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アマービリタ  作者: しや
5/30

Because it is my best friend2

「藍は大学の時に知り合った。一言でいえば変な奴だった」

「でしょうね」


 白髪だし。殺人鬼だし。納得しかない。

 俺の即答に綾瀬さんは強張っていた顔がほぐれた。


「でも、不思議なことに馬が合ったんだ。藍は最初、部屋に招くどころか住所を教えることすら渋っていた。けど、オレが年賀状送れないからって諦めないで聞いたら、渋々教えてくれたよ。部屋に遊びに行かせろといったら、そのうち承諾もしてくれた。まぁ、約束しないで行ったら今日みたいにいい顔しなかったけどな。今考えれば当然のことだけど……あの時は、思いもしなかったし思いつくわけもなかった。……あの日、のことは忘れられない。オレは今日みたいにアポなしで遊びに行ったらさ、そこで藍は人を殺していた。目の前が真っ白になったよね」


 斜め上の雲を眺めるように、綾瀬さんは視線を俺から外した。見上げた空にどんな感想を抱くのだろうか。

 真実を、事実を、知ったときの綾瀬さんの衝撃を俺に推し測ることはできない。

 俺は藍色が殺人鬼だと知っているだけだ。

 死体も、人を殺している場面も見たことはない。

 せいぜい、藍色がナイフを磨いているところや銃を所持しているのを見た程度だ。銀色に光り刃も、黒光りする拳銃も、恐ろしいとは思うが、人殺しの実感としては薄い。血濡れたわけではないし、肉片が付着しているわけでもない。

 そもそも、人殺しの場面を見たい心は持ち合わせていない。

 だから見ていないし知らない。

 知らないから素知らぬ顔をできる。

 目の前で実際見たとき、何を思うかは正直に言えばわからない。

 でも、結局今と同じ結論至ることはわかる。

 みずに害がなければそれでいい。

 尤も、みずと暮らすようになってから、藍色は仕事部屋で直接、人を殺すことはなくなったようだから、今後その場面に遭遇することもないだろう。


「ねぇ、色葉君。酷いと思わないかな」

「何がですか?」

「藍はな、オレに何も言わなかったんだよ。藍が人を殺している場面を見てしまったのに。オレを殺すことも、脅すことも、何もしなかった。だから――オレは親友を辞めることが出来なかった。いっそナイフを向けてくれれば良かった。いっそ脅してくれたらよかった。そうしたら、迷うことなく警察に駆け込めたのに」


 歪めた顔で、彼は笑った。

 切実で、叶うことのなかった願望。『親友』という定義を裏切ることをされたら、親友から脱することが出来たのに、何もなかった。

 だから、綾瀬さんは葛藤して迷って、迷路に入り込んで、導き出した結論は親友でい続けることだった。


「何度だって思うよ。どうしてあの時、オレを脅さなかったんだって。あの光景は忘れられない、鮮明すぎて夢にだって見る……悪夢だよ、あれは」


 夕焼けに照らされた顔は、切なくて暗い。抜け出せない沼でもがいている。


「間違っていることはわかっている、けど……無理だった。色葉君。君はさ、もしも……親友が犯罪者だったとしたらどうする? その時、何を選ぶ?」


 自分の選んだ道に対する咎に耐えられなくて、もしもを他人に求めて縋るように映った。


「別に何もしませんよ。俺は、貴方とは違って悩みもせずそれを容認します」

「……なんで?」

「俺は、他の誰かが死ぬ未来を嘆けるほど優しくなんてないですよ。見知らぬ誰かがいなくなることよりも親友がいなくなる方が俺にとってはつらい。だから、何があっても親友を選びますよ」

