◆隣の席とはイングリッシュ・ペアらしい
◆→まちさん視点
朝の席替えについて昼休みに親友の梨花に正直に告白すると、中庭に轟くほどの大音量で爆笑された。
なんてったって、私の隣の席はこの学校の有名人である。
さらさらのまるい黒髪、切れ長の瞳、通った鼻梁に薄い唇。神様が渾身の力を捧げたかのようにバランスの取れた容姿。表情は無愛想ながらも威圧感はあまり感じられず、同じ年かと思えるほどの紳士的な気遣いが出来るハイスペック王子。その名も佐久間静。
一度目の席替えだったら親友にそこまで爆笑されない。一度目より激しい爆笑を頂いたのは二回目の席替えの結果がまたしても一番恐れていた彼の隣だったからだ。
確かに、彼は成績優秀で、人の行動を先読みしたかのように難なく困っている人に手を差し伸べることが出来る立派な人格者だ。だが、隣の席故、彼も人間なのだと思わせる行動をするので油断ならない。
いや、彼が意図的にこちらに働きかけることはあまりない。問題は彼の周囲が凄いのであって、そこにたまたまいた私が巻き込まれているだけなのだ。さながら、彼は台風の目。だって、彼だけ名前の通り静かな空気が流れている。周りが凄いのだ、勢いが。
それはさておき、本題である。
「なんで…なんで、『誰も代わって?』って聞かないの?」
梨花相手に訊いてももう席替えが終わった後なのだから言っても仕方がないのだが、言いたい気持ちを察してくれたのか梨花もうんうん、と頷いている。ちょっと、堪えきれないみたいに吹き出すのやめてよ。
「ははっ、ごめんごめん。まぁ、大体の察しはつくけどね」
察しがつくとはそれいかに。
教えて、と藁にもすがる思いで視線を向けるが梨花はどこ吹く風。
「どのみち、くじ引きだったんでしょ? 周りの女子も『佐久間の隣ならラッキー』ぐらいの気持ちだったってことじゃない? 悪気があったわけでもあるまいし、次回の席替えに期待するしかないわね」
「いや、まぁ…そう、なんだろうけど」
煮え切らない私に、梨花は楽しげに笑って私のお弁当からだし巻き玉子をさらっていった。
あぁ、私の大好物…!!
「気にしない気にしない。皆、まちじゃなくて佐久間を見てるんだからさ。視線を感じてもそれはジャガイモだと思いなさい。合唱部のソロ何回かやってるんだから、得意でしょ」
さりげなく、そして鮮やかに話を終わらせた梨花を恨めしく思いながら、残りのだし巻き玉子を頬張った。
そんな話をしていたからだろうか。
昼休みが終わる10分前ぐらいに私の疑問は呆気なく解決されることになる。
その答えをくれたのは静くんと同じ中学出身の山本くん。だいたい宿題をし忘れて、静くんに貸してくれとねだっている筆頭者でもある。
今回は静くんに次の現国の宿題を見せてもらった後みたいだった。
あの人は宿題をなんだと思っているのだろう。
隣の席で起こっていることながら胸中でツッコんでいると、唐突に山本くんが言った。
「いやー、それにしてもまた隣の席だな、清水さんと」
それ、本人の前で言うんだ。
私の隣が山本くんであったら納得の一言だが、この場合は静くんである。
まともに聞こえているのもあり、あまりいい気分はしない。現国の教材を机に置いて、ふて寝を決め込む。
なんで今日に限って梨花は生徒会なのだろう。いつもならギリギリまで一緒にいられるのに。
ため息をつきたい気分で青い空を見上げると、爽やかな山本くんの声が耳に届いた。
「やっぱイングリッシュ・ペアってなかなか離れねーって本当なのな」
思考が、止まった。
「何それ」
私の代わりに静くんが落ち着いた声で山本くんに問いかける。よくぞ聞いてくれた、と顔をそっちに向けたい気持ちを必死に圧し殺しながら聞き耳を立てる。
「は? 知らねーの? 伊藤先生マジック。あの先生の常套句じゃんよ。『英語を得意になりたいなら恋しろ』って。それが巡り巡って、あの先生が持ったクラスには必ず一組、どんなに席替えしても毎回ペアになるとこがあるんだとさ。この学校の七不思議だってよー」
ウケるー!とほざいている彼に誰か裁きの鉄槌を下してあげてほしい。
え、じゃあ彼の隣になってるのって学校七不思議のせいなの?
伊藤先生ってこの学校に来てまだ三年しか経ってないって言ってたけど影響力強すぎない?
