Because it is my best friend1
藍色は殺人鬼だ。
趣味で人を殺して、趣味をそのまま仕事にした男。
最近は、趣味で人を殺すことも、仕事で殺すことも少なくなったようだが、人殺しであることには変わりない犯罪者だ。
藍色の正確な素性は一切すらない。本名なのかも不明だ。
俺が真実として知っているのは、みずの親戚を殺して、みずと一緒に暮らして、みずに生活を与えている白髪の殺人鬼ということだけ。
だから率直に言って、藍色が大学という一般的な生活を送っていたことは驚きだ。
何より、綾瀬さんという大学時代の知り合いがいることも、この部屋を訪ねてくることも意外すぎる。
綾瀬さんの、さっぱりとした清潔感あふれる髪型に実直そうな顔立ちと眼鏡はまさしく真面目そのもので、同級生だとしても、校内ですれ違う程度の関係にしか見えない。
「なんで飲食店勤務のやつが、今日うちにくるんだよ。仕事辞めたのか?」
苦々しい感情を隠そうともせずに藍色が綾瀬さんに尋ねた。
「飲食店だって土日が休みな日もある。カレンダーの赤い日を消すな」
「売上が乏しいのか?」
「乏しくないし繁盛している。人から職を奪おうとするな」
気軽なやり取りは、親しさを感じさせるものだった。
友人で――下手すれば親友。そんな雰囲気が漂っている。
「藍。ところで彼らは?」
綾瀬さんは、俺とみずを交互に見てから率直に尋ねた。不思議そうな感情を隠していない。
俺もみずも二十代という括りでは同じだが、友人と主張するにはやや年齢が離れている。
尤も、九つ差なんて――藍色が大学時代であれば、俺らは中学生だから外見的にも友達というには差があるように感じるが――この年になればさしたるものでもないはずだから、友達と主張しても問題はない。
とはいえ、藍色とは断じて友達ではないし、友達になるつもりもないけど。
「……みずは私と一緒に暮らしている。色葉はみずの友達だ」
躊躇した挙句、藍色は正直に答えた。綾瀬さんの顔色がみるみるうちに曇った。
「親戚を預かっているのか? 親戚がいるって話は初めてきいたが……」
「親戚ではないし、血の繋がりもない」
「えーと、じゃあ?」
「……ルームシェアみたいなものだ」
「あぁ、なるほ……ど?」
疑問符をつけているあたり、納得していないのがありありと伝わってくる。
まぁ、ルームシェアを口にしたのが、白髪の見るからに怪しい男だから仕方ない。
だが、何の言葉が適切かと言われれば、俺にも答えようがない。
「綾瀬さん。初めまして、俺は色葉で、こっちがみずゆきです」
「初めまして、みずゆきです」
追及されても、適切な言葉を持たない以上困るので、俺がにこやかな優等生スマイルで挨拶をすることにした。
それに、綾瀬さんに初めましてと言われたあと、藍色と会話を始められてしまったので挨拶を返すタイミングがなかったし丁度いいかなと。
「綾瀬さんは、藍の……友人ですか?」
藍色、と呼ぼうとしてやめる。
綾瀬さんは「藍」と呼んでいた。藍色が本名であるか不明な以上、大学時代、藍色と名乗っていたとは限らない。
俺の気の回しに藍色は気味悪そうな視線を向けてきた。俺だって『あい』なんて音を発したくないわ。
「そうだよ。オレと藍は大学で出会ってね。そのころからの友人だ。でもいつからルームシェアを?」
「……約三年だ」
「三年もオレはお前がルームシェアしているって知らなかったのか!?」
ジト目で藍色は見られて、視線を逸らした。
「綾瀬が普段平日休みだからだろ。大学生と生活時間が合わないからだ」
どう考えても綾瀬さんと俺たちが遭遇しないようにしていたからだろう。
俺はともかく、みずまで初対面なのがそれを証明しているが、口に出して文句を言うほど空気に鈍感ではない。
友人関係にあって三年もルームシェアを知らないでいたら、綾瀬さんが怪訝に思うのも無理はない。
とはいえ、そこまで隠しておきたい秘密というわけでもないはずだ。
