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隣の席は君  作者: 姫野 釉月
16/42

☆隣の席の女子は小悪魔説

☆→静くん視点



 放課後、清水まちさんは柔らかな黒髪を靡かせて教室を後にした。

 少し時間を置いて音楽室に行く。彼女は音楽室を開けると颯爽と奥の部屋にメトロノームを取りに行く。 その隙を狙って、自分も入室し、隣接している教室に入り込む。慣れたものだ。

 バスケ部の(あずま)先輩に『逃げろ』と言われてからだいぶ日が経っているが、未だに主将に見つかったことがない特別な場所。

 自分の、好きな人が歌っている場所。

 今では、他の部員のために隠れているのか、自分の欲のために隠れているのかわからなくなってきている。


 ―――あぁ、でも。


(ココが見つかったらもう終わりにしよう)


 ココ以外に隠れたい場所なんてないし、そろそろバスケにも集中したいし、と考えが続くが、心の中ではそれに相反する想いがわだかまる。

 ココは特別居心地がいい。だから、ココから離れたくない。なんとも難儀なことだ。


「とりあえず、発声から!」


 気合十分な声が隣から聞こえた。そうして紡がれる音に聴き惚れる。

 たまに音が外れたり、やや弱かったりするが、徐々に安定感を保ってくるのはさすがだと思う。

 たった一人なのに、ここまで声が聞こえるのはきっと自分が聞き耳を立てているだけではなく、彼女の実力でもあるのだろう。


「先輩方と合わせるのはまだだって聞いてるけど、通しで歌う可能性はあるよね。今のうちに暗譜しとこ…」


 声出しが終わったのか、彼女はこうして独り言をこぼすことがある。その声音は、普段の英語の授業や音読では聞いたことのない弾むような明るい口調であった。

 クラスでは聞けない声をこうして聴くことが出来るのはこの時だけ。その発見は自分でも思わぬほどの喜びを感じている。


 それから間もなく、彼女の歌が始まった。


 ほんの少し、彼女を窓越しから見る。

 彼女は外に向かってよく歌う。手を後ろよりにもってきたり、空の雲に向かって投げるような仕草をしたり、ミュージカルでも観ているかのような上品で洗練された身振り手振りをする。 

 音楽が本当に好きなのだと、伝わってくる。

 その表情を、時折見かけたことはある。あんな表情をきっとしているのだろうな、と後ろ姿を眩しく見つめる。


 もう少しで、この曲は終わる。

 この曲の次からは彼女は部分練習をする。その時にここから出て、部活に行こう。

 そうして準備を始めようとした時、不意に衝撃音が轟いた。


「ここかぁッ! シズ!!」


 バァンッ、と物凄い勢いで音楽室の扉が開かれたことと、ついにあの人が来たのだと確信した。


「おい、女子。シズを見なかったか」


「ぞ…、存じ上げませんが…」


 ズカズカと踏み込んでくるその足音と地の底を這うような声に、清水さんごめん、と心の中で深く謝罪した。


「そうか。っかしぃな…、ここだと思ったんだが」


 さすがに月日が経つごとに主将なりに察するものがあったのだろう。主将のカンはよく当たる。それはゲーム中にも異様な反射神経を伴って発揮するので今更驚かないが、清水さんはきっと心の底から驚いているに違いない。


「あ~、いなさそうだな。怯えさせて悪かった。 あ? 楽譜? あぁ、練習中だったのか。邪魔しちまったな」


「い、いいえ…」


 主将は背が高い。自分から見ても少し視線を上げてしまうのだから、清水さんからしてみたら頭二つ分の大きさだろう。

 主将が歩いてきた感覚からして、きっと部員を励ますような近距離で話していることが容易に想像できる。

 彼女の声音が少々気弱に聞こえるのは間違いではない。


「……お前、もしかして“清水さん”か?」


「え!?」


 何を言い出す、主将。


「違うか? 違わないよな?」


「あ、はい、合ってます、よ?」


 あぁ、バレた。自分の想い人が思いもよらぬ形でバレた瞬間だ。むしろ、なんでバレたのか。声が好き、ぐらいしか言ってないはずだが。これで自分の逃げ道も封じられたようなものだ。

