京都旅行二日目
目が覚めたら朝日が視界に映った。眩しいくらいの日差しに目を細める。
はて、夜はカーテンを閉めて寝た気がするのだが。窓も開いているから、風が室内に侵入して新鮮な空気が流れてきた。
枕元へ手を伸ばして、スマホを手に取る。時刻を見ると六時だった。
起床にはまだ早いので、二度寝をしようと思ったところで、藍色の寝顔が気になる。
藍色はいつも俺より寝るのが遅く、起きるのが早いため一度も寝ている姿を見たことがないのだ。二年以上も付き合いがあり、藍色の自宅で寝泊まりも良くしているというのに。
変な寝相で寝ているかもしれない。面白い発見を求めて身体を起こして隣を見ると、隣を見ると布団は蛻の空だった。
「まじかよ」
カーテンと窓が開いているのは既に藍色が起床したからか。
納得してから和室を見渡すが、みずが布団の中で気持ちよく寝ているだけだ。
となると、風呂にでも入ったか。立ち上がり露天風呂の方へ向かうと、藍色が湯でくつろいでいた。
長髪が湯船につかるのを避けるため、頭にタオルを巻いて包んでいる。白のタオルの間から髪の毛が跳ねていた。つくづくその長髪は邪魔にならないのかが疑問だ。
「なんだ? 起きたのか」
「いや俺は二度寝する予定だけど……藍色は起きるの早くない? まさか徹夜?」
「ちゃんと寝ている。朝の露天風呂もいいなと思ったんだ、心地よいぞ。これで酒でもあれば文句なしだったな」
「朝から酒は駄目に決まっているだろ。これから観光するんだから」
「わかっている」
「健康診断受けたら肝臓に問題ありって診断されそうだよね、藍色って」
「そうなったらお前も肝臓に問題ありだぞ。人のことを言えない程度には酒を飲んでいるだろ」
「藍色程じゃない。限度をわきまえている」
藍色と酒を飲めば、酔うのは俺が先だ。酒には強い方だと自負しているが、ザルには勝てない。
「さて、私はそろそろ上がるから、二度寝はやめてお前も朝に入るか?」
昨日の夜、考えたし、汗をかいた身体を露天風呂でさっぱりするのも魅力的だが、六時にしなくてもいい。一時間寝たあとでも朝風呂する時間はある。
早く出かけたところで店が開いていなければ意味がない。
そりゃ静かな景色は風流もあるのだろうけれど、観光客が多いこの季節果たしてどの程度静かなものか。
「二度寝したあとに入る」
五月の早朝は流石に浴衣では肌寒いので、そそくさ室内へと戻った。布団に潜り込むとまだ暖かさが残っていた。
「あ、いろ。起きたの?」
布団の中で動いていたら、藍色の布団を挟んだ先に寝ているみずがとろんとした瞳で声をかけたてきた。
「悪い、起こしちゃったか」
「ううん。偶々。これから二度寝するよ、まだ眠いし」
「ん。なら良かった。おやすみ、みず」
「うん。また後で」
五秒もしないうちにみずはすやすやと夢の世界へと旅立っていった。かくいう俺も眠いので二分と立たずに眠れるだろう。
次に目を覚ました時は七時半だった。
予定より寝てしまったので慌てて布団から起きると、みずがぼーとしながら座布団でくつろいでいた。今にも船をこぎそうだし、猫のように丸まって寝てもいいと思う。
藍色はスーツ姿に着替えてしまっている。頭にタオルもない。準備が早すぎる。
「おはよう」
「おそよう」
俺が起きたのを見て、みずと藍色が交互に言った。
「おはよう。って、おい藍色。おそようって言われる時間帯でもないだろ。俺、朝風呂入ってくるけど大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ。いろ、いってらっしゃーい」
「みずも後で入るか?」
「うん、そうだね、折角だし入ろうかなー」
気の抜けた返事をしているので昨日の酒が抜けていないのかもしれない。
なら風呂に入るのは危険なのでは? 不安が過る。
とはいえ、一口飲んだだけだからアルコールも抜けているし大丈夫だとは思うけど心配である。
朝の露天風呂でゆっくりとくつろいで、昨夜の汗も流れさっぱりした気持ちで、みずと風呂を交代する。
その後、運ばれてきた朝食を三人で食べてから二日目の観光スタートした。
予定盛沢山でコースが回り切れるか若干心配になるくらい、楽しみを詰め込んだ。
「はい、ちーず」
元気な掛け声に合わせてピースサインを作って三人で写真を記念に取ってもらった。
最初に寄ったのは、大正浪漫の衣装に着替えて写真撮影できるコースを予約していた店だ。
