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アマービリタ  作者: しや
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新たな出会い

 詩が用意してくれた薬で夜は問題なく眠れるようになった。

 アルコールに溺れて寝るのとは違う。

 夜に眠るだけで心が軽くなった。思考が整理されていく。重たい気持ちも、少しだけましになった。詩に弱音をはいたときの記憶はないけれど、詩が願いを叶えてくれたことに感謝した。

 別にそのお礼や罪悪感からというわけではないが、ときおり詩が俺の家を訪ねても拒絶しなかった。

 詩がやってくれば、なんとなく部屋にあげてしまう。

 お酒の魅力に気づいたのか、俺の部屋にくるとテキーラを所望するので、お嬢様のイメージがだいぶ崩れた。

 というかお嬢様ならテキーラをタルごと買い占めることだって可能だろうに、わざわざ俺の家にあるテキーラを飲みたがる。もっといいお店で飲んだ方が美味しいだろうに。


「わたくしが好きなのは、ここで色葉とお酒を飲むことですわ」


 尋ねると詩は、桜色に頬を染めて、そう返答してきた。

 これが酔っぱらっている状態なら良かったのに、素面だからたちが悪い。

 詩より先につぶれないように、自然とアルコールの量を控えるようになった。


「酔った色葉も見せてくれていいのに」


 ショットグラスから口を離して、詩は不貞腐れたように言った。


「いいわけないでしょ」

「可愛かったですわよ」


 酔っ払いのどこに可愛い要素があるんだよ。

 そろそろ恋は盲目を外して現実を見てほしい。


「まあでも、なんか結果として健康生活寄りに戻ってきた気がするな」


 不健康生活な自覚はあった。

 別に詩を褒めたわけではないのに。彼女はこうやってよく微笑む。

 他愛ない会話を、心のそこから楽しんでいる。

 詩はアルコールに目覚めたが、酒のつまみの定番は口に合わないようだった。


「詩は、俺に何かを望むのか」


 詩に好かれたいと思わないし、俺は詩のことが好きじゃない。その気持ちに変化はない。

 だからこそ、感情のままに詩と会話が出来るのが、楽だった。

 素のままでいられる特権は、みずだけだったはずなのに。

 優等生の色葉に呼吸の仕方を教えてくれたのは、みずだったのに。みずだけが俺を知っていてくれれば良かったのに。

 いつの間にか、みずに仮面を被った。

 そして、みずと一緒に暮らしている藍色を不審者だと怪しんでいたのに、いつからか一番偽りなく話せるのが藍色に変わった。

 俺を好きだというストーカーの詩相手にも、素で会話するのが楽になった。

 おかしい。

 佐京色葉を見てくれるのは、みずだけで良かったのに。

 どうして、みずだけで良かった俺は、みずに知られたくない心が増えたのだろう。

 会話が楽になる相手が藍色や詩に変わったのはなんでだろう。

 みずだけが、俺を理解してくれれば、唯一無二の親友で入れくれれば、それだけで幸せだったのに、いつからかそれだけじゃ足りなくなった。

 俺の曇った表情を察したのか、詩は熱がある子供の体温を測るように、額に手のひらをあててから不思議そうに首を傾げた。体調はいたって健康ですよ。


「わたくしは、特に何も望みませんわよ」


 詩は歪みなど知らないような純粋な瞳で俺を見つめる。好意を宿す瞳は嫌いだ。


「俺が好きなのに?」

「好きだからこそですわ。対価をもらいたいから色葉を好きになったわけじゃありませんもの。それに」


 詩は俺の部屋全体を眺めてから言った。


「今、ここで色葉と一緒にいることは、わたくしにとって幸せですもの。ふふ、だとしたらわたくし、代価をもらってしまっているのですかね? 何もいらないといっておきながらも」