 一方の清水さんからしたら寝耳に水だろう。知らない人に名前を言われたら警戒心も湧いて出てくるに違いない。

 頼むから主将、それ以上喋らないでほしい。


「ふ~ん、案外普通だな」


 願いは届かなかった。

 しかも、初対面の人からしたらだいぶ失礼だ。

 あの人、思ったことを考えることなくそのまま言うからタチが悪い。


「あぁ、いや。こっちの話。へ~、あんたが“清水さん”か…。ふ~ん…」


 清水さんが沈黙している。それが妙に気にかかる。


「あー、ちょっと伝言頼まれてくれるか?」


「はい?」


「『夏の選抜メンバーにお前入ってるから金曜日の練習は絶対に来いって“(たちばな)”が言ってた』って」


「えっ、え?」


「シズ見かけたら言っといてくれな。バスケの問題なのにあんたに迷惑かけるのもなんだが、オレたちでもなかなかアイツを捕まえられなくてな」


 てことで、頼んだわー。

 そうして、急いで駆けていく音が廊下に行った。念の為、その場で待機。あの人、扉ぐらい閉めていけばいいのに、と毒づいてしまったのは仕方ないことだろう。


「………え?」


 ぽつり、と零れた彼女の声に、もうそろそろ潮時かと悟る。

 丁度、見つかったら終わりと決めていたのだ。

 嵐のような主将の登場で、彼女の疑問も計り知れないものになっているだろう。

 カチコチ、チーン、とメトロノームが絶えず時間を刻んでいる。


「“シズ”って、誰…?」


「オレのことだけど」


 そうか、そこからだな。

 一人納得しながら、観念して練習室の扉を開ける。

 自分の姿を見て、案の定彼女が瞠目している。


「し、(しずか)くん…?」


「うん」


 一瞬、驚いた。

 下の名前で、呼んでくれている。

 そんなの、今まで聞いたことがなかったから返答に困る。


「なんでそこに…。ていうか、いつからそこに―――?」


「―――…清水さんがメトロノーム取りに行ってる間?」


「えぇ…」


 今日が初めてじゃないけど。

 けれど、そのタイミングを目安にいつも忍び込んでいたからこの回答であっているはずだ。

 自分の回答に不満なのか、まだまだ考えがまとまらないのか彼女は沈黙したままだ。


 彼女には、説明する必要がある。

 いつ来訪者が来るかも分からない状態は、自分も落ち着かない。


 廊下に視線をやると、丁度階段を下っていく主将の後ろ姿が見えた。あの人、他の部屋にも探しに行ってたな。

 今更ながらに、清水さんがオーバーリアクションでなかったことを有難く思う。


「―――行ったか。部長もしつこいな」


 思わずため息が零れたのは仕方ない。

 音楽室の扉を閉め、鍵をかける。

 ガシャッ、という音が音楽室にやけに響いた。未だにメトロノームが鳴っている。あれも止めた方がいいだろうか。

 そうして振り返った先に、座り込んでいる彼女を見つける。


「何してんの」


 さっきまで立っていたのに。その座り方は腰を抜かしたような座り方で、スカートが扇形に広がっている。彼女のスカートも膝上までだから足はそこまで隠れていないけれど。

 この人、ホント隙だらけだな、と改めて思う。


「まぁ、あんな迫力ある人と話したらそうもなるか。大丈夫? あの人、人と会話するときの距離感バグってるから。怖かったでしょ」


「あ…う、ん…」


 全然大丈夫ではなさそうな返答に、こちらが心配になる。


「…あの人、態度と声でかいけどそんな悪い人じゃないから。安心していいよ」


「う、ん…」


「それにしても、なんでココってわかったのかな。あの人、ホント野生児」


「……」


 そういえば、親友の林藤(りんどう)に「静は口調が平淡だから時々、何考えてるのかわかんないね」と言われることがある。

 うん、たぶん今、自分も何が言いたいのか分からなくなってきてる。

 なんとなく沈黙が気まずくて、主将のせいにして間を持たせようとしてる自分がいるのを自覚している。

 まぁ、少し八つ当たりもあるが。

 やっと顔をほんの少し上げた彼女と目が合う。

 メイクもしていない細い眉が少し下がっていて、普段からは想像出来ないその表情に、目が釘付けになる。

