色
鳶と名乗った女性は愉快だと口元を緩めた。
理解が及んでいない俺に、優しい教師のような柔らかい口調で、けれどこちらの意思を無視して、言葉を続けてきた。
「僕はね、藍色が人を殺す姿をみるのが好きなんだ。けれど、最近の藍色は様子がおかしい。全然、人を殺してくれない。僕は、藍色が思う存分に人を殺せるように仕事を斡旋してきた。彼の作る死体が好きだ。彼が人を殺す姿は一番美しい。なのに、藍色は僕からの仕事を引き受けない。僕が、どれだけメールを送っても、たまにしか返信をくれない。大半は、ゴミ箱に捨てられてしまった」
藍色が適当にノートパソコンで返事をしているのを――暗号だったけど――見たことがある。
眦を下げる彼女は、藍色を語ったときの狂気と愛を詰め込んだ瞳とは異なっていてアンバランスだ。
背中を向けて一目散に走りだしたとして、逃げ切れる自信はない。
鳶は走るのには向いていないヒールの靴を履いているけれども、あっという間に追いつかれる予感がする。
「僕は、人を殺す藍色が好き」
恋する乙女のように、鳶は、頬を染めた。
――俺ってもしかして女運悪いのか? 和歌の恋人の、ののかちゃんもはっきりいって怖いし、この人は論外なくらい怖い。
もはや、ストーカーの詩が一番の癒し枠だ。なんでだよ、おかしいだろ。
「だけど、藍色は僕を避けている。僕は彼がみたいのに」
だからといって俺の前に現れないでほしい。
「藍色が僕と会ってくれないなら、僕から会うしかないじゃん?」
「まあ……」
前に住所は知られているって藍色がいってたもんな。鳶を警戒した藍色から、避難先の合鍵は貰っているし。もっとも対面してしまった今となっては意味のないお守りになっている。
「でも僕が単独で会おうとしても藍色は避けるだろう。なら、僕は藍色の家に出入りしている子を狙うことにした。何、簡単だ。一か月ほど張り込んでいれば大体は把握できる」
詩より怖いストーカーだこの人。
というか、一か月も張り込んでたわけ!? 藍色気づかなかったの!? 藍色センサーザルじゃねぇかよ。
「藍色によくバレませんでしたね」
「それだよ。それ。それが、一番苦労した。でも、藍色の住んでいる場所は知っているからね、一番視界に入りにくいところを選び、藍色に視線を向けないようにする。ターゲットを藍色にしなければ、難易度は下がるんだ。自分以外の視線に気づき続けるなんて、不可能だろう」
なるほど? よくわからないけど、言いたいことはわかる。
「そうして僕は、藍色と接点がある人間を二人、見つけた」
俺と会話をするつもりなどさらさらないのか特に返事を待つこともなく、俺の唇から離した指先を二本立てた。
滑らかに彼女は、脚本を読んでいるように滞りなく話していく。通りのよい声が、不気味なほど俺の耳に浸透する。車のエンジン音すらしない静かな空間は、隔離されているようで不気味だ。
「君と、もう一人色素の薄い子だ」
綾瀬さんはカウントから除外されていた。まあ、滅多に訪れない友人かつ、藍色の部屋を直接見張っていたわけでないのならば、気づいていない可能性が高い。
彼女は藍色にバレないことに重点を置き、慎重に慎重を重ねることで一か月を使ったのだから。藍色と一緒に暮らしているみずや、頻繁に足を運んでいる俺と綾瀬さんでは条件が違いすぎるか。
「声をかけるのはどちらでもよかったのだけれど。もう一人の子はこのマンションに住んでいるみたいだし、藍色へのリスクを考えると、住処がここじゃない君の方が確率的に良いと判断した」
厄年じゃないんだけど、お祓いした方がよさそうだな。善は急げというし明日行こう。
「藍色は鋭いからね。僕の目論見くらいバレるだろう。けれど構わないさ。何故って、僕の目論見がバレるのは、僕の目論見が成功するときだからね。そうでなければならないからね」
芝居がかった声で、彼女は嬉々として両手を広げた。舞台の上で、演技をしているかのような動作は、演劇だったら拍手を送れただろうというほど様になっている。
「というわけで、君の名前を教えてくれるかな? 調べてもよかったんだけど。危ない橋は最低限がいいからね。君のこと、僕は知らないんだ」
俺としても調べられなくてよかった。個人情報、危ない人に握られたくないよ。
教えないというような変な意地を張ると後々怖いので名前だけ教えよう。
「色葉です」
「色? 藍色の色と同じだね。いい名前だ!」
そんなところ褒められても嬉しくない。
「僕の名前も鳶色にすればよかったよ。鳶って、もともと鳶色からといっているんだ。好きな色だったからね。でも色まではいらないかなって思ってとっちゃったんだ。君も色をとって僕とお揃いにする?」
「それは困ります……よ」
色葉から色とったら葉っぱになっちゃうよ。いや、音読みでヨウか。
「というか藍色の方から色をとったらどうです?」
俺とお揃いじゃなくなるし。
「あの顔で愛と同音になるのはなんか、可愛くない」
「え、あ、まぁ」
突然まともなことを言わないで。反応に困った。確かに可愛くはないけど。
「そう考えると、君たちお揃いで、僕は仲間外れ感あるのいやだな」
褒めてくれた色葉を突然不服に切り替えないでほしい。純粋に怖さしか増えない。
せめてもの救いは、みずと出会ってなくてよかったことか。
