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アマービリタ  作者: しや
8/30

京都旅行一日目

 京都旅行前日の夜は旅行の準備で浮足立って眠れるか心配だったが、ベッドに入ると眠気が一気に襲ってきて熟睡できた。そのおかげか、普段の音量三倍にしたアラームがけたたましく鳴り響く前に気持ちよく起床できた。

 新幹線で駅弁を食べるから、朝食は抜いてコーヒーだけにする。

 準備は前日に済ませてあるので、顔を洗って着替えたりをすれば準備はばっちりだ。

 高校の修学旅行と引っ越しの時に活躍したキャリーと、旅行のために新調した黒の手提げ鞄を持って部屋を後にする。

 藍色の家で合流をしてから東京駅へと向かう。


「朝早くなのに人が多いね」


 みずが、東京駅は旅行客で混雑しているのをみて、目をぱちぱちとさせながら言った。


「まぁGWだからな……どう考えても人は多い」

「駅で待ち合わせにしなくて良かったね」

「まったくだよ」


 いくら藍色が目立つからといっても、この人込みの中から白髪を探すのは難しい。

 みずはボーダーネックタイプのややゆったりとして袖口が長めの白シャツに、薄目のデニムを合わせている。以前ショッピングモールで購入した服装だ。見立て通り、みずに似合っている。

 藍色はいつも通りのスーツ姿だ。この男はスーツしか私服を持っていないのではないだろうかという疑惑すら感じさせられるが、クローゼットの中は別にスーツ以外も入っている。なのに何故か着ない。

 東京駅で美味しそうな駅弁を購入していざ新幹線。グリーン車は記憶にある新幹線の座席とは別物だった。普通車しか乗ったことないので。

 コンセントが個別についているし、何より座席ふかふかして柔らかい。

 空間もゆったりとしており窮屈さがない。足元にキャリーを置いても狭いとは感じなかった。座席を回転させて向かい合わせにしてのんびりと座る。途中、隣の席に人が乗らないように藍色はなんと座席を四つ取っていた。馬鹿なのだろうかとは思うが、三人の知り合いに一人相席しても気まずいよな。いくら二時間程度の旅とはいえ。

 新幹線二時間の旅はあっという間だった。

 駅弁を食べて、ゆったりとくつろぎながら外の景色を見て、みずと喋っていたら京都についた。

 まずは旅館にチェックインをして荷物を置くことになっているので、電車で移動だ。観光客が多い。

 最寄り駅についてから歩く、京都の空気はいいなぁなんて思っていると旅館についた。パンフレットで見ていたよりも本物の旅館は凄かった。圧巻だ。これが一泊七万円の力。

 高校の修学旅行の時も割といいホテルで仰天した記憶があるが――あれはきっと団体割引とかあったんだろうな、と思うことにしているが、未だに食事がフルコース仕様だったのが謎だ。高校生の夕食とかバイキングじゃ駄目だったのだろうか――これはその修学旅行以上の衝撃だ。

 俺の中にある京都の街のイメージと格式をそのまま具現したような存在感だ。綺麗で荘厳で壮大。いくらでも言葉で飾れそうな風流のある旅館。受付を済ませて、露天風呂付特別室に入る。


「うわっ凄い!」


 みずが感嘆の声をあげた。同感である。落ち着いてゆったりとした和室。和室のテーブルに置かれたお茶の配置が美しいし――何故先に茶菓子とお茶を見ているのかというとまぁ一番安心感がありそうかなっていう。だって窓とかやばい。窓から見える景色が圧巻すぎて思わず眺められない眩しさがある。


「……うん、わかっていたけど藍色、やばい部屋とったんだな」


 一泊七万の威力を益々実感する。だが、滅茶苦茶テンションがあがるのも事実だった。布団が敷かれていたらそこにダイブしていたかもしれない。


「折角の京都旅行だ。いい部屋の方がいいだろ」

「うん。これは……最高だ」


 改めて窓を眺める。自然を一望でき、太陽の光を受けた緑は輝き、見事なコントラストを描いている。川も流れており、せせらぎがここまで聞こえてくるかのような気分になる。藍色が一眼レフを構えて外の景色を一枚と、室内を一枚撮った。