「なら、それは――」

「間違いとか、正解とかはどうでもいい。興味もない。俺が望むか、望まないか、それだけです」

「――そう」


 望む答えはわかっているが、求める答えは出せない。

 綾瀬さんの複雑に浮かべた顔は、俺に対する同情だったのか憐憫だったのか、それ以外だったのか判断はできない。

 子連れの家族が楽しそうに買い物袋を提げて反対側の歩道を進んでいったのが視界に映る。

 小声とは言え、一瞬会話が聞こえていないか焦ったが、きゃっきゃと楽しそうにしている子供の声で、俺と綾瀬さんの音は、親に届かないでかき消されるだろう。


「綾瀬さん……教えてくれてありがとうございます」


 藍色の親友である綾瀬さんが、藍色のことを知っているのか知りたかった。その欲求は満たすことが出来た。

 だから、綾瀬さんが何か言いたそうな顔をしているのを無視して背を向けた。

 呼び止められるかと思ったが、呼ばれることはなかった。

 綾瀬さんの中で感情を言葉に変換しているのが終わらなかったのだ。

 そのまま帰宅したいところだったが、衝動的に行動したので藍色の家へ鞄を置きっぱなしだ。

 藍色とあまり顔を合わせたくはなかったが、部屋の鍵も財布もなければどうしようもない。舌打ちしてから戻る。

 リビングでは藍色の視線がやや鋭かったのを無視してみずを向く。ほんのり顔色が赤いから空気で酔ったのかもしれない。ほんと、どれだけ酒に弱いのだろうと思ったが、大量に藍色がビールを飲んだから仕方ないか。


