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アマービリタ  作者: しや
28/30

彼女が好きなもの

 駅前。鳶と並んで藍色を待つ。

 帰宅ラッシュにはやや早い時間帯とはいえ、駅前なので、人が多く通り過ぎていく。満員電車になる前に帰ろうと速足の学生を横目にみながら、藍色の姿を探す。

 鳶が怖い。鎖で繋がれているわけでもないのに、見えない力で拘束されているかのようだ。

 柱を背にした鳶は、黒のマニキュアを塗った指先でスマホの画面をタップしている。

 暴力で全てを解決できるような人間が、隣にいることの恐怖を実感している。時がたつのが遅いと文句を言いたい。


「ねぇねぇ。あとどれくらいで藍色来てくれるかな」


 遅刻した友達を待っているかのような気軽さで、鳶は俺の方を見ないで話しかけてきた。


「さぁ……まぁ、化粧とかしないですしわりと早いとは思いますけど」

「藍色の化粧か。それは似合わないからやめてほしいな。余計な要素はいらない」

「まぁ……ですね」


 鳶には正直黙っていてほしい。無視できるほどの勇気は当然ながらない。

 楽しそうに鳶は、藍色との思い出を語りだした。初めて見たときの藍色の美しさ(返り血)括弧の中が大事を、恍惚として教えてくれる。いらない。

 せめて喫茶店でコーヒー飲みたかったなぁと思っていると、視界に目立つ白髪が映った。身体が反応する。

 藍色がやってきた。やっときてくれた。


「はぁ」


 俺と鳶を見て、額に手を当てながら、藍色はため息をついた。


「おい。鳶、どうしてお前がここにいる」


 俺が陥っている事態を、藍色は正確に理解しながら、鳶には悟られないように演じてくれている。

 いや、俺が困ったトラブルに巻き込まれている元凶が鳶だとは予想していなかった可能性もあるが、どちらにしろ藍色は察している。

 藍色がきた安心感と頼もしさが半端ない。

 暴力で全てを解決できる人間(とび)は怖いが、暴力で全てを解決できる人間(あいいろ)がいる事実もまた安心材料になるとは、この日まで夢にも思わなかった。


「僕が藍色を好きだからだよ」


 開口一番、鳶は愛の言葉を告げた。


「……色葉とはいつ知り合ったんだ?」

「ついさっき。初めて言葉を交わしたよ。いい名前だよね」


 鳶の中で、名前評価は最終的に、色がついていていい名前に落ち着いたようだ。

 藍色は当然ながら何を言ってんだこいつ、といった顔をしている。


「僕がいつ色葉のことを知ったのか、という疑問も含めているのならば、そちらは一か月ほど前から」

「なるほど。直接私に会いにきたら避けられると思ったわけか。だから草むらから私に見つからないように監視していたと」

「そうだよ。君は案外、こざかしいからね」

「わかった。鳶。私と二人で話そう、そこの喫茶店でいいか? 居酒屋でも構わないが」

「断るよ。色葉はまだ離したくないからね」


 そういって鳶は俺の腕を掴んだ。一瞬悲鳴が出そうになった。危なかった。

 だが、動揺を藍色は見抜いているようだ。

 藍色は周囲の人の流れに視線を向けた。


「わかった。鳶、お前が行きたい場所へ行く。案内しろ」

「ふふ。有難う藍色。好きだよ。じゃ、喫茶店でコーヒーでも飲もう」


 俺の数分前の心、読まれていたのかな。前言撤回。やっぱ喫茶店行きたくない。

 そんな俺の心をあざ笑うかのように珍しく喫茶店は空いていて、三名掛けのソファー席に座ることができた。なんでだよ。一品単価が高く、客席と客席の間が離れ気味。窓際の席。普段なら当たりだやったーと喜ぶのに、今回ばかりは最悪の外れである。