「少し休憩したら観光に行くぞ」

「うん。この部屋は夜にまた寛ごう」

「楽しみだね」


 京都。みずと旅行。最高だ。保護者みたいな藍色もいるけれど、藍色がいるからこそ贅沢ができると思えば、藍色がいることすらいいことのように思えてくる。

 旅行とは素晴らしいものだと、まだ午前中なのに心底思った。

 今日は嵐山周辺を観光コースだ。渡月橋の綺麗な景色を眺める。桜でも紅葉の名所と謳われる場所だが、その季節でなくとも十分すぎるほどに美しかった。

 ボート遊びができたので、乗って遊んだ。嵯峨野では人力車に初めて乗ってみた。予約したトロッコの時間が近づいてきたので、やや駆け足で向かったら十分すぎるほど間に合って笑いあった。トロッコではゆっくりと景色を楽しんだ。

 予定していたコースを回り切っても少し時間があったのでスマホで検索をして嵐山周辺のお寺にもいったし、喫茶店に立ち寄って宇治抹茶のかき氷を食べた。歩いて汗をかいた身体にひんやりとした冷たさと、抹茶のおいしさが染みわたり疲労を癒した。

 どこへ行っても流石GWというべき観光客の多さだったが、それが気にならないくらい満喫できた。

 夕刻になったので、本日の観光は終了して旅館へ戻る。夕飯は旅館の会席料理である。


「ふー。流石に、一日歩き回ると、楽しくても足が疲れるな」


 旅館に戻り一息つくとどっと疲れが押し寄せてきた。


「そうだね。楽しいけど、座るともう立ちたくないってなる」


 みずが座布団の上でくつろぎながらいった。

 一番体力のある藍色が俺とみずにお茶を渡してくれたのでありがたく飲む。藍色はあまり疲れた素振りを見せていない。一番年上なのにと思うと若干複雑だ。

 一眼レフで撮影した思い出の写真を三人で眺める。パソコンにつないでいないから画面が小さいが、集まれば鑑賞できなくもない。藍色の白髪が偶に耳から離れて画面にかかる。


「飯食う前に露天風呂入るか?」


 一通り写真を眺めた後、藍色が言った。


「そうだね、そうしようか。ご飯食べたらそのまま寝ちゃいそう」

「確かに。腹いっぱいで眠くなるわ」


 腹が満たされる前に、露天風呂で汗を流す。うん。最高じゃないか。

 とはいえ、足が棒だったので、藍色が最初に風呂に入った。藍色が上がったので準備をしてみずが入りにいった。

 藍色はバスタオルで髪の毛を念入りにふいて水分を飛ばしてから、ドライヤーで髪を乾かし、程よく乾いたところで木のブラシで丁寧に髪を梳かす。サラサラになったところでドライヤーを再び。みずが戻ってくる頃合いになってようやく髪の毛が終わったようだ。


「……藍色ってその長髪めんどくさくないのか?」

「お前だって男子にしては少し長いだろ」


 確かに首が隠れる程度に長いし癖があってぴょんとはねているので真っすぐにすると肩よりちょっと長い毛は出てくるが、藍色と比べられたくない。


「この程度じゃ問題ないよ。藍色みたいに腰まであったらめんどくさいでしょ。毎日ドライヤーかけて、トリートメントして、髪をとかしてって。願掛けしているとかでもないんでしょ?」

「ないな」

「しかも枝毛とか殆どないし……」


 あまり髪に詳しくはないが、藍色の髪が整っていることはわかる。まぁ、手入れをさぼらずにやっているたまものではあろうが。


「いろー。次どうぞ」


 みずがタオルを肩にかけながら、ほくほくとした表情でいってきた。心なし湯気が見える。

 いい加減棒になっていた足も少しは復活したので起き上がる。


「駄目だ。座りたい」

「早くはいっておいで。露天風呂気持ちよかったよ」


 座ろうとしたら、とろんとした瞳でみずに言われる。だいぶ眠そうだ。まぁ朝も早かったしテンション高く回ったから当然ではある。


「はーい。そうする」

「疲れた足にもお湯いいよ」


 リラックスして寛ごう。タオルをキャリーから出して、部屋についていた浴衣を手に取って露天風呂へ向かう。五月とはいえ、夜の露天風呂は肌寒かった。身体を洗ってから湯につかると、暖かくて気持ちがいい。GWの二泊三日、週間天気予報は晴れで良かったと心底を想う。