「いろ。どうしたの突然、びっくりしたよ」


 みずの言葉に俺は笑顔を作る。

 感情の機微に本来ならば非常に敏感なみずだが、親友という関係を手に入れてからはその読み取り精度も落ちているから嘘をおしとおせる。


「あぁ……実は……綾瀬さんは卵焼きも上手なのか聞きたくて」

「何それ、ほんと、いろは卵焼き大好きだね」


 みずは笑った。嘘を疑っている様子はない。

 卵焼きは好きだが、俺が好きなのはみずの卵焼きなので、別に綾瀬さんの卵焼きには特に興味はないのだが、選ぶ嘘としては最適だ。

 綾瀬さんもみず同様、料理上手だし。食べてみたくないわけではないのも事実だ。


「でも卵ばかり食べて偏った食生活は駄目だよ」

「わかっているよ。みずの卵焼きを食べるために、普段は卵あまり食べないようにしているから」

「それおかしくない!?」

「おかしくないおかしくない」

「まったく。そうだ、いろ。明日の弁当何か食べたいのある?」

「卵焼き」

「それ以外は?」

「みずの料理なら何でも美味しいから、どれでも嬉しいよ。さて、俺もそろそろ帰るかな。もう夕方だし」


 鞄を手に取ると、藍色がいつの間にか車のキーを指に挟んでくるくると回していた。


「折角だ、送っていってやろうか?」

「飲酒運転はいけませんよ」


 真っ当なことを言うと舌打ちされた。

 そもそも、送ってやろうかとか、そんな態度、不気味すぎるだろ。普段は親切の欠片もないくせに。


「ちっ……ビールが足りなくなったから追加しようと思ったんだがな」


 目線で話があると訴えている。

 藍色と意思疎通ができても嬉しくないのだが、会話を仕方ない、合わせよう。


「どれだけビール飲むつもりなの。少しは自重したら?」

「酔っていないから大丈夫だ」

「馬鹿なの? ……なら、歩いて買いに行きなよ」

「仕方ないがそうするか。みず、ちょっと居酒屋まで行ってくる」

「飲んでくるの?」

「間違えた。酒屋まで行ってくる」

「いってらっしゃい。いろ、また明日」

「あぁ」


 廊下に出た途端、藍色が露骨に舌打ちをして機嫌が悪かった。

 みずに聞こえたらどうするつもりだと思ったが、壁は厚くて防音もしっかりしているので問題はなかった。


「お前、綾瀬に余計なことを聞いただろ」

「聞いたよ。だって気になるだろ、お前に友達がいたんだから。その友達が藍色のことを知っているのかだって気になる」

「それが余計だっていうんだ」

「知っている、けど俺が気になった」


 エントランスを過ぎて、外に出る。先ほどと光景は変わっていないはずなのに、綾瀬さんと会話した時とは異なる景色に見えるから不思議だ。


「……はぁ」

「どうして綾瀬さんを殺さなかったの?」

「ただの血の迷いだ」


 藍色はあっさりと答えた。

 綾瀬さんとは違い、嘗て葛藤があったとしても今はもうその感情に折りあいを付けている言葉だ。

 藍色と並んで歩いている間に酒屋を通り過ぎた。


「そうだな……綾瀬に私のことを知られたのは、みずを殺さなかったすぐあとだったな」

「目撃者二人とか馬鹿なの?」

「今は三人だな」

「殺人鬼としては致命的な馬鹿だね」

「三人目は殺してもいいけど。良心の呵責もなくもなくさくっとけるぞ」

「そもそも持ち合わせる良心ないでしょ。というかやめてよ」

「試してみる価値はあるかも知れないぞ」

「あるわけないだろ。俺は自殺志願者じゃないから。で、なんで?」

「知らん。自分でも何をやっているんだとは思ったさ。でも――どうしてだか殺そうと思う気持ちがなかった」

「藍色って、いつか足元掬われそうな甘さがあるよね」

「……綾瀬は例外だ」

「みずだって例外でしょ」

「……そうだな。だから忠告しておく。綾瀬は家に上げても構わないが、それ以外は上げるな」

「言われなくてもそうするつもりだよ」

「特にパンク系のような恰好をした黒髪の女が見えたら居留守を使った後、部屋から早々に立ち去れ」


 藍色の真剣な言葉に、俺は顔を歪める。


「その人は、つまり」

「あぁ。私に仕事を持ってくる仲介業者みたいなやつだ。名前は(とび)

「元々出るつもりはないけど、注意しておくよ」

「まぁ本気で鳶が私に用があってくるのならば、オートロックなんてそもそも無視するだろうが……」


 恐ろしい独り言はやめてほしいものだった。まぁ確かにオートロックが防犯の頂点にいるわけではない。抜け道だって沢山ある。

 他の住民が中に入るときさりげなく住民や宅配業者のふりをして一緒に入るなんて、ドラマでよく見かける定番だ。


「みずにはちゃんと言い含めているんだよな?」

「当たり前だ。例え宅配業者だったとしても、私はお前じゃなきゃ出るなと言い含めてある。基本的に、他人に住所は教えないが、鳶は私と直接やりとりをするからな……みずと暮らす前は何度か足を運んできたことがあるから仕方ないんだ」

「なるほど、その人が来るときは仕事を断りまくっている藍色に、痺れを切らしたときか」

「……そうだな」

「否定しないんだ。ねぇ藍色。どうして趣味を仕事にしたやつが、最近は仕事をしないのさ」

「わかっていることをきくな」

「そうだね。不毛だった」


 簡単すぎる答えだ。

 みずと暮らし始めたからこの殺人鬼は人を殺す回数を減らしている。

 殺人鬼なら殺人鬼らしくしていればいいものを。平和にほだされたのだ。

 足を洗うまではいかなくても、ぬるま湯に浸っている。

 殺人鬼が甘くなった。馬鹿みたいだ。


「色葉。……万が一の事態があったら、ここにみずと一緒に隠れておけ」


 藍色がポケットの中から鍵束を取り出してそのうちの一本を俺に渡した。


「私がもう一部屋借りている場所の合鍵だ。あの部屋が使えなくなった時のために、用意はしてある。とはいえ、普段は全く使っていないから掃除もしていないし埃が凄いだろうが、ないよりはましだろ」