本当に綾瀬さんに何も教えたくないのならば、ここに招かなければいいだけの話になる。
一定の信頼があるから、綾瀬さんは藍色の自宅を知っているのだ。
だとしたら、綾瀬さんは藍色が殺人鬼だと知っているのだろうか――だが、真面目で人畜無害な顔をしている綾瀬さんの姿は、大学時代の友人を休日に尋ねているようにしか見えない。
「で、何のようだ?」
「どうして藍はそんなに冷たいんだ。この間、旅行したからそのお土産を持ってきたんだよ」
そういえば紙袋を綾瀬さんは持っていた。
藍色に手土産を渡す。藍色が紙袋から取り出してみると酒のつまみが美味しそうなトバだった。序にビールも入っている。ご当地のビールだ。
「好きだろ、酒」
「あぁ、いいつまみとビールを貰った」
肉とビールが好きな藍色は当然、酒のつまみも好きだ。冷蔵庫の横にある引き出しの中には、常温の酒のつまみが結構なバリエーションで入っている。
「ったく、藍がルームシェアしているって知ってたら、お菓子とかも買ってきたのにな、色々美味しいのあったんだぞ?」
「なら、それもくれれば良かっただろ」
「甘味より酒なやつだから酒盛りセットにしたんだよ、贅沢言うな。人の給料を考えろ」
「よし。土産ももらったことだし綾瀬。帰れ」
「だからお前はなんでそんなに冷たいんだ。大学時代はアポなしでも怒らなかっただろ」
「別に怒っているわけではないさ。ただ、今はみずの友達が来ているからな。私がお前の旅行話をきくのに、しゃぶしゃぶの食べ放題に行くというのならば構わないが」
「相変わらず、脳内は肉しかないのか……パスタとかどうだ? うちの店でもいいだろ? 旅行後だから食べ放題の出費は押さえたいんだよ」
「休日に仕事場に行くとか仕事中毒か?」
「なんでだよ、飯を食べに行くだけだろ。従業員割引もあるぞ」
「普通、休日にいく物好きはいないだろ」
藍色は呆れながらも綾瀬さんとのやり取りを楽しそうにしていたし、綾瀬さんも楽しそうにしている。
「……まぁわざわざ外出する必要もないな。折角、酒のつまみを持ってきてくれたんだ、飲むか。綾瀬、昼飯作れ、その後、酒盛りするぞ」
藍色は無理やり綾瀬さんを追い出すのも悪いと判断したのか、諦めたのか、酒盛りを提案した。
「昼間から酒か」
「別に日曜日だ問題ないだろ」
「というか、オレは厨房担当じゃないんだけど」
「料理は得意だろ」
「はいはい。で、藍。お前の冷蔵庫にはビールと酒のつまみ以外の食材は入っているのか? 流石にビールじゃ料理できないぞ」
「大丈夫だ」
「……お前、料理しないのにか? 何をそんなに自信満々なんだよ」
「疑うな。みずが料理上手なんだ」
「そりゃ凄い。家事全般嫌いな藍と違って偉いな」
「私を貶すな」
じゃあ借りるね、と綾瀬さんがみずへと声をかける。
みずはどうぞ、と遠慮がちに答えた。人との距離が苦手なみずはしどろもどろで、みずには申し訳ないがちょっと面白い。
「あい……僕も何か、手伝ったほうが、いいかな?」
綾瀬さんが冷蔵庫を開けて食材を確認しているのをちらちらと見ながら、みずが小声で藍色に尋ねた。
「別に構わないだろ。あれはあれで料理が好きだからな。好きにやらせておけ」
「うん、わかった」
綾瀬さんは昼食のメニューを決めたようで、冷蔵庫から材料を取り出した。
冷蔵庫の中身だけでメニューを決められるなんて、料理が出来ない俺からすればそれだけですでに料理上手だと証明しているようにみえる。並べられた食材で何ができるのか俺にはわからない。
俺と藍色なら絶対、コンビニに行くかってなるし、ビールで済ませる。主食がなくても、酒のつまみがあればなんとかなる。
綾瀬さんが、みずにフライパンと調味料のありかをきくと、みずは慌てて立ち上がって絨毯に足元をとられそうになりながら場所を説明しにいった。
わたわたしながら説明するのを俺は眺める。綾瀬さんは笑顔でみずの言葉を待った。焦らせることがない。つくづく真面目の言葉が似合う人だ。
