旅行は準備から楽しい
待ちに待った京都旅行が来週へと迫ってきた土曜日。
俺は藍色の部屋でくつろいでいた。
「くつろぐな。旅行の準備をしにきたんじゃないのか」
男にしては長すぎて邪魔くさい白髪をポニーテールにした藍色が呆れながら言った。服装はカジュアルスーツスタイルだ。家の中くらいパジャマでいればいいのに。
京都旅行が来週に迫っているので、細かい予定を詰めようと思ってきたのだが、あいにく、みずは買い物に出かけていた。一時間もしないで戻ってくるとのことなので、絨毯の上で胡坐をかいて寛いでいたのだ。
「そういえば結局、宿はどこを取ったのさ?」
一週間前なのにのんびりしていられるのは、宿と行き帰りの交通の予約を藍色が既に取っていてくれたからだ。泊まるところと足があれば、あとは案外どうとでもなる。
宿を決めるのも旅行の醍醐味だとは思うが、藍色が全部決めてくれたので、何処に泊まるか知らない。とはいえ、あと一週間。流石に泊る宿は知りたい。アメニティによって持ち物も変わるし。
「ちょっと待ってろ」
藍色が引き出しの中から、旅行会社に乗り込んで予約を取ってきたのかパンプを渡された。付箋が貼ってあるページを開くと赤い丸で囲まれたところがあった。
これが宿――俺は目が点になる。
「……ナニコノ特別室って」
「露天風呂付だそうだ。折角なら露天風呂がついているほうがいいだろ?」
「ソウデスネ」
お値段一泊一人七万円。どう考えても一般大学生が旅行にいく旅館じゃないでしょ!
露天風呂と会席料理つきとはいっても限度がある。
なるほど。これは勝手に藍色が宿をとってしまうわ。
俺やみずだったらもっと安くてお手頃――それでも京都だしGWだからお値段は目を見張るものがあるから多少は仕方ないにしても――を選んでいたに違いない。
値段を気にされないためには、勝手に宿を決定して取ってしまうのが確実である。確実ではあるのだが、一泊七万円。二泊三日で……考えるのはよそう。
「嵐山にある旅館で、ここからなら渡月橋や宝厳院も近くにあって観光にもいいし何より景色が美しい。まぁ、本当は紅葉の季節に見たいところだろうが……それはまた別の機会だな」
楽しそうに語る藍色の言葉を耳に入れながら、俺は改めてパンプレットを見る。
露天風呂と夕飯付きの特別室。宿の正面は木の門が構えてあり高級感に溢れていて荘厳だ。ロビーも見るからに調和がとれていて美しい。
宿の中から見る緑の景色も美しい。多分、紅葉の季節だとこれが一面赤に変わるのだろう。浴衣でくつろぎながら、日本酒を一杯飲んで景色を眺める――考えるだけで風流だ。
風呂はなんとかけ流し。豪勢で贅沢である。会席料理も見るからに高級そうで俺の舌が味覚を捕らえてくれるかが心配になるほどだ。
そしてお値段一泊七万円――パタン、とパンフレットを閉じる。
「これは、楽しみだな!」
うん。値段を気にするのはやめよう。ここまで来たら盛大に奢られよう。
俺じゃ到底泊まれない場所だし、折角なのだから豪勢に舌鼓をうって満喫しなければ損だ。
「行と帰りの交通手段は? 夜行バス? 新幹線? それとも飛行機?」
「新幹線にした。夜行で豪華バスっていうのも面白そうだったが……早い方がいいだろ」
渡されたチケットは当たり前のようにグリーン車と書かれていた。
「そうだね。豪華バスに興味がないわけじゃないけど、いっても夜行で寝ることになるんだからなら、みずと話せるほうがいいな」
藍色がとってくれた新幹線(早いの)は二時間で京都まで行ける。駅弁を持ち込んで喋りながら食べたらあっという間だ。
「一日目だが、まずチェックインして荷物を置いてから、嵐山周辺の観光でどうだ? 嵐山周辺なら嵯峨野で人力車に乗ったり、トロッコでゆっくり景色を見て回るのもいいだろ。渡月橋も外せないな。で、二日目以降に清水寺や京都駅付近を観光といった形だ」
「いいね、そうしようか。まずはキャリーを置かないと移動にも不便だしね、細かいコースを煮詰めるのはみずが戻ってから一緒に話すとして、GWが楽しみすぎるよ」
「あぁ、そうだ色葉。これを見てくれ」
藍色が有名な電気屋のロゴが入った紙袋を取り出して持ってきた。中身を見てみると一眼レフだった。ずっしりと手に重みがくる。
「京都観光には欠かせないと思って買ってきた」
