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アニメの神さま

作者: セレソン28

 轟々ごうごうる業務用食器洗浄機の音がまり、哲郎はようやく自分が呼ばれていたことに気づいた。

 ふり返ると、オーナーシェフの小金沢が笑顔で立っていた。手にローストビーフの乗った皿を持っている。

「余りもんで悪いが、良かったらえよ。はらへってるだろう」

「あ、ありがとうございます」

 小金沢は余りものと言ったが、ローストビーフはきれいにスライスされて並べられており、ホースラディッシュ(=西洋わさび)とクレソンもえられている。おそらく、ディナーのオーダーが一段落した後、哲郎のために用意してくれたのであろう。

 哲郎は両手で皿を受け取った。

「すぐに食べるなら、グレイビーソースもやろう」

「すみません」

 小金沢はソースポットごと渡してくれた。

「食べ終わったら、きれいに片づけといてくれよ。カミさんに見つかるとうるさいからな」

 小金沢は片目をつぶって見せ、厨房ちゅうぼう(=調理場)に戻って行った。哲郎はその背中に頭を下げると、せまい洗い場のすみでローストビーフを食べた。最高にうまかった。


 哲郎の働いているレストランパブ小金沢は、カウンター五席、テーブル二十席ほどの小さな店である。

 有名ホテルで修業したという小金沢は、料理を作ること以外のすべてを妻の清美にまかせていた。求人誌のアルバイト募集を見て、この店を訪ねて来た哲郎を面接したのも、清美だった。

「あなた、ずいぶん若いわね。いくつ?」

 履歴書りれきしょに書いてあるはずだと思ったが、せっかちそうな清美の様子を見て、「二十三歳です」と答えた。

「そっかあ、若いわねえ。あ、いえ、若くていいんだけど、五十歳以下の応募者は、あなたが初めてなのよ。ええと、念のため確認するけど、本当に洗い場でいいのね。ホールじゃなくて」

「はい。自分は人と話すのが苦手なので」

 清美は、改めて哲郎の履歴書に目を落とした。

「ふーん、アニメの専門学校を出て、アニメの会社に勤めてたんだ。この、スタジオ・ラスプーチンって割と有名なところじゃないの」

「ええ。大手ではないですが、中堅ちゅうけんだと思います」

 清美はちょっと皮肉そうな笑みを浮かべた。

「ねえねえ、アニメの業界って、結構ブラックだって言うじゃない。本当?」

 哲郎はにがいものがこみ上げるのをこらえた。

「まあ、そう、ですね」

 哲郎の表情で何かさっしたらしく、清美はそれ以上その話題にはれず、事務的な話に切りえてくれた。

 採用はすぐに決まり、哲郎は次の日からこの店で働くことになった。それから半年過ぎたが、今でも清美の顔を見るたび、この時のことを思い出してしまう。


 哲郎は、幼い頃からマンガやアニメが好きで、それが自分の仕事になればどんなに幸せだろうと思っていた。

 しかし、現実のアニメ制作は細切こまぎれに分業化されており、今自分がやっている仕事が全体の中でどういう位置付けなのか、いつの間にか見失ってしまった。その上、割り当てられる仕事の量が膨大ぼうだいで、元々不器用な哲郎はみずから遅くまで残って働かざるを得なかった。

 先輩に相談しても、みな自分の仕事を期限までに仕上げるのに精一杯せいいっぱいで、相手にしてもらえない。

 このままでは倒れてしまうと思いながらも、なかなかめる決心がつかなかった。辞めれば、今までの努力がすべて無駄むだになってしまう。田舎いなかの父からも、少なくとも三年は辛抱しんぼうしろと言われていた。

 それでもついにえ切れず、入社して一年らずで退職した。

 辞めてしばらくは、何も手に付かなかった。

 やがて貯金も底をつき、もう田舎に帰るしかないと、おこられるのを覚悟かくごで父に電話した。

 だが、意外にも、父はおだやかな声で「帰りたければ、いつでも帰ってくればいいさ」と言った。

「だが、哲郎、おまえに畑仕事はたけしごとは向かんだろう。せっかく都会にいるんだから、何か違う仕事を探してみたらどうだ。とりあえず、皿洗いでもなんでもいいじゃないか」

 もちろん、父は例えとして「皿洗い」と言ったのだが、ちょうどその頃目にした求人誌に「洗い場スタッフ急募! レストランパブ小金沢」とあったのだった。

 主人の小金沢は若い哲郎に何かと目をかけてくれたし、清美も、言葉こそキツい時もあるが、丁寧ていねいに仕事を教えてくれた。もっとも、はじめから承知しょうちの上だが、単純作業だから給料は安い。毎月の生活費はいつもカツカツだった。


「ダブルワークしなきゃ、貯金は無理だな」

 そうひとり言をつぶやき、食べ終わったローストビーフの皿を洗った。

 哲郎は、ランチタイムサービスの終わる午後の二時から、休憩をはさんで夜の九時まで働いている。

 朝ゆっくり寝ていられるというのも、夜型の哲郎には都合つごうがよかった。特に用事がなくとも、寝るのはいつも三時を過ぎるのだ。

「いっそ深夜だけ、コンビニとかで働かせてもらうかな」

 何度も考えたことだった。

 週に一度の休みは、まった洗濯せんたく掃除そうじなどの家事で丸一日つぶれる。別のところでも働くなら、深夜しかない。だが、そうすると、自由に使える時間がなくなってしまう。