昼食が程なくして出来上がった。香ばしさが漂ってくる。
後々の酒盛りを考えてか、チャーハンとスープというシンプルな組み合わせだったが、見た目の色どりは鮮やかで食欲をそそる。
スプーンですくって口に運ぶと、藍色が作らせただけあって大変美味しかった。
中華料理店でチャーハンを食べているかのような感覚だ。
「やっぱ綾瀬の料理もうまいな。なんでお前は厨房に入らないんだ? マネージャーが給料いいからか?」
チャーハンを口に運びながら藍色が尋ねる。
「給料の良しあしで決めるな。オレは料理人の道は選ばなかったというだけだよ」
「で、どっちの方が給料いいんだ?」
「俗物かよ。今の方がいいよ……そりゃ」
俺とみずは綾瀬さんと藍色の会話を聞きながら食事を進める。
小食のみずは、最初から皿に料理を少なくしていたが、美味しそうに食べて完食していた。
本当に、お世辞抜きで料理人でも十分に通じそうだと思うと、綾瀬さんが勤めている店の料理人はどれほどレベルが高いのか気になってしまう。
もしかしたら高級料理店勤務なのかもしれない。
食べ終わると、洗い物も率先して綾瀬さんがやると台所に立った。
俺とみずは流石に申し訳ないので手伝いを申し出たが断られた挙句、デザートを貰ってしまった。冷たい杏仁豆腐だ。
「食っとけ食っとけ」
困っていると、藍色がソファーに足を組んで座った姿勢のまま言った。
「お前は少しは手伝え」
「みずと色葉はよくて私はダメなのか」
「手伝おうとする意志すら持たないやつがいいわけないだろ」
「仕方ないな」
藍色が重い腰を上げて台所へ向かった。
エプロンをして茶碗でも洗うのかと思ったら、冷蔵庫からビールを数本取り出して持ってきてテーブルの上に並べ始めた。
「そっちかよ!」
「トバを食べる準備ならするさ」
「あぁもういい。じゃあ準備しておけ」
俺とみずは何を手伝えばいいのかわからないので、藍色の言葉通りデザートを先に完食した。
茶碗を洗い終えた綾瀬さんが、ぴかぴかに磨いてあるグラスを四つ持ってきた。
「じゃあ飲もうか」
ビールグラスに四人分注ごうとして、綾瀬さんはふと手を止めた。
「色葉君とみずゆき君、お酒は飲める?」
「俺は平気ですけど、みずはビール一杯も飲めないくらい弱いですね」
みずはお酒を断るのも苦手だろうと思って代わりに答える。
別に酔ってみずが寝てしまってもいいのだが、寝てしまったら綾瀬さんに申し訳ないと思うのは流石に可哀そうだ。
ここは大学の飲み会じゃないから親友ができる心配をする必要もない。
「わかった。みずゆき君はジュースにでもするかな?」
「あ、はい……お願いします。ありがとう、ございます」
「色葉君はビールで大丈夫? というか一応聞くけど成人しているよね?」
「二十歳なんで大丈夫ですよ。ビールでお願いします」
つくづく常識的なお兄さんだと思った。
これが藍色ならば、聞かずに勝手にグラスにビールを入れたことが用意に想像できる。
綾瀬さんはビールを継ぐのも上手なようで、綺麗な泡比率だった。
みずはオレンジジュースを貰った。
お土産のトバは大変美味だった。流石お土産。味わいがあってビールのつまみにあう組み合わせだ。
「こまいもお土産にしようと思ったんだけど」
「なんで持ってこなかった?」
「気づいたらなくなってた」
「は?」
「食べちゃってたんだよ。美味しくて。トバは頑張って手を付けないように自制した」
旅行の出来事をデジカメで撮った写真を見せながら綾瀬さんは教えてくれた。
みずも途中から緊張がほぐれたようで、時々、会話に混ざった。
俺も藍色も酒には強いので、ビールが空くペースが早い。綾瀬さんはペースを考えて飲んでいたが、それでも結構な量を飲んでいたので、藍色と飲み比べをしたらいい勝負ができるのだろう。
「さて、そろそろオレは帰るかな。明日仕事だし」
藍色の白い髪がオレンジ色に照らされた頃合い、綾瀬さんが片付けもほどほどに立ち上がった。
