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アマービリタ  作者: しや
25/30

軽やかな空気

 お嬢様が、俺の部屋にいる。

 インターホンを鳴らして、普通に家を訪ねてきた詩を、なぜか部屋にあげてしまった。

 かろうじて寝巻ではないものの、シャツの上から慌てて羽織った黒のカーディガンにジーパンと、寝癖の暴走を抑えるために、後ろ髪をゴムで結っただけのお洒落もしていない、優等生の欠片もない佐京色葉を玄関で見ても、詩の瞳は輝いていた。

 散らかった部屋を見ても、幻滅した様子がない。

 ここまでくると流石に意味が分からない。

 お嬢様は、俺がどんなでも好感度がプラスになるのだろうか、それはちょっとどうかと思う。

 座椅子はないので、代わりにクッションを枕投げのように投げて詩に渡すと、彼女はしっかりと受け取ってから、座った。改めて見ると、一つ一つの所作が美しい。


「どうしたのさ、詩。何? 君。俺の盗聴やめたわけじゃなかったの?」

「しないと約束したのでしていませんわよ、色葉」


 詩は俺の棘ある言葉を気にした素振りもなく嫌味なく答えた。

 澄んだ声色は、何処までも清純で、やはりこれもみずを思い出させた。


「何用さ?」

「わたくしが色葉を好きだからですわ」

「そう。諦めないね、君も」

「ええ。わたくしの恋は色葉の好悪では左右されません」


 対象が俺だから少しは左右してほしいのだけれども。

 まあ、でもこの詩だからこそ、いいかなと思った。

 詩が幻滅して消えるなら、それでいいから散らかった部屋にあげた。それでも好意が消えないなら――何だろう? どうして、詩は俺を好きでい続けるのだろう。俺は彼女に好かれるような態度をとったことなんてないのに。

 優等生の仮面がない俺をどうして詩は好きだと臆面もなく言えるのだ。


「色葉はお酒が好きですの?」


 床とテーブルに並べられた酒瓶を見た詩が、少し目を丸くしながら訪ねてきた。


「最近、強い酒が欲しいだけ」

「えっと、スピリタスが好みなのですの?」

「そこまで強いは飲めないって!」

「わたくしお酒にはあまり詳しくなくて」

「だろうね。初手スピリタスだし……」


 なんだか気が緩んで笑った。


「飲んでみてもいいです?」


 中身が残っている酒瓶を見て詩が尋ねてきた。


「いいけど、口に合うかな? ちょっと待ってて」


 立ち上がって台所でショットグラスを探す。お嬢様が選んだのはテキーラだった。なんでだよ。

 お嬢様でも知っている酒名で選んだのかもしれないが、可愛いタイプのお酒を選んでほしかった。梅酒とか。ちゃんと転がっているのに。

 ショットグラス程度の量なら一杯くらい大丈夫だろう。いや、やっぱまずいか。度数高いし。みずなら一発アウトどころではない。藍色なら瓶ごと渡す。


「ところで詩は酒強いの?」

「あまり飲まないのでよくはわかりませんわ……。あぁ、でも二十歳になったお祝いにワインは飲みましたわね」

「酔った?」

「平気でしたわ」


 なら、みずのようにお酒が駄目なタイプではないだろう。ショットグラス一杯ならいけそうだ。


「ところで色葉は、瓶に直接口をつけて飲むのです?」

「なわけないでしょ。だったらどうするつもりだったの」

「わたくしもしてみようかと」

「こら」


 お嬢様が行儀悪いことをするな。あとそれテキーラでやるな。食器棚からショットグラスを取り出し、テキーラを気持ち少なめに注ぐ。グラスの淵に塩と、小皿にライムをのせて詩に渡した。ざらついた塩が淵にあるのが詩の興味を惹いた。