 戸惑いを感じられるその黒い瞳は、真っ直ぐにこちらを見返していた。


「あの人の伝言、ちゃんと聞こえてたからいいよ。明日の朝にでも了解のメールしとくし」


 今日はもうサボろう。未だに立ち上がらない彼女をこのまま放っておくことは出来ない。

 副主将の(あずま)先輩には今日中に事の次第を伝える必要はあるが。

 間違えても主将にメッセージを飛ばしてはいけない。

 即座にやって来るのは目に見えている。その辺りは東先輩に口止めしとかないと、と考えている最中、彼女は言った。


「えっと、あの人が“橘”さん?」


「うん。バスケ部の主将。…知らなかった?」


「すみません、運動部のことはあんまり…」


「いいよ。清水さんらしい」


 さすがに主将の名前を知っているとは思っていない。

 それより、運動部のことは眼中に無さそうな物言いの方が気にかかる。

 しかし、彼女は次第に息を吹き返したように口を開いた。


「なんで静くん、あそこにいたの?」


「隠れてた」


「えっと、なんで?」


「静かだから」


 本当の理由は違うけど。


「じゃあ、歌とか聞こえなかった?」


「? 聴こえたけど」


 むしろそれを聴きに来ています、とは今の段階では言ってはいけないことぐらいわかる。

 音楽室だからといって、防音は学校の外に向けたもので、学校の中では限りがある。音楽室と練習室は隣接しているため、防音なんてあってないようなものだ。

 またしても、彼女の視線が下に行く。清水さんは横髪が長いから、俯くとその髪がさらさらと前に流れる。


「…聴かれるの、イヤだった?」


「イヤって言うか…とてつもなく恥ずかしいです」


「なんで」


「なんでって…なんで?」


 信じられない、と言った眼差しが帰ってきた。

 それにはさすがに異論を唱える。


「清水さんの歌、オレは好きだけど」


「は…」


「聴き心地が最高にいい。安定感もあって、聴いてて飽きない。ただの声出しでも聴いてて楽しい」


「え、う…?」


「まぁ、清水さんの声自体好きなんだけど―――」


「ま、待って! ちょっと待って!」


 つい饒舌になってしまった。

 本心からの本音がだだ漏れである。これは、恥ずかしい。

 だが、何故か彼女の方が頬が赤らんでいる。耳まで真っ赤だ。

 思わぬ反応に、こちらは逆に冷静になる。

 そうして、彼女はようやく口を開いた。


「―――えっと、静くんってもしかして天然さん?」


(なんで、そうなる)


 自分の本音を都合よく曲解されたのだとわかった。

 彼女の性格からして、素直な好意を向けられると弱いようだ。たちまち謙遜によって距離を置かれたのだと察した。


「――――…ふぅん」


 それなら、こっちにも考えがある。


「そういう清水さんは、鈍感? それとも、ソレって計算? だとしたらとんでもないな」


「―――は?」


「英語の時だってそう。オレがめちゃくちゃ緊張してるのに腹立つくらいに飄々としちゃってさ」


「え、あっ…?」


 恋を自覚した自分に比べて、彼女は何も思っていないからそれは仕方が無いことなのだと頭の片隅では思うが、ちょっとぐらいこちらを意識してくれたって構わないではないか。

 頬に手を伸ばしそうになるのを必死に抑えて、彼女の横髪に触れる。

 彼女は忙しなく瞬きをし、横髪に触れているこちらの手を見つめている。


「ホント、人の気も知らないで。清水さんって小悪魔だよね」


 自分の勝手な言い分であるが、案外、間違いではないかもしれない。

 友だちとして意識してほしいと言っても、彼女の場合絶対に今後の対応は変わらないだろう。


「まぁ、これから少なくとも一ヶ月は隣の席だし、イングリッシュペアってなかなか離れないらしいし、これからじっくりわかっていってもらうのもいいかな」


 ならば、こちらも彼女への“誠意”を見せよう。


「これからもどうぞ…よろしく。清水 まちさん」


 自分の好意が、彼女に否定されないその日が来るまで。





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