「あぁ……今度は連絡して来いよ。私は部屋で引きこもっているわけじゃないんだからな。土産を台無しにされたら困る」
「そうするよ。いや、元々いなかったら今度でいいかなって思っていた程度だったからさ。賞味期限も早いわけじゃないしね。冷蔵庫に入れなきゃいけないものでもないから、いたらラッキー程度。生ものなら流石に連絡するよ。それじゃ色葉君。みずゆき君。またね」
「えぇ」
「はい」
優しく微笑んで手を振られたので、振り返す。
綾瀬さんはいい人だ。けれど、ならば藍色が殺人鬼であることは知っているのだろうか、知っていたとしたらどうして交流を持っているのか。
それとも、藍色は否定していたが、綾瀬さんも裏では藍色の同業者なのか。
答えが知りたい、と思った。
この機会を逃しても次があると簡単には思えない。
俺とみずは大学で知り合って、そして三年の春を迎えるまで藍色に友達が――親友がいたなんて全く知らなかった。
藍色の家に来訪者もなかった。
だとしたら、綾瀬さんは「またね」といったが、その「またね」がいつ来るのかわからない。
綾瀬さんは飲食店勤務で土日の休みは滅多にないようだし、平日尋ねられたのならばなおさら再会できる可能性が減る。俺とみずは長期休暇でもない限り平日は大学だ。
何より、再三口を酸っぱくする勢いで藍色は綾瀬さんに連絡をよこせと言っていた。
ならば、藍色はあまり自分の知り合いと顔を合わせたくないと推測するのは容易だ。
チャンスは今しかない。
俺は反射的に立ち上がった。
「いろ、どうしたの?」
酒の空気に若干酔っているのか、ほんわかとしていたみずが尋ねてきたので、急いで答える。
「ちょっと綾瀬さんと話してくる!」
藍色の舌打ちが聞こえた気がしたが、無視して駆け出す。藍色は追ってこなかった。
まだ、走れば追いつけるはずだ。
綾瀬さんが帰る方向はわからないから賭けの面もあったが、運よく見つけることが出来た。エントランスを出たすぐ先の道を歩いていた。
「綾瀬さん!」
空一面を赤く照らす夕焼けの逆光を受けた綾瀬さんは、それでも真面目な雰囲気を背中から漂わせている。
仮面を被って優等生を演じている俺とは違って、真面目な人だと思わせるには十分すぎる。
声をかけると、綾瀬さんは驚いて振り返った。
歩みを止めた姿。俺も一定の距離を保ちながら、尋ねる。
「貴方は――藍を知っているのですか?」
主語を省いた。
知らないで友好関係を築いているのであれば、意味を取ることができないはずだ。
綾瀬さんは、俺の言葉に、悲しいような切ないような、泣きたいような、矛盾した感情を全て飲み込んだ顔になった。
触れれば壊れるような、ガラス細工のようだ。
「君も、知っているのかい」
ひびの入った表情で彼は泣きたいような声で尋ねてきた。
――綾瀬さんは、藍色が殺人鬼であることを知っている。
知らないでいてほしかった、なんて感情がなぜか蠢いた。
何故だろう。綾瀬さんの、言葉で言い表すのが難しい苦痛の表情を見てしまったからだろうか。
「知っていますよ。藍色のことを。藍色が趣味を仕事にしていることも、趣味でやってきたことも」
みずの親戚も、殺した。
両親が事故で無くなって引き取られたさきで虐待されていたみずを、救った――人を殺すという手段で。本来ならば、あってはならない救う方法。
俺は一歩一歩、綾瀬さんに近づく。
この先の話は、例え人気のない空間だったとしても、内緒話のようにしなければならない。
「なのに、君はそれを知っていて通報しないの?」
綾瀬さんの言葉は、俺に向けているのに、俺に向いていない。
その言葉は、綾瀬さんに向いている。
殺人鬼を知っているのに、通報できていない自分に、自問自答をしている。
あぁ。綾瀬さんは藍色の同類ではない。
本当に大学時代の友人で、藍色が殺人鬼であることを知ってしまった人なのだと理解した。
「しませんよ。あなたがいう藍が――俺は藍色と呼んでいますけど。藍色が、人を殺してようと俺はみずに害がなければいい」