「駄目だ、これ最高じゃん」


 外の寒さと湯の暖かさがちょうどいい具合に混ざり合って快適すぎる。ずっと湯の中につかっていたくなる心地よさだった。


「寝たい」


 このまま眠ったら気分は最高なんだろうなぁと誘惑はあるが、流石に風呂で寝るわけにもいかない。ゆっくりと外の景色を眺める。

 夜の露天風呂を入りながら壮大な景色を眺められるとはなんて贅沢なのだろう。よし、明日朝風呂チャレンジもしよう。風呂の温度は丁度よく、長く浸かっていられる。両手を伸ばして身体を解す。湯が気持ちいい。

 普段は湯船につかるのが面倒なのでシャワーで済ませることが多いが、露天風呂はゆったりとしたい気持ちにさせてくれた。

 満喫してから外に出る、温まった身体は外の空気に触れてもすぐには寒いとならなかった。着替えて和室に戻る。浴衣も新鮮だ。


「おかえり、いろ。ゆっくりつかれた?」

「あぁ、普段の三倍くらい長く入っていた気がする」

「確かにそうかも。いろってお風呂早いから、珍しい」

「露天風呂が気持ちよすぎた。棒のような足が生き返ったよ」


 本当に。足が気持ち軽くなった。快適だ。今なら踊れる――いや。やっぱ疲れるから無理。


「あと三十分後に会席料理を持ってきてくれるってよ。折角だ。写真を撮ってやる。色葉とみず、並べ」


 藍色が一眼レフを構えてくれたので、俺はみずを引き寄せて肩を組んで写真をとってもらった。


「藍色、折角だから俺のでもとって」


 スマホを渡すと、仕方ないなといいつつも藍色が二枚目をとってくれた。京都記念に待ち受けにするっていうのはどうだろうか。いいと思う。

 お礼に俺も一眼レフを借りてみずと藍色の写真を撮った。


「じゃあ次は僕の番だね! いろ、あい。並んで並んで」

「え、いや別に藍色とは……」


 写真撮らなくていいんだけど、と続けたかったが意気込んでいる楽しそうなみずを見ると断れなかったので、隣に並ぶ。


「これも思い出?」

「……思い出、だな」

「なら仕方ないか」


 諦めて笑顔を作って写真を撮ってもらった。思い出ならあってもいいだろう。

 一眼レフをもって写真を撮るのが楽しくなったみずにあと三枚くらいとられた。そんなに藍色との思い出はいらないのだが。


「明日はみずが写真撮るか?」


 楽しそうなみずをみて藍色が朗らかな笑顔できく。


「え、いいの?」

「別に誰が撮ったって問題はない。写真を撮るために買ったんだから使わないと損だろ」

「じゃあ撮る」


 よーしとみずが意気込みながら撮影した笑顔の俺と藍色の写真を見て満足そうにうなずいた。


「旅行から戻ったら写真現像しよう。色葉の分も用意してやるから待ってろ」

「当たり前でしょ。俺の分はないとか虐めはよくない」


 ワイワイと騒いでいたら、新幹線にのって、観光しまくって、足が棒のようになって、楽しい疲れを感じていたはずなのに、いつの間にか騒げるだけの体力が戻っていた。

 楽しいと疲れすら回復するのは早いらしい。とはいえ、お腹がぐうとなった。


「腹が減った」


 よくよく考えれば朝昼兼用の駅弁と、おやつに喫茶店でかき氷を食べて――あと観光地の屋台で少し食べ物を食べた程度だ。散々歩き回ったのに対して食べた量が少ない。


「そうだね。僕もお腹すいたよ」


 ちらりと時計を見ると会席料理が運ばれてくるまで五分もなかった。だが、五分もあるとさえ思ってしまう。

 これだけの旅館。これだけのお値段の会席料理と思うと落ち着かないのも無理はない。

 どうしたって期待値は上がってしまうものだ。期待がひたすらに膨らんでいく。

 そうして届いた会席料理は舌を打つの言葉に相応しいくらい美味しかった。フルコースだった高校時代の修学旅行の料理も豪勢ではあったが、少しずつ時間をおいて届くのが高校の時にはもどかしくて味をあまり覚えていない。