「なるほど、名案だね。携帯の写真だけじゃ物足りないところだったよ」
これはナイスファインプレーである。京都旅行で思い出の写真をたくさんとるしかない。
とはいえ、一眼レフ――その名前だけでしり込みをしてしまいそうだ。写真は俺も藍色も素人なので、手始めに部屋を被写体にしてパシャパシャと撮りまくった。デジタルなので失敗してもすぐに消去できるのがありがたい。
ちなみにカメラに詳しくない藍色は、電気屋の店員さんに京都旅行で写真を撮るのにちょうどいいカメラをくれ。値段は問わないといった大人買いをしてきたそうだ。金を持っている殺人鬼って性質が悪い。……時折、殺人鬼であることを思い出さないとそのうち忘れてしまいそうだ。だって、今藍色はソファーを被写体にして写真を撮っているんだぜ? 殺人鬼に見えない。
「パソコンで写真を確認するか」
藍色がノートパソコンを持ってきて、コンセントにアダプターを繋いで立ち上げる。USBで接続をして写真を表示する。
「おおっ、これはなかなかいいんじゃないか。手ぶれも少ないし、ぼけも綺麗。……まぁ何枚かは失敗しているけど、でも流石に性能がいいと腕前を性能が補ってくれるな」
カメラを通してみた写真は、普段見慣れている藍色の部屋なのに別物の感じがして楽しかった。モノクロを基準とされた部屋の、モノクロの透明感が写真からは漂っている。
「ただいまー。いろ! 遊びにきてたんだね。ごめんね、待たせちゃったでしょ」
そうこうしている間に、みずが帰ってきた。
「いや、大丈夫だよ。カメラで遊んでいたから」
ぱしゃり。記念にみずを一枚。
「ちょっと、僕を写真とってどうするのさ」
「記念記念……あ、そうだ。京都で記念撮影してもらえるとこにも行こうよ、ほら和服とか着付けして写真とってくれるところあったはずだし」
前にテレビの特集で、着付けやメイクから写真撮影までやってくれるオススメプランがあって人気だといっていた。その時は女子が花魁の恰好をしているものだったが、男子用のプランだってあるだろ。侍とか新選組のコスプレまではいかないにしても袴や着物姿なら撮れそうだ。
「あぁ、いいなそれは」
藍色も同意してくれた。GWで事前予約が必要な可能性もあるから検索して予約を入れておこう。ノートパソコンを借りて、京都、写真、着物、と必要そうなワードを打ち込んでいく。検索で引っかかったHPを見て、一番興味をひかれたところをネット予約した。GW期間だったが大丈夫そうだ。
「旅行の計画を詰めていたんだけどさ、みずは新選組とか興味ある? 壬生寺とかが観光で有名だけど」
「折角だし行ってみたいかな」
「おーけ。あと清水寺とかだよな、前に行ってみたいっていってたの。その辺も行くとして……あぁそうだ。家族にお土産を買いたいから、何処か土産物がうっているところにいきたい……いや、京都駅でいいか。八つ橋なら京都駅でもうっているだろうし」
「それでいいの? どっかで買ったりしてもいいけど? 色々とお土産売っているところもあるだろうし」
「いや、最初に買ったら荷物が増えるだけだし、なるべくお土産の類は後に回したい」
宿に荷物をおくにしたって邪魔だし、八つ橋は定番で美味しくてお土産としてもらって嬉しいランキングに俺の中で入るので問題はない。
どんどんと二泊三日の計画が埋まっていくし、二泊三日じゃ足りないくらいだ。
「京都は観光する場所が多すぎるな、これじゃ一週間いたって足りないわ」
流石観光の定番地。ネットで検索するだけで山のように情報が出てくる。
「みずと藍色はキャリー用意したの?」
「明日買いに行こうと思っている、お前は?」
「俺は高校の時のキャリーがあるからそれで行くよ」
高校の修学旅行も二泊三日だったので、キャリーの容量もちょうどいい。
黒の無地で保存状態も悪くないので十分使えるやつだ。一人暮らしの引っ越しをするとき荷物を詰めるのにも活躍してくれた。
「でも、折角だし少し何か買うものあるかもしれないから、明日ついていっていいか?」
「わざわざ聞かなくてもお前ならついてくるだろ」
「そりゃそうですけどー」
「ひと段落つくところまでまとまったし、そろそろ夕飯の準備でもするけど、いろも食べていく? 晩御飯はホイコーローだけど」
「いいのか? じゃあ食べていく」