カメラマンに取ってもらうコースで、シチュエーションと共に撮影してもらった。写真撮影も許可されている店だったのでスマホで記念に何枚も取った。
新選組衣装とどちらにするか迷ったが、みずに大正浪漫の服を着せたいと藍色と満場一致したのでそちらになった。
そして意外と滅茶苦茶似合っていたのは藍色だった。和洋折衷の服装にインバネスコートを羽織った姿は様になっている。ちゃっかり髪の毛までアレンジされていた。
みずに着せたくて選んだコースだが、俺も着てみると楽しくてテンションが上がった。コートがふんわりとしているので無駄に回転もしてみると、ガキかよ、と藍色に鼻で笑われた。
外を散策も出来たが、みずが恥ずかしがったので室内だけで終わった。撮影した写真はCD-Rでもらったので、後程焼き増しだ。大切な思い出が一つ増えて胸が暖かくなる。
コースが終わったので、代金を支払い外に出る。
「あい。髪型変えたの?」
「癖が消えなかったからな」
アレンジの名残で緩くウェーブがかかったからか、藍色の髪は三つ編みスタイルに変わっていた。
昼食の時間が近づいていたのが、食事ではなく甘味処へ向かう。
GWの京都は常に混んでいるだろうが、それでも昼時をずらした方が多少はマシだと判断し、小腹を満たす程度の甘味を選んだ。
お茶をメインに扱う甘味のところに入ると、四人席に通され、みずと隣通しに座り、向いに藍色が座る。予めメニューを調べてから来たはずなのに、写真付きのを見るとどれも美味しそうで迷ってしまう。
「……迷うな」
「そうだね……どれも美味しそう」
「私は抹茶パフェにするか」
「もっと甘くなさそうなのを選ぶかと思ってた。意外だな」
「別に甘いものが嫌いなわけではない」
俺とみずは悩んだあげく、あんみつを選んだ。
抹茶の味がするあんみつの甘さと適度な苦みが合わさって風味よく口の中に広がる。美味しくて無言のまま食べる手がすすみ、気づいたときには食べ終わっていた。
小腹を満たしたので、次なる観光地へ移動する。
新選組跡地とか新選組にゆかりがある場所を観光だ。GPSを活用して迷子にならないように進む。
外国人もかなりの数がいて、異国にいるかのような気持ちになった。
「藍色。途中で、俺とみずの写真を何回か撮ってほしいんだけど」
先を歩いているみずには聞こえないように速度を落とし、小声で藍色の隣に並び話しかける。
「何故だ」
「いや、家族に写真送らないといけないでしょ。それ用の写真がないから欲しいんだ」
「みんなで映っているのは何枚かあるだろ? それに旅館でもとっただろ」
「藍色が映っているのは親に見せられない。白髪のスーツをきた年上は誰って聞かれたら困るでしょ。両親にするうまい説明は思い浮かばないよ。何か案があるなら採用するけど」
「特にないな……」
「でしょ? それに、旅館も却下」
「どうしてだ?」
「旅館の値段が高すぎる。あんな豪華な宿どうしたの? って詮索は避けたい。藍色のお蔭で贅沢出来ているのは感謝しかないけど、親に見せるのには適していないんだ。勿論当たり障りのなさそうな空間の室内写真は送る予定ではあるけど。何もないのはないので、宿どうだったって聞かれたら困るしね」
一泊七万円である。普通、大学生は泊まらない。それこそ、詩のようなお嬢様でもない限り不可能だ。
「……優等生は面倒だな」
「優等生じゃなくても旅行中の写真くらいせがまれるって。子供が旅行した写真、親は見たいものだと思うよ」
みずとの京都旅行記念の写真は何枚でも欲しいと思うのは本心だが、同時に親に見せるための写真が必要なのもまた事実である。
藍色のことは親には一切言っていないし、和歌にだって言っていない。
知り合いが殺人鬼です、なんて言われて歓迎されるわけがない。普通に通報される。
「そうだな。納得はした。だが、撮影している側への言い訳はどうするんだ? 流石に毎回通行人に頼んだっていうのは現実味が足りないと思うが」
「聞かれたら写真嫌いの人って説明にするし、今は自撮り手段色々あるから、いくらでも手はあるよ」
「わかった。なら、さっそく一枚撮ってやる」
藍色が軽く前を歩いているみずの背中を押す。前に軽くつんと出ながらみずが後ろを振り返る前に、俺が腕を引っ張って肩を組み、藍色の方へ振り返ってピースと笑みを浮かべる。
「え、え!?」