 だが、今届いた会席料理はどれを食べても美味しかった。これが高級料理と実感してしまう。みずも藍色も俺も、料理がおいしくて最初は声に出して感激したあとは無言でもぐもぐと食べた。


「美味しかったぁ」


 食べ終わったみずが満足な顔でいった。俺も藍色も同感だ。


「あぁ、ここの宿にして正解だったよ。酒も飲むか」


 藍色が日本酒を注文した。みずもたまには、といって飲んだ。

 ビールが好きな藍色はあまり日本酒を飲まないけれども、和風の旅館だからそっちに手が伸びたのだろう。俺も日本酒を口にする。口の中が蕩けるように美味しい。自宅に帰って安酒が飲めなくなったらどうするんだろうと思ってしまうほど味わい深い。

 眠気はいつの間にか消えていたどころか今日という日が終わるのが勿体なく感じる。

 二泊三日は長いようであっという間だ。だってそのうちの一泊はもう終わってしまったし、三日目は帰りの新幹線の時間もあるから長い間京都にはとどまれない。


「あぁ、勿体ないなぁ……」

「何がだ?」

「時間が流れるのが。だって、こんなにも旅行が楽しいんだもの。このまま時がとまってくれたら最高のまま最高でしかないじゃん」

「まぁ、確かに……いいものだな」


 藍色はおちょこに目を落としながら、しみじみといった。

 みずは久々にお酒を飲んでそのまま潰れてしまって今は布団の中ですやすやと心地よい寝息を立てている。安らいで幸せな顔をしているみずに、おやすみと心の中で声をかける。


「そういえばさ、藍色に聞きたいことがあったんだけど……」

「どうせお前の推測通りだ」


 本題に入る前に予想はついたようで、藍色はくだらないとばかりに切り捨てる口調だったが、おちょこから口を離して、遠くの夜景を眺めた。


「それなのに私の言葉から直接ききたいのか?」


 冷淡な瞳が射抜いてくる。一瞬迷いが生まれたけれども、俺はこくりと頷く。これはきっと旅行中のテンションだから聞けることだ。

 大学一年の時に、みずと出会って親友になって。藍色のことを知って。今は大学三年生だ。

 その期間があって聞けなかったのだから、いつもとは違う日常を送っている延長線上でしか尋ねられない。


「知りたいよ。藍色がみずを殺そうと思ったことがあるのかどうか」

「そんなもの――あるに決まっている」


 あっさりとした口調で藍色はいった。俺は驚かない。

 この男は殺人鬼なのだから。殺人鬼とみずの接点が繋がるとしたら殺そうとしたか極論、そこにいたる。ただ憶測でしかなかっただけだ。確かめたいと思いつつこんにちまで尋ねられずにいた。


「最初は、殺そうと思ったよ。いや、流石に中学時代のみずと出会った時は思っていないけどな……」

「目撃者生かしている時点でその時はないよな」

「高校生のみずと再会した時、殺そうと思って私は近づいた」

「どうして殺せなかったんだ」


 殺さないでくれていいけれども。

 趣味で人を殺しているのにも関わらず、みずは殺さなかったどころか生かした。

 俺の中の常識で考えれば中学時代に生かしたこともそうだが、殺人鬼なんて目撃者がいたら警察に捕まるような危ない橋を渡るようなものだ。

 目撃者何ていないにこしたことはない。

 警察に捕まったら、とか指名手配されたら、とかそういった不安を藍色は抱かなかったのだろうか。


「わからない。ただ、殺さなかった子供が成長して、人に怯えていた。まともに会話もできない程に、対人恐怖症だった」


 藍色と出会ったから多少大学入学時代には改善されてはいたとはいえ、みずと出会った時も人の波に怯えていたし、未だって知らない人と話すのは苦手だ。


「そんな子供が、私と一緒にいたときに笑った。その笑顔を見たら殺す気が自然と失せていたんだ。おかしいよな、殺すつもりで私は部屋に招いたのに。今日殺さないで次にしようという気持ちすらわかなかったよ」


