☆隣の清水さんはご機嫌だ
☆→静くん視点
奇跡とは二度も続くのか、と席替えした席に腰を下ろしながら感嘆する。
ちらり、と隣の席に視線を移すと、さらさらの黒髪を耳にかけ、まっすぐと黒い瞳を担任に向けている女子が目に入る。
清水まちさん。自分が、想いを寄せている人でもある。
物静かで穏やかな彼女の雰囲気を助長させるように窓際からは柔らかな日差しが彼女に注いでいる。
一見すると神々しいような雰囲気を思わせるが、意外とおっちょこちょいなのか、ぼーっとしているのか、よく物を落とす。何も全部が全部彼女が悪いわけではないのだが、丁寧に次の科目の教材を机の上に置いているからか、動きの激しいクラスメイトが無意識にぶつかり、教科書やら筆記用具が落ちることが続いていた。
彼女の反射神経は悪くないようで、すぐに手は伸ばすものの、空中で取れることは稀である。
最近は、彼女より自分の方が取れている。
「え、あ、ありがとう」
「うん」
そこから言葉を続けようとしても、すかさず先生が入室するため相変わらず彼女との会話はままならない状態である。
「話すきっかけってあるけど、時間がない」
「んー。むしろそこまで目を光らせてる静にオレはちょっと引いてる。その子、周りの子になんか恨み的なもの、受けてたりしない? 大丈夫?」
「たぶん、それはまだないと思う。ぶつかってんの、山本だから」
「あいつは本当にもう…」
親友の林藤が呆れたように大きなため息を吐く。
自分の気持ちを代弁してくれている感じがして、少し気持ちが軽くなる。
山本とは中・高と同じ学校で腐れ縁である。落ち着きがないが、コミュニケーション能力は誰よりも高く、女子に負けないほどのネットワークを持っていると噂だ。そして、宿題を全くしないことでも有名で、よく自分の教材を請うてくる。自分の席に戻るだけなのに、何故か彼女の教材に手がぶつかるのが不思議でならない。
「この前もぶつかってたのに、アイツこっそりこっちにウインクしてたから何か考えはあるんだとは思うけど…」
「それは、ちょっと急いで山本と話した方がいいと思う」
林藤が真顔で早口になることは珍しい。そんな朝の会話の後、英語の時間に差し掛かった。
「あれ? 席替えしました?」
「先生ー気付くの遅いよー!」
「ごめんごめん、ンー、でもMiss マチとMr.シズカは一緒、と。今年ももしかしたら出るのかもしれませんね。席もそんなに変わってないように…あー、変わってますね。じゃあ昨日の小テストを返すので取りに来てください」
恒例のお隣の席で挨拶を交わす風景が今までと同じものだったので伊藤先生の困惑も仕方ないと思う。
名指しされたのが少し気まずかったのか、清水さんが居心地悪そうに身をよじったのが見えた。
「いやー、それにしてもまた隣の席だな、清水さんと」
にまにま笑っているコイツが妙に腹立たしい。
英語の時間から、というか今日の席替えから少し顔色が悪い清水さんが隣にいる状態なのにそんな言葉を言うか、普通。この図太さが彼の短所であり、長所であるとは思うが、今回のはさすがに目に余るのでは、と思って眉間に皺が寄る。
だが、こちらのイラつきもものともせず、山本は爽やかに続ける。
「やっぱイングリッシュ・ペアってなかなか離れねーって本当なのな」
「何それ」
初めて聞く単語に思わず怒りも和らぎ、純粋に訊ねる。
英語のペア…英語のあの時間のこと?と思考があたりをつけていると、山本は驚いたような表情になった。
「は? 知らねーの? 伊藤先生マジック。あの先生の常套句じゃんよ。『英語を得意になりたいなら恋しろ』って。それが巡り巡って、あの先生が持ったクラスには必ず一組、どんなに席替えしても毎回ペアになるとこがあるんだとさ。この学校の七不思議だってよー」
ウケる―!と叫ぶ山本の思考回路は分からないので適当に相槌を打っておく。
あぁ、だから伊藤先生の口から『今年も出るかもしれませんね』とか意味不明なことを言っていたのかと納得する反面、本当にそうならいいのに、と思わず口からこぼれそうになった。
「まぁ、清水さんも災難だったな。英語の発音良すぎるってことで他の女子も尻込みしてんじゃん。お前の隣は無理ってさ。あんなペラペラ喋られたら堪んねーもんな。オレもお前の隣にはなりたくねーわ」
さすが空気を破壊するどころか、自分の思考さえも打ち砕いてくれやがるヤツである。
あっはは、と屈託なく笑う山本の思考回路を疑う。多分、何も考えずに喋っているだけなのだろうが、その日本語ははっきり言っておかしい。
「オレもお前の隣はいやだ。うるさい」
心の底から意趣返しのように言葉を返すと、山本は満足したように自分の席に戻っていった。今回は彼女の教材に触れていなかったが、それ以前にとんでもない爆弾を落としていったな、と思う。
この距離だから、今の会話が彼女の耳に入っていることは間違いない。なんとか最後の切り返しで、彼女の隣はイヤだ、という誤解が解かれることを祈る。
自分の隣にはなりたくない。そんなことはきっと、彼女も表情に出さないだけでそんなことを思ったことはあるだろう。
誰だって、あの衆目にさらされた中で話せ(しかも英語で)と言われたら緊張もする。自分だって、彼女を相手にすることに緊張を感じずにはいられない。いくら予習に力を入れたとしても本番で力を出せなかったら意味がない。ヘマを踏まないように少しでも彼女に良い印象を持ってもらいたい想いでこちらは必死だ。
だが、彼女は緊張も感じさせず、間違えてもさりげなく謝り、すぐに改めて言い直し、無駄に慌てることなく表情も変えない。
その柔軟性のある姿勢は羨ましいと思うし、堂々とした立ち居振る舞いは真似できないと思い知らされる。
(彼女は眩しいなぁ)
どうか、もう少しこの環境が続きますように、と願わずにはいられない。
次の席替えは一ヶ月後。
昨日までの一ヶ月間はあまりにも進展しなかったから、今回はもう少し友人という距離にはなっておきたい。
不意に、隣の席から鼻歌が聞こえた。
先程よりも顔色が回復したようで、清水さんが上体を起こした。さっきまで伏せていたから内心、体調は大丈夫かと心配していたが、本人は呑気に何か歌ってる。
今日、練習する歌だろうか。初めて聴くな、とその上機嫌な声に耳を澄ます。
きっと、この距離じゃなきゃ聴けなかった声に自然と気分が上昇する。
次の現国はきっと完全に目が冴えているだろう。
自然とその先の先、放課後の時間にも期待を膨らませながら自分も現国の教材を机の上に置いた。