みずが中華とは珍しいな、と思う。
みずが台所に立って夕飯の準備を始める中、俺と藍色は京都の計画をもう少しつめていく。例えばネットでマップを見て経路確認だ。土地勘がないのでGPSは必須だし迷子にもなるだろうが、景色を頭に入れておくのは損じゃない。
「現地で細かい移動はタクシーでいいな?」
「うん。京都はタクシーで移動の方がいいって聞くしね」
以前、修学旅行で行った時も四人グループで一日タクシーを貸し切っての移動だった。タクシー運転手のおっちゃんが凄くいい人で移動時間も暇じゃなかった。
「あーそうだ。トロッコも予約しておいた方がいいんだった、忘れてた、予約しておくわ」
「頼んだ」
まずは空席状況を確認。よし、大丈夫だ。乗車予約購入をしてこれで問題なし。
他にも見落としや予約が必要だったら困るから、その辺も確認しておかないとな。
あぁ。本当に早く来週にならないかな、楽しみだ。
「東京駅までは電車で移動するが……待ち合わせは新幹線のりばとうちだとどっちがいい?」
「そりゃ藍色の家。東京駅で待ち合わせしてもいいけどGWの新幹線のりばとか混雑必須で待ち合わせには向かないでしょ」
白髪男を目印にしたら、目立つことは間違いなしだけれども。藍色は身長もあるから、海外の観光客が多い中でも埋もれるということはないだろうが、駅の最寄り駅は同じなのだから、寂しいことは言わず一緒に行きたいじゃないか。別に藍色はいらないけど。
「夕飯そろそろできるから、机の周り片付けて」
みずの言葉に俺と藍色は頷いて、テーブルの上に出し散らかしたノートパソコンとか一眼レフとかを片付けていく。
布巾でテーブルを拭いて、食器棚から皿を取り出す。何度もご飯を一緒に食べているから食器のありかとかは我が家のように配置がわかる。
藍色が大皿をみずから受け取る。回鍋肉の濃い匂いが香ばしい。
藍色がビールを二缶取り出したので、俺はお茶とグラスを三つ用意する。
ご飯とみそ汁をよそい、菜箸で取り皿の回鍋肉を分ける。
三人着席してからいただきますと食べる。白い出来立てのご飯と回鍋肉がうまくかみ合わさって美味しい。濃厚な味わいが口の中へ広がるが、くどくないように白米のうまみが調和してくれる。凝縮されたうまみ。肉と一緒に炒められていたはずなのに、キャベツはしなっておらずパリっとした触感がのこっていて美味。
味の濃さはビールのつまみにも最適だ。
「うん、美味しい」
全く持って幸せな土曜日だ。
「それは良かった。明日一緒に買い物にいくなら、今日はいろ泊っていくの?」
「んーどうしようかな。うん、よし泊っていこうかな」
げっと藍色がビール缶に込める力を強めたがみずはもちろん気づかない。
「泊っていくのはいいがソファーな」
「僕がソファーで寝ようか? ベッド貸すよ」
「いや、大丈夫だよ。大体、ここのソファーは大きいし柔らかいから寝心地もよくて問題ないし」
藍色のベッドなら喜んで借りるが、みずのベッドを借りてソファーで寝かせるとか可哀そうだ。
夕食をご馳走になった代わりに、皿洗いを申し出る。
料理は出来ない俺だが茶碗くらい洗うことはできるので――といいたいが、つい最近藍色が食器洗浄機を購入したので、大きな汚れだけは手で落とすが、後は全部自動で食器を洗ってくれるのであった。
あんまり俺が手伝いを申し出る必要のない文明の利器の力を実感する。
順番に風呂に入って、寝巻は藍色のを借りて、翌日に備えて今日は早く寝ることにした。
翌日はフレンチトーストを食べてからショッピングモール開店時間に合わせて藍色が運転する車で京都旅行へ向けての買い出しをした。
みずと藍色はキャリーバックを購入して、俺も京都旅行に合わせて服を新調した。折角だから、新しいものを着たい。
満足いくまで買い物をしていたらいつの間にか夕方になっていたので、藍色が近くの焼き肉屋に連れて行ってくれた。
本当に肉が好きな藍色である。でもこの店の焼き肉は美味しかった。
男三人――みずはカウントしていいかわからないくらい小食だが――が飲み放題にはしなかったとはいえ、満足いくまで食べたのにも関わらずお値段が結構安かった。お手頃価格でいい。大学生の懐事情にも優しい。
そんなこんなで日曜日は終わり、浮足立ったまま大学へ通って、そしてついにGW――京都旅行の日がやってきた。