「ほら、みず写真撮るぞ。笑え!」
みずが驚きながらも笑みを浮かべた姿の写真を撮った。びっくりと笑みが混ざった表情は面白くて笑った。ちょっと写真がぶれているのも愛嬌がある。
みずが首から下げた一眼レフでお返しだとばかりに俺と藍色の写真を撮った。いらない。
感慨深い風景をみずが笑顔を浮かべながらアングルを決めてシャッターを切る。観光客が多いから中々難しいけれども人が映らないように苦心している様を背後からスマホで取った。これはこれで面白い。
各所で旅行の証拠づくりで藍色に写真を撮ってもらった。
親に見せるためのものではあるが、思い出が増えるのは素直に嬉しい。画像フォルダを開くと、いい笑顔で取れている。
「……藍色。みずと写真撮るから並べ」
新選組巡りコースの一か所で立ち止まり、写真撮影可能の場所に藍色とみずを並べる。
「なんだ? 親への証拠づくりはもういいのか?」
「それは沢山取ってもらうけど、流石に俺ばっかじゃ悪いから。思い出思い出。振り返ったときに記憶だけじゃなく、写真でも楽しい気持ちを実感できるのはいいだろ」
「それもそうだな。みず。色葉に写真を撮ってもらうぞ」
「りょーかい」
パシャリ。
足が疲れてきたのと歩き詰めで汗もかいたので、かき氷を売りにしている喫茶店へ入る。
和と洋を混ぜた空間は落ち着いた白茶ベースの壁色をしていた。木製の椅子に腰を下ろし、メニューを眺めてから、かき氷を三つ注文する。
藍色は練乳かき氷を頼んだので、届いたのが雪山のような白くて美しい見た目をしていた。
みずはイチゴミルク。定番のかき氷。ピンクに彩られた上に白くミルクがかかっている。柔らかくて美味しそうだ。
俺は宇治抹茶を頼んだ。和風の見た目と、ふわふわとしたかき氷の組み合わせ。スプーンでよそって口へと運ぶと、氷を砕くような触感はなく柔らかく染みわたるように溶けていく。
ほろ苦さと甘さが合わさった味が口内に広がる。
かき氷といえば、屋台の定番商品だが、それとは別種の濃厚な美味しさだった。これが一個千二百円の実力か。
「前にいった夏祭りの時とはイチゴの味が全然違うね」
「確かになー。いや、あの屋台に宇治抹茶味はなかったけど」
夏祭りの時はブルーハワイを選んで舌が青くなった思い出が強い。味はよくあるかき氷でそれ以上でもそれ以下でもなかった。
「今年も夏祭り行こうか。今度は私服でいいか?」
「駄目。今年も浴衣」
「まじか」
「まじです」
そういわれたら浴衣を着るしかない。
以前夏祭りに用に購入した黒地に赤模様の入った浴衣は店員さんに進められて購入をしたが、若干後悔している。
とはいえ、今年の夏まつりもみずと遊べるのは良きことである。正面に座っている藍色も当然のごとくついてくることは予想ができるから、それだけは不満だが仕方ない。
食後に暖かいお茶をサービスしてくれた。
疲れがかき氷とお茶組み合わせで一気に吹き飛び、休まる。
「動きたくないくらい座っていたい……足に根が張りそう」
「何言っているのさ、いろ。まだ観光は沢山あるよ!」
やる気満々のみずに促されて、そうそうにお会計をして外へ出る。清らかな気候。雨天の心配がない美しき雲。
歩きながら各所で写真を撮ったし、食べ歩きもした。
日が沈むまで観光を満喫して、宿へと戻る。
二日目だが、それでも足を踏み入れるのを一瞬躊躇してしまう荘厳なる宿だ。
「あー楽しい時間を過ごしていると、東京に戻ったとき現実に潰される気がするわ」
畳の上に横になって俺は言った。足がじんじんとして痛い。
一日目以上に歩いたので、楽しいが疲れもその分かなりのものだった。みずもぐだっと行儀悪く俺の真似をしている。
藍色が気を利かせてエアコンの温度調整をしてくれた。夏ではないとはいえ、GWに一日歩き回れば身体は汗がたっぷりで暑い。
仰向けになって天井を眺める。天井の高い和の空間は圧迫感を覚えさせない作りだ。
「あーもう無理だ一歩も動きたくない」
「そうか。なら横になっていろ。私は汗を流すのに風呂に入ってくる」
一番体力がある藍色はそういって、新しく用意されたタオルと浴衣を腕にかけて露天風呂へと向かっていった。
「あいって体力あるよねー。僕はそんなすぐには動けない、無理」
「本当だよな……俺らより年くってるのに。若者時代終わらないのかな藍色は」
「終わらなくてもいいんじゃない?」
「ま、それもそうだな。……あー駄目だ、眠い」