「グラス小さくありません?」

「ショットグラスだからね。そもそも、詩の好みかわからないし。好きじゃない味だったら飲みにくいだろ」

「ふふ。そうですわね、ではいただきます」


 自分の分も出したので、なし崩し的に乾杯をした。

 何をしているのだか本当によくわからない。よくわからないけれど、ぐるぐるとメンドクサイことを考えなくて済むから楽だ。どうでもいいと思える。だって相手はストーカーだ。

 幻滅されたってかまわない。

 詩の顔を見ると、桜の開花をこの目で見たような、色鮮やかさだった。え、まさか好みだったの。


「香りがいいですわね。口の中の芳醇さ? が美味しいですわ。口当たりも悪くなくて」

「……素人がネットでレシピ見つけて作る程度だけど、テキーラベースのカクテルも飲む?」

「ええ、飲んでみたいですわ!」


 目を輝せて詩がいった。なんだか悪い道に進ませてしまったような気がしないでもない。

 とりあえずマルガリータを用意して出してみた。詩は美味しく飲んだ。


「ねえ色葉! もっといろいろなお酒を飲んでみたいですわ!」


 アルコールのテンションなのかいまいち判断が付きにくい元気さで詩が言う。肌に赤みはないし、呂律はしっかりしているから酔ってはいないはずだ。


「ちょっと待って、今何かつまみも用意するから」


 きゅうりの漬物や、貝ひもとかを出してみた。クッキーとかデザート類はあいにく買いに行かないとない。

 さて、次はなんのお酒にしようかな。テキーラが好みみたいだし、テキーラベースにするか……。悩んでいる間に、詩はショットグラスでもう一杯最初のストレートを希望してきた。


「一応言っておくけど、酔っぱらったら中止だよ? いい?」

「そうなのです?」


 悲し気な上目遣いでこちらを見てきた。


「当たり前だろ。俺は酔っ払いを介護する気はない。大体、詩の自宅も知らないんだから」

「あら、その時はお泊りさせてくださいよ」

「駄目に決まっているだろ。何言っているんだ」

「残念ですわ」


 したたかすぎるこのお嬢様。


「美味しいですわね。味はもちろんですけれど、風味を楽しむのもいいですわ。ふふ、ハマってしまいそうですわ」


 酔ったら酒飲み中止にしようと決めているのに、このお嬢様ぜんぜん酔わないのだけれども。え、何ざるなの? みずはお酒全然ダメなのに?

 というか藍色や俺よりお酒に強いんじゃないか?



 目が覚めた…………酔いつぶれていたのは俺のようだ。

 詩は静かに俺の家にまだいた。なんで帰っていないの?


「おはようございます。色葉」

「……おはよう。帰ればよかったのに」

「あら、せっかくの色葉の寝顔を拝める機会ですよ?」


 それもそうだな。このお嬢様ストーカーだった。でも、俺の知らない間も詩が部屋にいた事実は割と怖いのだが、盗聴器は仕掛けない約束はしているし大丈夫か。


「昨日、途中から記憶がないんだけど……」

「大分酔っていましたものね」

「迷惑かけた?」

「いいえ。ただ、一つ頼まれごとをしましたので」


 そういって詩は、見慣れないポシェットから袋を取り出した。


「こちらをどうぞ」


 酔った俺は何を頼んだのか定かではないが、詩は俺のお願い事を聞いて夜に出かけた――? お嬢様が一人で夜に出歩くなよ危ない。けれど、だからこそ無下にすることはできない。

 受け取って袋を開けると、出てきたのは睡眠薬だった。


「え?」

「色葉が最近よく眠れないといっていたのですわよ」


 酒が散乱しているのはアルコールに睡眠を頼ったからだ。酔った俺は詩にそれを伝えたのか? 最近よく眠れないと? 何を考えているんだ。そして詩は、その願いを叶えたと? 何を考えているんだ。


