼女の横顔を見られる位置に座る。


 ───そう、彼女は歌うとこんな表情をする。


 幸せそうな、うっとりするような艶やかな微笑み。人によっては淡い、儚い、と言うのだろうか。けれど、自分の視点から見たら違う。

 ずっと、見ていたくなる。声も、歌が好きなことが伝わってくるような熱を感じるのに透明感があって、こちらが幸せな気分になる。


 歌は、一瞬だった。Aメロと言っていたから続きがあるのだろう。それでも、彼女はそれ以上は歌わないようだった。

 歌い終わり、恐る恐るといったていで彼女はゆっくりと机から降りた。

 足がちゃんと立つことに安堵したように息をついて、彼女はゆっくりとこちらに向いた。


「コンクールまでは好きな曲はあんまり歌わないようにって言われてたけど、たまにはいいよね。でも、神矢(かみや)部長には内緒ね」


「男の先輩?」


 脳裏に過ったのは、以前この部屋に隠れるようにアドバイスをくれた先輩だった。


「知ってるんだ? うん、合唱部唯一の男性の先輩。その先輩に、歌い方が違うからってちょっと止められてるの。だから、内緒」


「わかった」


 なんで、と止められている理由を聞きたかったが、それを聞いたところで外野が口出すのは違うだろう。


「でも、さっきの歌もよかった」


 それは確実に、自信を持って言える。忘れないように伝えると彼女は照れるわけでもなく、少し寂しそうな微笑みを見せ、小さく「ありがとう」とこぼした。


「じゃあ、静くん、出て」


「ヤダ」


 それとこれとは話が違う。完全に開き直り、彼女を愕然とさせた後、今度は自分が椅子に座る。

 居座る気満々で見つめると、彼女は諦めたように息をついてメトロノームに向かった。


(よし)


 心の中でガッツポーズをしたのは決して悟られないように、そこからは静かに彼女の練習を見守った。


 練習が終わったようで、メトロノームを片付け始めた彼女を待ち、ともに音楽室を後にする。

 音楽室の鍵を返し終え、彼女がそそくさと帰ろうとするところを寸でのところで腕をとって止める。


「よ、用件は終わったのでは…?」


「ううん。まだ」


「まだ?!」


「一緒に帰ろう」


 そう言った直後、彼女が完全に遠い目をしたのを感じた。

 ふらり、とよろめいたがグッと足を踏ん張ってこらえていた。あともうちょっとで抱きとめようと思ったのに。惜しい。


 そこから会話らしい会話はなかったのだが、彼女の意識がだいぶ遠のいていたので手をつないで誘導できた。今日の半日で大した進歩だと、自分を褒めてやりたかった。


 明日は橘先輩に直談判だ。気を引き締めるのは明日の自分に任せて、今はこの道のりをかみしめようと思った。




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