 藍色は不思議そうに日本酒を飲んだ。本心から、わからないと思っている声だ。


「中学生のみずをそもそも殺さなかったのは」

「それもわからない。だが、虐待を受けて、私が殺さずとも今にも死にそうな子供を殺す気にはなれなかった」

「甘酒より、甘いな。殺人鬼なのに」


 綾瀬さんと初めて出会った時も思ったけれども。

 藍色は人にほだされたぬるま湯に浸った殺人鬼だ。


「そうだな……否定はできない。だが、それでも私は殺せなかった」

「俺としてはそれでいいんだけどね。そうじゃないとみずには出会えないから」

「殺そうと思ったことをお前は怒らないんだな」


 意外そうな瞳で俺を見てきたので、肩をすくめる。


「そりゃね。藍色がみずと出会ってくれなかったら、俺がそもそもみずと出会えなかったんだから。まぁ俺より先にみずと出会っている事実は腹立たしけれどさ」

「お前なぁ……」

「でもさ、藍色はみずをどう思っているわけ? どうして、みずを養っているの」

「養っているつもりはないが……」

「その言葉が変だったとしても違和感があっても、藍色がみずの生活を支えているのは事実だよ。みずに大学という選択肢を与えられたのも、藍色がいたからだろ。どうして?」

「――さぁな、それこそ、わからないよ。ただ、放っておけなかっただけだ。今は殺さなくて良かったと思うし、みずの成長を見守りたいと思っているよ」

「過保護。ってかもう保護者だね」

「それはそれで悪くないな」

「藍色って二十九歳じゃなかったっけか。二十歳の子供を持つには早くない?」

「お前がそうふってきたんだろ。ただ、私はそれも悪くないなと思っただけだ」


 日本酒はいつの間にかなくなっていた。藍色はテーブルにおちょこを置いてから俺を見る。


「なら私もきこう。お前は何故、私が殺人鬼だと知っても普通でいる?」

「別に、藍色がいないとみずの生活に問題があるからだよ。それ以外に理由なんてない」

「……そこまできっぱりと言い切られると、返す言葉に困るな」

「大体さ。そもそも俺が通報しようとしたら藍色は俺を殺すでしょ」

「通報しようとしなくてもお前がみずの親友じゃなきゃ殺していたな」

「酷い。でも、みずの親友じゃなきゃ、藍色に俺を殺す理由もまたないと思うけどね」

「それもそうだな。みずと出会っていないお前を殺す理由はないな」

「俺にとっては、みずが殺されないなら別に藍色が人殺しだろうがなんだろうがどうでもいいんだよ」


 綾瀬さんに答えたのと同じことを答える。


「それに、なんといってもさ。俺は知っているだけだから。直接藍色が人を殺すところを見たことはない以上、対岸の火事だし、空想の範囲でしかないし、いうなれば現実味がないんだと思う。だから、藍色が人殺しだろうが気にしない。綾瀬さんのように悩んだりはしないよ」


 そう。どれだけこの殺人鬼は、とか殺人鬼なのに甘いとか、色々と言っていたところで思っていたところで、俺は藍色が人を殺した場面に遭遇していない。

 だから余裕をもって接することができる。


「……色葉、出かけるぞ」


 藍色は立ち上がって唐突にいった。何か嫌な予感が肌をまとわりついてはなれない。


「こんな夜に、みずを置いてどこに出かけるっていうのさ。酒ならルームサービスで頼めばいい」

「違うよ。色葉。お前に私が人を殺す場面を見せてやる」

「っ――!」

「私が人を殺した場面がないからだというのならば、見せてやる。簡単だ、その辺を出歩いて適当に目星をつけた人間を人目のつかない場所で殺せばいい。私怨もない行きずりの殺人。観光地で私たちは観光客だ。事件が騒ぎになるころには私たちは東京へ戻っている。みずにも知られることはないまま終わらせるし、足がつくような真似はしないから安心しろ。ただお前は見ていればいい。人が死にゆく過程をな」