「夜によく薬貰えたね? もともと持っていたのか?」

「賄賂を渡せば、大体のことはどうにかなりますわ」


 駄目だろ薬渡したやつ! なんだ藍色系なのか? ますます駄目だ。

 大体薬って他人からもらっていいものか? 処方されたの俺じゃないのに? いや賄賂だからそもそも正規ルートではないけど……。

 まあいいか。藍色を通報していないのだから、その他もろもろの怪しいことだって些細な問題だ。細かいことは気にしないことにした。


「色葉、受け取ってください」


 お酒を飲みすぎは健康に悪い、とは詩は言わなかった。ただ慈愛の眼差しでこちらを見ているだけ。彼女の白い指が、桜色の髪に触れる。

 酔っぱらって頼んだので外聞もないし、正直アルコールに頼りすぎだろうなとは思っていたのでありがたく受け取ることにした。

 夢のようで、その実、悪夢のようでもあった日々が終幕を迎えてから、なんでもない日常が重たかった。

 みずとは親友のまま接し、藍色とは何もなかったように接しているうちに、寝つきが悪くなった。

 けれど、それに自分から名前をつけにいったら、あの時の出来事が明確な原因ですと俺の中で特定されるのが嫌だった。

 だから、アルコールに頼った。これは、詩が持ってきたから、名前がつけられていないものだ。


「まったく、お嬢様は……ありがとう」


 お礼を言われた詩は、とても嬉しそうだった。馬鹿だな詩は……。


「ってか……テーブル回り、片づけてくれたのか?」


 ようやっと部屋へ視線を移すと、さんざんアルコールパーティーをしたのに、机の周りは綺麗に片付いていた。


「えぇ。勝手に触られるのは嫌かと思いましたが」

「いや、いいよ」

「洗わせてもいただきましたわ」

「有難う。家事できるんだ?」


 偏見百パーだが、洗剤で料理するタイプかと思っていた。お弁当も料理人作だったし。


「色葉は家庭的なほうが好きかと思いまして勉強中です」


 そこまで俺中心に世界を回さなくていいんだけど。


「それにしても、色葉ってお酒弱いんですね」


 可愛いぬいぐるみを抱きしめるような顔で言われた。


「いや、詩が強すぎるだけだろ」


 俺は割と酒に強い。


「そうなのです?」

「ああ」

「なら、今度スピリタスに挑戦してみるのもいいかもしれませんね」

「それはやめろ」


 なんでそんな挑戦に意欲的なんだよ。


「朝食……じゃないなもう昼か、食べてく?」


 時計を見ると十一時を過ぎたところだった。

 自炊する材料はないが、冷凍食品ならある。レンジでチンするだけでいいので、二日酔いの頭痛があっても動ける。

 お嬢様の口には合わないかもしれないが、詩は気にしないだろう。だって、いまだに詩は俺への好感度を下げていない。


「ええ、それではいただきますわ」


 冷凍食品のパスタを食べたら、詩は特に居座ることもなく失礼しますと立ち去って行った。

 真っすぐに伸ばされた背中は、美しい。

 詩がいなくなったので、床に寝転がって両手を伸ばした。

 重たい気分が少し晴れた気がする。詩と話して酒盛りしただけなのに。息を吐きだした。

 そうだ、詩がくれた薬をちゃんと見よう。

 念のため名前で検索をするべきか。でも素人が検索したところで情報が正しいか判断はできないし、そもそも名前の羅列を見たところで理解できないからやめた。

 詩に嘘をつくメリットはない。賄賂で薬を売った暫定医者が嘘をついていれば話は別だが。盗聴器も高性能なやつをちゃんと用意したくらいだ、そのあたり見極める目は多分詩にはある。

 くしゃっと音がした。中をよく見ると紙が一枚ではなく、二枚入っていた。一枚はさっきみた使用方法、もう一枚は詩の連絡先だった。家の住所も書いてある。酔っぱらったら送ってけって?


「うーん。そつが無い」


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