「それは、イヤだな」

 夢がやぶれた今、特にやりたいことがあるわけではなかった。それでも、生活のためだけに働く生活は、むなしい気がする。

 自由な時間に何かしたかった。それが何なのか、哲郎はいまだに見つけられていないのだが。

「ちょっと、何ボーッとしてんのよ!」

 清美だった。のせられるだけ皿をのせたトレイを持っている。

「あ、すみません。受け取ります」

 哲郎にトレイを渡すと、清美は「ふーっ」と息をついた。

「お客さん、みんな帰っちゃったから、あなたも食器下げるの手伝ってちょうだい。そのままの格好かっこうでかまわないから」

「わかりました」

 それでも、防水エプロンだけは外し、哲郎はホールに出た。

 遅い時間に大人数のグループが来たとは聞いていたが、下げものはウンザリするほどあった。この時間にはもうホールのアルバイトの女の子は帰っているので、小金沢も厨房から出て来て手伝ってくれた。

 哲郎も何度か洗い場まで往復して食器を運んでいたが、ふと、テーブルの下にメモ帳が落ちているのに気がついた。何気なく開いてみると、細かい字でびっしり書き込みがしてある。裏返すと『KAGOSHIMA』と書いてあった。

 その時、店のドアがドンドンとたたかれた。

 清美が「すみませーん、もう、閉店なんですう」と言いながら、ドアを少し開いて外をのぞいた。

「あら、監督さんじゃないですか」

「すまん、大事なものを忘れたようだ」

 そう言いながら、髭面ひげづらの初老の男が入って来た。

 哲郎はその顔を見て、思わず「あっ」と声が出た。有名なアニメ監督の鹿児島みつるだった。

「鹿児島監督、お忘れ物はこのメモ帳ですか?」

 自分でも思いがけず、哲郎はアニメの神さまに話しかけていた。

「おお、そうだ。ありがとう。スタッフとの打ち合わせに夢中で、すっかり忘れてしまったよ」

 真っ赤な顔でメモ帳を渡す哲郎をみて、清美がニッと笑った。

「そうだわ、監督。この子もアニメの仕事をしてたんですよ」

 ああ、今それは言わないでくれ、と哲郎は内心で叫んだ。

「ほう、どこだね?」

「あ、あの、スタジオ・ラスプーチンでした。もう、辞めましたけど」

「……そうか」

 鹿児島はいたましいものを見るように目を細めた。

「あそこのうわさは聞いてるよ。残念だが、それも我々の業界の現状だ。うちのスタジオ・サプリだって、まだまだ理想からは程遠ほどとおい。それでもやる価値のある仕事だと思って、みんながんばってる。だけどね、上に立つぼくらは、それにあまえちゃいけない。現状を、変えなきゃいけないと思ってるよ」

「あ、はい」

 横で聞いていた小金沢も笑顔でうなずいた。

「話せて良かったな、哲郎。鹿児島さんはうちのお得意とくいさまなんだよ。おれはくわしくないけど、ほら、有名な『あなたのお名前』とか作った人だよ」

 あ、それはほかの人の作品、とまた内心で叫んだ。

 しかし、鹿児島は苦笑している。

相変あいかわらず、シェフの冗談はキツイよ。こんなことだから、ぼくも、うかうか引退なんかできない、というわけさ。まあ、次回作を見ていなさい。ああ、そうだ」

 鹿児島は真顔に戻って哲郎を見た。

「きみ、シナリオとか、書かないの?」

「え、いや、まだ、書いたことは」

「そうか。実は新作のシナリオを募集ぼしゅうしてるんだ。きみも挑戦ちょうせんしてみないかね」

「あ、ありがとうございます。でも、どうして、ぼくに」

 鹿児島は、ニヤリと笑った。

「カンさ。こういう仕事を長年やってると、なんとなくわかるんだよ。あの子は絵を描くのが上手じょうず、この子は文章を書くのが得意、ってね。ま、はずれることもあるがね」

 がははと豪快ごうかいに笑うと、またすぐに真顔に戻った。

「まあ、気が向いたら、ってことでいいよ。もちろん、審査はきびしいし、ぼくが選ぶのは最終候補だけだから、そこまでたどり着くのは大変な競争だ。ぼくだって容赦ようしゃはしない。だからあせらず、コツコツやればいい。幸い、小金沢さんご夫妻はいい方だ。働きながら、少しずつ書けばいいさ。今まできみはつらい目にあったかもしれないが、世の中、そうてたもんじゃないよ」

 哲郎はだまって頭を下げた。胸がつまって、言葉は、出なかった。

 小金沢に「シェフ、また食べに来ますよ」と礼を言って帰る鹿児島を、外まで清美が見送った。

「監督、無理なお願いをして、すみませんでした」

 そう言って頭を下げる清美に、鹿児島は笑顔で片手を振った。

「とんでもない。はげまして欲しいというご希望でしたが、彼に言った言葉にウソはないですよ。いいシナリオを、楽しみに待っています」

 鹿児島はもう一度、がははと豪快に笑うと、スタッフが待っている車に戻って行った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 希望の持てる終わり方をしていたので読んだ後、なんかいい気分になりました。 こう言う話、好きです。 前向きになれるので。 執筆お疲れさまでした。 読ませて下さってありがとうございます。
2018/05/24 01:12 退会済み
管理
[良い点] 監督の言葉に、主人公はささやかな希望を抱いたのではないでしょうか。そこは読者に想像させる終わり方に、余韻が残りました。
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