「い、いやだ。断る」

「断ったところで、私が無理やり連れていくことだってできるぞ」


 手を伸ばされたので慌てて立ち上がりよけようとしたが、藍色はそんな行動お見通しだ、とばかりに腕を掴まれた。痛い。振りほどけない。

 名前と同じ色の瞳が、不敵な口元が、冷淡な表情が、この男は殺人鬼であると告げている。


「藍色は、最近人を殺していないじゃん……どうしてここで、今殺すのさ」

「忘れたのか? 私は仕事で人を殺すが、趣味でも人を殺すのだと。なら趣味で殺すのに、普段の生活県内から離れているところなんて、絶好の機会だと思わないか」

「思うわけないだろ」

「ついてこい。色葉。いい機会だろ」

「断る。藍色。手を離せっ……嫌だ。人がわざわざ死ぬ場面なんて見たくない。見なくて済むものを見せなくていいだろ、俺は知らないままでいい」


 力を込められた手が怖い。逃げようと身体を動かしても掴まれているのは腕だけなのに、何もできない。無理やり引っ張られたら、俺にはどうしようもない。

 俺は、人が死ぬ場面など、好んで見たくもない。対岸の火事のままでいたい。

 藍色は嘆息した。


「……色葉は、私が人を殺す場面を見たら、みずから離れるか?」

「離れると思うの? 俺が? たった一人の親友の前からいなくなると思う? 本当に藍色はそう思うの?」

「思わないな」

「俺は例え、藍色が人を殺す場面を見たって離れないよ。当たり前だろ? だって俺にはみず以外の親友はいないし、それ以外の親友なんていらない。みずにとっての親友も俺だけでいい。なら、俺が離れるわけがない。だから諦めてよ。藍色が人を殺す場面を見ようが見まいが、結局のところ俺がいなくなったりはしない。ならさ、人が死ぬ場面なんて見せるなよ」


 赤の他人の不幸なんて、俺には関係ないままがいい。

 俺の断言に藍色は深いため息をついて手を離した。縄で縛られていたかのように手首が痛い。手をさする。

 藍色が人を殺すつもりがなくなって良かったと安堵する。


「全く。本当に色葉はクズだ」

「どうして今の発言でそうなる。どっちかというと大学生に人殺しを鑑賞させようって方がクズだと思うけど」

「親友はみずだけでいいというやつがクズ以外なんて表現しろと? みずに友達ができるのを裏で妨害しているやつなんてクズでしかないだろ」

「酷いなぁ。みずが隣で寝ているっていうのに」

「みずが寝ているからな。寝ているうちにお前を罵倒したところで別に問題はない」

「俺の心が傷つくだろ」

「私に何かを言われて傷つくような繊細な心を色葉が持っていると?」

「いや持っていないけど……色々と……みずには聞かれたくないじゃん」

「今更だな。お前だってみずが寝ているから私に殺そうと思ったかと尋ねたんだろ」


 まぁそうだけど。

 だって、藍色がみずに聞かせたくない話を堂々としている以上、みずは間違いなく熟睡しているとわかる。何せ、みずが起きた気配がしたら藍色は会話を打ち切るか、別の話題にそれとなく移動したに決まっているから。


「さて、そろそろ俺も寝るかな。あんまり深酒をして二日酔いになっても困るし、そもそも明日の観光を寝不足にしたくない」


 本当は冷や汗をかいた身体を洗い流しておきたいが、そんな体力はなく疲れていた。

 物騒な話なんて、観光地でする会話ではなかった。


「それもそうだな。私もそろそろ寝よう」

「藍色が寝坊したら置いてくから別にいいけど? 一眼レフも明日はみずが持っているし」

「お前が私を放置したところでみずが起こしてくれるだろ」

「残念なことにそれもそうだな」

「残念がるな。大体、私はそこまで睡眠時間がなくても一日や二日ならば問題ない」

「そのうち身体にガタくるよ」


 そんな会話をしながら飲んだおちょこと日本酒を軽く片付けて、布団に横になる。柔らかいし暖かいと思っているうちに酒の効果もあったのか、あっというまに眠りについた。


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