 確かに、逃げる場所があるっていうのはいいことだ。

 だが、俺の現実にはないような鍵を渡されるとは思わなかった。

 綾瀬さんに余計なことをきいたから話がしたくて下手な口実を設けたのではなく、本当の目的は鳶という女性の存在を俺に伝え、そして万が一を考慮してこの鍵を渡すためだったようだ。

 俺はキーケースを取り出して、鍵をなくさないように付ける。鞄へしまってから手を伸ばすと藍色が怪訝に眉を顰めた。


「なんだ」

「家の合鍵もちょうだいよ」

「は? 断る。なんでお前にやらなければならない」

「折角だしと思ったんだけど」

「なんの折角だ。馬鹿か」

「ひどいなー。みずの親友に対して」

「みずの親友だから渡さないんだ」

「益々酷い」


 話が終わったと藍色は、方向転換をして、酒屋に向かってそそくさと歩き出した。

 酒盛りで失った分のビールをきっと両手いっぱいに買い占めて帰るのだろう。

 流石に、俺はもう酒のつまみとビールを飲んだから、今日はもうこれ以上アルコール摂取を望んではいない。

 家に向かって歩き出す。

 明日は月曜日だ。今日は帰ったら早く寝よう。

 祝日は好きだが、月曜日になればみずに会えるし、卵焼きも食べられると思うと、月曜日も好きだ。

 日曜日の夜は早く明日が来ればいいのにな、といつも思う。

 自宅前に到着した時、俺の部屋のベランダを眺めている人物がいた。

 数ある部屋の中から何故わかるのか、理由は明白だ。

 彼女に、見覚えがあったから。

 桜が似合う女性――四ノ宮詩(しのみやうた)

 緩やかに編み込みをおさげにした桜色の髪に、桜のカチューシャをトレードマークのようにつけている。

 春先の気候に合わせて白のケープを羽織り、赤と黒のラインが入ったワンピースを着ていて、真っすぐに伸びた背中は凛としている。

 四ノ宮詩は、先日、俺に告白をしてきた同級生。

 それにしても何故ここに彼女がいる。住所を教えてすらいない。

 尤も、住所何て大学の同級生に適当に聞けば入手できる程度の難しさだ、その気になればいくらでも突き止められるだろうから、別段驚くには値しない。

 疑問なのは、興味がないからふったのに、その彼女がここにいることだ。

 俺の疑問に答えるかのように、足音に気づいた彼女が振り返って、桜が満開になったように、彼女は満面の笑みを見せた。


「色葉、お久しぶりですわ」


 丁寧な動作で詩は一礼をした。上品で優美な動作は本物のお嬢様を彷彿させる。


「……そうだね、どうして君がここに?」


 詩は沈みかけた夕焼けを背景にして、彼岸に咲く花ように怪しさを宿しながら言った。


「わたくし、やはり色葉のことが好きなのですわ」

「そっか、ありがとう。でも、俺は……」


 君に興味がない――とは流石にはっきりと言えない。

 下手なことをして優等生の佐京色葉の評判を落とすわけにはいかない。

 やんわりとした拒絶をもろともせず、一歩、一歩、静かに近づいてきた。ケープが柔らかい髪と共に揺れる。


「色葉のことが好き。あなたに振られても、この想いは消えませんでしたわ。消えないどころか、恋しい思いはより一層つのりました」


 吐息が届きそうな距離で、詩は右手を伸ばし、俺の肩に触れた。柔らかな指先が、不快だ。


「だから、あなたを振り向かせてみせます」


 繰り返される好きは甘ったるい言葉ではない、宣戦布告のような言葉。

 真正面から、そんな告白をされたのは初めてだった。

 いつも柔らかく断れば、皆諦めた。雪のように解けるだけなのに、彼女は何故か雪を凍らせてしまった。


「色葉、好きですわ」


 俺の動揺を面白がるように、詩は飄々と俺の横を通る。肩と腕がすれ違って小さな音を立てる。


「――詩!」

「それでは、失礼しますわね。色葉。また会いましょう」

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