 藍色と鳶が並んで座るのかなと思ったら、俺は窓側――つまり奥においやられて、俺の隣に鳶が楽しそうに座った。


「いつまでお前は色葉を手放さないつもりだ。私を呼び出した以上、色葉に用はないだろう」

「用はあるよ。素敵なナイトになってくれる」


 盾と書いてナイト。あるいは人質と書いてナイトと読む。ルビがなくてもわかるのやめてほしいな。


「ふふ。案外君は、ほら、そういうところ優しい」


 鳶は終始楽しそうにしている。俺は本当にさっさと今すぐにでも帰りたいのだけれども。

 鳶が俺の腕を抱きしめるようにしているので手放してくれない。

 本当に帰りたいのだけれども。願いが通じたのか、鳶は腕を離してくれた。いや、メニュー表をそのまま開きだしたので、紅茶を飲みたいようだ。


「僕はメロンソーダーにしようかな。君は?」


 違った。


「コーヒーでお願いします」

「私もコーヒーでいい。鳶の奢りでいいな?」

「もちろん」


 注文は鳶がしてくれた。飲み物が届くまでの、微妙な間は居心地が悪い。


「藍色が優しいのは意外かい?」


 鳶が突然俺に話題をふってきた。さらりと流れる髪の毛と、妖艶な微笑みは、美しいのだけれど、心臓に悪い。まだ、飲み物はないからか平和な話題だ。


「まぁ、それは否定しませんけど」

「意外だよねぇ。僕もそう思うよ。でも、藍色が優しくないだけならば、そもそも藍色の家に出入りなんて許すわけがないからね。それだけで君に価値はある」


 嬉しくない保証、有難うございます。

 殺人鬼なくせになんやかんや甘いのは知っている。藍色の、包帯を巻いた顔が視界に入る。

 藍色という存在ならばどうとでも状況を打破できたことを、藍色は大人しく受け入れた。

 そして、俺をまな板の鯉のようにどう調理することだって思いのままだったのに、一発の蹴りと二発の殴りで藍色はすませた。

 寛大でもあるし甘い。

 殺人鬼なのに。どこをどう見てもよい人ではありえないのに、非道には思えない。心底、あほらしい。

 店員さんが、メロンソーダーとコーヒー二つを運んでくれた。角砂糖を入れてからコーヒーを飲む。普段なら美味しいと思えるのだろうが、今回ばかりは黒い液体を飲んでいる気分だった。もう三個角砂糖を追加した。


「糖分の取りすぎはよくないよ?」


 鳶が健康に気を使ってくれた。貴方が原因です。


「鳶。で、私に何用だ」


 藍色の冷淡な声が、冷たく指すような色が、鳶を興奮させた。


「ふふ。僕が君を好きな理由がそこに詰まっている。僕は昔の君が好きだ。今の君は生ぬるい。実際、色葉を僕が要求したら、君はすんなりとついてきた。昔だったらそうじゃなかったじゃないか。色葉なんて見捨てればいいのに」

「それは俺が困るんですけど」


 うっかり口を挟んでしまった。でも本当に困るから仕方ない。

 鳶は割り込みをした俺に対して不快に思う様子もなく、朗らかに笑った。

 喜怒哀楽がとてもはっきりした人だ。


「ねぇ。藍色。色葉を見捨ててよ」


 甘い声色で、愛おしいぬいぐるみを撫でるように鳶は指先を伸ばした。

 冷酷な言葉に、自然と藍色の顔色を窺うように前を見る。


「断る」


 藍色は、悩む素振りもなく断言した。鳶が息を飲んだのが隣からでも伝わった。きっと彼女の瞳は、驚愕しているのだろう。

 だって、その返答は――鳶が望む答えではないから。伸ばされた手は、掴まれることなく振り払われる。


「私がお前とお茶を飲んでいる時点で、その選択をしないことくらいわかっているだろう。何を夢見ている?」

「……そう。じゃあ」

「そうだ。お前にとっての交渉も脅迫も無意味だ。わかったなら無意味なことはやめろ。……移動するぞ、鳶」


 藍色の瞳は鳶を見ているのに、こちらまで怖くなるような冷酷さだった。


「喫茶店を選んだのはお前の失敗だよ。鳶」

「そうだね。そうかもしれない。僕は万全な支度をしているつもりなんだけど。完璧だと思ったんだけど」

「それはないな。ここは、人の目がありすぎる。色葉を逃げ出させないようにはできても、色葉に害をなすことはできない。私たちは、法を破ってはいるが、だとしても大衆の前で、犯罪を隠ぺいすることはできない」

「……ねぇ藍色。じゃあ僕に一つ教えてくれるかな」

「なんだ?」

「その瞳は、どうしたの?」


 鳶の質問に対して、藍色は笑った。鳶が真っ先に尋ねなかったから既知かと思ったが、違ったようだ。僅かに震えた声色から、本当は答えを知りたくなかったことが伝わる。


「お前が気にすることじゃない」

「どうして僕が知らない間に、君は怪我をしているんだ。どうして、君が映す世界に僕は半分だけになった」

「これは単なる私の選択だ」


 和歌を殺してしまわないために反撃はしないという選択の結果。

 佐京色葉の弟だから、咄嗟に殺人鬼としての行動をしなかったという選択。

 選択だと、藍色は断言した。

 和歌を殺しておけばよかったという後悔ではなく。

 ――あぁ

 良かった、と思ってしまった。藍色が殺人鬼で、と。

 思ってはいけない一線。

 だが、藍色が殺人鬼だからこそ。

 だからこそ。

 俺は、今でも藍色と会話ができるのだと実感した。


「僕は蚊帳の外か。寂しいな」

「そうだな」


 鳶と藍色は、会話は終わったのだとばかりに立ち上がった。俺はこのまま帰れるのかな、と思ったら鳶に腕を引っ張られた。


「え、俺もまだ駄目なんですか?」

「当たり前だろ。君は僕に最後まで付き合うんだよ」

「でも、せめてコーヒーは飲ませてくれません?」

「それもそうだね。僕もまだメロンソーダーが残っている。残すのは店に失礼だ」


 鳶は着席して、ストローをクルリと回しながらメロンソーダーを口にした。

 藍色は嘆息して、お前この状況で何呑気なこと言ってんだ? という顔をしていた。


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