「そっか、それは楽だ」


 ならいいや。

 詩は俺の家に遊びにくるときは連絡をくれるようになったが、頻度も別段高くない。

 ストーカーが程度をわきまえてどうするのだろうと思うと、少し面白い。

 でも、だからこそ俺も煩わしさを感じることなく「いいよ」とメールに返事をできる。


「それでは、そろそろわたくしはお暇いたしますわね」


 詩は腕時計を見てから言った。お嬢様の門限は知らないけれど、夕刻にはちゃんと帰る。

 これもきっと俺の家に遊びに来る時と同じで、詩が色葉といるための、拒絶されない程度の境界線なのだろう。彼女のことは、よくわからない。



 そして、俺はみずと遊ぶ。


「いろ。講義に提出するレポート終わった?」


 藍色の家のリビングで居心地の悪さを隠して寛いでいると、みずがオレンジジュースを片手に尋ねてきた。


「やべ、忘れてた。まだだわ」

「あは。駄目だよいろ。ちゃんと終わらせないと」

「つまり、みずはもう終わっているというわけだな」

「ううん。実はまだ。いろと一緒に進めようと思ってやってない」

「なんだよそれ。つまり俺が忘れていることを見越していたな名探偵め」


 悪態をつくように笑うと、みずも口を綻ばせた。

 いつも通りの親友。いつも通りの日々。

 当然のごとく、藍色もここにはいる。ソファーで胡坐をかきながら読書をしている。

 片目に治療用の眼帯をつけていることだけが、いつも通りではない変化だが、日常に溶け込んでいる。

 和歌と俺の愚かなる強行と監禁は、全て藍色が作った嘘の物語によってなかったことになった。

 みずは藍色の嘘を全て信じている。だから、俺への態度が変わることもない。俺も藍色の話が真実であるように振る舞い嘘に嘘を積み重ねていく。

 俺がみずを部屋から出さないで一緒に暮らしていたのも、俺が藍色のこと何も教えなかったのも、藍色が全て伝えないでくれといったからだ。

 仕事関係で詳細を伝える時間がなかったから荒い手法になったと。

 みずは秘密にされていたことには怒っていたが、心配させないためだという、藍色がつく必要のない謝罪で終わった。

 全て、辻褄が合うように後から物語が作り上げられた。

 けれど――藍色の瞳は戻らない。

 和歌が傷つけた事実も、俺と和歌がしでかしたことも、何一つ消えないまま。謝罪も懺悔も真相を告げることも、何も許されない。

 それが対価だと、藍色は笑った。

 だから今日も俺は佐京色葉の仮面を被る。

 みずが資料を取りに部屋に戻ったタイミングで藍色は視線をこちらへ向けてきた。蹴られた記憶がよみがえって少し、身体が強張る。


「いい加減、慣れたらどうだ」


 藍色は嘆息した。


「それはそうだけど反射的には仕方ないだろ」


 一度話始めると平気なのだが、話しかけられたタイミングではどうしても緊張してしまう。まあ、藍色が殺人鬼だと知った当初も似たようなものだったし、しばらくすれば今まで通りにはなるのだろうとは思うけれど、藍色の瞳を見るたびに現実を突きつけられて息苦しくなる。


「……色葉、おまえさ」

「なに」

「いいや。いいか。別に」

「ちょっと途中で話止められても困るんだけど」

「いいや。私がいうことでもないなと思っただけだ」

「何それ」

「ともかく、気にするな」

「気になるけど」

「じゃあ別の話題を。流石優等生だな、演技が上手だ」

「はは。その話題の方が嫌だな」

「だから選んだ」

「嫌がらせかよ。得意に決まっているだろ。何年産だと思っているんだ」


 初めて出会ったときのみずなら、その仮面も見破れたのだろうけれど、親友になったみずは俺を見破れない。

 みずが資料をもって戻ってきた。一緒に課題をやってレポートを作る。今時なんでこの先生は手書きのレポートを要求するのだろうか。パソコンでやった方が絶対早いのに。四年次はこの先生の講義はとらないようにしようとも思いながらボールペンでレポート用紙を埋めていく。みずの習字の手本のような字が並んでいくのを見ると、俺も字は綺麗なほうだが、見劣りするように見えてくる。まあ藍色よりは綺麗なのでいいけど。

 一日でレポートを埋めるものではないなと思いながら、手書きレポートが完成した。

 夕刻、またね、といってみずとわかれる。玄関まで見送りにきた、みずとは違い藍色は相変わらずソファーから動かなかった。

 佐京色葉は仮面をかぶるのが、いつだって得意だ。

 けれど、それでも疲労は蓄積する。大好な親友と一緒にいて疲れるって意味がわからない。だから夕食前に帰ることを選んでしまった。

 みずに不信感を与えることはないけど、何をやっているのだろうと自分で思う。


「はぁ」


 ため息が自然と零れる。


「ねぇ。君」


 マンションの下で、声をかけられた。

 夕焼けを背景に、美しい女性が腕を組んで立っている。

 スチームパンクのような恰好。凛とした顔立ちは、中性的だ。

 黒髪をポニーテールに纏めて、髪留めには梅紐を使っている。

 視線をそらしたいのに、梅紐から目が離せない。女性は胸に手を当てて、演劇を始めるように恭しく一礼をした。


「初めまして。僕の名前は(とび)。君は藍色の家に出入りしている子だろう? 嘘はいらないよ。僕は知っているからね」


 ヒールの音をわざと鳴らして、彼女は俺に近づいてきた。身体が強張る。

 彼女は、以前藍色が警告をしていた――藍色の同業者だ。

 逃げて藍色に連絡すべきなのに、獲物を捕らえたような瞳のせいで動けない。

 皮の手袋をはめた手が伸ばされ、俺の唇を指が撫でた。


「君にはちょっと、僕の手伝いをしてほしいんだ。何、難しいことは何もない。だから安心してくれていいよ。僕はただ今の藍色が嫌いなんだ」


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