みずで水色で藍色と寒色系でずるい! とかこの人言い出しそうだし。みずゆきは漢字で流だから、色はつかないので安心してほしいです。
「結局……俺に用はなんですか」
できれば会話をしたくないが、この人が永遠に喋っていたら事態が平然と悪化しそうなので、仕方なく尋ねることにした。埒が明かないからともいう。
「簡単だよ。何も難しくない。君が藍色を呼び出してくれれば、それで構わない」
「……それは、あなたがしても応じてくれるのでは?」
「残念ながら着信拒否されていてね。僕だと電話に出てくれない。藍色はそもそも見知らぬ電話に出てくれるタイプじゃないし。まったく酷いよね。見知らぬ番号がどこからかかってきたのか、ネットで検索もしないタイプなんだよ」
「素直に会いにいくとかは駄目なんですか? 会いやすいように、調整頑張りますよ?」
そうすれば俺はみずと遊園地にでも遊びに行くし。お揃いのカチューシャ買うし。
その間、何が起きても俺は対岸の火事として見れる、はずだ。多分。
「君がどれほど藍色のことを知っているかは知らないけれども。真正面から会いに行くなんて、ただの愚策だよ。それができるなら僕は一か月も調べたりはしない。直接、一目散に尋ねているよ」
「それはまぁ、そうですね」
「僕だってね、あまり強硬手段をとって藍色を怒らせたくはないんだ」
「藍色の方が、その……強いってことですか?」
感情の起伏がよくわからない人に聞くにはリスクがある質問だったが、彼女は怒ることなく答えてくれた。
「そうだよ。というか僕より弱かったら、人を殺す姿を好きにならないよ。僕がやったほうが早いじゃないか」
「まあ……でも、あなたは、人を殺すのは好き、ではないんですよね?」
「うん。わざわざどうして僕が殺さないといけないのさ。人を殺すのって、面倒なんだよ? 知っているかい? 他人のために人を殺すリスクとリターンは、見合わないよ。無法の国ではないからね」
物騒な人に正論に近いことを言われると納得がいかない。顔に出てしまったのか、彼女は笑った。
「藍色は趣味がそうであるから天秤がちょうどいい具合になっているだけさ」
というかよくよく考えたらこの人、別に人を殺すのは好きじゃないだけで殺さないとも言っていないし、斡旋している段階で何をいってもただの詭弁だと気づいたので、話を広げるのはやめた。そもそも広げたくもない話だ。
「さて、色葉。藍色を呼んでくれるよね?」
小首を傾げながら可愛らしく尋ねられたが、その瞳に光はなく拒絶を許してはくれない。
物騒な人の要求に応じて、藍色を呼びだすことに対する不安は特にない。もとはといえば藍色が人殺しなのが原因だ。おまけに着信拒否。
でも。
でも――この人は知っているのだろうか。今の藍色は片目が見えないことに。
藍色に気づかれないことに重きを置いていたから、下手をすれば知らない。
俺が関与してしまっていることを知ったら、鳶はどう思うのだろうか。
何より……片目の藍色が、もしこの人と争いに発展してしまった場合、視界が半分でもかつての彼女が知っているパフォーマンスを発揮できるのか、彼女より強いのかを、俺は知らない。
その結果、藍色に不測の事態が起きたらどうしよう。
――それでも、彼女のイエスしか許されない問いに、拒否権はない。
「……俺が呼び出そうが、あなたが呼び出そうが極論変わらないのではないですか? 着信拒否されていても、手段がないわけではないのでしょう」
「警戒度が違う。僕が僕だとわかることは遅ければ遅いほどいい。そうして全て気づいたときには僕の目論見通り、それが美しい筋書きだろ。それとも断るかい?」
「いいえ。呼びますよ、藍色を」
「うん。いい子だ。僕はいい子は嫌いじゃないよ」
「で、どこに呼ぶんです?」
「駅前にしようかな」
「人目があるとこですけどいいんです?」
「それが重要なんだ。僕が駅前に来てほしいっていって藍色はくるかい? 逆に君が足を運ばないような場所に来てほしいっていって藍色は何も不思議に思わずくると思うかい?」
「自然な誘いじゃないと駄目ってことですね」
「そうさ。警戒されたら藍色は武器を隠してくる。普段は、藍色はあの身なりだから、職質を警戒して凶器を持ち歩いたりはしないからね。だから自然な場所がいいんだよ」
職質警戒するくらいなら目立たない恰好をすればいいのに。知らない事実を知ってしまった。
スマホを取り出して俺は藍色へ電話をかける。不安がよぎる。これで藍色が電話に出てくれなかったらどうしよう。もとより連絡先を知っていても頻繁に連絡をする仲ではない。
みずの保護者もどきみたいな立ち位置に藍色はいるし、あの時以来、直接藍色へ連絡をしたことはなかった。
しばらくコール音がしてから、藍色は電話に出てくれた。安堵の息が零れる。
『色葉、どうした――大丈夫か? ……風邪が悪化したのか?』
察しが良すぎて嫌なんだけど。俺が電話しただけで不測の事態の可能性を疑わないでほしい。
鳶はスピーカーにしろとは言わなかったから、藍色の言葉は聞こえていないはずだけれど、慎重を期そう。
「藍色。少し見てもらいたいものがあるんだ。駅まで、きてくれるか? 場所はそうだな……地上の方の出口で」
『わかった。すぐに行こう』
「ありがとう」
通話を切ると、鳶が満足そうに微笑んでいた。良かった。藍色が気づいたことに、彼女は気づいていない。