「寝たら? あいが風呂から上がったら起こしてあげるよ」
「本当か? でも、みずだって寝そうじゃん」
「だね……僕も寝そう。あいが風呂から上がってくるまで寝ようか」
「寝なくても瞼瞑っているだけでも違うしな。じゃ、おやすみ」
布団はまだ敷いていないし、仮に敷いたとしても外に出た身体で汚したくはないので畳の上でそのまま瞼を瞑る。
タオルケットもかけていないし、座布団を枕にしていないが、少し程度の仮眠なら問題はないだろう。
瞼を瞑るって十五分休憩の気持ちだったが、意識はまどろみの中に沈んでしまったようで、風呂上りの藍色に起こされた。
「寝るなら寝るで構わないが、風呂にくらいは入ってこい」
「……あぁ、そうするよ」
重たい身体を起こすとみずはまだすやすやと寝ていた。あどけない寝顔は幸せな夢でも見ているのだろうか。
藍色は座椅子に腰掛けて、濡れた髪をタオルドライで丁寧に水分を取っていく。スーツを見すぎて、それしか見たことがないわけではないのにも関わらず、浴衣姿は違和感がある男だ。
「みずは起こさなくていいのか?」
「風呂は順番だ。お前が上がるころ起こすよ、異論は?」
「なし」
時計を見るとニ十分程寝ていたようだ。最初はまだ寝ていたい気持ちが強かったが、次第に目が覚めてきた。鞄から飲みかけのペットボトルを取り出して水分を補給する。
湯船にゆったりと使って身体を休めよう。
「じゃ、入ってくる」
「ごゆっくり」
此方を一瞥することなく、水が下たる髪の毛にブラシを藍色は入れながら言った。
少し皴になってしまった上着を脱いで畳む。白いシャツのボタンを軽く外しながらタオルと浴衣を片手に取り、露天風呂へ向かう。
脱衣所で服を脱いで、外に出る。桶にお湯をためて身体に流すと、一瞬冷えた身体が心地よく温まる。身体と髪の毛を洗ってさっぱりしてから、湯船へとつかる。心地よい。静寂な夜。暖かい湯船。最高の組み合わせだ。
瞼を閉じると眠気が戻ってきそうだった。
このままうたたねをするのはさぞ気持ちいのだろうなと思いながらも、危ないので誘惑を振り切る。
露天風呂から見る景色は昨日を変化していないはずなのに、昨日とは違った感想を抱かせてくれる。紅葉の季節にも訪れたくなる――が、まぁ一泊七万円は何度もご利用できる金額ではないので、GWの景色を瞳に焼き付けておこう。
後で、スマホから写真も撮っておかないとな。防水仕様とはいえ、風呂に入るとき持ち運ぶのははばかられたので鞄の中にスマホは入ってる。
疲れた身体に温泉が染みわたる。
気持ちがいいが、のぼせてきたので出ると温まった身体に夜風があたり肌を冷やした。湯冷めしないようそそくさと脱衣所まで戻り、バスタオルで濡れた身体を拭いて浴衣に着替える。
バスタオルで髪の毛をごしごしと――藍色のように丁寧な手入れはしない――水分をふき取り終わらせる。
室内へ戻ると、ひんやりとした冷房の空気が少し寒い。
藍色がみずの背中をとんとんと優しく叩いて起こし始めた。頭にバスタオルは巻かれていないので、ドライヤーで乾かし終わった後のようだ。
「んんっ」
軽く身じろぎをしてからみずは起きた。瞼をこすり眠そうにしている。
「……本当に寝ちゃってた」
「疲れていたんだよ。まだ眠いならもう少し寝るか?」
「ううん。僕も露天風呂入って目を覚ましてくる」
「風呂で寝ないように気を付けろよ」
「大丈夫だよ」
みずはそういって立ち上がり、段差もないのに躓きそうになった。案外危なっかしい。
「みず、寝ていた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ。風呂くらい入れるし」
「風呂で寝るなよ」
「寝ないよ、大丈夫」
みずはそういって結局風呂で寝落ちしていた。全然大丈夫じゃない。
中々上がってこないので心配になり藍色と露天風呂へいったら健やかな寝顔をしていたので、二人で顔を見合わせて笑ってからみずを起こした。
昨日と変わらず豪勢な夕食で腹を満たすと、日付が変わるより前に就寝した。枕投げでもしたい気分だったが、眠くて起きていられなかった。
いや、眠くなくても流石に高級旅館で枕投げをする度胸はないけど。備品壊したら怖い。
さて、明日は京都旅行最終日。五時の新幹線で帰宅だ。幸せな時間が終わってしまうのは、名残惜しい。悔いが残らないようにめいっぱい遊ぼう。