嘘偽りない本心からの言葉だ。
綾瀬さんの表情が歪んだ。
「藍色が逮捕されたら、みずが悲しむ。だから通報しようと思ったことはない。それに、今みずの生活を支えてくれているのは藍色ですからね。だから俺は別にいいんですよ」
「あの子は……」
「みずも藍色が人を殺していることは知っていますよ。俺なんかよりもずっと」
「……どうして」
殺人鬼だと知っていたから、綾瀬さんはルームシェアの言葉に違和感を覚えたのだろう。
犯罪者が、犯罪とは無縁そうな青年と一緒にいれば不振に思うのも当然だ。
だから、俺は正直に答える。
「両親が事故死したみずを引き取った親戚を、殺したのが藍色だからですよ」
「な――!」
予期せぬ答えに、綾瀬さんは驚愕してうろたえた。
高ぶる感情を抑えようと胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。
「だから、みずは出会った時から知っていますよ」
「なら、何故」
「さぁ」
どうでもよさそうな答えに、綾瀬さんは納得がいかないようだった。
みずが何故、藍色が殺人鬼であることを気にしないのか本当の感情なんて俺は知る由もない。
本心では恨んでいるのか、救ってくれたから感謝しているのか、恩を感じているのか知らない。
だって――みずすら、わからない感情なのだから。
尋ねたことはある。みずはわからないと答えた。ならば、その時の光景を体験していない俺に答えを導けるわけがない。
「けど、俺としては、俺の感情としてはその出来事は感謝していますよ」
「……なんで」
「藍色は虐待されていたみずを救った。それは事実であり結果であり、揺らがないことですから。その結果に対して俺はもっと他の方法があったんじゃないか、なんて戯言を口にするつもりもなければ思うこともない。だって、この結末じゃなきゃ、俺はみずと大学で出会えてなかったのだから」
揺らがない事実は俺にとって何より重要なことだ。
優等生の仮面を被ったせいで素直な感情を露と出来なくて鬱憤した日々を変えてくれた親友と出会えた。
その起点に藍色がいた。
「綾瀬さんこそ、どうしてですか?」
生真面目が似合うような人だからこそ、正体を知りながらも何もしない事実は正直いって信じられない。
「……親友だから」
やや躊躇をしてから、綾瀬さんは真っすぐに答えた。
迷いは答えたくないとか、憚れる答えがあるのではなく、未だ葛藤が心の中にいることを示している。
決着をつけたのに、これでいいのかと結論を出しては迷って自問自答を繰り返している。
「悩んだよ。藍が犯罪者だったのは凄くショックだった。このまま見逃していいわけがないと思った。通報しないとって思った。でも、どうしてもできなかった。どうしても……出来なかったんだ。知らなかったとはいえ、それでも親友だった。親友を通報できなかったから、殺人者を容認したんだ……それしか、出来なかった……」
苦悩の果ての結論は、綾瀬さんの心を蝕んでいる。
「知ってしまったけど、知ったときはすでに親友だったんだ。どうにも、ならなかったんだよ……間違いだってわかっているのに、間違うことしかできなかった……」
本来ならば、自由を闊歩してはいけない人間を自由にすることを、するのだと綾瀬さんは、迷って悩んで悩みぬいて結論を出した。間違いだと知って選択した。
未だに悩み苦悶していることを含めて、俺は率直に凄い人だ、と思った。
俺は藍色の正体を知っても通報など考えなかった。
いや、まったく考えなかったといえば嘘になる。
だが、みずは藍色のことを承知の上だったし、みずにとっていいことにはならないからやめた。
他の見知らぬ誰かが快楽や仕事のために死んでいようが、みずが生きる上で問題にならなければ関係ないのだ――対岸の火事になど興味を示して、それを想像して、それで心を痛めるような優等生は、藍色の前では捨てているのだから。