今年は私、厄年ではないはずなんだけど…。だが、席替えするたびに彼の隣になっているのは何かをモっているということだろうか。何それ怖い。
それはともかく、山本くんはひとつ間違ってる。伊藤先生はそんなこと言ってない。
『英語を得意になりたかったら恋人を外国人にしなさい』だ。
『彼と会話したいって気持ちが英語を上達させるのよ』とも言っている。つまり、意欲を持って取り組むことが大事なのだということを指しているのであって、決して『恋しろ』とは言っていないのである。
それだって常套句ではなく、ただ単なる先生のジョークだ。
伊藤先生、曲解して伝わってるよ…!
という私の心の叫びは当然ながら先生には伝わらない。ついでに、隣に座っている彼にも伝わらない。
「へー」
まさにどうでもいい、と言わんばかりの冷めた反応にやはりな、と遠い目になる。
言ってみれば、彼からしたらそれは些末なことだ。誰が隣でも、彼には関係ないのだから。
むしろ、私のことをそうして会話に挙げられている分、私自身が居たたまれなくなる。誰か山本くんを黙らせてくれないかな。私が一方的に静くんに罪悪感を抱くから。
静くんがかなり落ち着いているのに対し、何がツボに嵌まったのか山本くんは大爆笑しているので、顔を背けているのに容易に情景として描かれてしまう。
君たちのその感情の温度差は一体何なの。シュール以外の何物でもない。
隣に神経を働かせるのももう意味はないな、と意識を打ち切ろうとしたところで、またもや山本くんは口を開いた。
「まぁ、清水さんも災難だったな。英語の発音良すぎるってことで他の女子も尻込みしてんじゃん。お前の隣は無理ってさ。あんなペラペラ喋られたら堪んねーもんな。オレもお前の隣にはなりたくねーわ」
あっはは、と笑う山本くんにこの人ホントに静くんの友達なのかな、と疑問に思う。
いやその前に、なんか私にとって聞き捨てならないことを聞いたような気がする。
今のって、私に言われたの? 静くんに言われたの? 山本くん、次の教科現国だけどそんな文章喋って大丈夫?
「オレもお前の隣はいやだ。うるさい」
梨花をも越える直球の辛辣さに今の話はやっぱり静くんに言われたんだな、とわかった。
隣になるのがイヤな理由───英語の発音が良すぎるから。どういうことなの。
あ、でも、その言葉の雰囲気にはおぼろげに感じるものはある。
彼の声聞きたさに静まり返るあの教室の空気。
その中で彼と話せ(しかも英語で)と言われても困惑しかない。どもった時や、英語の発音を間違えてさりげなく先生にフォローを入れられ『Sorry』と告げるしかないあの状況。恥ずかしいと思うのが普通だ。
私はもう慣れたけどね。むしろ「清水さんの『Sorry』ってなんかイイね」とちょっと理解しがたい称賛も得ていたりする。もう失敗なんて怖くない。恥ずかしいのは変わらないけど。まだ学校が始まったばかりだというのに、羞恥心だけがいつも他の人より無駄に味わっている気がして仕方がない。
静くんはその恥ずかしいという気持ちなんて知らないに違いない。淡々と課題をこなす姿にはもう畏怖しか感じない。
一時でも、この緊張感の中言い間違いとかないからいろいろとプレッシャーとか凄いだろうな、と思ったことがあるがそれさえも微塵も感じさせない。
その泰然とした態度を見ていたらこちらも開き直るしかない。恥ずかしがっていたら授業が進まないのだから。
───あぁ、わかった。誰もこの席を代わってくれない理由。
(彼が完璧すぎて畏れ多いんだ)
容姿良し、成績良しならばその隣の人は否が応でも比較の対象になる。既に静くんだから『あの人は別格』という意識は皆のなかで根付いているものの、授業では皆の注目が集まるのは必然。
そんな場面にあいたくない気持ちは誰だって同じだろう。だからこそ、この席を変わってくれる人がいつまでたっても現れないのだ。
なんか、妙に納得した。
ファンクラブまであるのに何故、漫画のような『そこの席代わりなさいよ』的なイベントがないのか。
このクラス、わりと真面目な人が多いらしい。それか恥ずかしがり屋が多いのか。
なんにせよ、次の席替えは一ヶ月後。
昨日までの一ヶ月間も自分の人生を揺るがすほどのハプニングなど起きていないのだから、余計な心配をせずに授業に集中しよう。
お昼休み後の現国は、眠気との闘いでもある。現国の先生の穏やかかつ波のない平坦な声に引き込まれないようにしなければ。
あと二時間頑張れば、一番のお楽しみが待っている。期待に胸を躍らせて、背筋を伸ばした。